他人の考えを聞く前に自分の考えを確かめてみよう

他人の考えを聞くことが大事なことだとはよく言われることであるし、他者の立場に立って物事を見ると視野が広がるということもよく言われる。しかし、その前にそもそも、自分の考えを確かめることは少ないように思われる。自分がどうしてそのような考えを持っているのか、他人の考えを聞いて納得する前に、よくよくと吟味してみよう。

たとえば、何でもいいが…………えー、何も思いつかないので、ヤフーニュースのエンタメアクセスランキング上位記事から引っ張ってくるが、落語家の立川志らくが、ある情報番組で、車いすの乗客を乗車拒否したバス運転手に対して、「自分の息子だったら絶対乗せてあげる」などと発言したのだが、そのコメントに対して批判の声が上がった。その批判に対して、志らくは、「正しいかどうかわからないが優しさからくる意見」「これがわからないって嫌な世の中だ」と怒りをにじませたということである。

これに対して、あなたはどう考えるだろうか。興味無いよという人がほとんどかもしれないが、まあ、強いて考えてみてもらいたい。志らく氏の言う通り、こんなまっとうな意見を批判するなんて確かに嫌な世の中だと思うか、それとも、ある人の意見がどのようなものであれそれに対して批判を上げることができるのはかえって健全な世の中なのだと思うか。あるいは、なにか別な考えを抱くか。なんにせよ、その考えを持ったときに、隣にいる人に、「あなたはどう考える?」と訊く前に、自分がどうしてそういう考えを持ったのか、子細に検討してみよう。

こんなまっとうな意見を批判するなんて確かに嫌な世の中だ、と考えた場合、その考えを持ちつつ、たとえば、「待てよ、果たしてこの意見は本当にまっとうなんだろうか」とか、「まっとうな意見だとして、それを批判することは本当に嫌なことなんだろうか」とか、そういうことを、さらに考えてみるのである。こういう吟味を行わないで、他人の考えを聞いてみてもあんまり意味ない。なぜかと言えば、そういう人は、そうやって聞いた他人の考えもやはり吟味しないからである。吟味せずに、他人の考えを知ったところで、満足してしまう。そうして、「ああ、そういう考えもあるのか、目からウロコだ」と見識を広げたつもりになって喜んでいる。なるほど、見識は広がったかもしれないが、果たしてそれだけ真実に近づいたのかどうか。

あなたにとって、ただ他人の考えを知ることが大事なのか、それとも正しいことを知ることが大事なのか。後者だとしたら、他人の考えを聞く前に、十二分に自分の考えを吟味することをお勧めする。そういう過程を経た上であれば他人の考えを聞くことにも意味があるが、おおよそ、そういう過程を経ると、他人の考えを聞く必要もあまりなくなる。

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