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朝鮮人虐殺と日本人虐殺

なんか毎年、関東大震災の日(9月1日)になると、「朝鮮人虐殺」問題が蒸し返されるようになった。

だが、あのとき虐殺されたのは朝鮮人だけではない。今日(9月3日)は亀戸事件の日だ(101年目)。

亀戸事件では、平澤計七や川合義虎ら著名な社会主義者を含む10数名が、震災に乗じて亀戸警察に虐殺された。

そして、震災から約2週間後、9月16日に、憲兵隊の甘粕正彦によって大杉栄が虐殺される(甘粕事件)。


さらに同年12月27日、これらのこと(朝鮮人虐殺や亀戸事件、大杉虐殺など)に怒ったアナーキストの難波大助が、虎ノ門で皇太子・摂政の裕仁(のちの昭和天皇)を狙撃した(虎ノ門事件)。

彼の当時の感覚では、これらのことの責任は「天皇」にあった。難波大助は、大正天皇は「不具者」で責任能力がないから、摂政の裕仁を狙った、と供述している。

(ついでに言えば、これら震災後の一連の不祥事の責任で、警視庁警務部長だった正力松太郎が懲戒免職となり、野に下った正力が「読売新聞」を再興することになる。)


最近の朝鮮人虐殺の記事では、背景に日本の韓国併合(1910、その前年に伊東博文暗殺)を挙げるものが多いが、ロシア革命(1917)も同様に重要だ。関東大震災は、その直後である。難波大助にとっては、大逆事件(幸徳事件 1910)も重要だった。

だから、朝鮮人虐殺は、民族差別の文脈だけでなく、こうした国際的な革命気運の高まりのなかで位置付ける必要がある。

大震災の前年の1922年に、ソ連のコミンテルンの働きかけで「日本共産党」が創立されていた。

現に、難波大助も参加した震災の年(1923)5月1日のメーデーでは、朝鮮人が演説に立ち、たちまち官憲に取り押さえられた模様が難波自身によって記されている。

社会主義者、アナーキスト、外国人によって体制転覆が画策されている、という憶測が、官憲と一部市民に共有されていたのではないか。


福田康夫元首相は1日、駐日韓国文化院で開かれた「第101周年関東大震災韓国人殉難者追念式」に出席し、「関東虐殺の日韓共同調査」を提案している。


しかし、それならば、幸徳事件から亀戸事件、虎ノ門事件にいたる一連の「革命と弾圧」の歴史も、徹底再調査してもらいたい。それは、関東大震災の朝鮮人虐殺と重なっている。

このあたり、まだ分からないことがたくさんあるからだ。


どうせ「蒸し返す」なら、徹底して蒸し返して欲しい。

だが、その結果は、不穏なことになるかもしれない。その覚悟はあるのだろうか。


日本人は朝鮮人を差別してきたが、その報いを日本人がまったく受けていないわけではない。

終戦直後、朝鮮人や中国人が日本人に「仕返し」した例も、多く記録されている。

火野葦平が「革命前後」で記した例は、以前書いたことがある。

きのう、たまたま河上徹太郎を読み直していたら、1945年8月15日を少し過ぎた頃のこととして、以下のような記述に会った。


駅のホームで、「俺は日本人だ!」と怒号する一人の男が、血まみれになって十人ばかりの朝鮮人らしいのに殴られ、周りの日本人が誰も手出ししないような場面が目撃された。

河上徹太郎「八・一五の思い出」(1954・9)『エピキュールの丘』所収


日本人が差別した事実を誤魔化すことはない。だが、日本人が100%の加害者だというのも少し違う。また、日本人の中でも、加害者と被害者があった。それらをどう「決算」できるというのか。

ジャーナリズムは、今の政治的文脈で自分に都合のいい事実だけをつまみ食いするが、歴史の全体像はもっと怖い。

今の新聞自体、関東大震災時には存在したから、決して無関係ではない。当時の自分たちの報道にそんなに自信があるのだろうか。朝日・毎日みたいに、震災につけ込んで部数を伸ばした「震災利得者」もいる。

中途半端につついて藪蛇にならないよう気をつけることだ。



<参考>






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