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小説 平成の亡霊

前説


本作は、ある新興宗教団体と、その「狂気」を最初に報じた週刊誌編集部の物語です。

物語のほとんどは1989年を舞台にしています。この年は特異年で、4つの大きな出来事が重なって起きました。

1、天皇の死去による63年ぶりの改元。

2、ベルリンの壁崩壊による冷戦の終了。

3、日経平均株価が史上最高値を記録。

4、新興宗教団体による弁護士一家惨殺。

小説としては「4」を主に描いていますが、他の出来事を含め、「1989年」全体を描こうと努めました。

30数年前のことなのに、事件についても時代状況についても、人々はすでに忘れ始め、若者は正確な知識を持ちません。とくに若い人の持つバブル期のイメージは違和感だらけですが、マスコミもそれを増幅させています。

1989年の物語は、もう歴史小説の範疇なのかもしれません。私としては、このような激動の転換期を、人々がどのように生きたのか、私の観点から記録を残しておきたかったのです。

実際に起こったことは、資料をもとに、なるべく事実に忠実に描きました。しかし、知りようがないことは想像で書き、劇化のため、また人権的配慮から、事実の一部を改変しました。私が描きたいことを鮮明にするため、中心的な登場人物を創作しています。

つまり、事実をもとにしたフィクションです。フィクションとはいえ、モデルと思われるであろう方々や団体の名誉を(たとえ歴史上の「悪役」でも)傷つけないよう留意しました。

本作は、2022年のnote創作大賞に応募した「1989年のアウトポスト」(落選)を改作したものです。その後、安倍元首相の暗殺で統一協会騒動があり、「カルト」が脚光を浴びたことも再応募の理由です。

主な参考文献は最後にまとめました。(作者)



序章 2018年 処刑


引導を渡された、というやつだ。

ヤナは、会議室で本部長から言い渡された言葉を、反芻しつつ思った。

「もうこれ以上、いい条件で辞める機会は、君には来ない。わかっているだろう?」

分厚い眼鏡ごしにそう言ったあと、本部長は下を向いたまま黙った。(俺だってつらいんだ)とでも察してほしいのだろうか。

早期退職勧奨制度。それが始まったことは聞いていた。

言い方は新しくなったが、要は肩たたきだ。


日々新聞社出版局が、日々新聞出版として独立して3年。

独立といえば聞こえがいいが、新聞社並みの給料を払えないので、人件費を下げるために子会社化されたのだ。

企業年金がなくなり、全国の保養所が閉鎖され、かつての特典は次々と剥ぎ取られていった。それでも新聞社の給料は、まだある程度のところで高止まっている。組合が強いのと、優秀な人材を最低限確保するためだ。

その一方で、事業の整理と中高年社員のリストラが進んでいた。

出版の子会社化もその一環だ。オフィスも、家賃の高い大手町の本社ビルから、新橋の雑居ビルに移っている。

本社の豪華で明るい雰囲気とは違う、天井の低い、細い通路を編集部に戻りながら、ヤナは「今日は居酒屋で飲みつぶれることになるだろう」と思った。


ヤナは、給料が減る子会社への転籍を拒んで、本社からの出向身分のまま、日々新聞出版の書籍編集部に勤めている。

新聞社でデスクと呼ばれる副部長職から、部長になれず、55歳の役職定年を迎えた。出版局が子会社化されたのと同じ年のことだ。いまは副部長待遇の編集委員という身分だった。

一般企業同様、新聞社も、部長になれるかどうかで処遇に大きな違いが生まれる。部長になれば社内外で幹部と見なされる。業界では安月給で知られる日々新聞でも、年収は1000万円の大台を超える。

ヤナのサラリーマン人生は、大台のはるか手前をピークに終わることになる。


まだ新聞社の出版局だった時代、ヤナが50歳を間近にしたころ、編集局の文芸部デスクが「社内天下り」で書籍編集部長になり、自分は部長になれないと知った。その日の夜も、ヤナは居酒屋でひとり酔いつぶれた。

新聞業界は斜陽の一途で、日々新聞も部数を壊滅的に減らしている。不動産収入と、新興宗教団体からの支援でなんとか持っているが、今のペースで部数が減ると、20年後には部数ゼロになると言われた。

本社並みの給料を、生産性の低い子会社でもらい続けている自分が、追い出されるのは必然だった。しかし、思ったより早かった。


書籍編集部の自席に戻ると、後輩の平田が、テレビを指して言った。

「地下鉄サリン事件の犯人たち、死刑執行されたそうですよ」

ヤナが、部長席近くに置かれた液晶テレビに目をやると、画面の中に、見慣れた教団メンバーの顔写真が映っていた。

明日の朝刊での扱いは、どの程度の大きさになるだろう——新聞社の人間の習慣で、ヤナはまずそれを考えていた。

平田は、ヤナがいちばん聞きたいことを先に言った。

「『尊師』も処刑されたようです」

「ふーん」

腑抜けた返事だったが、内心は動揺していた。

「……平成が終わる前に、片付けたということだな」

ヤナがやっとそう言うと、テレビの画面に「尊師」の顔があった。

後輩の平田はいわゆる氷河期世代。40歳そこそこだ。ひょろりと背の高い男だが、童顔で無邪気に笑うときは子供のように見える。あの地下鉄サリン事件のときは、本当の子供だっただろう。

「ヤナさんも、『マンデー』の教団追及取材班でしたよね。『尊師』には会ったんですか」

と平田が聞いた。「日々マンデー」編集部は、パーテーションで仕切られた隣にある。

「うん、まあ」

「すごいなあ。歴史の証人ですよ。『マンデー』も特集を組みますかね」

「そうだな」

「あのときの編集長は……」

いまどうしているのか、と平田が言おうとしたのがわかったが、急に口をつぐんだ。

編集長がその後、どうなったのかを思い出したのだろう。

思えば、自分を含めて、当時の教団追及班で、その後、いい目を見たものはいない。

長年、脳の奥底にしまいこんでいた、「尊師」と1対1で対峙した記憶がよみがえった。

地獄に落ちるぞ——。

「尊師」の言葉が、ヤナの耳元で聞こえた気がした。


ヤナが話に乗ってこないのを察したのだろう。平田は、自席に戻った。

今の若者たちは優しく、傷つきやすい。ヤナは平田を見ると思う。

昔のように毒舌を吐きまくる、激しい性格の出版人は、いなくなった。作家も含めて。パワハラだのセクハラだのがうるさい昨今では、とうてい生き残れない人種だ。

「今の若い人は、出版がいちばん華やかだった時代を知らない」

あの頃、世の中全体が熱に浮かれ、出版業界も沸き立っていた。日々新聞出版局も同様だ。

ヤナの思いは、教団の取材を命じられた、最初の日の記憶に戻っていった。



☆彡



平成時代は静かに始まった、という人がいれば、私は反論したい。

静かだったかもしれないが、それは表面だけだ、と。

平成が始まった頃、もし神様が雲間から日本を覗けば、早朝、埼玉県の山道をひとり歩く、20代後半くらいの男を見ただろう。

男の頭の中は、幼女を裸にし、殺して切り刻む妄想で忙しかった。昭和の終わりに、すでに3人の幼女を誘拐し、殺して、死姦していた。

いま男は、ある一軒家の玄関前に、小さな箱を置いた。それは、最初に殺した幼女の自宅であり、箱の中には幼女の小さな骨が入っていた。

なぜそんなことをするのか、男にもわからない。

男は新聞社に犯行声明のような手紙を出すつもりだ。手紙には「今田勇子」と署名されるだろう。その行動の意味も、名前の意味も、男自身よくわかっていない。

箱を置いた後、田舎道をそぞろ歩きする男の目が、母親に手を引かれて登園する幼女の姿を捉えた。彼女はまもなく男に誘拐され、のちに「M」とイニシャルで呼ばれる男の最後の被害者になるだろう。


神様は頭を振りながら、地上からいったん目を離した。


次に神様の視線は、秩父山地を超えて山梨県に動き、富士山麓のある場所で止まる。

不規則に建物が立つ中に広い空き地があり、プレハブの小屋がポツンと立っている。

全体が鮮やかな青色に塗られている以外、なんの変哲もないその小屋の中では、男たちが乱闘を繰り広げていた。

白い道着のようなものを着た5人の男たちが、逃げようとする若い男を掴み、床に組み伏せようとしていた。抵抗する男は、Tシャツの上にジャンバーを羽織っていたが、そのジャンバーはほとんど脱げかけている。

2人の男が馬乗りになり、Tシャツの男の手足の自由を奪った。すると男の首にロープが巻かれ、両側から2人の男が引っ張った。

しかし、男が激しくもがき、ロープを引く男たちも及び腰のため、なかなか決着がつかない。首にロープを食い込ませたまま、男は歯を食いしばって拘束から抜け出そうとしている。


その男の顔を、片膝をついてじっと見ている男がいた。


そして突然、もがいている男の顔を両手でがっしり掴むと、大きな動作で捻った。

ぼん——と頸椎が折れる音がした。

首に巻かれたロープは、しばらく堅く引かれていたが、やがて崩れるように緊張が去り、道着姿の男たちは、斃れた男の側から離れた。

男たちは無言だった。しゃがみ込み、肩で息をしながら、死んだ男の顔をながめている。

死んだ男の開いた口からは舌が垂れ、飛び出した目玉が虚空を映している。

やがて、とどめをさした男が立ち上がった。

狭い額。小さな目の上の、片方の眉毛が途中で切れている。

屍体を見下ろして、周囲の者たちに言った。

「ご苦労だった。尊師に報告してくる」






第1章 1989年9月 悪霊がはばたく



  

1. 運命の編集会議



ブラウン管テレビには、前編集長の飛石龍一郎の顔が映っていた。

週刊「日々マンデー」編集部のナンバー3、坂野啓介デスクが、画面に向かって言った。

「うまくやりやがったな」

10月新番組「スクープ裏表」の宣伝スポットだ。キャスターに就任した飛石が、長髪を掻き上げながら視聴者に笑顔を向ける。

坂野のほか、編集部の数名が立ち上がって、編集長席の横に置かれたテレビに近寄った。今日は火曜日。編集会議がある日なので、総勢12人の記者のうち、ほとんどが出社している。

「スクープで、世の中の裏を暴きます」

画面の中の飛石が、番組の決め台詞らしきものを言うと、

「相変わらず訛りが抜けないねえ」

チョビ髭がトレードマークの坂野が、おどけたように言った。飛石には九州出身者の訛りがある。

「喋らなきゃ、いい男なんですけどねえ」

こんなふうに、記者たちの軽口が出るのも、現編集長と副編集長が席を外しているからだ。どこかで打ち合わせをしているのだろう。そのため、編集会議の始まりが遅れている。

「飛石さん、若ぶってるけど、ステテコ履いてたって」

「おい、ホントかよ」

「社員旅行で目撃されてた」

「それをスクープしろよ」

女性記者の黄色い笑いもまじる。

「アルマーニの下はステテコですか」

と言ったのは、この夏に入ったばかりの契約記者、高島奈々だ。日々マンデーのファッション担当ならではの評だった。

「あの女キャスター、ホタテみたいな顔だな」

と坂野が言うと、

「なんですか、それ。せめて陸上動物でたとえてくださいよ」

「それじゃ、読者に伝わらないですよ」

と記者たちが坂野を責める。いつもデスクにいじめられている記者たちの逆襲だ。

坂野も苦笑しながら、

「ばかやろう。ホタテにも顔があるのを知らんのか。この女みたいな顔だ」

と、無理な反撃をしている。

編集部員がそんな毒舌を吐きあっていると、現編集長の巻上士朗と、副編集長の大口圭が戻ってきた。

長身で筋肉質の巻上と、大柄で肥満型の大口は、遠くからでもよく目立つ。

「いま、飛石さんが映ってたんですよ」

と坂野がいうと、巻上が上機嫌に応える。

「ああ、もう見たよ。10月からのやつだろ。あれは ……」

編集長席の周りで、賑やかなテレビ談義が始まった。


ヤナは煙草をくわえて、そのちょっとした騒動を眺めていた。

そして、

(高島奈々さん、可愛いなあ)

と思っていた。

高島奈々は、大きな目で、南方系のくっきりした顔立ちをしている。背は低く、モデル体型とはいえないが、全体に華やかな空気をまとっていた。

実家が金持ちで、横浜のお嬢さん大学を出ていた。大学時代はいわゆるハマトラファッションだったろう。今は、流行のニューヨークトラッドというやつで、白いブラウスに、薄いチェック柄のブレザーをはおっている。原宿では地味だろうが、野暮ったい新聞社の雰囲気の中では、大いに目立つ。

彼女を遠めに見ているヤナも、ゴルチエという、一応ブランドものの黒いスーツを身に着けていた。でも、それは丸井のカードでかろうじて買った、彼の一張羅だ。

簗川和人、通称ヤナ。その呼び名は小学生の頃から変わらない。社員ではいちばん下っ端なので、編集長席からいちばん遠い、文字どおりの末席に座っている。


10月新番組といえば——とヤナは考える。日々マンデーの10月企画はどうなっているのだろう。

4月と10月、上半期と下半期のアタマには、新しい読者を掴むため、大型企画を仕込むのが習いだ。だが、9月も半ばに入ったのに、まだ10月の企画が決まっていない。


編集長席の横に置かれたテレビでは、最近つかまった猟奇殺人犯に話題が移っていた。

「埼玉幼児連続誘拐殺人事件」と呼ばれる事件の犯人Mは27歳、ヤナより2歳下だった。Mが自宅に所蔵した大量のビデオテープを写した映像が、また使われている。

日々マンデーでも、Mの事件が2週間、誌面を埋めたが、陰惨すぎるためか、あまり部数に結びついていない。

ヒゲの礼宮婚約の報に続き、皇太子の結婚相手として、かねて噂の外務省職員がまた浮上している。その話題も10月まで引っ張れるかどうか。


「編集会議はもうちょっと待ってくれ。いま大口さんが資料をつくっている」

と坂野の声が聞こえた。

テレビの周囲に集まっていた編集部員たちも、いったん席に戻った。

巻上も編集長席に座り、なにやら原稿を書き始めている。


編集長席の背後には、3カ月前の、日々マンデーのスクープを伝える外国紙が、まだ貼られている。その横に、スクープで編集部にもたらされた「出版局長賞」の賞状が飾られていた。


この6月、日々マンデーは、「宇波首相の愛人スキャンダル」報道で、世の中を震撼させた。編集長の飛石と、副編集長だった巻上が仕込んだスクープだった。

自民党の宇波佐助が、首相に就任してわずか4日目、狙い定めたようにスクープは炸裂した。文人政治家と呼ばれた宇波が、神楽坂の芸者を愛人に囲っているというスキャンダルだ。愛人の告発は生々しく、月々の〈お手当〉の交渉まで詳しく語られていた。

取材班に加わらなかったこともあって、ヤナは最初、醒めた目でそのスクープを見ていた。汚職でも何でもなく、プライベートの話だ。政治家に愛人がいるなど、驚くことでもない。

だが反響は凄まじかった。同じころに起きた、世界的事件である天安門事件が霞んでしまったほどだ。


7月後半には参議院選挙を控えていた。リクルート事件の影響を恐れて、事件に無関係なのが取り柄の、地味な政治家をあえて首相に担いだのに、与党はとんだ誤算だった。

政治的な影響力の大きさから、外国紙が取り上げるにいたって、スキャンダル報道が権威づけされた。そうなると、マスコミは一丸となって日々マンデーの味方につき、宇波首相を叩いた。


選挙前、宇波は家族総出で、支持を訴えていた。スキャンダルのイメージを打ち消すためだろう。引っ張り出された妻や娘が必死に叫ぶ姿をテレビで見て、ヤナは思わず同情をおぼえた。娘の髪型が、時代おくれの「聖子ちゃんカット」だったのも、何か物悲しかった。

結果は、自民党の惨敗。宇波は就任2カ月で退陣を余儀なくされた。


リクルート事件で与党関係者の金権スキャンダルが続いたあと、消費税という耳慣れない税金が導入されていた。政治への庶民の怒りが爆発した形だ。日々マンデーのスクープは、ガスが最高度に充満したところに火をつけたのだ。

記者の世界は、戦国武士と同じ。大物の首級ほど価値が高い。一国の宰相の首は、これ以上ない金星だった。


一躍マスコミのヒーローとなった飛石は、選挙後に突如、日々新聞退社を発表して、編集部を驚かせた。

毎朝テレビのキャスターに就任と聞いて2度びっくりだった。

日々新聞と毎朝新聞はライバルであり、「日々放送」と「毎朝テレビ」も、「日々マンデー」と「週刊毎朝」もライバル。

つまり、飛石はライバルグループへ転身したのだ。


「日々」と「毎朝」のライバル関係は明治以来だが、最近の「日々」は経営不振で、新聞部数も「毎朝」に水を開けられていた。給料も「日々」は「毎朝」の3分の2以下だと言われた。

それでなくても、新聞社の中で週刊誌編集部は、新聞記者の出世のどん詰まりとされていた。

出版局は新聞社のアウトポストだ、という者もいた。アウトポストとは前哨基地の意味だが、本隊から切り離された辺境の部隊という意味もある。さすが新聞社の人間はうまいことを言うと、後で辞書を引いてヤナは思った。

日々マンデーの編集長ポストは、政治部長や社会部長になれなかった者への残念賞だ、とは隣席の山形が教えてくれた。

だから、日々マンデー編集長の飛石のキャリアも、そのままではたかが知れていた。


坂野が、テレビの中の飛石に「うまくやりやがったな」と言ったのには、そういう意味が込められていたのだろう。


8月に飛石から編集長を引き継いだ巻上にとって、10月アタマの号は、いわば「顔見世」「旗揚げ」興行である。

宇波スキャンダルの後で、日々マンデーに世間の注目度は高い。そして、それだけではない。

巻上は政治部時代に自民党の内紛をルポした著書があり、すでにマスコミ的に注目されていた。飛石につぐスターとなるか、期待され、プレッシャーもかかっている。だから、企画を慎重に選んでいる、と言われている。

