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元被虐待児、子ども産んでみます

後期になって夏に出産を控えている今の気持ちのメモ

心がざわざわする方はスルーして、ご自分の気持ちをたいせつにゆったり過ごしてくださいね

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私についてはこちら(かなりざっくりですが)

妊娠出産に関するnoteのまとめはこちら



子どもは生むべきではないと思っていた

生まれ育った環境や経験から
子どもは生むべきではない、自分の子孫はのこすべきではないという思いを強く持っていました

「自分は家庭を持つべきではない」

結婚に対してすらも前向きに考えていませんでした


23の時に彼と出会ったことは人生のなかでも海外の人に出会ったような、雷が落ちたような衝撃でした

数え切れないほど酷い言葉を浴びせても引き下がらない彼にそんなに言うなら「私の人生狂わせてみろ」と降参して結婚したものの妊娠には前向きになれず。

夫が子どもが大好きで、姪甥を預かってしょっちゅう遊んでいたり、街で子どもや赤ちゃんを見かけるとニコニコになるし
誰でもいいわけじゃなく私との子がいいんだと言われたことも何度もあるし
父親になりたいという純粋な願い、夢を持っていることを知りながら
それに対して前向きになれない私は、彼の前で反出生主義の本を読んだり、持論を展開したりと随分酷なことをしてきてしまいました


ほんとうの気持ちに気づいた出来事

そうして4年が過ぎた頃
私達より遅く結婚した夫の妹に第一子が誕生したのでふたりで会いに行った日のこと
夫がその子のお世話をしたり眺めている顔がこれまで見たこともないくらい幸せそうで彼の周りがすごく光って見えたというか、夫から溢れる空気?オーラみたいなものが
今まで感じたことのないくらいあたたかさに満ちていて

隣でその姿を眺めて、この人にとってちいさな存在がどれだけの幸せをもたらすのかということを痛いほどに感じて
私は無意識に泣いていました

それまで自分よりあとに入籍した人の妊娠や出産を見ながらなにも思わなかったわけでもなかったけれど
自分の中で確実になにかが動きました

泣きながら頭の中に浮かんだのは
同じ境遇で育ったあの子が、出産しては乳児院に出してしまっていること
虐待は連鎖するというあの言葉、
ネットにあふれるあのデータ
育った環境の悪い私には命を産む権利も資格もない
産むより先に救うべき命があるのでは
いま産まれてもかわいそうな時代だし……………
子どもは持つべきではないという意見を正当化するためのあんなことやこんなこと

心のどこかでもやもやを抱えながら
でも闇をこの目で見続けてきた事実を盾に
ずっと、気持ちを頭で押さえつけていたのかもしれないと気づきました

同時に、実親に頼れなくても夫婦で子育てをして「頑張れているのは夫のおかげ」とさらっと言うあの子
自身に障害があっても周りにうまく頼りながら子育てしているあの子

目指したい姿がこんなに身近にあることにも気付いた瞬間でした

後悔について

諦めてもよかったかもしれません
でもどこかに引っかかりがありながらあきらめて10年後20年後にもし後悔するんだとしたらそれも辛いだろうなと思いました
どんなに些細な気持ちでも自分に嘘をつき続けることは精神的にじわじわとストレスを貯めていってしまう

もちろん無責任はよくないし、その選択でわが子が不幸になるのもよくはない
でもやらぬ後悔よりやった後悔のほうがいいなと
夫も私も思ってしまった
夫も1度きりの人生 
ここでは詳しく書かないけれど、私は夫がいなかったら命を絶っていた瞬間もあったし
かけがえのない人の人生で叶えたいことを無視し続けて一緒にいるのもまたつらい
(以前、子どもはいなくてもいいよ、諦めたから大丈夫、無理はさせたくないと言わせてしまったことを本当に反省している)
後悔することがもしあっても、なんとかしようとする
その努力ができていけば…

虐待は連鎖する?

虐待は連鎖する(今は否定されているらしい)
から産むべきではないという考え方ではなく
そうならないためにどうすればよいか、自分が変わるべきことはなにか。
考える方向性を変えて何冊も本を読み、話を聞き、7歳からのお付き合いの児童精神科の主治医と何度も電話し不安を解消するための行動の日々が始まりました

順調なわけでもなかった、流れちゃったこともあったし

10代の頃に摂食障害で5年くらい生理止まってたせいなのか原因はわからないけど検査したら
実年齢は20代なのに卵巣年齢が高齢出産レベルだったり落ち込むこともたくさんありました

そうして冬に授かったいのち
(実はその1ヶ月前に精神的にダメになってやどかりハウスに逃げていた)

