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学歴コンプレックスは、言わなくてもいいことの無理解も一因

学歴コンプレックスのことを20代からずっと考えて来ました。うちは、たまたま父が研究者だから、80年代の人としては実績を持っていたから、環境として僕は気にならないので。

また、他のことなら仕事の妨げは批判されるのに、学歴コンプレックスで人を傷つけることは、なぜか続くことも不思議で。

そのため、気になる方が、自分か他人を傷つけるのを見る度に、心配して来ました。

出身校は、高校も専門学校も大学や大学院など、どこであれ偏差値が幾つであれ、それは、その方の「甲子園」だから、侮辱することはあり得ないと思う。

自分を磨き上げ、自分が自分になった舞台だから、もはや単なるブランドではなく、もう自分の一部ですよね。あの頃を置いてきた、大事な場所。

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僕の父が大学で働いていた昭和の後期は、キャリアアップのためにポストに応募するときは、自分の指導教授の他に、お世話になっている影響力の高い先生からも推薦状をお願いする必要がありました。だから学歴は、働いたり暮らすことに密接に関係する業界です。

けれど、問題のある父ですが、他人の学歴を攻撃することは、息子の私も聞いていないし、母も聞いていません。父は、言わなくていいことだと行動できました。

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国内外の名門で、その先のキャリアも規格外の方は存在します。けれど、僕の目に入る範囲で、尊敬する彼らは、出身校や経歴をひけらかし「私はこれだけ持っているけど、あなたは何も持っていないね」と、わざわざ言って歩かないです。なぜなら、そんなことをしなくても自己承認出来るし、自分の本業で忙しいからハードワークしており、マウンティングする暇がないのです。 

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だから学歴コンプレックスに関して、十分にあるのに言わなくていいことを言わないと気が済まない人たちは、全国模試に例えると「自分が上位何%に入ったことでは満たされず、自分の下に誰かがいることを探す人々」に見えます。

全国模試って、志望校への距離の調整に使いませんでしたっけ?

抽象化すると、自分の気持ちの問題のために、他人に嫌な思いをさせても気にしないと言える。この方は、教育を通して、何を学んで自分を磨いたのでしょうか。また、高い学歴と豊かな人脈があるはずなのに、同窓生から諌められたりしないのでしょうか? 居ても居なくても、寂しいことですね。

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世の中には言わなくていいことが存在します。

言う必要がないこと
言わなくていいこと

言う必要がないことを言うと、誰かしら嫌な思いをします。だから学歴コンプレックスの問題が複雑で根深いのは、一つには「これは言わなくてもいいこととか、あるいは自分はちゃんと結果が出てるから大丈夫だから、自分のやるべきことに専念しよう」と思えないこと。

そして、職人さんみたいに仕事の腕ですごく尊敬される実績を持つ方もいるため、学歴は実績の一つであることを、見落とすことも観察出来ます。

学歴以外に、その方が有利に戦えるものを探すことに意識を向けると、無いとか足りないという悲しみが減らせます。

こうすると、学歴コンプレックスということで、しんどい思いをする人が減るから、誰しもメリットがあり、みんなの生産性が上がると思うんです。だってギスギスが減るのだから、ネットや社会で消耗せずに済む。

自己承認出来ない方の問題を、他人が押し付けられるのは、変な話だと、僕には思えるのです。


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