「お待たせー、編集会議やるぞー」

坂野の号令で、部員たちが席を立ち始めた。

ヤナも会議室に向かおうとすると、

「おい、山形はどこだ」

と坂野が叫んでいる。

そういえば隣席の山形透はしばらく前からいなかった。入社が8年上の山形は、ヤナの指導役なのだが、ドジが多く、坂野から怒られてばかりいる。

「山形はどこだ。スギちゃん知らない?」

坂野は、学生アルバイトの杉尾昇太に聞く。マスコミ志望の大学生が代々務める雑用係で、正式な職名は「事務補助員」だが、新聞社では「ぼーや(坊や)」と通称されている。

夕刊紙をバインダーに閉じる作業をしていた杉尾は無愛想に応えた。

「さあ。サ店(喫茶店)じゃないスか」

杉尾の顔を見ると、ヤナは1月の〈あの事件〉を思い出し、いまだに少し動揺する。あのとき、杉尾は……。

「おい、ポケベルで山形を呼んでくれ」

坂野に言われて、慌ててヤナは席に戻り、黒電話のダイヤルを回した。


「ヨーガ神気教の特集をやりたい」

編集会議の冒頭で巻上編集長がそう言ったときの、その嫌な感じを、ヤナはあとあと何度も思い返すことになる。

悪い予感、というだけでなく、首筋にズンと圧力をかけられたような、そんな体感も伴っていた。


もっとも、ヤナは、ヨーガ神気教を詳しく知っているわけではない。

尊師と呼ばれる教祖の麻倉聖劫は、盲人だが、超能力があるという。麻倉が宙に浮いているように見える「空中浮遊」写真で有名だった。

もともとは、マッサージ師の麻倉が千葉で始めたヨガの鍛錬会のようなものだった。その指導には人を惹きつける何かがあったらしく、地元でそれなりの人数を集めていた。

その後、麻倉はインド、ネパール、チベットで2年ほど修行し、「最終解脱」を得たとされている。

ヨーガ神気教と名前を定め、東京に進出して事務所を構えたのは3年前だ。「空中浮遊」の写真とともに、若者向けの週刊誌や、精神世界ジャンルの雑誌に紹介されて、一気に注目の的となった。

最近、ハリウッド女優のシャーリー・マクレーンが自らの神秘体験を語った本が話題で、テレビのワイドショーで紹介されたりしている。宗教というより、〈スピリチュアル〉〈オカルト〉という新しいジャンルの流行に、ヨーガ神気教は乗っていた。

だから、高学歴の大人や、若者も惹きつけ、信者が急増したと分析されている。

信者は在家と出家に分かれ、出家した信者たちは、富士山の麓にある本部道場に隣接した施設で共同生活し、麻倉の指導で「解脱」を目指している。

ヤナが得ているのは、マスコミ人なら誰もが知っているであろう、そのくらいの知識だった。


巻上編集長が煙草に火をつけると、それを合図に数人の記者が煙草を取り出した。いまに会議室にもうもうたる煙が立ち込めるだろう。向かいの席で高島奈々が、飴を取り出して口に入れていた。

「話の前に聞いておきたいのだが、ヨーガ神気教の信者が家族や知り合いにいる者はいるか? あるいは……」

巻上は、鼻から煙を出して言葉を続けた。

「自分は信者だという者がいたら、いま名乗り出てほしい。嘘はナシだ」

お互いが顔を見合わせる中、高島奈々が手を挙げたので、「えっ」という声が漏れた。

「信者なのか?」

「いえ、大学時代の知り合いに、信じている人がいました」

「そうか。それなら、取材班に入ってもらうかもしれない」


このネタは、地方紙記者から最近フリーになった女性ジャーナリストの持ち込みだという。

菱川という、そのジャーナリストによれば、子供に「出家」——家族たちに言わせれば「家出」——された親たちと、ヨーガ神気教のあいだに紛争がある。ヨーガ神気教は、子供たちを隠して親に会わせない。その上、子供は高い「お布施」を要求されている。親から見れば、子供を誘拐、監禁されているのと同然だという。

最近、ヨーガ神気教は、宗教法人として東京都に認可された。いわば公の存在になったのだが、親たちは「ヨーガ神気教被害者の会」を立ち上げて、訴訟も視野に本格的に対決するらしい。

「ぼくが聞いたところでは、ヨーガ神気教はとんでもない団体だ。尊師のDNAにご利益があると称して、麻倉の血を高額で販売したりしている。とにかくカネにがめつくて、信者からむしり取っている。こんな団体を認可する東京都もおかしい」

「でも、信心は自由でしょう」

記者の吾妻一平が、口を挟んだ。

「どんな変な宗教でも、信じる権利はある。憲法を盾にされたら、攻めにくくないですか」

社会部から来たやり手の事件記者らしく、いつも核心をつくことを言う。

そう、ヤナの〈嫌な感じ〉の一端は、その辺にある。

巻上は言う。

「たしかに憲法では信教の自由が保障されている。しかし、無制約というわけではない。被害者の会に、弁護士の先生がついている。東大法学部出だ。その人のアドバイスを受けながら、慎重にやる」

「面白いんじゃないスか。超能力のウソを暴くとか、売れますよ、きっと」

と、山形がせわしなく煙草をふかしながら言った。たしかに、ライバル誌の週刊毎朝が、「スプーン曲げ少年」のインチキを分解写真で暴いて話題になったことがあった。

ほかに何人か、記者たちがヨーガ神気教の情報を交換しあうあいだに、ヤナには巻上の狙いが読めてきた。

なんとなく胡散臭いと世間が思っている存在に切り込む。それは週刊誌の本領ともいえる。

そして、被害を訴える者がいれば、それを取り上げて報じることに、ジャーナリズムとして何の問題もない。

一般紙は宗教タブーがあるので取り上げにくい。

警察は、〈民事不介入〉の原則で親子の問題に立ち入らない。

週刊誌なら、他が入り込めない領域で記事にできるという、首相スキャンダルのときの成功則を踏まえているように思えた。

「まず10月初っ端にドンとやって、反応を見て続けるかどうか決めたい。うまく行けば、数週にわたる追及キャンペーンになる。たぶん、ヒットすると思う」

巻上がそう言って、目でうながすと、大口副編集長が黙ってA4のペーパーを配リはじめた。大口という名前なのに、無駄口を叩かない寡黙な男だ。

大口の几帳面な字で「極秘」と書かれた下に、「Y教取材要諦」とあり、取材場所や取材のポイント、人員配置とスケジュールが書かれている。

取材班のチーフは、巻上の信頼が厚い、ベテランの廣井洋次だ。

廣井、吾妻の記者2名と、カメラマン1人に、山梨県の本部道場取材が割り振られていた。

次に「被害者家族」、つまり、息子や娘をヨーガ神気教に奪われたと主張する親たちへ、取材が予定されている。これは廣井に、巻上や大口副編集長も加わるようだ。

文化人、宗教評論家への取材が、山形に振られている。

ヤナが読み進んでいくと、最後のほうに、

「信者取材、秋葉原、簗川、記者カメ」

とあった。

聞くと、秋葉原に、「しんき出版」の事務所がある。麻倉の著書を出している、ヨーガ神気教の出版部門だが、若者勧誘の拠点にもなっているという。

「記者カメ」とは、カメラマンを伴わず、記者が写真を撮るという意味。要するに1人で行けということだ。



2. 秋葉原の同志



秋葉原は初めて降りる駅だった。

改札を間違えたのか、外に出るつもりが、百貨店の服飾売り場のような場所に迷い込んでしまった。

何とか外に出て、改めて駅舎を見ると、「アキハバラデパート」と看板がある。駅がデパートを兼ねているようだ。

(それにしても、古いタイプのデパートだな)

駅舎も、東京の中心地にしては、地方の駅のような古めかしさだ。

ヤナは、写真部から借りたニコンF3を、ショルダーバッグから出して、秋葉原駅を正面から撮った。


靖国通りに向かって歩き出すと、平日の昼なのに、意外に多くの通行人がいることに気づく。電気街として知られる通り、中小の電気店が軒を並べている。

「マイコン部品」

「パソコン・ワープロ」

といった看板がそこかしこに見えた。

電気部品を無骨に並べた店頭の風景は、記録映像で見る戦後の闇市を連想させた。人は多いが、ほとんど中年の男性客なので、華やかさに乏しい。

(こんなところで、ヨーガ神気教は若者を勧誘をしているのか)

つくづく変な宗教だ、と思う。


ヤナは道沿いの店にときどき足を止め、無線機やスピーカーの陳列を見て歩く。

右に曲がると大きな青果市場があるはずだが、今年で廃止されると聞いていた。

この駅周辺も再開発されるのだろう。日本のあちこちで土地の売買が盛んだ。昨年から、経済学者は「バブル」という言葉を使い、地価の過熱に警鐘を鳴らし始めていた。


土地と株の異常な値上がりは、4年前のプラザ合意がきっかけらしい。アメリカの貿易収支改善のため、ニューヨークのプラザホテルで、大蔵大臣が円の切り上げを呑まされた会議だ。

それで始まった円高不況に対処するため、国は低金利の資金を市中に流し、それが土地と株の価格を押し上げている——。

そう説明されるのだが、ヤナはよくわかっていない。外国為替がからむ話題は苦手だった。


ただ、社会の空気がはっきり変わったのは、2年前のNTT株の売り出しからだとヤナは記憶している。理論的には1株50万円くらいと言われたのが、100万円以上で売り出され、やがて300万円以上の高値をつけたのだ。

そして、土地の高騰のおかげで、日本中に土地を持つホテルチェーンのオーナーが〈世界一の富豪〉になったと報じられたりもした。


編集部契約記者の高島奈々の実家は、銀座の有名宝飾店「ジュエリーたかしま」だ。その近くの場所が、いつも基準地価として用いられていた。高島家の資産はうなぎ上りだろう。贅沢品が売れる時代でもあり、ジュエリーたかしまは全国にチェーンを広げ、テレビCMをよく見るようになっていた。

リクルート事件は「濡れ手に粟」という言葉を流行らせた。一連の出来事は、天からの啓示のごとく人々に受け取られた。

難しいことはわからないが、いま株と土地を持っていれば、大金持ちになれるらしい。上がり続ける日経平均株価と、土地の公示価格の話題に毎日のように接していれば、人々の目の色が変わるのも当然だ。


しかし、ヤナのような庶民は、株も土地も縁がない。持ちたくても持てないのが大方の現実だ。いまの時代、庶民に縁があるのは、むしろ「サラ金」と「地上げ屋」であった。

だが、庶民にバブルの恩恵がないわけではない。

ヤナは思い出す。

この春は、「東大合格者全氏名」号が出たあと、編集部全員で、スキーリゾートとして話題の越後湯沢に行った。行き帰りにバスをチャーターした豪華な社員旅行だったが、ヤナたちは一銭も会費を払っていない。

好景気は出版界も潤し、部数トップの週刊文春には、毎週1億円の広告費が集まると噂されている。

日々マンデーでも、広告が増えてページが足りないほどだという。編集部には、ビールだの化粧品だの、スポンサーからの「試供品」が山と積まれている。

社員旅行の経費は、編集長らの持ち出しもあるのだろうが、出入り業者や広告企業から「寄付」もあるのだろう、とヤナは思っていた。

カネは、ふところに直接入ってくるわけではないが、雨のように降り注いで、いつの間にか体を濡らしている——ヤナの実感する「バブル」とは、そんなものだった。


景気のよさに煽られ、人々は軽い躁状態になっている、と指摘する社会心理学者がいた。

ヤナも、このところの編集部の空気に、それを感じないではない。

経費も、タクシー券も、ほぼ使い放題になっている。とくに仕事が深夜帯に渡れば、タクシーで帰宅するのは当たり前とされていた。だから、毎日のように取材と称して飲み屋に行き、タクシー券で深夜帰宅する社員もいるという。

ときどき副編集長の大口から、「経費を使いすぎないように」と、編集会議の最後に注意があったが、効き目はない。大口もきつくは言わない。管理職を含めて、感覚が麻痺しているようだ。

出版界では、円高を背景に、海外取材が流行していた。東南アジアの某国で豪遊し、使途の説明に困った編集者が、撮影のために戦車を1台買ったことにした、という噂が流れた。一種の神話だろうが、いまの時代らしい神話だ、とヤナは思う。

靖国通りを渡るときも、流しているタクシーの多さに、やはり景気のよさを感じるのだった。


調査室でコピーした住宅地図を片手に「しんき出版」の番地を探す。そこは靖国通りから2本入った路地にある、思いのほか古ぼけたビルだった。

見上げると、3階の窓に「しんき出版 ヨーガ神気教」と書かれている。1階は電子部品の問屋らしい。

急な傾斜の狭い階段を3階までのぼると、窓と同じ文句が書かれた磨りガラスの扉があった。

扉ごしに中を覗くが、うす暗くてよく見えない。人影のようなものがある気がするが、動く気配がない。扉を押してみると締まっている。

いまは午後1時を少し回ったところ。昼休みか何かで出ているのか。


ヤナの目的は、ダイレクトに信者や出家志望者に接触することだ。もう少し人の出入りの多い、開放的な事務所を予想していたので、戸惑った。

とりあえず扉をカメラで撮り、また出直そうと階段を降りかけた。

そのとき、のぼって来た甲斐正則と鉢合わせした。

「お」とお互いが声を挙げた。

大学時代の「同志」との、7年ぶりの再会だった。


ヤナと甲斐は、靖国通り沿いの喫茶店で向かい合った。

「まあ、いちおう」

そう言って、ヤナは名刺を甲斐に渡した。

「いやー、ヤナもすっかりマスコミの人だな。マスコミさんは、ファッションも違うな。見違えたよ」

冷やかされて、ヤナは気恥ずかしい。丸井のカードで買ったゴルチエのローンはまだ残っている。本当はアルマーニが欲しかったが、高すぎて手が出なかった。

甲斐は、相変わらずジーンズにGジャンという1970年代スタイルだが、長身でスリムな彼には合っていた。浅黒く、彫りの深い顔立ちから「メキシコ人」とあだ名されていた。その風貌もあまり変わらない。

「俺は名刺なんてないよ。フリーアルバイターというやつだ」

正式に就職せず、バイトを続けて夢を追う若者を、最近そう呼ぶ。縮めて「フリーター」と言う人もいたが、まだ言葉として定着していない。

喫茶店までの道すがら、甲斐はヨーガ神気教の一員ではなく、外部ライターとして、会員誌に寄稿しているだけだと聞いていた。スピリチュアル系の思想書を紹介するページを書いている。左翼出版社の知り合いが紹介してくれた仕事だという。

だが、甲斐とヨーガ神気教との関係の、本当のところはよくわからない、とヤナは思う。

日々マンデーは、富士山麓の本部取材を、ヨーガ神気教に正式に申し入れているから、マンデーが取材中であるのを、甲斐が知っている可能性はある。

ヤナが言ったことが、神気教に漏れるかもしれない。うかつなことは言えない、とヤナは思った。


名刺に目を落として、甲斐が口を開いた。

「日々マンデーの編集長は早稲田大学の先輩だよな」

「巻上さんね。ああ、政経学部だけどな」

ヤナと甲斐は同じ大学の文学部だ。もっとも、甲斐は中退している。

「このあいだも、テレビで見たよ」

巻上は最近、系列局の朝のニュース番組にコメンテーターとして出演している。

「なんか、エネルギッシュな感じだな。クレッチマー言うところの闘士型というやつだ。やっぱり全共闘かな」

「世代としてはそうだな。詳しいことは知らん。ただ、優秀な人だよ。40代半ばだから、マンデーの編集長としては若いほうだ。前の編集長が、三顧の礼で政治部から引き抜いたと聞いている」

「前の編集長と同じで、テレビへの華麗なる転身を狙っているのか」

「さあ、どうだかな。それを本人に聞いたやつがいるんだけど、『俺は、お前たちが思っているより、愛社精神が強い』と言っていたそうだ」

「愛社精神かよ」

と甲斐が笑った。

たしかに愛社精神なんて時代遅れに響くが、日々新聞のような100年以上続く企業には、2代目、3代目の社員が結構いる。会社への忠誠心が強く、出世も早いらしい、とヤナは甲斐に話した。

「巻上さんが2代目とは聞いてないけど、東京の人だから、マスコミ業界との距離は、俺たちなんかより近いのかもしれない」

ヤナも甲斐も、地方の貧しい家庭の出身で、東京の企業にコネなどない。

「そういえば、巻上編集長らしい人を渋谷で見かけたことがある。あのへんに住んでるの?」

「いや、今は……」

しばらく、巻上に関する雑談が続いた。政治部時代のこととか、趣味は競馬と野球だとか。編集長をダシに、探り合いをしている気がした。


ヤナは2本目の煙草に火をつけたが、甲斐は喫わない。チェーンスモーカーだったはずだが、喉の不調でやめたのだという。

「それでヤナは、なんであんなとこにいたんだ?」

と聞かれた。

「ワープロというものを買おうかと思って。ぶらぶら歩いていたら、ヨーガ神気教の看板を見たから、ちょっと関心を覚えたんだ。いま話題だからな」

埼玉の連続誘拐殺人事件をきっかけに、若者の新しい文化に関心が集まっていたのは本当だった。

犯人のMは〈オタク〉と呼ばれる新人種らしい。それは、晴海で開かれているコミックマーケットに集まる若者が、互いを「お宅は……」と呼び合うことから最近生まれた言葉だ。