「私に母性はあるのか」「愛せるか」
そんなことばかり不安に思っていたのに
異所性妊娠だったらどうしようとか、些細な行動が流産に繋がらないかヒヤヒヤしたり、無事に育っているか不安になったり
頭の中が胎児でいっぱいになっている自分がいました。毎日つけている日記も、妊娠日記に変わった


死にたいということが頭の中を支配してしまう私を
この子が確実に支えて変えてくれているなあとこの8ヶ月間で感じています、なんだかすごいね


なんて妊娠したの?と聞かれたら

こんな時代になんで妊娠なんてするんだとか
もし将来子どもになんで産んだのと言われたら
たぶん
母性が暴走したから
って答えると思う。
産むのも産まないのもエゴだから



救われ続けているマタニティライフ

1月
つわりの中どうしても混む時間帯の電車に乗らないといけなくて、吐き気で座り込んでいた時に小さいマタニティマークに気づいて大丈夫ですかと声をかけてくれた赤ちゃん連れのママさん
女神に見えた

同じ境遇で育ちながら出産したあの子はベビー用品をたくさん譲ってくれた上、汚れているからあげられないと、新品を買ってプレゼントしてくれたものも。

産後、辛いときは泊まってねとか、1日預かるからたまには旦那とデートでもしなよ!と言ってくれたあの人
たくさんの出来事がその日記に刻まれています

特定妊婦てあることについて

ちなみに

私は頼れる家族がいないし夫の実家も車で3時間半と遠い(夫のご両親はまだ働いているし、施設に預けられない親の介護と義理姉の子育て手伝いが大変でうちまで手が回らない)ので、里帰りなし&親頼らずでの出産と子育てで両家からの金銭的支援もなし。

最初はひとりでなんとかしようと頑張っていたけれど広義の特定妊婦にあたるため、周りに助けを求めて
妊娠期間から必要な人や支援につながり、相談できていることが少しの安心感に繋がっているようにも感じます

夫の転勤でやってきただけの縁もゆかりもない地での出産子育てという挑戦は、やどかりハウスはじめ周りの支えがなければ踏み出せなかっただろうと思う


親を頼らずとも産後からうまく過ごしていけるよう妊娠前からいろいろと対策を考えてきました

産後が不安すぎて、勉強した内容をまとめるために作り出したルーズリーフは100枚ほどの分厚さになり、お世話のこと、母乳のこと、メンタルのこと、妊娠期間のこと、分娩のこと、体調管理のこと、栄養のこと、お金のこと、保育園のこと、産後楽できそうなレシピ集とか離乳食集とか、発達はイヤイヤ期までを予習済み(笑)

まあ、勉強通りになんていくわけないのだけど不安すぎるゆえの気休めで作っていたら気づいたら辞書みたいに…。(笑)
このくらいの時期にこういうことが起こるよねというある程度の予習は、急な出来事に混乱しがちな私にとっては対策のひとつでもあるからやらないよりはいいかな…

お金で解決できることもあれば、お金をかけなくてもできることもそれなりにあるなと学んでいます


先週も両親学級の交流会で周りの妊婦さんと産後の話をしたりすると
里帰りしたり頼れる家族がいる妊婦さんのことは羨ましいしいいなと思うけど
私は私、里帰りしないメリットもたくさん見つけられるようになりました
産後もそう言えるように、行動していきたいな



もしかしたらどこかに同じ境遇の方がいるかも…とおもってこのnoteにいろんなことを書いたりしています
いつか誰かの参考になればいいな

妊娠初期のメンタルの保ち方はこちら

最後に

どうでもいいけど出産の痛みが楽しみで笑
無痛分娩に興味がありつつも、お金もかかっちゃうし好奇心から自然分娩を選択中

死ぬほどの精神的な痛みは何度も味わってきたけど死ぬほどの身体的な痛み…事故や骨折も幸い1度も体験したことがないんです。手術は経験あるけど麻酔効いているし…

北斗晶さんが人生で経験した痛みのNO1が頭蓋骨を骨折したときの痛みで、2番目が陣痛だったとおっしゃっていて

頭蓋骨骨折の痛みを想像してみているけど、わからないよねそんなの笑

なによりも陣痛が待ち遠しくて仕方ない!


時々襲ってくるマタニティブルーと、後期悪阻、痛いほどの胎動で寝不足の日々だけどなんとか元気に生きています。
今日は自己満で妊娠中期までの日々を動画にまとめていたら泣きすぎて目が腫れました。メンタル、情緒不安定すぎ!

元気に出産してその時にどんなふうに世界や景色が見えるのかが今はとても興味があります

何よりも今は夫が出産を楽しみにしていて毎日お腹に話しかけている姿が愛おしい日々です
情緒がだめなときもそれだけで救われる日もあるから
もしこれを読んでいるプレパパさんがいたらぜひママのお腹にいっぱい話しかけてあげてくださいね
思っているより、うれしいです

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