今日は「宇野醜聞」35周年 スキャンダルで消えた「天安門事件」
昨日(6月4日)は、中国の天安門事件から35年、ということで、いろいろな記事が出ていました。
中国・北京で民主化を求める学生らを軍が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出した天安門事件から6月4日で35年となる。
1989年6月4日、北京の中心部では戦車が走り、日本人が住む住宅にまで銃弾が飛んでくるなど大きな混乱が起きていた。
民主化を求める民衆を軍が武力で鎮圧し多数の死傷者を出した天安門事件が発生した後、外務省は北京に住んでいた約4000人の在留邦人らに退避勧告を出した。
しかし、銀行は閉鎖され現金や航空券を持たない人も多く、突然の大事件に北京の日本人たちは翻弄されていた。
(FNNプライムオンライン 2024/6/4)
天安門事件は毎年、ことあるごとに回想される世界的大事件です。
だから、それが発生した35年前は、さぞかし日本でも大騒ぎになっただろう、と思われるかもしれませんが、実はそうでもなかった。
わたしは当時、マスコミのなかにいたから憶えています。
1989年を舞台にした「小説 平成の亡霊」を書くときも、このあたりはあらためて調べました。
天安門事件が起こったのが1989年6月4日。それは日曜でした。
しかし、その翌日、6月5日発売の「サンデー毎日」(6月18日号)が、首相に就任したばかりの宇野宗佑のスキャンダルを暴きました。
いわゆる宇野スキャンダルです。(正式な発売日は6月6日でしたが、東京では1日先に売られます)
実際には、サンデー毎日の「早刷り」が6月4日に各所に出回ったと思われます。
マスコミの話題は、これにもっていかれたんですね。
時系列を示せば、
1989年6月3日 宇野内閣成立
6月4日 天安門事件発生
6月5日 サンデー毎日「宇野スキャンダル」号発売
となります。天安門事件は埋もれてしまいました。
だから、まあ今日(6月5日)は、「宇野スキャンダル」35周年ということになります。
もうみんな忘れているでしょうが。
でも当時は、天安門事件以上の大事件でした。
もちろん、天安門事件が報じられなかったわけではありません。
サンデー毎日も、翌週、「宇野スキャンダル第2弾」と同時に、この事件を大きく報じていました。
当時のサンデー毎日編集長は鳥越俊太郎。
外報部出身でしたから、国際感覚があって、ほかとくらべても大きく報じていたと思います。
でも、みずからスクープした「宇野スキャンダル」の騒ぎが大きくなって、「天安門」がかき消されたのは皮肉でした。
「宇野スキャンダル」が大きくなったのは、いろいろ理由があります。
当時はリクルート事件で、いまと同じ(いつも同じ)「金権政治」が世の非難の的でした。
バブル真っ盛りで、「濡れ手に粟」が流行語。一部の特権階級だけがいい思いをしている、と庶民はむかついていた。
くわえて4月から、消費税という耳慣れない税金が導入され、国民は頭に来ていた。
そして、7月に、参院選挙をひかえていました。
そもそも、選挙をひかえていたから、リクルート事件に関与していない「無難」な宇野宗祐が総理に選ばれたのでした。
それが、女性スキャンダルを起こしたものだから、7月23日の参院選に、もろに響きました。
反自民党の空気のなか、宇野の女性スキャンダルで、日本社会党の女性党首・土井たか子はいちじるしく有利となり、参院選で自民党が大敗。
参院は与野党逆転となり、土井たか子が「山が動いた」という名言を残します。
投票日翌日、宇野は責任をとって退陣を発表し、8月8日、海部俊樹が自民党総裁となりました。
宇野は、総理在任期間わずか69日で終わりました。
というわけで、天安門事件と同時に、日本では親中の社会党が大勝利するという、いまから思うと、歴史の流れからはチグハグな結果となりました。
(もっとも、宇野宗佑も親中派で、西側の対中制裁に反対し、のちに中国から感謝されます)
歴史の流れというなら、その数カ月後(11月9日)には、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が(社会主義の敗北という形で)事実上終わります。
だけど、日本では、社会主義者の土井たか子ブームが起きていたのでした。
まあ、マスコミの「左」推しは、そのころから同じです。
野党が「女」(いまはジェンダーと言うんでしたっけ)を武器にするのも、むかしからです。
そもそも、宇野のスキャンダルは、そんな大問題だったのか。わたしは当時から疑問に思っていました。
愛人をもつのは「女性差別」だと、「女の味方」「フェミニスト」としてスキャンダル報道を正当化したサンデー毎日の鳥越俊太郎自身が、のちに女性問題疑惑を起こします。
江副浩正のキャリアを潰したリクルート事件ふくめ、マスコミの大騒ぎは、あとで振り返ると、「あれは何だったのか」と思われるようなものばかりです。
現に、当時の日本で「天安門」以上の話題であった宇野スキャンダルは、忘れられたわけですね。
(いまの「裏金」の話だって、すぐに忘れられる。「統一教会」の話がどうなったかを思えばわかるでしょう)
そういえば、おとといは、「土井たか子文書」が京都女子大に寄贈された、というニュースがありました。これもなにかの因縁でしょうか。
「引き受けてくれる人がいてくれて本当にほっとしました。土井さんの歩みを社会に役立ててほしいと思っていましたから」
4月下旬、神奈川県内。秘書として長年土井たか子氏を支えた五島昌子さん(85)は積み上がった段ボールの山を見ながら、感慨深そうに語った。
(東京新聞 2024/6/3)
たしかに、今年は、「山が動いた」35周年でもあるわけです。
「土井たか子文書」を寄贈した、土井の長年の秘書・五島昌子の名前もなつかしいですね。
彼女は、辻元清美の秘書でもあった人です。
土井たか子は、左派活動家だった辻元清美をかわいがり、自分の後継者と目して(社会民主党)議員に当選させ、自分の秘書だった五島を辻元にあてがいました。
その辻元と五島がのちに画策して、「辻元清美秘書給与流用事件」を起こし、2003年に両者とも逮捕されて、詐欺で有罪になっています。東京新聞の記事には、そんなことは書かれていませんがね。
*
まあこのように、平成元年であった1989年は、昭和天皇の死からはじまって、いろいろなことがいっぺんに起こった年です。
年内の「35周年」を、以下に列挙しておきましょう。
(1989年に起こったこと)
7月9日 美空ひばり死去
7月23日 宮崎勤逮捕(東京・埼玉連続幼女誘拐殺害事件)
8月26日 川嶋紀子さんが礼宮(秋篠宮)妃に内定
(浩宮=現天皇陛下=と外務省職員の小和田雅子さんの仲も取り沙汰されていたが、先を越された)
11月4日 坂本弁護士一家殺害事件
11月9日 ベルリンの壁崩壊
ちなみに、「宇野スキャンダル」をスクープし、社会党を勝利に導いた鳥越俊太郎は、すぐに毎日新聞を辞め、テレビ朝日「ザ・スクープ」キャスターとしてテレビに華々しくデビューしました。今年はその35周年でもありますが・・それは忘れていいでしょう。
<参考>