ヤナは日々マンデーの「若者文化担当」で、Mの事件でも記事を書いている。ヨーガ神気教も若者に人気だから、興味を覚えて階段をのぼった。人がいなさそうなので出直そうと思った——とヤナは説明した。

「なかに、誰かいるはずだけどな。俺はゲラを見に来ただけで、急ぐ用ではない」

甲斐はそう言ったあと、いまどんな仕事をしているかと聞くので、系列テレビ局と提携した「日本人宇宙飛行士」プロジェクトにくわわったことを話した。

ソ連の宇宙飛行施設を使い、日本人のテレビ局記者を宇宙に飛ばすという企画だ。金持ちの日本が、貧乏なソ連の足元につけ込むような企画、という批判もあったが、系列グループ全体に協力が求めらていた。

「俺としては、ソ連に取材に行けるかも、と期待したんだ。でも結局、先輩記者にそのチャンスを取られちゃった」

いまソ連に味方は少ない。1979年のアフガニスタン侵攻以来、ソ連もアメリカと同じ帝国主義国だと批判するのが左翼においても常識で、ヤナも同じ考えだ。新しい書記長のゴルバチョフは人気がある。だが、あからさまにソ連を擁護するのは、そうとうな教条主義者だけだった。

甲斐も、ヤナと活動していたときから、アルバニア共産党や、ペルーの「輝ける道(センデロ・ルミノソ)」など、ソ連と対立的な毛沢東主義の流れに注目していたはずだ。


しかし、1917年のロシア革命は、1789年のフランス革命同様の歴史的意義を有している、という認識は、ヤナの中でまだ揺るがない。

曲がりなりにも、資本主義のアメリカに対抗できる社会主義の大国がある、という、「曲がりなりにも」という枕詞つきながら、やはりソ連は、社会主義者や左翼シンパの心の支えになっていた。

その話から、いまホットな東欧情勢に話題が移った。東欧でのソ連の支配体制が動揺している。世界の耳目を集めたポーランド「連帯」の勝利に続き、ハンガリーで反政府的動きがある。東ドイツから西ドイツへ、人の流出が止まらないとも報じられていた。

「東ヨーロッパの権力者は、政治のやり方を知らないね。このままではアメリカの思うツボだ。ゴルバチョフは難しい舵取りを強いられるな」

「ソ連は大丈夫かな」

とヤナが言うと、

「さすがにソ連が潰れることはないだろうが……」

と言ったあと、甲斐は顎を撫でて、言葉を続けた。

「もしソ連がなくなるようなことがあれば、資本主義の大勝利だ。この世は、ますます、カネ儲けとビジネスの話しかしない、〈一次元的人間〉ばかりになっちゃうだろうな」

甲斐が口にしたマルクーゼの用語に、ヤナは懐かしさを覚えた。


学生運動の盛り上がりは、1970年前後で終わったと思っている人が多い。しかし、ヤナが大学に入った80年代初めにも、1つの盛り上がりがあった。

先に盛り上がったのは、右翼のほうだ。〈昭和の終わり〉を意識して、与党の自民党に頼らない、一般市民を巻き込んだ草の根運動を展開し、1979年に元号法制化を実現させた。

早稲田大学にも、名門とされる右翼サークルがある。次は君が代・日の丸の法制化だ、と勢いづく右派に対して、高校時代から君が代反対運動をしていたヤナは、教育科の学生たちを中心に〈君が代問題を考える会〉を立ち上げた。

その集会で出会ったのが、同学年で哲学科の甲斐だった。


君が代・日の丸の強制以外でも、いわゆる内申書裁判をきっかけに「管理教育」への批判が高まっていた。校則廃止を叫ぶ高校生の運動体や、レーガンと中曽根康弘による、日米タカ派政権が誕生したことに危機感を覚える市民団体などを巻き込み、ヤナの〈考える会〉は学内で大きな存在になっていった。

ヤナも甲斐も、高校時代に日教組の教師から「資本論」の手ほどきを受けた社会主義者だったが、既成の左翼団体やセクトには入らず、別の道を探っていた。市民団体のデモに連帯し、連日のように学内右翼と「抗争」を繰り返した。といっても、お互いの集会でチラシを配り合うくらいのことだったが。


大学2年のときには、革命的小泉今日子主義者同盟、略して〈革キョン同〉という冗談のような団体を2人でつくった。サブカルチャーとニューアカデミズムを吸収した、「新人類」世代の2人のセンスを発揮し、高校生や〈非政治系ノンポリ〉学生の取り込みを狙ったものだ。

その〈革キョン同〉に本郷の左翼出版社が興味を示し、ヤナと甲斐は季刊雑誌の編集を任された。もともとあった企画に、博覧強記で筆の立つ甲斐が編集長格で抜擢された形である。ヤナは特集ページの責任者となった。


半年後に出版された「季刊90年代キッズ」は、来たるべき1990年代に向けて、活字のコミューンを築く、と謳った。創刊号の特集は「生き方を変える」だ。

そのころが活動の絶頂だった。


「カネ儲けの話しかしない社会なら、もう実現してるけどな」

とヤナが言うと、「たしかに」と甲斐も笑って認める。

「実をいうと、俺がヨーガ神気教の仕事をしているのも、ギャラがいいからなんだ。やつら相場を知らないのか、俺なんかに一流作家なみの原稿料をくれる」

信者は出家のときに家屋や土地を寄進する。その不動産がこの御時世で馬鹿げた値段をつけている。神気教にはカネがうなるようにある。宗教法人化したから税金の心配もないという。

ヨーガ神気教も、ひいては甲斐も、バブルの恩恵を浴びているわけだ。


甲斐は大阪にいる、とヤナは認識していたが、2年ほど前に東京に戻ったのだそうだ。その間の事情は「また、いずれ」と、言いたくなさそうなので、それ以上聞かなかった。

いまは東京で、アルバイトの原稿書きをしながら、左翼活動を続けているという。ヤナが日々新聞に入ったことは風の便りで知っていたが、忙しくて連絡できなかった、と甲斐は言った。額面どおりに受け取れないにしろ、こちらも連絡をとろうとしていないので、お互いさまだ。


昨年から今年の代替わりでは、とくに天皇制反対集会で忙しかった、と甲斐は言った。


それを聞いて、左翼活動から足を洗ったヤナは、少し反応に困った。べつに負い目はないつもりだが、あの1月の〈事件〉のことを話したくなった。

「俺のほうでも、こんなことがあったよ……」


ちょうど1年前の1988年9月に、昭和天皇の重体が伝えられた。それからの〈自粛〉騒動を、人々はもう忘れようとしている。

秋祭りの時期だったが、ほとんどが取りやめとなり、全国の県庁内に「お見舞い」のための記帳所がもうけられた。

それでも10月時点では、〈自粛〉や、記帳の〈強制〉への批判も強かった。

秋の赤旗まつりでの宮本顕治共産党議長の発言、「天皇は暗黒野蛮な政治の張本人、侵略戦争の最大最高責任者」なども新聞に載っていたし、リベラルとされる新聞には、次のような投書も載っていた。


「彼の名のもとによる戦争、空襲、ビンタ、しごき、命令、戦友の無駄な死を経験したわれわれ世代にとり、彼の責任を決して忘れることはない。民間であったら、会社を倒産させ、社員を死なせ、家族を路頭に迷わせた社長がぬくぬくと生きているなど常識では考えられない。まして自粛など常識外である。(自営業男性、63歳)」


いっぽう、皇室からも、皇太子の明仁が「(自粛は)陛下の常々のお心に沿わない」と発言し、自粛ムードを牽制している。


しかし、世の中の流れは加速する。

同じ10月中には、坂本冬美が「祝い酒」を歌えなくなり、村上幸子の「不如帰」は「泣いて血を吐くほととぎす」の一節がひっかかって放送できなくなった。

「デッド・オア・アライブ」というバンドの曲を流していいのか、放送局が悩んでいる、という笑い話のような本当の話もあった。

天皇制批判の本を書店が店頭から引き上げ始めたころから、世の中はさらにおかしくなってきた。


11月になると、新聞の編集局長が集まり、Xデーには各社共通で「崩御」という言葉を使うよう申し合わせた。国が強制したわけではない。要請すらされていないのに。

「戦後の新聞は、天皇の神格化の否定から始まったはずなのに、そんな大時代的な言葉を使うのは信じられない」

と各社の労働組合は反発した。

ヤナもこのころから組合の印刷物を注意深く見ていた。編集幹部をまじえた討論会で、幹部は「新聞はその程度のもの、と考えてもらって結構だ」と発言した、と組合紙は伝えていた。

12月に全国の組合員にアンケートを取ると、9割が「崩御」の使用に反対だった。


しかし、反対運動は盛り上がらない。ふだん「天ちゃんが」などと言っている威勢のいい連中も沈黙している。

Xデーを間近にして、同僚たちは「総力戦」を戦っている。皇居の各門や、侍医、医師団などに、もう3カ月以上、記者やカメラマンが24時間体制で張り付いて「その時」を待っていた。その同僚たちへの配慮と遠慮があるし、組合をふくめて全体が疲弊していた。


そして昭和最後の日の翌日。

皇居が見える側のブラインドがすべて降ろされ、昼間なのに薄暗い日々マンデー編集部では、当番の坂野デスクと、「昭和を振り返る」グラビアのために集められた数人の記者が、黙々と仕事をしていた。

ヤナは各社の号外と新聞を眺めていた。見出しに「崩御」が並び、本文では「ご逝去」「ご死去」などと言い換えている。その言い換えも、アリバイ的で姑息に思える。ヤナはだんだん腹が立ってきた。

「こんなことでいいのかよ!」

気がついたら、そう叫んでいた。



「上司にはこってり絞られたけどな。戦時中もこんな感じだったんだろう、とよくわかったよ。しょせんマスコミなんて……」

「それでこそヤナだ」

甲斐にそう言われて、ヤナは目が緩むのを感じた。

それこそ、あの日からヤナが待っていた言葉かもしれない。



甲斐には伝えなかった、話の結末がある。

ヤナの怒鳴り声に、記者で反応する者はいなかった。

反応したのは、事務補助員の杉尾だった。

「簗川さん、そんなこと言っちゃダメですよ。みんな仕事しているんだから」

マスコミ志望の大学生にたしなめられたのだ。

(なんだ、学生時代からマスコミに媚びるのか……)

憤懣が杉尾に向きそうなところで、坂野デスクに後ろから肩を抱かれた。

「ヤナちゃん、ちょっとお茶飲みに行こう」


地下の社員食堂の片隅で、坂野からこってり絞られたのは本当だ。

「いいか、新聞記者ならな、お前の何倍も腹の立つことを経験している。みんな、それを呑のみ込んで仕事をしてるんだ」

「不満はわかるし、悪口を言うのもいいが、飲み屋でやってくれ。編集部で騒ぐのは許さん」

その後、この件が蒸し返されることはなかった。坂野が編集長に報告したのかはわからない。管理職は、誰かから聞いて知っているとは思う。いずれにせよ、表立っては問題にされず、話題にもされなかった。


「俺は、さっきの事務所に寄って、ゲラに手を入れなきゃいけない。ヤナも忙しいだろうから、改めてまた一杯やろう。自宅の電話を教えてくれ」

そう言って、甲斐が、一度ポケットに入れていた名刺を取り出したので、ヤナはそれに電話番号を書き入れた。

(あと1週間とちょっとで、日々マンデーの「ヨーガ神気教」特集号が出る。甲斐はどう反応するだろう)

と考えながら。


甲斐の番号も手帳に控え、ヤナは聞いた。

「ヨーガ神気教で何か面白い話はない? ついでに若者文化を取材させてくれ。誰も知らないような話」

「そうだな……」

と、少し考えて甲斐は話しはじめる。

ヨーガ神気教と名乗っているが、いまはインドのヨガより、チベット仏教に傾斜している。教義は、仏教や日本の新興宗教に、シュタイナーやグルジェフのような、70年代に流行ったオカルトを混ぜ合わせたようなものだという。

「〈アストラル体〉がどうのこうのという。要するに折衷主義だ」

そのあたりのことはヤナは少し調べてきたが、あまり興味を覚えない。巻上編集長も同じだろう。

「修行と称して、実際にやってるのは、一種の呼吸法だ。俺も会員誌の写真でしか見たことがないが、道場でみんな一斉にヒーフー、ハーハーやっているらしい。上級に行くと、ずっと息を止めておくといった、厳しい訓練もあるらしいな」

「麻倉について、何か知らないか」

「それも会員から聞いた話くらいしか知らないが……そうだ、麻倉には意外な一面がある」

麻倉聖劫は、目が不自由だが、アニメが好きで、信者と「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を合唱することがあるらしい。

「お前がどう思っているか知らないが、麻倉は、若者には優しいらしいんだよね」

「そりゃ、信者はメシのタネだからだろう」

「そうかもしれないが……麻倉聖劫というのが、実名ではないのは知ってるだろう?」

「ああ」

彼は九州の貧しい家庭に生まれた。生まれつき視覚障害があった。盲学校を卒業して、千葉に鍼灸院を開いたあと、しだいに宗教家への道を歩むようになる。そのくらいの経歴は、みな知っている。

「まあ、あの男には、人生の辛酸を舐めてきた迫力がある。だから、若者が惹きつけられる」

日々マンデーはもう少し詳しく調べていて、麻倉に前科があるらしいこともつかんでいる。しかし、それは甲斐には言わなかった。

「生い立ちに同情できる部分はあるが……なんだ、お前はやっぱり、信者じゃないの?」

「ハハハ。信者になれたら幸せだと思うよ。俺にとっては麻倉がメシのタネだ」

ヨーガ神気教には、布教のため、アニメやゲームを作る計画もあるという。

「ゲームって、ファミコンってやつ? 最近、携帯型のも出たな。ゲームボーイとかいう」

「いや、パソコンを使ったやつだな」

「ああ、パックマンみたいな」

「まあ、そうだな」

ヨーガ神気教の信者には、理系の学生や技術者が多く、パソコンに詳しい。

財産のある信者ばかりではないから、生活のために、パソコンの修理や販売を事業化できないか考えている。そのために目をつけたのが秋葉原だ。

家電量販店の全国展開により、秋葉原の電気街は地盤沈下しつつあった。甲斐によれば、これから秋葉原は、ますますパソコン専門店で独自性を出すのだという。

麻倉も、パソコンでゲームやアニメをつくれることを知って、若者への布教に使えると関心を持った。余剰資金を投下して、秋葉原にパソコンショップをつくり、全国展開も考えているらしい。

秋葉原の〈しんき出版〉は、いま現在、信者勧誘の拠点というより、その事業の準備室になっている。

「マッキントッシュって知ってるか? 大手はどうだか知らないが、中小出版社はいまパソコンブームだ。機材さえそろえれば、自分のところでレイアウトができるし、版下も安くつくれる。ちょっとした革命だ」

パソコンといえば、ヤナは経理部にあるNEC機しか知らない。パソコンがそんなに普及するものか、ヤナにはピンとこない。

「仕事で使うだけではない。アニメやゲーム以外にも、通信をしたり、音楽をつくったり、いろいろ遊べるんだ。ワープロもいいが、ヤナも、いま買うならパソコンだ。〈オタク〉も、パソコンを求めて秋葉原に集まるようになるから、いまにここは若者の街になる」

甲斐はそう力説するのだが、ヤナは手帳にメモを取りながら咀嚼できないでいる。ヤナの頭の中では、パソコンと〈オタク〉は結びつかなかったし、秋葉原と若者も結びつかなかった。若者の街といえば原宿や下北沢だ。こんなおっさん臭い電気街が、そうなるとは思えない。

とはいえ、ヨーガ神気教のパソコン事業計画は、資料になかったから、甲斐の話は収穫といえた。



3. サムゲタンの夜



甲斐と別れ、大手町の本社で写真部にカメラを返却し、写真の現像を頼んだあと、ヤナは東京駅から新宿へ向かった。

ヨーガ神気教の雑誌資料は、きのう八幡山の大宅壮一文庫でコピー済みだ。原稿を書くのは明日で間に合うだろう。

今日は玖美とデートの約束がある。

中央線では、習慣的に中吊り広告を確認し、網棚の上に読み捨てられた雑誌を探す。

国鉄からJRに変わったのは2年前だが、ヤナはまだこの呼称に慣れない。駅の構内では、首都圏の電車を「E電」と言い換えるキャンペーンを、まだやっていた。


JR新宿駅を東口から出て、待ち合わせの西武新宿駅に向かう途中、証券会社のウインドウを覗いた。

日経平均株価は、きのうからまた200円近く上がっていた。昨年末に3万円を突破してから、最近は3万5000円を超え、連日史上最高値を更新している。

昨年、久しぶりに大学時代の友人と会ったとき、「そういえばゴバはどうだったかな」と言うので、思わず「ゴバ?」と聞き返したのを思い出す。それが株式市場の後場のことだと気づくのに時間がかかった。

その友人はいわゆる文学青年で、およそ株をやりそうなイメージはなかった。時代の変化を感じた瞬間だった。ヤナも、株価を見るのがいつの間にか習慣になっている。


西武線の新宿駅が見えてきた。この周辺は、ヤナのホームグラウンドと言える。

ヤナのアパートは西武線の田無にある。市外局番は03ではないが、ぎりぎり東京という所だ。毎日、田無から30分弱で西武新宿駅まで来て、そこから新宿西口に回り、地下鉄に乗り換えて大手町に通勤している。

