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日本保守党とリベラル

日本保守党の「結党宣言」を読んだが、さすが作家(百田尚樹)が書いただけあって、うまいものだと思った。簡潔で、リズム感がある。


日本の海が、山野が、いま脅かされようとしています。

他国に攫われた同胞は、何十年も祖国の地を踏むことができません。野放図な移民政策やLGBT理解増進法にみられる祖国への無理解によって、日本の文化や国柄、ナショナル・アイデンティティが内側から壊されかかっています。

これらを座視していてはなりません。

断固として日本を守る――。そのための新たな政治勢力が必要です。


保守層、とくに若い人たちの愛国心に、その言葉は心地よく浸透するのではないか。

いっぽう、弱点もはっきりしている。

百田、有本両氏が、佐々木俊尚らと議論したアベマTVの動画も見た。

外交、国際センスはないね。

百田の日ごろの嫌韓、嫌中発言を聞いていると、そのあたりがネックになるのは間違いない。


自民党の左翼化


それでも、私は、前に書いたように、日本保守党に期待している。

右も左も自由に意見が言える社会が理想だし。

それに、私はリベラルだが、保守らしい保守がいないと、リベラルもやりにくい。


その点で、百田・有田が、

「自民党がリベラル化している」

と言うのは違和感がある。


自民党は、リベラル化ではなく、左翼化してるんだよね。


日本のマスコミで力をもつ「朝日・毎日」は、リベラルではなく、左翼だからね。(だから、安倍暗殺のあと、二兎を追って、反共団体の統一教会も殺そうとする)

その「朝日・毎日」と仲良くやっていこう、という岸田政権は、左翼です。

稲田朋美なんて、もともと「百人切り裁判」で毎日と喧嘩して売り出したのに、いつの間にか毎日と仲良くなって、毎日新聞の紙面で「LGBT」や「同性婚」を語るようになった。

なんだかんだ言って、「朝日・毎日」と仲良くしていれば、揚げ足取りで政権が倒れることはなく、安倍晋三のように殺されることもない、と踏んでいる。

現に、いまのマスコミ論調は、岸田政権に優しい。支持率が低い、やめろ、とあまりイジメられることもない。

岸田や稲田の狙いが、当たっているわけです。


自民党までが左翼化して、リベラルはどこにいるのか?

日本のどこにもいないんだ。

だから困っている。


リベラルの不在


リベラルの敵はリベラル、っていう本があったけど、リベラルの敵は左翼なんですよ。

左翼が敵という点では、日本保守党と同じはずなんです。


しかし、日本のリベラルに、左翼に対抗する意識は薄い。


世界的に見ても、いまリベラルの力強い思想はあまり聞こえてこない。

だけど、たとえばアメリカのリベラルにはあります。左翼への強い対抗意識が。

クリストファー・ヒッチェンズみたいな人が典型ですね。

チョムスキーなんかと一緒にされたくない、と左派雑誌「ネイション」に書くのをやめた人。日本でも彼のトマス・ペインの評伝なんかが翻訳されている。

日本では、井上達夫みたいな人まで、チョムスキーを「リベラル」だと思っているからね。あれは左翼でしょう。

哲学者のリチャード・ローティとか。LGBTのようなアイデンティティーポリティクス、いわゆる文化左翼をいちはやく批判した。

ヒッチェンズもローティも亡くなったけど、いま生きている人では、スティーブン・ピンカーみたいな「新啓蒙派」がそうですね。


百田らが左翼の「自虐史観」を批判するように、こうしたアメリカのリベラルは、左翼の「反米史観」を批判している。

保守とリベラルは、激しく対立しているように見えても、「愛国心」は共有している。

それが正しい姿ですね。

日本の「リベラル」に愛国心がないように見えるなら、それは、リベラルではなく「左翼」だからです。

日本式リベラルの根っこにある教養は、「岩波・朝日」のそれで、要するにマルクス主義ですから。全然リベラルではない。


本質的議論を


日本保守党に刺激されて、日本にも本当のリベラル政党ができてほしい。

本来、日本の保守とリベラルが議論すべきは、天皇制のような本質的問題です。

日本保守党の宣言や綱領を見て、やはり気になるのは、「国体を守る」はあっても、「憲法を守る」がないことです。

ここで言う「憲法を守る」は、べつに「9条護持」ではない(私は改憲派だ)。

そうではなく、立憲体制を守る、ということ。天皇陛下も「国民と共に憲法を守る」と日ごろ明言されている。その国の基本が、無視されているように見える。

日本は立憲君主制ですが、その「立憲」を無視しては、「ただの君主制に戻るつもりですか」と思われておかしくない。

皇室は、自分たちが何で守られているか、よくご存じのはずです。「国体」のようなぼやっとしたものではなく、憲法で守られている。

その点で、奥平康弘が言った「うちなる天皇制」問題は、いぜん未解決です。


もし、現行憲法において天皇の規定なかりせば、すなわち憲法が天皇を存置しなかったとすれば、そもそも天皇制度というものは廃絶し、天皇という存在そのものは消滅してしまうことになったのだから、文化現象としての天皇制、「うちなる天皇制」もまた、その存立の基盤を失い、消滅する運命にあったに違いないのである。「うちなる天皇制」がそれ自体としてどんなに強かろうと、また、それが古代、中世、近世にかけてどんなに独特にひとの心を押えていたにしても、今の世のなか、憲法制度上の基盤がないままでは、脈々と生きながらえることができないのである。
奥平康弘「日本国憲法と『内なる天皇制』」

https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01291/contents/303.htm


その憲法規定の中で、たとえば皇室と男女平等原則が対立するなら、どうすべきか。

「憲法」を取るのか、「国体」を取るのか。

そういう問題こそが、いま保守とリベラルが議論すべき、この国の大問題だと思うんですね。


日本保守党の出現は、そうした本質的議論に日本社会を誘い込むチャンスだ、とリベラルなら思うべきなんですが。

左翼マスコミは、「臭いものにふた」式に、日本保守党をただ無視している。

結果、右と左が、愛国心を共有できないまま、おのおの言いたい放題、という現状が情けない。



<参考>






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