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22になりました。 誰にも言えない、言いたくない、でも誰かに聞いてほしい。そんな文章だけを綴る場所。

最近の記事

結局のところ失敗の数だった

例えば、人生でモテてきた人たちに恋愛の話を聞くと、どれだけアプロ―チしたのかを話され、結局のところ経験がものを言うという結論に至る。 偉そうに「あなたは何か挑戦したのか。失敗を恐れて何もしていないだけ。一度や二度の失敗なんかで挑戦したと語るな。」と言ってくる人だっている。 成功体験が必ずある人にしかこんなことは言えない。こっちはそんなことは分かっている。分かっているけど、成功体験がないから本質的に理解できない。 うるせーよ、黙っとけよと吐き出すのを押さえ、結局何も得ること

    • 遠慮の塊

      半年ぶりに家族と食事をした。すると、いつも通り、残った最後のローストビーフに誰も箸をつけなかった。弟と妹に食べていいよと伝えると、遠慮しながらも食べてくれた。 これは気遣いなのか、遠慮しているだけなのか、主張が弱いのか。 誰かと食事をすると、肉の一切れ、サーモンの切れ端、一口サイズのサラダが最後に残ってしまう。食べ始めは勢いがあったはずなのに、時間が立つにつれその鳴りを潜め、遠慮しあって手が進まなくなる。 食材の好き嫌いや空腹具合は関係ない。 なぜか残る。遠慮の塊という

      • 憧れに騙される

        「憧れることを止めましょう」 メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手がWBCの決勝前に発言したこの言葉を知っている人は多いと思う。 誰かに憧れた時期は誰しもあること。 こうなりたい、ああなりたい、気付けばその人に意識が向いてしまっている。 しかし、その憧れの表面上の良く見える部分だけに目を向け、真似したり受け止めたりしてしまっていることが多々ある。その憧れが本物であれば、プラスとマイナスの面の双方を分析することが大変重要だと思うのである。 ――――― 一年前の夏前。

        • 満たされていると感性が消える

          常にイライラしている時期があった。 何事に不満を持っていて、目につくものをそのまま受け取れない。 私生活、就活、恋愛、勉学、部活動。 理想の自分から遠ければ遠いほど、ストレスがかかり、自分に降りかかる出来事に悲観的な見方をしていた。真っすぐに受け取らず、斜めから解釈してしまう。 常に何かに追われていて、劣等感を抱えていて、不満を抱えていて、そんな日々しかなかった。 一方で、今は私生活、就活、恋愛、勉学、部活動と自分なりに丸く収まる形で充実していると言える段階にいる。ただ

        結局のところ失敗の数だった

          感謝は反射、鏡である

          感謝は行動。そして反射するべきもの。 恩師からそう教わった 時はさかのぼり、高校時代。 毎日、部活動終了後、短くても15分はミーティングがある。そのミーティングは恩師がしゃべり続ける。ときどき生徒に問いかけながら。こちらは先代からの流れでメモ帳をもってミーティングに挑む。心の琴線に触れた部分だけ抜き取って書く。 泥で汚れ、自分にしか読み取ることが困難なメモ帳。 1人暮らしの際、実家から持ってきた数少ない「使うことがないもの」のうちの一つ。 いつ見返してもそのノートに勝る

          感謝は反射、鏡である

          きっかけは何気ない言葉こそ

          2年前、信用と信頼という二つの定義について考える機会があった。1人で考えるだけに留まらず何人かに聞いてみた。 いろんな捉え方があって面白いなーと喜んでいるところ、ある人の「定義の話は実用性がない。現実的で論理的な話の方が良い」と一蹴されてしまった。その一言をきっかけに自分の中の、言葉の定義に対する興味は消え失せてしまった。 ただその言葉だけが残って、自分の中で消化しきれない異物になっていた。 今考えると、話の内容が抽象的すぎるがゆえ、論理的な彼は面白くなく感じて、話を方向

          きっかけは何気ない言葉こそ

          痺れてしまう瞬間

          手に汗握る。心拍数が上がる。ドキドキする。痺れる。 誰かが言った。そんな感情は若いときだけだ。だから若いときになるべく多くの挑戦をしなさい。と。 そんな感情を久しぶりに感じさせてくれたのは、画面に写る彼だった。 身近な人が戦っている姿、そして勝利を手に掴もうとするまさにその瞬間、自分の感情はかつて部活動をしていたあの時に戻った。 9回1点差、打てば逆転サヨナラ勝ちの時。 引退がかかっている最後のあの打席。 痺れる瞬間ほど尊い経験はないんじゃないか。 心がどうしようもな

          痺れてしまう瞬間

          ハイボールと煙草を片手に

          寝る前のあの時間。 肌寒い季節の到来と同時に、時計の針が12時を過ぎたと同時に。 ハイボールを片手に一杯飲みたくなる。 そしてそれが最近徐々に煙草を片手に黄昏たくなる感情に変化しつつある。 お酒を美味しいなんてほとんど思ったことがない。 それでもノリと勢いに任せて美味しく飲んでいるふりをしてきた。 多分、お酒が好きなんじゃなくて、アルコールが程よく回ったあの非現実的な「黄昏感」が好きなんだろう。 いつからか、自分の素は日常的に出せなくなってしまっていたのかもしれない。 だか