西武新宿駅から近い新宿歌舞伎町は、大学時代から飲み歩いている場所だ。その奥のゴールデン街にもときに行く。

そして泥酔して、帰るのが面倒になったら、西武新宿駅前の24時間サウナ、「グリーンプラザ」の仮眠室で寝る。それがヤナの習慣だった。

しかし、今日はグリーンプラザに泊まることはない。

玖美とは、西武新宿駅の新大久保側にあるファッション街「アメリカン・ブルバード」で待ち合わせしている。

ここで待ち合わせるということは、その日、一夜を共にするという意味だ。田無のヤナのアパートに行くか、新大久保のホテル街に行くか。


ヤナは、待ち合わせの6時半ちょうどに着いた。

「お待たせ」

5分遅れて、玖美が現れた。

大きなショルダーバッグが重そうに見える。相変わらず本を詰め込んでいるのだろう。

「ごめんね、遅れて。急いで来たんだけど」

と、玖美は一重の細い目で訴えるように言った。

「引継ぎの子が遅れちゃって、それで……」

ぷっくりと膨らんだ唇をとがらせて言い訳しようとする。

「いや、いつも歩かせて悪いね」

玖美が、新宿3丁目のバイト先から、えんえん歩いて来たのは知っている。ヤナも就職浪人時代にバイトしていた居酒屋だ。

学生時代からの居酒屋のバイトを続けている玖美だが、現在のメインの職場は、西新宿に本部があるカルチャースクールである。昼間の時間帯の多くは、そこで準社員の身分で働いている。

ヤナと玖美は新大久保のほうへ歩く。玖美は大柄なので、低い靴を履いても、小柄なヤナと並ぶと肩の高さが同じくらいだ。

玖美は、昼間、カルチャースクールの仕事で青山に行った話をする。カルチャースクールといっても、玖美によれば、いまの稼ぎの大半はエアロビクス教室だそうだ。

5年前、ちょうど玖美が短大を卒業するころに、女優のジェーン・フォンダがエアロビクスを流行らせはじめた。とくに東京で爆発的な人気を呼び、カルチャースクールでの仕事の大半は、最初から、都内各地でエアロビクス教室を開設することだったという。

今日行った青山のエアロビクス教室も、新設ながら盛況らしい。集まっていたのは「有閑マダム」だと、文学部卒らしい語彙を使った。

「ごちそうしてくれるのは、韓国の料理?」

「そう。いま業界でちょっと話題なんだ」

しばらく前から美食ブームで、日々マンデーでも美味しい店の紹介ページは人気だった。好景気のせいで、みんなが接待の場所を探している。

その美食ページの担当から聞いたのが、今日行く店だ。流行に敏感なテレビや広告業界の人間が、いま新大久保の韓国家庭料理に注目しているらしい。なかでも、その店は人気だという。

新大久保といえば、ヤナにはラブホテルのイメージしかない。韓国料理の店があるとは知らなかったので、行ってみることにしたのだ。

職安通りに面しているというから、すぐわかるかと思ったら、あたりは薄暗くて心細くなった。カバンから地図を取り出して確認し、ようやく探し当てたそこは、店というよりは民家に近かった。

雰囲気としては、以前新宿駅の南口に広がっていた屋台村の店のようだ。薄暗く、腸詰めが入り口にぶら下がっているような異国情緒があった。あの一帯も再開発で、すでに跡形もないが。


2人とも初めて食べたサムゲタンという料理は、とても美味しかった。玖美は「もち米が入ってるー、変わってるー」と言いながら、夢中で食べている。初めて飲む白濁した酒も、2人でしこたま飲んだ。

店を出る頃には、2人は体も心も火照らせていた。韓国料理は値段が安いのがヤナにはありがたい。人気になるのはわかる気がした。

いつもよりは早い時間に、2人は、すぐ近くのラブホテルにチェクインした。


3歳年下の津田玖美とバイト先の居酒屋で会ったのは4年前。

玖美は短大を出て2年目、ヤナは大学を卒業して就職浪人中だった。

その居酒屋は、一部の作家がひいきする、ちょっとだけ有名な店だ。元雑誌記者で、いまは美食評論家として知られるオーナーが、創作料理を出している。

ある日、バイトに来た玖美のショルダーバッグから、「羊をめぐる冒険」がはみ出していた。ヤナが「へえ、それ読んでるんだ」と声をかけたのが、親しくなったきっかけだ。

村上春樹や高橋源一郎について話せる相手は、そのころあまりいなかった。店が終わったあと、歌舞伎町の深夜喫茶で、「さようなら、ギャングたち」や、若者のバイブルになりつつあった「アル・ジャーノンに花束を」などの話をした。玖美はほとんど聞き役だったが、ずっと目を輝かせていた。

エアロビクスを広めたジェーン・フォンダは、夫のトム・ヘイデンとともに、新左翼の代表的活動家だったことも、玖美は知らないようだった。「新左翼とは」からヤナが教えると、感心して聞いている。

玖美は、昼間のカルチャースクールの仕事が、自分には合っていないと感じているという。短大で日本文学を専攻した玖美は、ゆくゆくはものを書く仕事をしたいと言った。

1980年代になって「リクルート」という就職情報企業が躍進し、やがて「やりがい」という言葉を流行らせる。転職指向が高まっていた時期だった。

「本当は漫画家になりたかったの。でも才能がないから」


少しして、「ガープの世界」という映画が面白い、ビデオを借りたからうちで見ないか、と誘ったら、玖美は日曜に田無のアパートまで来た。その夜、初めて一緒に寝た。

3年前、日々新聞にヤナが合格したときは、歓喜する女の子の絵を描いたお祝いのカードをくれた。

それは、玖美のオリジナルキャラクターらしく、雑なプロポーションで描かれた三つ編みの少女だ。わらでつくったインディアン人形のようだとヤナは思った。絵では、その女の子が、チアガールのボンボンを持って、小躍りしている。

その後、ヤナが忙しいこともあって、少し疎遠だったが、「ノルウェイの森」が出たころにまた会い、ここ1年は月に2回は会っている。


体を合わせたあと、玖美はバスルームに発った。ヤナは煙草を1本吸い、そのあとはパンツ1つでベッドに寝そべって、作動しないテレビのリモコンと悪戦苦闘していた。

そこに下着姿の玖美が、バスルームから戻って、ベッドの端に座った。

「最近、なに書いたの? 教えてよ」

いつものように聞いて来た。

「玖美さんは、いつもそれだ。仕事で書いているだけだよ」

2人は、いまだに互いをさん付けで呼んでいる。


「ガープの世界」の夜、初めて体を合わせたあとの微睡からヤナが醒めると、玖美は本棚から「季刊90年代キッズ」を取り出して読んでいた。

「変名で、こういうのに書いていたんだ」

「へー、すごい」

自宅に招き入れて、すぐそんな自慢をしたことを、ヤナは後悔していた。

「あんまり読まないでよ。若気の至りだから」

ヤナがそう言うと、

「いや、ヤナさん、うまいわー。才能あるよ」

と玖美は半裸の姿のまま、読みふけっている。

「俺に才能なんてないよ」

と言って、甲斐が書いた別のページを示した。

「才能がある、というのはこういうのを言うんだ」

玖美はしばらくそれを読んでいたが、

「でも、ヤナさんのほうが面白いと思うな」

「そう言ってくれるのは玖美さんだけだ」


ヤナと甲斐の「90年代キッズ」は、結局3号で終刊となった。季刊とうたいつつ、1年もたなかった。

緑の党、自由ラジオ、「ハーダー・ゼイ・カム」とレゲエの歴史など、若者をターゲットにした特集は、そこそこの反響を呼んでいた。だが、出版社が期待したほどの大きな部数にはならない。

2号目が出たあと、高校生を含めた読者のネットーワークづくりにヤナは着手していた。もう少し続けられればと思ったが、出版社に体力がなかった。

そんな事情を話しても、玖美は言い続けるのだ。

「ヤナさん、才能あるよ。もっと書いたほうがいいよ」


あれから4年たっても、玖美は、ヤナの文章のファンでいてくれている。

「最近は、もっぱらグラビア記事を書いてるな」

ヤナは、日々マンデー最新号のグラビアで、あるベテラン俳優が久々に舞台の主役を演じたという記事を書いていた。

「いまマンデー持ってないの? じゃあ今度読ませてね」

「でも、俺の原稿はズタズタだ。原型はほとんど残らなかったよ。いつもそうだけどね」

「ふーん、そういうもんなんだ」

「お前の原稿は生硬だ、っていつも言われる。あ、セイコウって、ナマという字にカタいと書く。観念的で、読みにくいということかな」

「そうかー。ヤナさんの文章、べつに読みにくいと思わないけどなー」


ヤナの記事の次のページには、「高原に集う『貴族』たち」という見出しのグラビアが載っていた。最新号で評判になったのは、こっちのページだ。

若者に人気の観光地、山梨県の清里に、芸能人がプロデュースした豪華ホテルができた。オープンイベントで「貴族の格好をして遊びに来て」とホテルが若者に呼びかけたところ、大活況を呈した、という記事だ。

もちろんホテルからカネが出ている記事広告である。契約記者の高島奈々が参加して、記事を書いていた。

写真には、思い思いに派手な格好をした若者たちが写っている。

(この若者の7、8割は、見栄で借金してブランド品を買ったのだろう)

とヤナは思っている。

その中に混じり、白いシャネル風のドレスに宝飾品を散りばめ、にっこり笑う高島が写っている。

「さすが高島ちゃんは『本物』だから違うねえ。この中ではシックな装いなのに、いちばん輝いてる」

「あの高そうなネックレスも自前だろうな。さすが板についてるよ」

と、編集部のおじさんたちに大評判だったのだ。


ヤナは、その話をしようかと思ったが、話を変えた。

「マンデーはおじさん雑誌だからね。それはわかって書いてるんだけど、おじさん向けに書くのは難しい」

マンデーに配属されると、さっそく坂野デスクに飲みに連れ出され、原稿の手ほどきを受けた。

飲み屋のカウンターでの、坂野の「講義」を、玖美に再現してみせた。

「いいか、日々マンデーは、中年男が主たる読者だ。サラリーマンが、会社帰りに電車の中で読むんだ。その情景をいつも想像しろ。上司に怒られ、部下に責められ、疲れ切っている。面倒くさい話を読みたいと思うか? わかりやすい文章で、すっと入ってくる話がいいんだ」

「制度を批判するな、社会を非難しろ——と、社会部では昔から言われる。政治部や経済部の書く原稿は、官僚がつくった制度を説明したり、批判したりする記事が多いけどな。そういう小難しいのは読まれないんだ」

「マンデーは社会部の精神で作られている。『世の中、けしからん』がその精神だ。政治家はけしからん、金持ちはけしからん、若いやつらはけしからん。そういうのがいい。そういう話が、疲れたサラリーマンの心にすっと入る」


「ふーん。でも、あんまり具体的な教えじゃないよね。精神、とか言われても」

と玖美は言う。

そのとおり、どうすればそういう文章が書けるのか、俺もいまだに見当がつかない、とヤナは話した。

ヤナは、左翼活動をしていたころから、非難したり攻撃したりする文章は苦手だ。

甲斐はそれが得意で、煽るような、辛辣で攻撃的な文章を書く。


「玖美さんはどう? 文章教室のほうは」

「うん、やってるよ」

玖美は、自分が働いているカルチャースクールとは別の、池袋のカルチャースクールで、週末の文章講座を受講していた。

ものを書く仕事をしたいなら、20代のうちにマスコミ受験に挑戦したほうがいい、と勧めたのはヤナだ。


「昨日さー、池袋のナイトクラブの面接に行ったの。来月から来てくれと言われたわ」

ヤナの横に寝て、玖美は言った。ナイトクラブに行ったことはないが、店の名を聞くと、ヤナも知っている西口の大衆的な店だ。いかがわしいサービスはしないところだろう。

「アパートの更新料を払わなきゃいけないし。来年から家賃も値上げされるらしいから、とてもいまの収入じゃ足りないのよ」

家賃の高さは共通の悩みだ。大学時代は貧困家庭用の学生寮に入れたからよかったが、いまではヤナも常にアパートの住み替えを考えざるを得ない。

ヤナの賃貸生活は、練馬区の1K風呂なしトイレ共同の物件から始まった。少しでも条件をよくしようとすると、どんどん都心から離れた場所に住み替えざるを得なかった。最寄り駅は職場の駅から遠くなり、アパートは最寄り駅から遠くなる。それで、通勤時間がますます長くなる。

交通費は会社持ちだからいいとして、電車に長時間すし詰めになるのは、いつまでたっても慣れない。マスコミは出社時間が遅めなのはありがたかったが、退社時間は遅い。終電近くになると、朝にもまして満員地獄になる。

駅のホームに溢れかえる人を見るたび、日本は人口が多すぎるとヤナは思う。

満員電車も、家賃が高いのも、根本的にはそのせいだと思っている。

統計によれば、日本の人口は、まだ増えるというからうんざりする。


そんなことをぼんやり思うヤナのかたわらでは、玖美がナイトクラブでの面接をボヤき続けている。

「店長とかに、顔から体からジロジロ見られて、値踏みされるんだ。自分の女としての商品価値を考えちゃった。店長のムスッとした顔を見て、ああ私は価値ないなあ、って、改めて思った」

なんと言っていいかわからず、ヤナが、

「でも、採用されたんだから、よかったじゃない。俺も行こうかな」

と言うと、

「いやー、絶対来ないでー」

とベッドをバタバタ叩いて拒絶する。

「おい、あんまり騒ぐなよ。こういうところの壁は薄いんだ」

玖美は起き上がり、ヤナに体を向き直した。

「でも、女は、そういう値踏みする目に、子供の頃から晒されてるの。そのつらさ、男の人にはわからないでしょう」

「そんなことはないよ。最近は『3高』とか言うだろう。しょうゆ顔とか、ソース顔とか、男の顔についてもうるさい」

「言うけど、そんな真剣に言ってるかなあ。普通の女のコには関係ないと思うけど」

「男の収入は考えない? 考えないのは無責任かもしれないぞ。子供のこともあるし」

「好きになったら、そういうのは関係なくなる」

話が苦手な方向に向きそうなので、ヤナは矛先を変えた。

金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏になる——聖書のマタイ伝の文句に由来する「マタイ効果」という用語が、バブル経済論で使われてる。

経済だけでなく、恋愛にもマタイ効果が生まれ、モテる者はますますモテて、モテない者はますますモテなくなると思う、とヤナは話した。

「経済での不平等拡大という下部構造は、恋愛という上部構造に当然、反映する。これはマルクスの理論でも明らかなのだ」

「ふーん、そうなんだ」

玖美は、こんなデタラメ社会科学も感心して聞いてくれる。

「俺なんか、低身長だし、低収入だし。高学歴だけは何とかクリアかな。でも全然モテない。ますますモテない」

「収入はあるじゃない。日々新聞なんだから」

「そうでもないんだ。いま『収入がある』と言えるのは……」

ヤナは証券会社に入った大学の同期の話をした。夏のボーナスが200万円以上と聞いて驚いたところだ。すでに頭金を貯めて、郊外にマンションを買ったという。

「そいつは、株の営業のために、俺を訪ねてきたんだけどね。資本主義経済は永遠に成長するから、株も永遠に上がる。買わないやつはバカだとまで言われたよ」

「ふーん」

「でも、いまの俺の給料じゃあ、株を買う元手がないよ。家賃を払ったら残らないんだ。服や家電のローンも払っているし、奨学金の返済も終わっていない。もっと借金しても株を買うべきだとそいつは言うんだけど」

それに、新聞社の記者職は、株の取引を控えるように言われていた。インサイダー取引につながるし、リクルート事件では、複数のマスコミ幹部が未公開株を受け取っていた。マスコミはそれをウヤムヤにしたが、以来、出版局の記者を含め、株について厳しく言われている。

しかし、取引しないと株が勉強できないという経済記者の意見もあった。実際上、監視はできず、罰則もないから、株を買っている人がいるかもしれない。そういう事情は、証券会社の知人には言ったが、玖美には言わなかった。

そもそも、資本主義の永続を、社会主義者の自分が寿ぐわけにはいかない……。


「このままでは貯金はできないし、給料が少し上がっても、こんな勢いで不動産が上がっていったら、家を買うなんて永久に無理だ。何も所有できない、プロレタリアートとして俺は終わるのさ」

「私も何もないなあ。家もないし、おカネもないし……」

ヤナの視線が下に落ちると、玖美が声をあげる。

「何よ、胸もない、って言いたいんでしょ!」

それは、玖美のコンプレックスらしく、自分で好んで笑いのタネにする。

「胸がない? そうだったかな。たしかこの辺に……」

と、ヤナが玖美の胸をまさぐると、玖美は嬌声を上げてベッドに倒れ込んだ。

ヤナはそのまま玖美を組み敷いた。

石鹸の香りがする玖美の裸体を嗅ぎながら、なぜか高島奈々の顔が頭に浮かんだ。






第2章 1989年10月 悪霊がささやく



 

1. ヒットの鉱脈



10月最初の日曜、ヤナが西武新宿駅の売店で「日々マンデー」の表紙を見たとき、編集会議での〈嫌な感じ〉がよみがえった。

「狂った宗教! ヨーガ神気教」

派手にレイアウトされたその見出しは、編集部で見たときより、インパクトがあった。

特集ページの中心は、〈被害者〉家族の声を座談会形式で紹介したものと、富士山麓にある本部道場のルポだ。その片隅に、「ヨーガ神気教とは何か」という、教団の沿革をまとめたヤナの署名入り囲み記事が載っている。甲斐から聞いた話も少し使った。

(甲斐は、これを見てどう思うだろう)

その思いが、〈嫌な感じ〉をもたらすのだろうか。

最終ページの編集後記で、巻上が「日々マンデーはタブーに挑戦し、民主主義を問い直します」と宣言していた。


日々マンデーは、その名のとおり月曜発売だが、都内の一部売店では先行して日曜に販売される。

どこの週刊誌もやっている、売れ行き予測のための試験販売で、その数字によって増刷を決めたりする。業界人も、いち早くその先行販売分を入手し、ネタに使うのがつねだった。

