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「エモい」の感性

若者言葉だと思っていた「ヤバい」という単語は、気付けば大人も使うようになっていた。ヤバいの意味は多種多様でどんな状況でも使用することが出来る。
楽しいとき、嬉しいとき、ありえない時、クレイジーな時、危機的な時、泣きたいとき、我慢している時。

奥ゆかしく、魅力的な単語で溢れている多くの日本語は、この「ヤバい」という単語に影を成している。

「ヤバい」より響きが個人的に好きな「エモい」という言葉も、捉え方が人それぞれで異なるという共通点の下、若者言葉として浸透している。

「ヤバい」は使う人に共通して場面によって意味が異なるという特徴を持つ一方で、「エモい」の解釈は人それぞれ異なるが、その人自身の不変的な意味であり、場面によって異なることがないという違いがあるように感じる。
つまりは、「エモい」は、一人の人の中での意味が決まっているということである。

そんな「エモい」について自分はどう捉えているのかふと考えてみた。

「ありそうで二度と訪れることがなさそうな、何とも言えない一瞬」
「ふとした時に思い出すであろう一瞬」

無理やり言語化してみると、こんな表現になった。
自分の中での「エモい」は貴重で、それでいて感情が揺さぶられる瞬間らしい。

そんなことを旅行中のドライブの話のネタにすると、相手からは
「なつかしいこと」
じゃないかと返ってきた。

何とも面白い解釈だと思う。自分と似ていてそれでいて少し違う。
多分人それぞれあって、人間の数だけ意味は存在するんだろう。
知らないその人の何かが見えてくるかもしれないという期待と純粋な興味で、「エモい」の意味を多くの人から聞き出したい。なんか面白そう。
そうして、不変だと思っていた「エモい」の意味が気づけば変わっていて、この文章を久しぶりに眺めた時、また面白く感じるかもしれない。

最後にその旅行中にあった「エモい」瞬間を残しておく。

「お酒を片手に普段はすることがない、浅くて深そうな本音の話をした時」

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