          ハイボールと煙草を片手に

          「エモい」の感性

          若者言葉だと思っていた「ヤバい」という単語は、気付けば大人も使うようになっていた。ヤバいの意味は多種多様でどんな状況でも使用することが出来る。 楽しいとき、嬉しいとき、ありえない時、クレイジーな時、危機的な時、泣きたいとき、我慢している時。 奥ゆかしく、魅力的な単語で溢れている多くの日本語は、この「ヤバい」という単語に影を成している。 「ヤバい」より響きが個人的に好きな「エモい」という言葉も、捉え方が人それぞれで異なるという共通点の下、若者言葉として浸透している。 「ヤ

          「エモい」の感性

          『ふっ軽』になってしまった

          フットワークが軽い人。 略してフッ軽。 勉強を始めようとしている最中、連絡が来てゴルフに行ってしまう自分はまさしくフッ軽だと言える。 フッ軽という言葉をネットで調べてみると、「思い立ったらすぐに行動できる人」らしい。 その上、ポジティブで活力がある人と載っていた。 でも若者の間でよく使われるこの言葉は、あまり良い印象がない。 例えば、自分の考えや意見がなく周りに流されやすい人。または暇人。 ネガティブ要素が大きい。 今の自分は、若者言葉での「フッ軽」なのである。 だか

          『ふっ軽』になってしまった

          噛めば噛むほど味が出る人

          噛むと言えば歯。歯は人間の最も固い部分である。明日はそんなことを頭の片隅に泣く泣く歯医者に行かなければならない。本当に億劫だ。 その後に行く友人(=彼)との食事を楽しみにするしか虫歯の恐怖から逃れる道は残っていない。 1週間に一度の頻度で会っている彼は度々名言を生み出す、実に人間らしい人である。 彼から言われた一言が自分の中で残り続けている。 「俺らって噛めば噛むほど味が出る人かもね。」 2人とも交友関係はどちらかと言うと、狭く深く。来るもの拒まず、去る者追わず。 でも来

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          真面目という魔力

          小さいころから「真面目」と言われてきた。 真面目なことは良いことだと思っていた。そして言われるたびに嬉しかった。 先生の言うことを聞いてくれる子は先生から好かれているから。 怒られることがないから。 褒められることが多いから。 真面目=善だと認識していたから。 そんな大人の都合で扱いやすい子供を、真面目と表現されていることに気づいたのは高校生のころだった。 部活動の指導者に何も考えていないことを指摘され、「真面目」に生きてきたつもりの自分は全てが否定された気がした。 自

          真面目という魔力

          かっこよさに惚れる

          風邪をひいてしまい長引くのどの痛み。 のどの痛みと共に覚める朝ほど、健康がどれほど幸せなことであるか考えさせられる。 年齢が上がるほど痛みへの耐性ができていくのは、良いことなのか悪いことなのか分からない。 かっこいい人は世の中いくらでもいる。 それでも数日前、人のかっこよさに惚れる場面に立ち会った。 それはバスに乗っている時の話。 コロナが緩和され徐々に増えている観光客と地元民で、バスは常に満員状態。座れることはほとんどないため、いつも通り諦めてバスに乗り込んだ。

          かっこよさに惚れる

          「幸せ」に見える人

          スタバで期間限定のさつまいもはめっちゃ美味しかったけど、いつも通り二口で胃もたれしました(笑) 人は社会に貢献している、誰かのためになっていると思えば、生きていけると思う。生きがい、やりがいとでも言うのだろうか。 しかし最近、変わるなら今、頑張らないやつに成功はないとか、色々な自己肯定感を高める言葉が流行っている。 そんな言葉にうんざりしているのは僕だけではないだろう。確かに頑張れば成功するかもしれない。状況を打開できるかもしれない。社会により大きな影響を与え、多くの人

          「幸せ」に見える人

          その人がいないところで

          日が沈むと肌寒さを感じる9月の到来を傍目に、のんきにカフェで文章を書いています。 昨日、23時に飲みに誘われた結果行ってしまい、人生で初めて「ふっ軽」だなんて言われた。一方でこんなことができるのも、時間が有り余る今だけなんだなと改めて感じている。 友人とのコミュニケーションは、人生を彩る上で欠かせない重要なピースの1つである。 そのコミュニケーションについて思い出そうとして見ると、ほとんど記憶に残っていない。何を話したのか覚えていないけど、その空間が自分にとって「なくて

          その人がいないところで

          相手の立場に立つ

          8時に目を覚ますことができたのに、結局起きたのは12時40分。肌寒いくらいのクーラーと、外からかすかに響く雨音は睡眠を助長させる。 とか言ってるけど、シンプルだらしないだけです。甘ちゃんです。 就職活動が3カ月ほど前に終了し、来春から働くということの現実味が帯びてきている。 就活を振り返った時に、自分の事を考える期間になった、とはっきり言えるのだろうか、と甚だ疑問を感じる。 とりあえずしっくりくる言葉を並べて自分を着飾り、自身のことを知ったふりになっていたように感じる。

          相手の立場に立つ