日々マンデーの締め切り日は金曜日となっているが、実際の編集作業は土曜の朝までかかることが多い。だから編集部は、日曜にくわえて、正式発売日の月曜が休みとなっていた。

しかしヤナは、ほかにすることもないので、たいがい月曜も会社に出て、原稿を書いたりしていた。ヨーガ神気教特集号が先行販売された日の翌日、その月曜日も、ヤナは朝から出社した。

本社ビル2階にある編集部には、休みの日の当番デスクである坂野と、事務補助員の杉尾、ほか数名の記者が出ていた。

普段はムスっとして無愛想な杉尾が、珍しく興奮ぎみに坂野に話しているのが聞こえた。

「すごい反響ですよ。もう2本もテレビ局から問い合わせを受けました。ラジオ局からもありましたよ。相談したいという親からも……」

ヨーガ神気教取材班ではない2人の記者が話している。

「先行販売の数字もいいらしい。こりゃ増刷だな」

「宇波スキャンダルに続き、2つ目の鉱脈を掘り当てたか」

そこに、副編集長の大口が現れた。

「お、ご苦労さん」

と記者たちに声をかけたあと、坂野と慌ただしく会議室に入った。

何事かと見ていると、すぐに2人は会議室から出てきた。

そして坂野がどこかに電話を始め、大口はまた慌ただしく編集部から出て行く。

電話を終えた坂野に、記者が「何かあったんですか」と聞いた。

「ヨーガ神気教の麻倉が、編集部に抗議に来る。社の代表電話に連絡があった。先行販売分で内容がわかったらしい。麻倉が来ることを編集長はもう知っている。近くにいるから、すぐに来るそうだ。大口さんは4階に行った」

4階には役員室がある。担当役員兼務の出版局長に伝えに行ったのだろう。

「1階の受付には連絡した。あ、保安課にも伝えなきゃ」

と、坂野が再び電話に飛びついた。


1時間後、巻上編集長と大口副編集長が待つ出版局に、麻倉聖劫とヨーガ神気教の一団が現れた。


ヤナと編集部員たちは、出版局応接室に入っていくその一団の、異様な風態に息を呑んだ。白いローブのようなものを纏まとった麻倉の周りを、5人の白い道着を着た信者たちが囲み、ゆっくりゆっくり動いていく。

マンデー編集部は休みだが、出版局の他の編集部や営業部には人がいる。みんな一様に、仕事をしながら、その一団の動きを目で追っていた。

ヤナは麻倉聖劫をじかに見たのは初めてだった。

(そうか、麻倉は目が見えないんだったな)

と思い、同時に、

(麻倉は意外に体格がいい)

と思った。身長は170センチ台半ばだが、胸板ががっちりしてたくましく見える。なんとなく、イエス・キリストのような痩身を想像していたのだ。

麻倉聖劫は、髭の下の口を固く結んで進んでいく。それを囲む信者の中には、女も2人ほどいる。そして、一団から少し離れて、背広姿の男がついて来る。

「あれは、弁護士だな」

と、いつの間にかヤナの横にいた坂野がつぶやいた。


一団が応接室に入り、1階の喫茶店からコーヒーが運び込まれたあとも、ヤナを含めた編集部員は集まって、外から応接室のドアを見守っていた。1階から上がってきた制服の保安課員も、遠まきに応接室を眺めている。

情報が伝わったのか、山形と吾妻、取材班チーフの廣井洋次も出社してきた。坂野の制止を振り切り、山形が応接室の近くまで行って耳をそばだてたが、何も聞こえない、と手を振ってサインを送ってきた。

ところが、15分ほど経ったところで、ガチャガチャっと金属がぶつかるような音が中から聞こえ、一同に緊張が走った。保安課員と坂野デスクがそろそろと応接室に近づくと、すぐにドアが開き、声が聞こえた。

「地獄に落ちるぞ」

そしてヨーガ神気教の一団が出てきた。

麻倉の表情は険しくなっていた。一団はさっきより固まって歩いていく。来たときと同じなのは、彼らが一言も話さず、周りには一切、目を向けないことだ。

一団の姿が消えると、すぐに坂野デスクと廣井が応接室に招き入れられ、5分ほどすると編集長が出て行って、今度は山形、吾妻、ヤナが応接室に呼ばれた。ヨーガ神気教取材班の全員が集められた形だ。

大口副編集長が口を開いた。

「見てのとおり、麻倉が弁護士を連れて抗議に来た。編集長は役員に報告に行った。廣井くんの意見もあり、会談の中身を、取材班のみんなには話しておく。だけど、法務がからむので、部内でもあまり広言しないでほしい」

吾妻と山形が煙草を取り出すのが見えた。


抗議に来たのは、麻倉と、ヨーガ神気教のいわゆる高弟たち。女性の1人は、麻倉の妻で、教団の幹部でもあるという。それに、弁護士の仲山というのが一緒だった。

この仲山も信者で、若いが、切れ者だという。

前半は、もっぱら仲山が話した。仲山と編集長の問答は、こんな具合だった。

「内容が一方的すぎる。偏向しており、公正な報道とはいえない。ヨーガ神気教に対する名誉毀損だ」

「われわれは〈被害者の会〉の声にニュース価値があると考えて報道した。ヨーガ神気教は宗教法人という公共的存在だから、批判の対象になりうる」

「憲法が保障する信教の自由を侵している」

「公共の福祉に反している場合は別だ。〈被害者の会〉の弁護士も同意見だ」

「釜本弁護士のことだろう。われわれは、これまでも問題解決のために親たちと話しあったし、釜本弁護士とも協議してきた。それなにの、なぜ彼らの見解だけを一方的に載せるのか」

「解決の方向に向かっていないというのが、われわれの見方だ」

「ヨーガ神気教に入って幸福になった若者もたくさんいる。その声を載せてほしい」

「編集方針はわれわれが決める。取材や編集のやり方に問題はないと確信している」

「それでは、名誉毀損で訴えさせてもらう」

「その場合は、社として誠実に対応する」


このあたりで、会談は行き詰まり、殺気立った睨み合いが続いた。

そこで、ようやく麻倉が「編集長に聞きたい」と口を開いた。


「出家は、修行のために必要なことだ。キリスト教でも仏教でも、信仰者は昔から家を捨て、家族を捨てて修行に入る。お前はそれを知らんのか」

「それは知っている」

「では、なぜ、あんな記事を出す」

「われわれは、宗教の出家そのものを否定しているわけではない」

「では、なぜキリスト教の出家はよくて、私らのはだめなんだ」

「出家にあたって、若者に30万も40万もお布施を要求する。そうしたやり方を問題にしている」

ここで麻倉は激昂した。

「じゃあ、いくらならいいんだ!」

と言って、テーブルを蹴ったから、そこに置かれたまま誰も手をつけていないコーヒーの容器どうしがぶつかって、物音を立てた。

もっとも、麻倉は目が見えないはずだから、上げた足が偶然テーブルに当たった、ということだろうが。

麻倉は、応接室を出るとき、

「地獄に落ちるぞ」

と、巻上に捨て台詞を言った。


「いずれにせよ、今後は法務部が対応する。心配することはないでしょう」

と坂野が言い、大口も「そのとおりだ」と同意した。

新聞社は、抗議や訴訟には慣れている。ヨーガ神気教の反応の早さには驚いたが、いつものとおりに処理されるだろう。最前線で取材にあたっているのは、経験を積んだ記者たちだから、取材手法に問題はないはずだ。

「よくあることだし、それ以上に、この件、面白くなってきた」

普段は表情に乏しい大口が、ここで大きな笑顔を見せた。

「実売の速報値は先週の2倍だ。君たちも反響を感じているだろう。この企画は大成功だ。君たちのおかげだ」

その言葉で、記者たちの表情も緩んだ。考えてみると、〈宇波スキャンダル〉に関与してなかった大口にとって、みずから手がけた初めてのヒットと言える。

「テレビやラジオから問い合わせが相次いでいる。放送されれば、さらに売り上げが伸びるのは間違いない。第2弾、第3弾と、がんがんやるぞ。編集長はやる気満々だ」

「やっぱり、みんな胡散臭いと思ってたんでしょうね」

と山形が言うと、

「敵も焦っている。反応次第では、それもネタになりますね」

と吾妻が煙を吹き出しながら言った。


〈敵の反応〉は、別の形で翌日から現れた。

信者からの抗議電話が、頻繁に編集部にかかってくるようになったのである。

大口副編集長から、編集部全員に通達文が回ってきた。

「ヨーガ神気教関連で、難しい電話は、すべて大口か坂野に回すように」

そこで、1日中、大口と坂野が電話口に向かって、機械的に言う声が聞こえた。

「はい、ご購読ありがとうございます」

「はい、ご意見、うけたまわりました」

「はい、今後ともよろしくお願いします」

そしてガチャンと乱暴に受話器を置く。その繰り返しだ。

大口は意気軒昂だ。抗議電話を受ける合間に、取材班にてきぱきと指示を出して、第2弾の台割りをつくっている。

ヤナは、山形と組んで、さらに広く有識者の声を集めることと、オカルト流行の背景を取材するよう指示された。

「そうだ、高島奈々ちゃんの友達に信者がいるそうだから、彼女にも聞いてくれ」

と大口から言われた。


発売2日目から、テレビやラジオで、日々マンデーの〈ヨーガ神気教特集〉が取り上げられ始めた。

各局は、日々マンデーの記事をもとに、麻倉の「空中浮遊」の画像や、信者の修行などの映像を見せ、ヨーガ神気教の異様さを強調した番組をつくっていた。

〈被害者の会〉の釜本司弁護士も、いくつかの番組に顔を出していた。

「子供たちをヨーガ神気教に奪われた、という親御さんたちから、続々と連絡が来ています。強制的に文書を書かされ、財産を取られそうになった、という例があります」

「悩んでいる方は、こちらに電話してください」と、〈被害者の会〉連絡先になっている釜本の法律事務所の電話番号が映る。

一方、城之内というヨーガ神気教の広報担当者も、テレビに登場していた。仲山弁護士と同じくらい若く、おそらくヤナと同世代だろう。その後、麻倉と並んで、ヨーガ神気教の「顔」となる男だ。

とにかく口がよく回り、機関銃のような早口でヨーガ神気教への批判に反論する。あるスポーツ紙は、その滑らかな弁舌を、「饒舌」ならぬ「城舌」とシャレて表記していた。


発売3日目。日々マンデーに情報を持ち込んだジャーナリストの菱川京子が、釜本弁護士と編集部を訪れ、ヤナを含めた取材班と顔合わせした。これまで2人とは、巻上と大口がおもに接触していたのだ。

釜本も菱川も、ヤナより少し年上なだけ。30代前半の若さだ。

すでに子供がいると聞いていたせいか、釜本司は、年よりも落ち着いて見える。東大法学部卒のエリートだが、労働問題やサラ金問題などを扱う「庶民派」だと、テレビ番組で紹介されていた。

菱川京子は、教育問題や権力犯罪を主なテーマに書いている。早稲田大学の政経学部卒で、巻上の後輩にあたる。

(どっちもすごい真面目そうな人たちだ)

というのがヤナの印象だった。マスコミ人で、とくに雑誌業界でよく見る、世慣れて崩れたような感じがない。


麻倉が編集部に抗議に来た話になると、釜本は言った。

「仲山弁護士を信じてはいけません。彼は、弁護士である前に、ヨーガ神気教の信者です。麻倉の命令どおりに動いているだけです。彼を弁護士懲戒処分にできないか、考えている」

菱川は、

「麻倉は、政治団体をつくって、選挙に出ることを画策しています。すでに信者の住民票を選挙区に移す動きがある」

という情報をもたらし、「へー」と一同を驚かせた。

「それはすごい。カネにがめついのは、そういう目的があるからかもしれませんね。そのネタは、使ってもいいですか」

と吾妻が聞くと、菱川は答えた。

「ええ。まずは問題を広く知ってもらうのが大事。マンデーさんの力に驚いています。全面的に協力します」

麻倉が選挙に出たらどうなるか、という話題でひとしきり盛り上がったあと、取材班のチーフである廣井が言った。

「宗教法人として認可した東京都の責任を追及したい。ヨーガ神気教は富士山麓に広大な土地を取得して、学校や老人ホームを建てると称しているらしい。それは本当か。都議が動いて議会で問題になれば、監査が入って、資金の流れが暴けるかもしれない」

役職者以外の、いわゆる「兵隊」の中で、最も編集長の信頼が厚い廣井は、幅広い情報網と、随一の行動力をもつ。すでに都議の何人かと連絡を取り合っているようだ。東京都が動けば、さらに問題が大きくなる。

ヤナには、ここにいるだれもが、大きな反響に興奮しているのがわかった。


取材班だけではない。だれかが言った「第2の鉱脈」を掘り当てた熱気が、編集部全体と、営業部を包んでいるのが、ヤナにも見える。

それが目的ではないにしろ、このままいけば、巻上編集長は2枚目の出版局長の賞状を手に入れるだろう。

だが、打ち合わせが終わって席に戻ると、また正体不明の〈嫌な感じ〉がヤナを襲うのだった。




 

2. 光の戦士





〈敵の反応〉が次の段階に進んだのを知ったのは、翌週、第2弾の記事が出た直後の編集会議だった。

大口副編集長から改めて〈ヨーガ神気教追及キャンペーン〉大反響の報告があり、部員たちが大いに沸き立ったあと、巻上編集長が口を開いた。

「取材班のみんなは本当にご苦労さまでした。第2弾の売り上げ初速も好調だ。このまま飛ばしていこう」

「飛ばしていこう」は、野球好きの巻上の口癖だった。

「ただ……」

と、少し考えてから、巻上は言葉を続けた。

「君たちに報告しておく。きのうのことだ。朝、家を出ると、家の前の電柱に『巻上はでっち上げ報道をやめろ』という貼り紙があった。そこらじゅうの電柱に、たくさんだ」

「それは、ヨーガ神気教の信者が……」

と吾妻が言うと、

「そうとしか考えられないだろう。『巻上は地獄に落ちろ』というのもあった」

と巻上が言い、一同は黙り込んだ。

「貼り紙の写真を撮って、近くの交番に届けた。目撃者がいないか、探すとは言っている。ぼくとしては、とにかくすぐ貼り紙をはがしてほしいけどな」

「しかし、編集長の自宅の住所が、よくわかりましたね」

と山形が言ったので、ヤナはドキッとした。

巻上の自宅住所を、最近、話題にしたことがあったからだ。

「そういえば、巻上編集長らしい人を渋谷で見かけたことがある。あのへんに住んでるの?」

「いや、今は、小田急線の新百合ヶ丘に住んでいるよ。国の住宅事業でできた、大規模マンションが数年前に話題になっただろう、あそこの……」

——甲斐と秋葉原で、そんな会話をした。まさか……。

「住所なんて、最寄り駅さえわかれば、電話帳でいっぱつだよ」

と吾妻が言うと、廣井が言う。

「いや、最寄り駅とか知らなくても、マスコミの誰かに聞いたら、たいがいわかるよ。日々マンデー編集長の自宅住所は、いろんな資料に載っている」

たしかにそのとおりだ。

社員の自宅住所・電話を記した「日々新聞社員録」は社員全員に配られている。自宅電話の情報は、緊急連絡が発生する新聞社では必須だ。ポケベルを持ち歩いているのは一部で、それ以外は、自宅に連絡するしかない。将来、携帯できるような電話が普及しない限りは。

そして自宅住所は、中元や歳暮などの付け届け、年賀状その他を送るために必要だ。中元や歳暮は、日々新聞からも作家やマスコミ関係者に贈られるので、その時期になるとヤナにも、送り先候補の住所のリストが回ってきて、添削させられる。

その理由から、マスコミの経営幹部や、主要メデイア編集長の自宅住所は、社員録から転記され、同業他社、広告会社、企業の広報等々に広く知れわたっていた。そもそも、自宅の電話や住所を隠すべきだという認識もない。

「そうだな。住所なんかすぐわかる」と、巻上も認めた。

「こういう嫌がらせは、ぼくのところだけではないかもしれない。だからみなさんに伝えておくんだ。もし、何か異変があったら、すぐ知らせてくれ」

「やつら、会社にも来るかもしれませんね」

吾妻がそう言うと、みなは不安そうな顔を交わした。

日々マンデー編集部に、部外者が入り込むのは、それほど難しくない。

2年前に、毎朝新聞の阪神支局が右翼に襲われ、死者が出たことから、ようやく新聞社でセキュリティーが意識されるようになった。それまでは、編集局にもほとんどフリーパスで入れたのである。

今年になって、各局入口ドアの解錠に必要なIDカードというものが従業員に配られた。だが、しょっちゅう故障して開かなくなるし、IDカードを忘れる者があまりに多いから、開け放しにされていることが多い。閉まっていても、誰かが開けたついでに、部外者がドアをくぐるのはいつでも可能だろう。

また、社長室や役員室がある4階と、新聞編集局がある3階の入口には保安課員が常駐するようになったが、出版局がある2階にはいない。こういうところにも社内序列が反映していた。

「管理本部や保安課に、不審者に注意するよう伝えてある。もちろん、ぼくがこんな嫌がらせに屈することはない。まったく、ありえない。ぼくからは以上だ」

こんな嫌がらせは、巻上の性格を考えれば逆効果だろう、とヤナは思った。こんなことに屈しては、日々新聞の沽券にもかかわる。



☆彡



「自分が何者なのか、何をすべきなのか、いつも悩んでいました。性格が暗く、人とうまく付き合えない自分が嫌いで、生きるのが苦痛でした。でも、尊師と出会い、悩みをわかってくれる仲間と出会えて、道が開けた思いです。(神奈川県、24歳、女)」

