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「鳥のさえずり公園」の謎 よみうりランド「60周年」の裏側(川崎市麻生区)

名前が定まらない「謎の公園」


3月19日に「60周年」を迎えたよみうりランド。

当日は入園無料だったので、貧乏乞食老人の私も行ってきた、というルポをきのう投稿しました。


同日、よみうりランドの近くに、私が行ってみたいところがありました。

「麻生区市民健康の森」または「麻生鳥のさえずり公園」または「麻生多摩美の森」と呼ばれる公園です。

よみうりランドと多摩美の森の位置関係


この公園の存在は、ごく最近知りました。

わたしは昨年、「麻生の公園完全制覇」という企画を立てて、麻生区のいろいろな公園を回りました。

だから、公園のリストはよく眺めていたのですが、「鳥のさえずり公園」には気づきませんでした。

もしリストにあったなら、野鳥ファンの私が、見逃すはずがないと思います。

「麻生鳥のさえずり公園」という名称を、私が初めて認知したのは、川崎市が今年、市制100周年で始めた「全国都市緑化かわさきフェア」の、以下の地図でした。

地図の右上端に「多摩美公園」と「麻生鳥のさえずり公園」がある




この地図上で、私が行っていない公園は、黒川と岡上の公園と、この多摩美の公園だけでした。


「鳥のさえずり公園」という名称は、使われたり使われなかったりしています。

川崎市のほかの資料では、「麻生区市民健康の森」が使われている場合が多いのです。


私がよく参考にした、麻生区と麻生観光協会が出している「麻生観光MAP」にも、「市民健康の森」と表示されています。


「麻生鳥のさえずり公園」は、表示されるにしても、カッコに入っている場合が多いです。

名称が一定していない。謎の公園だなあ、と思って、この公園について調べ始めたのでした。

(どうして、公園の名称があいまいになってるのかは、調べても結局、わかりませんでした。「麻生区市民健康の森」という名称が、あまり「そそられない」のは事実ですが・・)


ともあれ、この公園のあたりは、「多摩美ふれあいの森」「多摩美公園」「多摩美緑地」など、公園と緑地が集中してあるところです。

もとは、一つの里山なのだろうと思います。

だから、この一帯の総称がほしいところです。中心になる「多摩美(たまみ)」は麻生区ですが、多摩区との境界に位置するので、行政的に総称が難しいのかもしれません。

ここでは仮に、全体を「多摩美の森」と呼んでおきます。

*「多摩美(たまみ)」は麻生区の地名であり、多摩美術大学、通称「多摩美(たまび)」とは関係ありません。


「よみうりランド」と対峙して・・


「多摩美の森」は、川崎市の多摩区と麻生区の境界にあるのと同時に、東京都の稲城市との境界でもあります。

そして、稲城市側には、「よみうりランド」を中心とし、野球場、サッカーグラウンド、ゴルフ場、テレビスタジオなど、多様な施設があり、いまも山肌をけずって開発がつづいています。


「多摩美の森」は、そうした多摩丘陵の開発の波を、ここで食い止めるかのように存在しています。

実際、この一帯に自然が残っているのは、住民たちの運動の成果なんですね。


べつに「多摩美の森」と「よみうりランド」が対立している、と言いたいわけではありません。そんな事実はないと思うし。


しかし、読売グループや小田急が、現在もなお、このあたりの丘陵を潰して開発を続けているのを見ると、こうした緑の保存がいかに貴重かわかります。


新施設「東京ジャイアンツタウン」の建設現場(稲城市、3月19日撮影)



私はべつにエコの活動家ではないし、ここで、読売グループや小田急の開発に文句を言いたいわけではありません。

それは、戦後の多摩の大開発の一部です。

私だって、その開発のおかげで、かつてはデコボコだらけだった多摩丘陵の一部に住めているわけですしね。


しかし、いっぽうで、その開発の行き過ぎに抗して、自然を守ってきた人たちもいるわけです。

そういう運動はいろんなところにあったでしょうが、その象徴として、「よみうりランド」と「多摩美の森」が、ここに対峙しているように思います。


多摩丘陵の開発と、それに対する抵抗の歴史


以下、「よみうりランド」と「多摩美の森」の歴史を、年表風にまとめてみます。


多摩丘陵の開発の流れ(よみうりランド中心)


1957年、ゴルフ場建設を目的とした多摩丘陵の用地買収始まる


1960年、川崎市多摩区高石に「百合丘団地」、小田急線に「百合ヶ丘」駅誕生。一帯の開発が本格化

1961年、東京都稲城市と川崎市多摩区にまたがる丘陵に、「よみうりランド」の前身である「読売ゴルフパブリックコース」開場

1964年、「よみうり(読売)ランド」誕生。小田急線「西生田」駅が「読売ランド前」駅に改名

1971年、京王線に「京王よみうりランド」駅開業

1974年、小田急多摩線、「新百合ヶ丘」駅開業。


この開発真っ盛りの70年代半ばから、多摩丘陵の「緑」を保全しようとする住民運動の歴史が始まります。


開発に対する自然保護の流れ


1974年、多摩区細山、現多摩美地区に、借地の川崎市営「児童公園」設置

1977年、近隣住民のボランティア「多摩美児童公園愛護会」が公園管理を始める

1978年、細山から現「多摩美(たまみ)」が分離

1981年、多摩美「児童公園」一帯にマンション建設計画が持ち上がり、住民たちが反対運動

1982年、多摩区の、多摩美ふくめて西側が、「麻生区」として分離

1982年、市民団体「多摩美みどりの会」設立

1985年、現「タンポポ園」「野草園」の住民による保全・管理始まる。

1987年、川崎市が、多摩美ふくむ一帯を「多摩特別緑地保全地域」として公示

1998年、麻生区と多摩美住人からなる「麻生区市民健康の森構想検討委員会」成立

2002年、住民による「麻生多摩美の森の会」成立 


以後、「麻生区市民健康の森」を中心にしたこの一帯は、「麻生多摩美の森」など5つの住民の団体で保護・管理されています。


「麻生多摩美の森の会」HPより


多摩美の住民運動が始まった1970年代は、自然・環境保護のさまざまな運動が全国的に起こった時期でした。

川崎市の多摩区や現麻生区でも、住民だった文学者、高良留美子や河上徹太郎が、自然保護の立場から作品を残しており、その一部をnoteで紹介したこともあります。

そのあたり、また改めてまとめたいと思っています。


「多摩美の森」のようす


19日、私は初めて、この「多摩美の森」を訪れました。

最初は、どこから入ればいいか、迷ったりしました。とくに大きな案内板が出ているわけでもないので。



全体として、きれいに整備された見事な公園でした。

鳥のさえずりも、たしかにたくさん聞こえてきました。

公園の名称がとっちらかっていたり、看板なんかも統一されていなかったりするのが、かえって手作り感があります。


「多摩美」というのがそもそも、麻生区の最深部というか、小田急線の駅から遠い、高い丘の上なので、住人以外は、なかなか訪れないのではないかと思います。

でも、ここが知られていないのはもったいない。

「よみうりランド」を訪れたついでに寄っていくのが、ちょうどいいのではないでしょうか。

開発と自然保護の関係、そのバランスについて考える、よい機会になると思います。



<参考>


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