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感謝は反射、鏡である

感謝は行動。そして反射するべきもの。
恩師からそう教わった

時はさかのぼり、高校時代。
毎日、部活動終了後、短くても15分はミーティングがある。そのミーティングは恩師がしゃべり続ける。ときどき生徒に問いかけながら。こちらは先代からの流れでメモ帳をもってミーティングに挑む。心の琴線に触れた部分だけ抜き取って書く。

泥で汚れ、自分にしか読み取ることが困難なメモ帳。

1人暮らしの際、実家から持ってきた数少ない「使うことがないもの」のうちの一つ。
いつ見返してもそのノートに勝る教科書はないと考えさせられる。

そのノートに書いてあるが、見ることなしに頭に常にある言葉。
それが「感謝は行動。そして反射。」

自分の解釈では、感謝は行動で表すもの。そして、何か感謝すべきことをしてもらったら、それを角度を変えて反射させて違う人に「感謝=行動」する。

ようは自分が鏡となるということである。
反射する方向、つまり角度は自分の自由に変え、決めることができる。

その思いで日々、感謝するべき点を見つけては、何か他の人に貢献できるよう行動してきたつもりである。

この感謝を反射させる行為は、すべてに共通する。

仕事を教えてもらったら、教える側に回る。
ご飯をご馳走していただいたら、別の人にご飯をご馳走する。
自分のために誰かが叱ってくれたら、別の人のために自分が嫌われてもいい行動を取る。
困っている時に助けてもらったから、困っている人がいれば助ける

そうやって、言葉で終わるだけではない、誰かの行動のおかげで自分はここまで来れた。

恩師から受け取ったすべてのものに感謝している。
だから受け取ったものを全て反射させて、行動しなければならない。

さて、あのノートは、もはや自分という人間の原点であると言える。
棺桶に一緒に入れてもらいたいとふと思った。
しかしそうなると、入れるときに誰かに見られることとなるだろう。
それに恥じない生き方をしたいものである。

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