翌日、ヤナは、高島奈々から渡されたデータ原稿を読んでいた。ヨーガ神気教に入信した大学時代の知人を通じ、集められた「信者の声」だ。

「いまの日本にあるのは、カネと、性と、食い物だけ。欲望をあおり立てるマスコミ。人間をロボットにする学校と企業。すべてが狂っている。すべてが汚い。あんな場所に2度と戻りたくない。(東京都、28歳、男)」

「もはや現代の政財界、教育界に希望はない。人類の危機を感じて、周囲に霊戦への参加を呼びかけてきた。やっと同志に出会えました。ここにいるのは、人類の霊性を目覚めさせて悪魔と戦う光の戦士たちです。(栃木県、32歳、男)」

これには、「この男性は、中学教師をやめて出家したそうです」と添え書きがあった。

他にもいくつかあったが、自分の同世代の信者たちの肉声に、ヤナは考え込まざるをえなかった。

日々マンデーのスクープ特集が2週目に入り、後追いのマスコミに微妙な変化があるのをヤナは感じていた。

ヨーガ神気教に共感的な論調が現れてきたのだ。

たとえば、ある若手評論家は、書評紙のコラムで、マンデー報道への反響の大きさを論じながら、

「家族が反対したとしても、あえていえば『家出の権利』があるのではないか。子供といっても、10代後半の若者である。親たちの子離れ問題もあると感じた」

と書いている。

また、若者向け週刊誌では、若手の宗教学者が、「麻倉の教えは、正統的な仏教の核心を捉えたところがある」と、世俗化した日本仏教より優れているという評価を与えていた。

少し前に、テレビのワイドショーで、株と土地転がしで大儲けし、袈裟を着て高級外車を乗り回す僧侶が取り上げられていた。生臭坊主の脂ぎった禿頭と比べれば、麻倉の髭面がましに見えておかしくない。

麻倉の姿は、テレビに何度も映るうち、最初の異様な印象が薄れてきて、大衆に少しずつ受け入れられていると感じる。

廣井が編集部で、麻倉が映るテレビを見て、「選挙運動に協力しているみたいだな」と笑っていたが、あながち冗談ではない気がするのだ。

ヤナは、〈嫌な感じ〉の正体がだんだん見えてきた。


編集長の巻上がヨーガ神気教を取り上げると言ったとき、日々マンデーというおじさん雑誌と、ヨーガ神気教とは、ミスマッチに思えた。

おもしろいネタだ、うまい目のつけどころだ、と思う反面、不安が芽生えていた。

30代前半の麻倉が率い、20代のメンバーが多いヨーガ神気教は、新時代の若者文化の一部であり、かつ宗教団体である。それを、日々マンデーの「けしからん」論法で斬れるのか、という不安だ。

しかも、10月からの〈ヨーガ神気教追及キャンペーン〉は、巻上にとって、新編集長としての旗揚げの意味を持っていた。力が入っていた——いや、力が入りすぎていたのである。

結果は、かなりギクシャクしているとヤナには思える。

巻上は、新編集長のモットーとして、「日々マンデーは民主主義を問い直す」とぶち上げていた。いまの民主主義は、自由と権利をはき違えた、「行き過ぎた民主主義」だというのである。

宇波スキャンダルのときに「女性差別論」をこじつけたように、ヨーガ神気教問題では、よくある「戦後民主主義批判」をこじつけようとしている。しかし、宇波スキャンダルのときと比べても、説得力を感じない。

麻倉が「信教の自由」を悪用して詐欺を働いた、というのが事実だったとしても、その信者たちに罪はない。信者は、むしろ被害者である。

そして、「信教の自由」を享受する権利は、麻倉ではなく信者にあるのだから、麻倉の「悪事」を日々マンデーが暴いたとしても、それを知ったうえで最終的に信じるかどうかは信者の自由であるはずだ。

しかし、そうした信者の権利と自由は一顧だにされない。被害者側なのに、どちらかというと「親不孝」を働いた加害者あつかいなのである。

つまりは「最近の若者はけしからん」論法の行き過ぎにしか思えない。おじさんには気持ちいいかもしれないが、乱暴すぎると感じる。


そして、「信教の自由はあるが、ヨーガ神気教は公共の福祉に反している」というのも、憲法論として噴飯ものに思える。

ヤナがまじめに授業に出ていた大学1年のころの憲法講義で、「『公共の福祉』は、権力が国民の自由を縛るために使われるから、濫用させてはならない」と憲法学者は言っていたはずだ。ヤナもそのとおりだと思っていた。それを「国民」の側から持ち出すこと自体、倒錯に思える。

少なくとも、憲法で保障された国民の自由が、「公共の福祉」に反しているかどうかを、週刊誌の編集長に判断してもらいたくはない。


しかし、巻上がそういう「暴論」をあえて吐くのも、まさに週刊誌の編集長だからだろう。

憲法学者が新聞で書けば問題かもしれないが、「たかが週刊誌」の意見としては、思い切った暴論のほうが痛快だし、論理の偏頗は見逃されると思っているのではないか。


だが、ヨーガ神気教から見れば、日々マンデーは「たかが週刊誌」ではない。大手新聞社の出版物であり、つい最近は総理大臣の首を取った影響力絶大なメディアだ。

ヨーガ神気教は、日々新聞や日々マンデーに比べて、あまりに小さな存在である。実態は、出家信者が数百人、在家をあわせても数千人程度の団体にすぎない。

日本には信者1000万人といわれる巨大新興宗教団体があるし、数百万人規模の団体はいくつもある。そのなかでは、豆粒のような存在なのだ。たしかにカネは持っているようだが、このバブル時代の基準で見れば、それも、とるに足らないといっていい。

その豆粒から見れば、日々マンデーのキャンペーンは、巨大な象に踏み潰されるような大弾圧に思われていないか。

つまり、巻上と日々マンデーのキャンペーンは、「乱暴」かつ「弱いものいじめ」と見られてしまう余地がある。

マスコミも一般読者も、大手新聞社の発行する日々マンデーが間違っているはずはなく、胡散臭いヨーガ神気教が正しいはずはない、という先入見で見ているから、それほど変に思っていないかもしれない。

しかし、現に若手の文化人から違和感が語られはじめ、中堅のジャーナリストから「弱小団体を相手にやりすぎだ」という批判が出ている。

ヤナの〈嫌な感じ〉は、こうした構図がどういう結果を招来するか、まるでわからないところから生まれているように思う。

巻上や大口は、若者文化全般に、なんの知識も興味もないだろう。そのセンスは、もともとヤナとは合わないし、日々マンデーの編集がダサいと思うことはよくある。

そうであっても、日々マンデーの読者は自分より上の世代なのだから、その編集方針に文句を言うことはない。言える立場でもない。

今回も、言うつもりはない。

だが、〈嫌な感じ〉は残る。


日々マンデー編集部の机の配置では、ヤナから、高島奈々の後ろ姿しか見えない。

その見える範囲でヤナの目を最も引くのは、机の下に組まれた彼女の足だ。原稿を書くとき、彼女はハイヒールを半ば脱ぎ、組んだ足をブラブラさせる癖がある。

最近は、ストッキングを履かない「生足」が女性の流行りらしい。仕事中も、その高島奈々の揺れる生足が目に入ると、ヤナはドギマギしてしまう。


高島のデータ原稿を読み終えたあと、ヤナは、高島に声をかけた。

「『信者の声』のデータをありがとう。暇になったら、ちょっとお茶でも行かない?」

彼女をお茶に誘うのは初めてだが、これも仕事だとヤナは思う。

「いま暇ですから、いいですよ」

と高島は席を立ち、一緒に1階の喫茶店に向かった。



喫茶店で向かい合って、高島奈々をなんと呼べばいいか、ヤナは少し迷った。

「大人を『ちゃん』づけで呼ぶマスコミの習慣には慣れた? ぼくは慣れないから、高島さんと呼ばせてもらうよ」

「私は簗川さんでいいですか?」

「ヤナさんでいいけどね」

「大先輩をそんな馴れ馴れしく呼べません。簗川さんで行きます」

ヤナがマイルドセブンを取り出そうとすると、その手元に高島奈々の視線を感じた。

「あ、煙草吸っていいかな」

「ええ、どうぞ」

「悪いね」

「断ってくれるだけ、ありがたいです」

「まあ、嫌煙権というのも、あるからな」

昨年の編集会議で、「嫌煙権」の企画を提案した女の契約記者がいたが、即、却下されていた。その契約記者は昨年で辞めた。

煙草がないと原稿が書けないという記者が大半だ。だから、締め切り日の編集部には煙が立ち込める。夜遅くなると空調が切られることもあり、最終的には白い雲のようなものが天井近くに形成される。

喫煙者が多いから、編集部の灰皿はつねに不足だ。飲み干した缶コーヒーを灰皿代わりに使う者が多い。1日が終わると、編集部の床には、缶からはみ出した吸い殻や灰が散乱することになる。

「信者の声、面白かったよ。よく集めてくれたね。だけど、ほとんど使えないと思うんだ。理由はわかると思うけど」

「あれを載せたら、ヨーガ神気教の宣伝みたいになっちゃいますからね。そうだろうな、と思ったけど、集めるように言われたから」

「せっかく休日返上で頑張ってくれたのに、悪いね」

とヤナは言い、タバコの煙を横に吐いて続けた。

「日々マンデーはおじさん雑誌だからな。親の立場に立つばかりで、若者の悩みをわかろうとしないんだ。まあダサいと思うだろうけど、そのへんは許してほしい。ぼくは、こういう信者の声も伝えるべきだと思うんだけどね。いまの誌面は、ちょっと一方的な気がする。そう思わない?」

「いいんじゃないですか。売れれば」

と高島奈々は応えた。

「売れるようにつくってるんだと思いますよ、編集長は。それが仕事なんですから」

そうか、このコも商家の娘だ。すごい割り切りだと感心する。

「でも、こういう声を読んでどう思う? 共感するところはない?」

「みんな、することがないのかな、と思います」

「どういうこと?」

「したいことがなくなって、みんな、さまよっている感じだと思うんです。何かを求めて……。ほとんどの人は、いつか落ち着くんだと思うけど、ずっとさまよう人もいる」

「それはわかるけど。でも、将来のことを考えれば、やることはあるだろう。いまはみんな、おカネがほしいんじゃないの。昔みたいに額に汗して働かなくてもカネは儲かるらしいじゃない。『財テク』なんて言葉も流行っている。だから、いまのうちに、カネを貯めて、家を買って、とか」

「おカネがあれば幸せになれると思っている。そんなことはないのに」

俺も金持ちになってそう言ってみたい、とヤナは皮肉を言いたかったが、話の方向を変える。

現代の日本には、戦争とか、戦後復興とか、国家的な「大きな物語」がなくなって、いまや人々は、家庭内の出来事や趣味のような「小さな物語」だけで生きるしかなくなった、と論じている評論家がいた。

ヤナがその話をすると、高島奈々はつまらなそうに言う。

「難しいことは、よくわかりませんけど」

玖美なら感心して聞いてくれるのに。

「そうだ、物語といえば、信者の知人が、自分たちが描いた漫画をくれたんです。どうせ使われないと思ったから、編集部に出さなかったんですけど」

「へえ。どんな漫画?」

それは、第1部と第2部に分かれている。自分たち「光の戦士」が、俗世の欲にまみれた「悪魔」の一群と戦う、というのが第1部だ。「光の戦士」を導くのは、最終解脱者の麻倉である。

悪魔は手強く、戦争は長引く。そこから第2部になる。宇宙から翼をつけた狼のような群れが現れ、地球を襲う。俗世の悪魔たちは、宇宙からの来訪者に滅ぼされる。しかし「光の戦士」は生き残り、麻倉の法力によって来訪者は教化されて、ともに宇宙の上位の次元へと昇華されていく——。

「ノストラダムスの大予言ってあるじゃないですか。1999年に恐怖の大王が来て人類が滅びる、っていう。信じている人、けっこういるんですよ。あれを踏まえているようですね」

1999年といえば、あと10年だ。10年後に来る現世の終末を見据えて生きているということか。

「ヨーガ神気教の信者は、人類に滅んでほしいのかな」

「そこまでは思わないでしょうけど、出家の人たちは、いまの世の中を捨てたいとは思ってるんでしょうね。だから出家するんでしょう」

「高島さんはどうなの。いま何か、したいことはあるの?」

「はい。私、ゴルフがしたいんです」

こんなところに、話題の〈おやじギャル〉がいるとは思わなかった。

「簗川さんもご一緒にどうですか。ゴルフやりません?」

「ゴルフかあ……」

自分がゴルフをする姿なんて想像したことがない。最近も、小金井カントリー倶楽部の会員権が3億円で取引されているという雑誌記事を読んで、どこの宇宙の話かと思ったばかりだ。

「編集部の人に呼びかけたんですけど、おじさんたち、だれも乗ってこないんですよ」

と高島奈々は言う。

「そしたら、ぼーやの杉尾くんがつきあってくれるって。あのコ、高校時代にゴルフ部だったんですって」

あいつ……。ああ見えて、どっかの御曹司なのかもしれない。

ヤナは、あの件以来、どうもあのマスコミ志望の、変に世慣れた大学生、杉尾とはギクシャクしている。年下とはいえ、肌が合わない。ムシが好かない。

「彼は大学4年だろう。そろそろ就職本番だろうに。よくそんな余裕があるな」

「あ、そうですね。余裕があるんでしょうね」

話題を変えたい。

「そういえば、高島さんがやった清里のグラビア、よかったね。あの『高原に集う貴族』っての」

「あれだけは、やたら好評なんですよね」

と少し不満そうに言う。

「文章もうまかったよ」

「坂野デスクに、いつもだいぶ直されていますから。でも、筋がいい、って言われます」

「それはすごいね。なかなか筋がいいなんて言われないよ」

「そうですか」

そして、坂野デスクについて知っている情報を、ヤナは話しはじめた。

「坂野デスクは、マンデーのいちばんの古株なんだ。もう10年以上いる。出版やマンデーのことはだれより詳しい。だけど、ちょっと気の毒なところもあってね」

坂野は、副編集長の大口と同期入社だ。年は大口が1つ上だが、本来はマンデーが長い坂野が副編集長になっておかしくない。しかし、巻上は大口を連れてきて副編集長に据えた。

「へえ、そうなんですか」

やっと高島奈々の関心を引けた気がする。

「そういう話、だれもしてくれないんですよ。もっと教えてください」

ほとんどは、「人事の話」が大好物の山形からの受け売りだ。同期の大口が副編集長になったことで、坂野が副編集長、編集長と出世する目は消えた、というのが山形の観測である。

坂野は「日々マンデー別冊副編集長」の肩書をもつが、出世コースから外されたことは当然感じているはずだ。

そのせいか、最近は夜の早い時間から、赤い顔で編集部に現れることがある。口の悪い山形は「サケ野デスク」と陰で呼んでいる。

いっぽう、大口は、次の編集長は自分だと当然期待しているだろう。

「大口副編集長は、忠実な副官という感じだな。一橋大学卒で、経済に詳しいのも、いまの時代に強みだ。経済部から社会部に移った変わり種。どちらの部でも信頼度は抜群だったらしい」

だけど、センスが古くてダサい、とヤナは思っているが、口には出さない。

「廣井さんは?」

「あの人は、ああ見えて、すごい人だよ」

廣井は、温顔で、口調もやわらかく、おっとりして見える。しかし実際は、凄腕の社会部記者だった。

「スッポンの廣井といってね。食らいついたら離さない。どこまでも追っていくタイプだ」

「へー、そうなんですね」

廣井は40歳直前で、そろそろデスクになっておかしくない。ただ、記者として優れていても、リーダーになるタイプではないから、編集長には向かない、とヤナは思っている。廣井自身も、たぶん、そう思っている。

「吾妻さんはどうですか。編集部のエースと呼ばれてますよね」

「そうだね。自他共に認めるエースだ」

日々マンデーでトップ記事を書いているのは、たいがい廣井と、政治部兼務でマンデー編集部にはほとんど顔を出さないベテラン政治記者と、吾妻の3人だ。社会部出身の吾妻は、取材も早いが、複数の取材データを1本の長い記事にまとめる筆力がある。いわゆるアンカーが務まる。

吾妻が出版を希望したのかどうかは知らない。ヤナが見る限り、いまは記事を書くのが楽しくて仕方がないようだから、長い記事をたくさん書ける週刊誌は向いているだろう。

無愛想で取っつきは悪い。だが、性格の強さがある。本人が出版局にとどまるなら、吾妻は次の次、またはその次くらいの日々マンデー編集長候補だとヤナは思うし、そういう評価を局内でも聞く。

「吾妻さんは、ぼくには、仕事ができる事件記者のイメージにぴったりの人だな。煙草もハイライトだしね。あ、これは高島さんにはわからないか」

「山形さんは?」

「ぼくの指導係です。おちゃらけているけど、あの人はあの人ですごい」

山形は、吾妻と同期入社。編集局ではみそっかす扱いだったようだが、ここ出版局では、その軽妙な文章にファンが多い。ヤナもファンの1人だ。

頭が柔らかく、たぶん漫画雑誌まで目を通しているのは、編集部で山形だけだろう。新聞社的な言い方では、「軟派中の軟派」だ。ちなみに煙草はチェリー。

「山形さんは感覚が若い。しゃべってると、あんまり年上という気がしないから、つい敬語を忘れてしまう」

編集部のなかで、出版にいちばん向いているのは実は山形だ、とヤナは思っている。出世をがむしゃらに追求するタイプではない。本人も、新聞よりこちらのほうが過ごしやすいに違いない。

