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命を、自分勝手に、いい加減に自由に扱うことなど出来るはずもない。

“命(いのち)”とは何か。生きる物が生きていくための源となる力。生命。生涯。一生。寿命。即ち、もっとも大切なもの。人間がひざまずいて神意を聞くさまでもある。「いのち」の「い」は「いく(生)」や「いき(息)」と共通であり、「ち」は「いかづち(雷)」や「大蛇(おろち)」の「ち」と同じく「霊力」を意味している。従って、命は、神聖なものであり、与えられたものであり、人間の思いで、その命が善いとか悪いとか、尊いとか否とか決められないところがある。従って、“命の尊厳”という意も、人間社会では、個の尊厳など、他人に介入されないなどという意味合いで捉えている節があるが、それは過大に評価、強調しすぎていることを推してしるべし。そもそも“尊厳”とは、尊く、おごそかで、犯してはならないこと、気高く威厳があることであり、実相における“命の尊厳”とは、天から与えられたその命を、自分勝手に、いい加減に自由に扱うことなど出来るはずもない。即ち、命の扱いに関する決定権は、人間側にはないということだ。そのことを理解できれば、“命”への本当の向き合い方も変わっていくはず。



そのことを肝に銘じ、この与えられた尊く有難い命を、燃え尽きるその時まで、目的を果たすべく、最後の最後まで懸命に生きます。



有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者