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「杉田水脈糾弾」でよみがえる同和の記憶

自民党の杉田水脈議員と左派マスコミとの応酬について以前書いたが、

杉田水脈を「差別者」だとするマスコミの攻撃はまだ続いている。


杉田の言動への批判はもちろん自由だが、「差別者」というレッテル張りは危険な人格攻撃である。

しかし、共同通信や、とりわけ毎日新聞(毎日とスポニチ両方に同記事を載せている)は、攻撃に躊躇がない。


自民党の杉田水脈衆院議員は29日までに、性的少数者、女性、特定民族への差別だと批判された過去の発言を巡り「差別がなくなっては困る人たちと戦ってきた。私は差別をしていない」と言明した。ユーチューブへの投稿動画で語った。自身の言動を正当化したとも受け取れる発言。さらなる差別助長を招く恐れがある。(共同配信、毎日、スポニチなど)


ある発言を取り出して、それを差別だとか、差別を助長するだとか言う。

「性的少数者、女性、特定民族」について、左派マスコミが認める考え方、言い方しか認めない。

そこからはみ出した考え方、言い方は、すべて取り締まる。

そのような「報道」が正しいと考え、疑わない思想を感じる。


こういう記事が公正であるか、私はいつも三つの観点から考える。


1 その差別による被害が具体的か。被害の規模が明確にされているか

2 差別者とされる人格が、そのメディアで従来どういう扱いをされてきたか。もともと狙われた標的ではないか

3 差別者とされている人格の反論、抗弁に十分な紙面が割かれているか


この三つの観点からして、一連の杉田糾弾記事は偏向している、行き過ぎだと私は感じる。


以下、話が飛躍していると思われるかもしれないが、私のなかではどうしてもつながるので、書いておく。


こういう「報道」を見ていると、私の中で悪夢のような記憶がよみがえってくる。

1970年代、私がものごころついた時期に体験した、部落解放同盟の「差別者」にたいする苛烈な糾弾である。

この時代の象徴としてよくあげられるのが「八鹿高校事件」だ。

1974年11月22日、部落解放同盟兵庫県連が、県立八鹿高校の教職員約60名を約13時間にわたり監禁暴行し、瀕死の重傷を負わせた。


こうしたことは、ほぼ全国でおこなわれていた。



同和授業の記憶


中学生の私は、直接糾弾されてない。だが、間接的にそれを体験した。

以前にも書いたが、私の中学には「同和教育」が週に1コマあり、教頭先生が担当した。

教頭先生は、部落解放同盟から厳しい糾弾を受け、頭がおかしくなっていた。

「君たちがねえ、差別をすると、先生たちが糾弾を受けるんです。一晩中、責められてごらん。言いようのない屈辱です。だから、どうか、差別だけはしないでください」

そして、「人間はクソ袋にすぎない」とか、「火の始末が心配でよく家に帰る」とか、脈絡のない変な話を、顔をひきつらせながらするのだった。


職員室では、共産党の先生だけは解同に批判的だった。

しかし、大勢を占める日教組主流派、社会党の先生は、解同に同調的だった。

そして、マスコミも、一部を除き、解同と「グル」だと当時の私に思えた。

同和対策は行政のなかにがっちり組み込まれ、不満が許されない仕組みができていた。

教頭先生の頭がくるっていくのは当然と思われた。


当時、となりの中国では文化大革命が進行中だった。

あとから思い返して、日本でも「文革」はあったのだと思う。

だが、マスコミが伝えないから、あとの時代の人はそれを知らない。


宝田明「ヨッ!」の記憶


私にとりわけ印象的だったのはマスコミの態度だ。

昨年3月、俳優の宝田明が亡くなったさいも、そのときのことを思い出した。

1973年の「よっ!」事件である。

以下、長い引用になるが、忘れさせられがちな歴史を残すのが、この私のnoteの目的でもあるので、書き記しておこう。


大正製薬の強壮ドリンク剤「リポビタンD」の広告はご存知宝田明が「ヨッ! やるじゃない」とか「ヨッ! お疲れさん」というキャッチフレーズで登場し、もう何年もロングランをつづけている。
ところが掲載した写真でもわかるように、「ヨッ!」から「ヨォ!」へと途中で大きな変更が加えられているのである。

『週刊朝日』75年7月18日号は、「とてもホントとは思えぬ差別語タブー」を「NOW・NOW」欄で特集したが、このことはそこでも触れられている。しかし「わけは説明すると差別になりそうなので書けない」と、詳細は省略されていた。
では一体何があったのだろうか。73年7月14日の毎日新聞と同7月21日の朝日新聞広告欄では、「ヨッ! お疲れさん」となっていたが、74年6月30日の朝日新聞では、「ヨォ! お疲れさん」に変り、75年6月29日の朝、毎、読三紙では「ヨォ! やるじゃない」となっており、74年に変化が起ったことを示している。
「ヨッ」は「四つ」であり未解放部落民への差別呼称につながるというので関西の未解放部落関係者から大正製薬に抗議があり、あわてた大正製薬が、73年に広告取扱い店の電通に改稿を求めたというのが真相である。