「高島さんも見ているかもしれないけど、同期の吾妻さんと山形さんは、すごく仲がいい。傍目では、正反対に見えるんだけどね」

締め切り日の夜、校了が早かったときは、編集部で酒盛りになることがある。新聞社は24時間開いており、夜間は地下の自動販売機で酒も買える。

そんな夜の宴では、吾妻と山形の、掛け合い漫才のような毒舌合戦が、最高の出し物だ。政治家から芸能人から、酔いが回ると社のOBや上司まで標的になる。坂野もくわわって、明け方まで盛り上がることがあった。

そういう場では、管理職は気を利かせて席を外すが、ヤナが入社した直後は、編集長になる前の飛石や、副編集長になる前の巻上も入って、ワイワイやっていた。

高島のような女の契約記者は、デスクが気をつかって早めに帰らせるから、そういう世界を知らないだろう。

「お酒が好きなら、今度、先輩記者と飲みに行くといいよ。よかったらぼくも誘う」

「私、お酒好きですから。ぜひ誘ってください」

高島奈々とはかなり親密になれたと思った。2階の出版局に戻るエレベーターのなかでも、またゴルフに誘われ、「うん、考えておくよ」とヤナは答えた。

高島と出版局の入り口に近づくと、数名の保安課員がそこに集まっていた。

「何事ですか」と聞くと、ヨーガ神気教の集団が、日々新聞本社のそば、大手町の駅前で、「日々マンデーのでっち上げを許すな」と大声を上げてチラシをばらまいているのだという。



3. 皇居内堀通り




10月も半ばになり、キャンペーン第3弾の日々マンデーが発売されたころには、ヨーガ神気教はテレビ局にも押しかけ、抗議運動をしているという情報が入った。

それをテレビ局が嫌気したのと、ネタ切れ感もあって、ヨーガ神気教問題がワイドショーで取り上げられることは少なくなってきた。

一方、日々新聞系列の日々放送が、ヨーガ神気教問題のドキュメンタリー番組制作を始めたらしい。親の側と子の側、ヨーガ神気教と〈被害者の会〉の両方にじっくり話を聞く、気合の入った企画だという。

マスコミの取り上げ方が、興味本位から、本腰を入れた報道へ、移りつつあるという印象だ。

そんななかで巻上は、追及の旗頭として一歩も引かない、飛ばしていこう、と編集会議で相変わらず気炎を上げている。


編集会議の翌日、ヤナが編集部でキャンペーンの次の企画を考えていると、甲斐正則から電話が入った。秋葉原での遭遇以来だ。

「近くまで来たから、電話したよ。お茶でも飲めないか」

「ああ、わかった」とヤナは、ビルの1階の喫茶店の名前を言って、そこで待っているよう伝えた。

ヤナが喫茶店に入ると、甲斐は窓際に席をとり、外の皇居の緑を眺めている。

声をかけると、「お、このあいだはどうも」と笑顔を見せる。

「日々マンデー、読んだよ。書いてたな、ヨーガ神気教のこと」

さっそく来たか、とヤナは思った。

「おもしろかったよ。日々マンデーは、さすがだな。プロの仕事だ」

「ご購読いただいて、ありがたい。愛読者さまがわざわざ来てくれたんだ。コーヒーをおごるよ」

と言うと、「そりゃ助かる」と無邪気に喜んでいる。

2人はコーヒーを注文し、ヤナは煙草に火をつけた。

「実は、これを渡したくて、来たんだ」

甲斐が、横に置かれたショルダーバッグから取り出したのは、名刺だった。

「このあいだ、ヤナに名刺をもらって、俺もつくらなきゃと思ってね」

『ジェニー企画 甲斐正則』

とあった。住所、電話は自宅のもののようだ。

「ジェニーって名前の由来はわかるだろう?」

「ああ」とヤナは答える。

「もちろん、会社とかじゃない。個人で勝手に名乗っているだけだけどな。ライター以外にも、編集プロダクションみたいなほうへ、業務を拡大しようと思って。企画から考えるから、ヤナも何かあったら、よろしく頼むよ」

「そうか、それはいいな」

そうなるとなおさら、疑惑を解いておかなければならないと思った。

「お前は、ヨーガ神気教が、マスコミに抗議活動しているのを知ってるか。実は、うちの編集長の自宅近くでも、嫌がらせがあったらしい」

「抗議しているのは知ってるけど、自宅の件は知らないな」

「ほら、秋葉原で、お前と編集長の自宅の話をしただろう。だから……」

甲斐は数秒間、目をしばたたかせていたが、

「もしかして、俺が、編集長の自宅をヨーガ神気教に教えたというのか」

と声を荒げた。

「いや、教える気がなくても、偶然、話題になって、あっちが利用したということもあるだろう」

「冗談じゃない。編集長の話をしたことすら忘れていた。ヨーガ神気教とそれほど密接なわけじゃない。それでなくても……」

と言いかけて止めたので、ヤナは、

「なんだよ、言ってくれよ」

と促した。

「それじゃあ、言うけどな。ヨーガ神気教の幹部は、〈被害者の会〉に協力するジャーナリストや弁護士は、左翼系だと思っている。これは、ヨーガ神気教に俺を紹介してくれた左翼出版社のやつから聞いた。そいつによれば、たしかに弁護士たちは学生時代に活動歴があるという。いわゆる旧左翼だが。知ってたか?」

「いや、知らなかった」

「俺が左翼の活動家というのは、〈しんき出版〉にバレている。ヨーガ神気教は右翼ではないから、それでどうこうは言われないが、日々マンデーのお前と親しいとわかったら、俺も〈被害者の会〉の一味で、マンデーにたれ込んだ1人だと疑われるに決まっているじゃないか」

「そうなのか」

「だいたい、わかっているのか。マンデーのせいで、ヨーガ神気教が潰れたら、俺はいちばんおいしい仕事を失う。マンデーのせいで失業の危機だ。でも、ひとことも文句を言うつもりはない。ひとことも言ってないだろ? その俺を、スパイのように疑うのか」

「悪かったよ。ちょっと気になっただけだ」

「俺が筋金入りの唯物論者だというのは、お前も知ってるはずだ」

「ああわかった。この話はやめよう」

ちょうどコーヒーが来たので、2人はそれにミルクを注いだ。

マンデーのせいで失業、と言われて、ヤナはやはり気の毒になった。

甲斐は、大学時代と同じジーンズ姿だが、髪の生え際に白いものが見える。ショルダーバッグも、昔から使っているやつで、もうヨレヨレだ。

「なあ、マスコミでも受験したらどうだ。マスコミなら、前歴はあまり気にしない。お前の実力なら、少し勉強したら入れるよ」

ヤナと同年だから、甲斐も来年は30歳だ。受験資格としてはギリギリである。

「日々新聞も毎朝新聞も、地方支局の記者を随時募集している。なんだったら、今度募集が出たら教える。〈毎朝〉のほうが給料がいいが、〈日々〉も、まあ生活はできる」

甲斐は腕を組んで、何か考えているようだ。

「日々新聞ねえ。経営は大丈夫なのか。芳華会と仲がいいと聞いてるけど」

芳華会は、1000万人近い信者をもつ巨大宗教団体だ。

「仲がいいというのは経営の話だ。経営の状況は俺なんかにはわからん。新聞社には、経営と編集は分離する原則がある。編集には関係ないよ」

「でも、日々新聞は、芳華会の会長の本とか出してるじゃないか」

「ほう。よく知ってるな」

「入り口のところに飾ってあった」

そういえば、受付横の「本社刊行物コーナー」にまだ置いてあった。

「会員がたくさん買うから、儲かるんだろ。ああいうのも利益の供与だろう。それで公正な報道ができますかね」

「あれは、日々マンデーでの連載をまとめたものなんだ」

「そうなのか。それは知らなかった。じゃあ、連載中は、日々マンデーを芳華会員がたくさん買ったんだろうな」

「ああいう団体の長が何を考えているかは、ニュース価値があるからな。会員向けというわけではない。それに、芳華会の本だったら、ほかの新聞社も出してるよ」

われながら会社的答弁だと思ったが、日々新聞に偏見をもってほしくなかった。

「まあ、芳華会なら、別に文句はないけどね」

と甲斐は言った。

芳華会を母体とする芳民党は、反保守的なスタンスで、かつては共産党とも手を組んだ。最近は中道路線だが、甲斐も敵視はしていないはずだ。

「日々マンデーという雑誌を、今回初めてじっくり読んだよ。芳華会のことはともかく、結構、宗教団体の広告があるのな。そうとう怪しげなのもあったぞ。ヨーガ神気教が『なんで俺たちだけ』とひがむのはわかるよ」

「だって、ほかの団体は、教祖の血を100万円で売るなんてことはしないからな。変だろう、明らかに」

「そうか? 血は大事なんだろう?」

と、甲斐は皇居のほうを顎でしゃくったが、ヤナはそれを無視した。

「血を売るのは薬事法違反だ。信者に罪はないかもしれないが、麻倉は詐欺師だよ。前科もある。反社会的なんだよ、要するに」

ふふふ、と甲斐は笑ってから言った。

「お前は昔からそうだな」

「何がそうなんだ」

「法律とか、警察権力とかを信じている。だからダメなんだ」

甲斐の言葉に、ヤナは身構えた。

「なんでダメなんだ」

「社会主義者として、という意味だ」

「俺はもう社会主義者じゃないよ」

「じゃあ、資本主義者になれ!」

甲斐が急に声を張り上げたので、ヤナは思わず店内を見回した。

「おい、びっくりするじゃないか」

「ヤナは俺のことを心配してくれてるみたいだな。俺はそんなに哀れに見えるか」

「それは……お前が失業するなんて言うからだよ」

ヤナが言うと、甲斐は座り直して表情を和らげた。

「俺はお前のほうが心配だよ」

「なんでだ」

「このあいだ、秋葉原で話してわかったよ。お前はもう会社に順応しつつある。会社人間一歩手前だ。でも、ちょっと反抗もする。中途半端だ。このままだと、ずっとそんな感じだぞ。出世も中途半端。反抗も中途半端。そんな感じで、あっという間に60歳になるぞ」

「話が飛び過ぎだ」

とヤナは言ったが、痛いところを突かれている気がした。

「妥協も必要だが、どっかで覚悟を決めないと、自分の人生にならない。職は大事だが、人生はもっと大事だ」

「お前は相変わらずカッコいいことを言うな。それでやっていけるなら、それでいい。羨ましいよ」

「いや、俺はお前のそのナウいスーツに嫉妬しつつ言っている」

と甲斐は笑って言った。

「俺も、お前には幸せになってほしいんだ。来年は30歳だから。俺も、お前もな」

そして、ショルダーバッグを持って立ち上がろうとしたが、

「そうだ、ヤナは、いつ会社にいるの」

と聞いた。

「俺か。サラリーマンだから、基本1日いるよ。朝は10時くらいに来て、昼は取材で出ているときもある。なんでだ?」

「夜はいないのか?」

「深夜にいることもある。締め切りの前とか。新聞社は24時間開いているからな」

「逆に、確実にいないときってあるか?」

「なんでそんなことを聞くんだ」

「またコーヒーをおごってもらいたいからだ。ここまで来てお前がいないとショックだ」

「そういうときは編集部に電話してくれ」

「そうだな。それじゃ、コーヒーご馳走さん」

そう言って、バッグをつかんで去っていった。


ヤナは、「俺はもう社会主義者じゃない」というさっきの言葉に、自分で驚いていた。喫茶店を出てからも、甲斐との会話を頭の中で反芻している。

売り言葉に買い言葉ではあったが、それは本心でもあると気づいた。活動はやめても、ヤナはこれまではっきり「転向」を意識したことがなかった。

世間では、7月の選挙で躍進した日本社会党の女性党首が人気だ。でもヤナの心は不思議に沈んでいた。


社会主義のほうが正しい——それはいまもそう思う。金持ちの支配を許す資本主義が正しいはずはない。しかし、いま日本で社会主義革命が起こる可能性は1パーセントもない、と考えざるを得ない。

いや、可能性だけの話ではない。単に支持する思想の問題ではない。〈革命家の心〉が、もう俺にはないのだ。それを、秋葉原で甲斐に見抜かれていた。

すぐ2階の編集部に戻る気になれず、ヤナは受付前の社の玄関から外に出た。

皇居のほうを見ると、平川門は今日も堅く閉まっている。大喪の礼は終わったが、今年いっぱい、皇室は喪中である。

会社の前の通りを歩き、ヤナは清水濠の前にあるベンチにいったん座ることにした。


ジェニー企画か。

甲斐の名刺のそれが、「海賊ジェニー」から来ているのは明らかだ。

ベルトルト・ブレヒトの脚本とクルト・ヴァイルの作曲による、有名な「三文オペラ」の劇中歌である。

こんな内容の曲だ。


「みなさんは、私が誰だが、ご存じないようね。

いまに港に大砲を乗せた船が着き、

私の手下たちが町中の人を捕らえる。

手下は、私に聞く。

この者たちをどうしましょうか、と。

私は言うの。

みんなまとめて殺っておしまい、と。

いまに港に船が着いて……」


「海賊ジェニー」は、実在の女泥棒「ジェニー」をモデルにしている。早稲田大学には演劇資料室があり、甲斐に勧められて、資料ビデオのロッテ・レーニャが歌う映像を見た。ヴァイルの妻でもあった彼女の、鬼気迫る歌唱に、ヤナも圧倒されたものだ。

ビデオの中で、粗末なドレスを着たロッテは、最下層の労働者という設定だ。この歌の内容は、社会のどん底で虐げられた女が夢想する、社会への復讐劇なのである。

甲斐はこの曲に惚れ込んで、一時は「海賊ジェニー」をペンネームにしていたほどだった。

(甲斐は変わらないな)とヤナは思う。


甲斐の実家は瀬戸内海の漁師。ヤナの父親は九州でも田舎の工場労働者だ。甲斐に聞くと、貧しさ以外でも、2人の育った環境はよく似ていた。どちらの両親も学歴がなく、どちらの家にもまともな蔵書は1冊もなかった。

親戚中探しても、父親の代まで、大卒者が見当たらないこと、それぞれの地域を超えて都会に出た者がいないことも、共通している。

唯物論者であるヤナと甲斐は、前世も来世も信じない。

「人生は一度きり」

それが、のちに2人の合言葉のようになった。


ヤナはベンチから立ち上がり、再び歩き出した。

平川橋を過ぎ、大手濠にかかったところで、煙草を取り出し、火をつける。

濠のなかに、2羽の白鳥の姿を認めた。その優雅な羽ばたきを見ながら煙草をくわえ、またゆっくり歩き出す。


お互いの家庭や生い立ちを話し合い、生涯の友に出会ったと感激して、高田馬場の安い居酒屋で飲み明かした日を、ヤナは忘れない。甲斐とは、感じ方も、悩みも、同じだった。

ヤナと甲斐が2人で左翼活動を始めると、たちまちキャンパスの注目を集めた。集会では、既成の左翼セクトより、はるかに大きな動員を誇るようになる。

「なんとなく、クリスタル」に象徴されるブランドブームで、アイビーだハマトラだと、お坊ちゃんお嬢ちゃんファッションがキャンパスにあふれるなか、スキーにもサーフィンにも目をくれず、バイトと、左翼活動に明け暮れた。

左翼活動といっても、「権力」と直接ぶつかる機会はほとんどなくなっていた時代だ。

市民運動の範囲では、ブランドファッションに身を包んだ学生もくわわっていた。聞けば、大手新聞政治部長の息子だの、医者の娘だの、就職の心配がなさそうな連中も多い。体制側と同様、反体制側も「特権階級」でいっぱいだ、とヤナは思う。

将来のことは、甲斐とときどき話した。しかし、どちらも周囲にロールモデルを持たずに育ったせいか、具体的な職業のイメージが浮かばなかった。ただ、搾取と人間疎外をもたらす資本制下の賃労働の呪縛から逃れたいと思うだけだ。

一度きりの人生を意味あるものにする職業名——それは「革命家」しかない、というのが、いつもの2人の結論だ。


大手門の前で、ヤナは煙草を、いつも持参しているポーチ風の「携帯灰皿」でもみ消した。

大手門に差し掛かると、2月におこなわれた大喪の礼を思い出さざるを得ない。

この先の皇居正門から、昭和天皇の遺体を乗せた葬列が出発し、新宿御苑の葬儀場に向かった。世界から弔問使節を集めた国家的葬儀は、神道式だという、ものものしい儀式の数々でも人々の目をひいた。

自粛疲れで、人々は「崩御」の前後にレンタルビデオ屋に殺到した。だが、この儀式には魅了されたらしい。大喪の礼の中継は、1972年の連合赤軍浅間山荘事件の中継と並び、歴代最高の視聴率をとったと言われている。

政教分離違反を疑う声は早々に押しつぶされた。

来年になれば、ここで新天皇の即位の儀式がおこなわれる。

国が国家的行事をおこなえば、そのスペクタクルに人々は魅了される。それが太字で公式の歴史に記され、それ以外の人々の疑問や戸惑い、動揺や憤懣は記録されることはない。


いかん、とヤナは思う。甲斐と少し話しただけで、やつの〈革命家の心〉に感化されている自分に気づいた。

人の心に謀反を焚きつける。それが彼の天分だ。一種の放火魔だな、と思う。

宮城前広場の広大な敷地を、二重橋に向かって歩いていく

楠木正成像の周りは静かだ。土産物の売店が閉まっているのは、やはり「喪中」だからか。しかし、観光バスが数台近くに止まっており、以前ほどの数ではないが、いくつかの人の波が二重橋のほうに動いている。

そんなことにはかかわりなく、楠木正成像には、今日もたくさんの鳩が止まっていた。


大学4年になり、キャンパスでの活動は事実上停止した。

宴の季節が終わった。

みなが帰るべきところに納まって、ヤナと甲斐だけが残った。

左翼活動のつながりから、いくつかの生活拠点を紹介されていた。当時は、60年代、70年代からの流れで、コミューン運動体がまだ残っており、ヤナと甲斐はそのいくつかを見学した。

