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その人がいないところで

日が沈むと肌寒さを感じる9月の到来を傍目に、のんきにカフェで文章を書いています。

昨日、23時に飲みに誘われた結果行ってしまい、人生で初めて「ふっ軽」だなんて言われた。一方でこんなことができるのも、時間が有り余る今だけなんだなと改めて感じている。

友人とのコミュニケーションは、人生を彩る上で欠かせない重要なピースの1つである。

そのコミュニケーションについて思い出そうとして見ると、ほとんど記憶に残っていない。何を話したのか覚えていないけど、その空間が自分にとって「なくてはならなかったもの」であるとことは断言できる。

それでも一応考えてみると、多分いやほとんど確信を持って言えることがある。
それは、他人の噂話やその場にはいない共通の友人の話が、会話の半分を占めているということである。自分の話を進んでしたがる人は少ないし。当たり障りのない人の話題であれば神経を使わなくても楽な会話ができる。

その半分を占めている他人の会話について、自分がどういう態度でどういう話し方でどういう感情を持って付き合っているのだろうか。

大きく分けると、人を称賛するか、非難するかというもの。
または、肯定的に話すか、否定的に話すかとも言い換えることができる。

これは自分が「他人」になりきると分かりやすいのではないか。

自分がいないところでなされた会話が耳に入った時。
称賛している内容であれば、面と向かっていってくれるより喜びを感じる。
非難されている内容であれば、その人のことは信頼できなくなる。

それだけじゃない。
会話している相手からどういう見方をされるかもそこで決まってしまう。
人の良いところを見極められる人と見られるのか、本人の前では言えない意気地なしと見られるのか。

全てが全て感情を押し殺せと思っているわけじゃない。たまには愚痴を言いたくなることもある。吐き出したいときもある。
どうしても耐えられない時は人を選んでやる。
それでもやっぱり、「言霊」「因果応報」という言葉通り、世の中は自分の考えて行動したとおりになるようにできている。

人から称賛話や非難話を聞くときは、フラットな立場で向き合うことが最善で、そしてそこにいない人に敬意をはらった聞き方ではないのだろうか。

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