(『差別用語』汐文社、1975、p.58)


これはまさに私のいう「日本の文化大革命」の時期のことで、鮮明に覚えている。ことの真相は、大マスコミが書かずとも、アングラメディアや口コミで、私のような子供にまで伝わった。

「ヨッ」という掛け声に、部落差別の意図がないのは明らかなのに、それを差別だと言われ、反論できず、恐慌状態になる大人たち。

学校の先生たちは、しばらく「4」にまつわる表現に神経質になっていた。


そして、「それについて書くと、差別になるから、書かない」と沈黙するマスコミ。

子供の私に強烈な印象を残した。


しかし、宝田明の死にさいして、あの事件に触れた記事は皆無だったのではないか。

左派メディアの東京新聞は、宝田がいかに「反戦」の人だったか、という記事を今年の夏にも出していた。


亡くなる直前まで反戦の思い強く 宝田明さん戦争体験語る映画


自分たち好みの、自分たちの思想に即した世界の一面しか、書かない。

自分たちに都合のいい歴史しか残さず、都合の悪い過去は忘れる。

それを偏向と言うのだ。


人は、ひとたび脅されると、その恐怖が身体にきざまれる。

もし宝田が晩年、左派メディア好みの人になったとしたら、あの「ヨッ!」事件が効いたんだろうな、と思ってしまう。

当時の多くの有名人が、同じ目にあっている。


私については、その後、高校時代にも、大学時代にも、マスコミに入っても、いろいろあった。

その一端は、以前、何度か書いたことがある。


解放同盟の人とも接触したが、たいがいは良識的で、過去の糾弾や言論弾圧を反省していた。ほとんどはまともな人だと思う。

だが、組織として正式に謝罪しているとはいえない。

いずれにせよ、中国の文革は1970年代中に終わり、解放同盟の糾弾姿勢も1990年代には終息した。


何を語り継ぐべきか


だが、それを引き継ぎ、糾弾戦法を続けているように見えるのが、いまの朝日、毎日、東京などの左派マスコミだ。

マスコミは当時の「沈黙」をまったく反省していない。それどころか、また同じ過ちを先頭に立っておこなおうとしているとしか見えない。また「文革」を始めたいのか。

杉田のいう「差別がなくなっては困る人たち」とは、私には彼らのこととしか思えない。

図星だから、杉田を消したいのだろう、としか思えないのだ。


誤解しないでほしいが、私は杉田の思想の支持者ではない。

私は、権力をもたない普通の人が、自由に考え、自由に発言し、自由に行動する環境をつねに確保したいだけだ。

政治権力だろうと、マスコミ権力だろうと、それを阻害する動きには反対する。

現状では、杉田一人の政治権力より、左派マスコミの寄ってたかって発する社会的権力の方が大きいと感じる。

杉田が、やはり一部勢力の代弁者として、ひとつの偏った見方を権力で押し付けてくるなら、もちろんそれにも反対する。



余談だが、私は最近、現代ビジネスで、日本を研究する若い外国人たちの記事を読んだ。


偽情報や陰謀論…「日本好き」欧州の若き研究者が「日本社会も劣化している」と語る理由(「現代ビジネス」10月28日)


面白い記事だが、どちらかというと左寄りで、記事の主張は次のような外国人の意見に集約されるだろう。

「たとえば、ワーキング・プアの人々とか、女性の不平等とか、LGBTQ+の人々のアイデンティティのこととか、国の近未来をひどく憂慮している若者やシルバー世代がいることとか、民族的文化的に異なる背景を持つ少数派のこととか――困っていたり、あがいたりしている仲間たちを見て見ぬふりをする人々が少なくないことはとても残念に思う」


彼らはアウトサイダーだから、日本社会の見方が浅くなるのは仕方ないが、それより私が感じたのは、彼らが研究のさいに使用する「史料」は、ほとんど国家やマスコミが公認したものでしかないだろう、ということだ。

上の若い研究者の意見自体に、私は反対したいわけではない。だが、新聞の論説レベルであり、浅いと思う。マスコミが思ってほしい方向に思わされている、と思う。差別糾弾運動の闇、マスコミの沈黙や偏向について、また、人びとが「体験したが語りたがらない」事実について、彼らは、そしてこれを書いた記者も、どれほど知っているのだろう。


私が子供のころに見たような「見ているけど、見ない」「書けない」という歴史は、「正式」な史料として残らず、アカデミズムでもマスコミでも扱われなくなる。

だから、彼ら若い外国人研究者だけでなく、後世の人の多くは、国家や学者やマスコミが仕向けたようにしか歴史を見なくなるだろう。

私が生きたような近い過去ですら、正しく伝わっていると思えないのだから、それより古い過去の歴史の真実など、わかりようがない、という絶望を感じる。


<参考>


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