しかし結局、甲斐は大学を中退して、高校時代の親友がかかわっているという、大阪の釜ヶ崎労働者支援運動に合流することを選ぶ。組合関係で職を得られるかもしれないと言っていた。

ヤナは、留年して残りの単位を取り、マスコミでの就職を目指すことにした。

ヤナは活動から足を洗うとは言わなかったが、甲斐は察していたはずだ。甲斐が大阪に行く日、東京駅の地下のパブで飲んでいて、ヤナは、もう甲斐と会うことはないかもしれない、と思った。

甲斐は「人生は一度きりだ。元気でな」とわざとかっこうをつけて言って、東京駅の地下改札に去った。

ヤナは、青春が終わる感傷を味わった。

甲斐の後ろ姿に、

(俺も、革命家の心だけは捨てないよ)

と、心の中で声をかけていた。


ヤナは結局、卒業後2年の就職浪人を経て、日々新聞出版局の中途採用試験に合格する。

あのときにはあった〈革命家の心〉は、もうヤナのなかで消えつつあることを認めないわけにいかない。

左翼のあいだでは、警察に逮捕・投獄されることを明治時代から「洗礼」と呼ぶ。洗礼を受けて、社会から決定的に離反しないと、本物の左翼になれないと言われる。

ヤナは高校時代から活動歴があり、デモで警察と睨み合うことは何度かあった。公安にもマークされただろう。興信所に調べられたら、厳しい企業なら落とされる程度のキズは負っている。

しかし、逮捕され投獄されたことはない。その点では洗礼を受けた左翼ではない。

ヤナの知る限り、甲斐も同様だったが、ヤナの知らない大阪時代に「洗礼」を受けたのではないか。さっきの甲斐との会話で、ヤナはそれを感じていた。


何に驚いたのか、楠木正成像から鳩が一斉に飛び立った。

ヤナが顔を上げて周りを見回すと、ベンチでぼんやりしていたサラリーマンたちも、あらかた姿を消している。昼休みの時間が終わったのだ。

楠木正成か。南北朝時代に天皇家を助けた忠臣だ。忠誠心というものを持ったことがないヤナには、縁遠い存在である。

宗教でいちばん理解できないのは、教祖に対する信者のあの忠誠心だ。唯物論者のヤナも、宗教家に立派な人物がいるかもしれないのは認める。しかし、「聖人」なんてものがいるとは思わない。みんな同じ動物であり、人間である。

だが、宗教の信者は、教祖を、人間以上のものとして崇拝しているように見える。ヤナは、空想上の「神」や、理念上の「自由」などを崇拝するのは、まだわかる。それは理想主義というものだ。

しかし、目の前の人間を、人間以上の絶対的な存在に思うことなど、自分にはありえないと思う。

ヨーガ神気教も、「解脱」を得る目的で修行する集団というなら、わかる。どうしてもわからないのは、あの髭面の麻倉を、絶対的存在のように信奉する信者たちの心理だ。


麻倉聖劫も、ヤナと同じ九州の生まれだ。年はヤナより少し上で、釜本弁護士とほぼ同年である。ヤナよりさらに貧しい家庭で、目が不自由という、より厳しい条件を背負って育っている。

彼も、自分と同様、「人と比べたらいかんよ」「上を見たらいかんよ」と言われて育てられたのだろうか、とヤナは考えてしまう。

そうだとしても、彼が若いころから野心家であり、境遇への反逆者であったのは確かだ。九州支局が取材し、最近、日々マンデーに送って来た彼の詳しい経歴に、それは記されていた。

盲学校では、つねにリーダーになりたがる子供だった。機会あるごとに児童会長や生徒会長に立候補した。しかし、落選することがほとんどだった。思いどおりにならないと暴力を振るうので、周囲から嫌われていた。

盲学校の教師によると、彼は最初、医師になりたがった。だが、盲人には難しいと言われ、東大法学部に志望を変えた。政治家か弁護士になりたいと言ったという。

理数系が得意で、中学時代の成績はトップクラスだったが、高校になって中程度に落ちていた。だから、その志望選択に現実性はなかった、と教師は取材に答えている。

しかし、彼が九州の盲学校を卒業したあと、東京に出て来たのは、東大を受験するためだ。3浪するあいだに傷害事件を起こし、最初の前科がつく。その後、千葉で鍼灸医院や、医薬品販売店を開くが、無許可の薬品を販売し、薬事法違反で逮捕される。そのころから、宗教にのめりこむようになった。

麻倉も、そのあたりで、引き返せない一線を越えたのかもしれない。


短くなった煙草を、ベンチの横の灰皿で潰し、ヤナは立ち上がった。

会社のほうに歩き出し、心のなかで甲斐に反論していた。

30歳になるから、なんだ。

せいぜい人生の半分だ。

俺はまだ引き返せる。



ヤナが皇居の堀沿いを逆にめぐり、日々新聞の本社ビルに戻ったのと入れ違いに、その地下駐車場から、1台の白いバンが飛び出した。

車の中にいる3人の男たちは、先ほどまで1階のレストラン街を歩き、さらに駐車場に戻って構内の施設を見回っていた。

男たちはずっと無言だった。バンがすぐ近くのランプから高速道路に入り、都心から離れる方向に走り出したとき、後部座席の男が、ようやく口を開いた。

「思ったより体積が大きい」

その声に、助手席の男がうなずいて言った。

「はい。ビルごと吹っ飛ばすには、大量の爆薬が必要です」



ヤナは、本社ビル2階に上がり、日々マンデー編集部に戻った。

ヤナの耳には、「マンデーのおかげで失業だ」という甲斐の声がまだ残っていた。

たぶん、そのせいだろう。窓際のソファで、煙草をくわえて新聞を読んでいる吾妻に、声をかける気になった。

吾妻は取っつきにくい男だが、仕事では山形より頼りになる。優しいことは一切言わない。その代わり、仕事についての悩みは真剣に聞いてくれ、いつも腹蔵のないアドバイスをくれる。

「大口さんに、ヨーガ神気教の次の企画を提案するように言われているんですが」

とヤナは言った。

「思いつかないんです。ヨーガ神気教ネタは、そろそろ限界ではないでしょうか」

「マンネリだと言うのか。売れ行きはまだ、そこそこいいぞ」

「でも、雑音もふえています。このキャンペーン、どこが着地点か、わからなくなっていませんか」

巻上編集長はおそらく、日々マンデーの報道にヨーガ神気教が屈服し、紛争のあった子供をすぐ家庭に帰すと思っていたのではないか。

〈宇波首相スキャンダル〉のときは、多少の逆風がありつつも、2週目が過ぎるころには勝負の大勢はついていた。それなのに今回は、小さな新興宗教団体を相手に、ここまで事態が膠着している。強気に振舞っている編集長も、内心は「こんなはずでは」と思っていると思う。

ヨーガ神気教の嫌がらせが、本社近くに迫ったことで、ビルのほかのテナントから冷たい視線がある。出版局の営業部にも、そろそろ〈厭戦感〉があり、別の新しいスクープを欲している。

ヤナはそんな話を、外野からこんな声がある、というふうにボカしながら、吾妻にした。

吾妻は煙草をくわえたまま、立ち上る煙に目を細めてヤナの話を聞いていたが、灰皿に煙草を置き、ヤナのほうに身を乗り出して言った。

「ここだけの話だが、ヨーガ神気教で、人が消えている」

ヨーガ神気教は、出家信者の脱会をなかなか許さない。一つには、寄進した財産の返還を求められるのが嫌だからだろう。

だが、それ以上に、宗教法人化に動いていた時期は、脱会者が〈被害者の会〉側に有利になる証言をするのを恐れた。だから、信者が脱会を申し出ると、執拗に翻意するよう説得された。

そうした脱会希望者の何人かが、行方不明になって、家族から捜索願いが出ている——。

その吾妻の話に、ヤナは言った。

「でも、出家するような人は、そもそも家出願望があるんでしょう。若い人が多いんだから、元気に放浪生活でもしてるんじゃないですか」

「警察も同じような見方をしてるけどな」

「どっかに監禁されてるというですか。まさかねえ」

「それなら、まだいいが」

ヤナの首筋に、〈嫌な感じ〉が増幅してのしかかる。

「まさか……殺していると……」

吾妻は表情を変えず、黙っている。

さすがにそれは、ヤナの想像を超えていた。

「日本の警察が、そんなことを許しますか」

しかし、事件記者の吾妻は「フン」と鼻を鳴らしただけだった。

警察への信頼を笑われるのは、今日2回目だ。

「真相はわからない。廣井さんが県警を取材しまくっている。いま取材をやめる気はないだろうな。それに、日々放送もやっと本気で取材を始めた」

「巻上編集長は、そういう犯罪の可能性を知ってて、ヨーガ神気教を取り上げたんですか」

「そうじゃない。捜索願いが出ていたのは知っていたが、そこまでは想像していない。しかし、新聞と連携して取材するうちに、みんな、きな臭いものを感じるようになっている」

そして、吾妻は新聞をテーブルに置いて言った。

「でも、滅多なことは言うなよ。あっちの弁護士はうるさいからな」

ヨーガ神気教は、実際にマンデー編集長の巻上と、発行元の日々新聞を名誉毀損で訴えてきた。きのうも、法務部員が編集部で編集長と話していた。

「あいつらは不気味だ。お前も、信者を取材しているだけならいいが、幹部に接触するときは気をつけたほうがいい。危険を感じたらすぐ戻れ」

そう言って、吾妻は再び新聞を広げ、顔を埋めるように読み始めた。

でも、もしそうだとすれば——とヤナは考えた。

もし、本当にヨーガ神気教に隠したいことがあるのなら、やつらも絶対に引かないだろう。



次の日曜日。

ヤナと玖美は、いつもの新大久保のホテルで、下着姿のままベッドの端に座り、テレビを見ていた。

ブラウン管の中では、ジャネット・ジャクソンが踊っている。最近、深夜帯のテレビは、ミュージックビデオというものをよく流している。黒人の激しい踊りが流行りらしい。

テレビの横のスツールに、玖美の茶色のロングスカートが畳まれて置かれているのが目に入った。

「玖美さんのファッションは、何というのかな。カントリー調とでもいうか……」

「何よ、私のは私流よ。可愛いでしょう」

「うん、すごく似合ってる」

ヤナは、隣の玖美の体を、何気なく上から下まで眺め、足元に目をとめた。

「玖美さんの足って、でかいな」

「でかいよ。なんで?」

玖美はそう答えて、ヤナの足に目をやった。

「ヤナさんのが小さいのよ、男にしては」

ヤナは、二人の足を見比べているうちに、急に申し訳ない気持ちにおそわれた。

もう4年の付き合いだが、玖美は決して「ゴルフに行きたい」なんて言わない。

それどころか、どこに行きたいとか、何を食べたいとか、お願いされたことがない。

それをいいことに、俺は、何年も玖美に、新大久保周辺をぐるぐる歩かせているだけだ……。

俺は玖美をどうしたいのだろう?

「ねえ、最近、何を書いたの」

いつものように、玖美が聞いてくる。

「相変わらず、ヨーガ神気教です」

ヤナの不機嫌を察したのか、玖美は話題を変えた。

「最近、面白い本、ある?」

「正義論って本を読みたいんだけど、高くて買えないんだ」

「正義論……私も興味ある。誰が書いたの?」

「アメリカの哲学者だよ。名前は忘れた」

「ふーん」

「難しい本だよ。橋本治とかのレベルじゃないよ」

「もう。橋本治をバカにしないで!」

と、玖美はヤナの背中を叩いた。

橋本治は玖美のお気に入りの著者だ。

テレビから、デビー・ギブソンの「ロスト・イン・ユア・アイズ」が流れてきた。ヤナはこの曲が好きで、つい聞き入ってしまう。


天国に迷い込んでしまったみたい
あなたの瞳におぼれて

It's like being lost in heaven
When I'm lost in your eyes


玖美が「髪を乾かしてくる」とバスルームに向かった。

ヤナは2日前の会社での話題を思い出していた。

いまや東京23区の地価は、アメリカ全土の土地の時価総額を上回るそうだ。

先月、ソニーがコロンビア映画社を買った。

今月は三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを買った。

「日本はアメリカの魂をカネで買うのか」みたいなやっかみやバッシングにも、日本人はすでに慣れっこだ。

今年全世界でヒットした「ダイハード」という映画をヤナも見た。舞台はロサンゼルスの「中富ビル」で、アメリカ人たちは日本人経営者のもとで働いている。それをもうだれも変だと思わない。

ここはもう〈革命後の世界〉かもしれない、という考えがふと浮かんだ。


この現代で、「したいことがない」などと嘆き、変な妄想や宗教に走るやつらは、革命が何度起ころうと救われないだろう——ヤナはそう思った。

この1カ月で、ヤナは心身に変な疲れを蓄積させていた。

もうヨーガ神気教の騒動にはうんざりしていた。

巻上編集長の「飛ばしていくぞ」にもうんざりしていた。

ヨーガ神気教問題などというが、煎じ詰めれば、家出をする、させない、という親子喧嘩の延長みたいな話ではないか。

バカみたいな宗教団体がどうなろうが、ダサいおじさん雑誌の部数が上がろうが下がろうが、俺の人生に何の関係があるのか、と思う。

甲斐の革命趣味にもうんざりだ。あいつは、貧しさのあまり、潔癖な倫理観によって、精神的に金持ちに優越しようとしているだけではないか。

それら一切を頭の中から追い出したかった。

俺は俺の人生を行こう。


いつまでも2番手に甘んじてはダメよ
恋人をテストしなきゃ
ねえ、そうよ、やるべきよ

Don't go for second best, baby
Put your love to the test
You know you know you got to


玖美がバスルームから出てくると、テレビから流れるマドンナの「エクスプレス・ユアセルフ」に合わせ、ベッドの上で踊っているヤナがいた。

「どうしたの。大丈夫? こういうところは壁も床も薄いのよ」

そう言う玖美に、ヤナは叫んだ。

「踊りに行こうぜ!」



☆彡



10月最後の週に入った。

富士山麓の施設の、薄暗い一室で、麻倉聖劫の前に、5人の男が集められていた。

「ばかもんが!」

麻倉のすぐ前に正座していた男が、麻倉に頭を叩かれ、横に倒れた。

「申し訳ありません」

と、叩かれた男は言った。

「私は、この騒動は10月で終わると予言したのだ。それなのに、まだ巻上を捕まえられんのか」

「巻上は、自宅前での抗議運動以来、そうとう警戒しています。移動はタクシーかハイヤーですし、締め切りの前後は、会社の近くの契約ホテルに泊まります。社内の宿泊施設で寝ることもあるようです」

座り直した男が言った。5人のうち、麻倉に口をきくのは、この男だけだ。

巻上がつかまらないなら、編集部をビルごと吹っ飛ばせないか、研究しろ、と麻倉は指令を出したのだが、大量の爆弾が用意できないので無理だといわれている。

「釜本はどうでしょうか」

男がそう言った。

「釜本なら、やれるというのか」

「はい。弁護士の事務所では難しいですが、やつは最近、大船の自宅でも親の相談を受けています。そっちのほうは無防備です。そっちでなら……」

「そうか」と麻倉は考え込んだ。

釜本弁護士の、ヨーガ神気教に対する強行姿勢は、変わる気配がない。

日々放送の番組用に撮られた釜本弁護士インタビューを、ヨーガ神気教の広報担当、城之内が放送前に見て、内容を報告してきた。番組担当者を少し脅したら、ビデオを見せてくれたのだという。

「釜本は相変わらずです。あの男がマスコミのネタ元になっている。なんとかしたほうがいいです」

例の早口で城之内は言うのだが、麻倉は気が進まない。日々放送の番組は、ヨーガ神気教の主張をもっと盛り込まないと名誉毀損で訴える、という城之内と弁護士の仲山の脅しで、放送延期になっていた。

男たちは、膝の上で拳を握って、麻倉の言葉を待っている。その拳を開いてみれば、彼らに指紋がないことがわかるはずだ。麻倉に言われ、熱い鉄板に指を押し付けて、自ら消したのだ。

嫌なこと、苦しいこと、困難なことほど、修行として価値が高い。男たちは、そう信じている。

麻倉は思う。

弁護士ならこちらにもいる。法的な問題では、負けていないのだ。あちらの弁護士やマスコミがいくら騒ごうが、私は逮捕されず、ヨーガ神気教の財産は、一切手を触れられていないではないか。

しかし、選挙になると、そうはいかない。弁護士はいても、こちらにはメディアがない——それが問題だ、と麻倉は思っている。子供時代からの、麻倉の「選挙」への執着は、他人には理解しがたいものがあった。

選挙の勝利のための、最大の障害が巻上だ。日々マンデーのスクープが、与党を選挙で負かし、宇波首相の首を取った記憶はまだ新しい。

そして、最初の記事が出た日、抗議に行ったときのことも忘れていない。妻や弟子たちの前で、宗教家の私に対し、あのふてぶてしい態度はなんだ。ただの俗人が。あの男だけは絶対に許せない、と麻倉は思っていた。

だが、巻上のことを後回しにしても、事態の改善を急がなければならない。このまま何もできない自分を信者たちに見せるわけにはいかなかった。

麻倉は、2月に、脱会しようとした信者を殺すよう命じた。

その信者は、修行中に事故死した者がいたことを知っていた。事故でヨーガ神気教は責任を問われていないが、その件を〈被害者〉グループに蒸し返されると、宗教法人化が頓挫するばかりか、ヨーガ神気教の致命傷になると思ったのだ。

その2月の殺人によって、ヨーガ神気教の結束が格段に強くなったのを、麻倉は感じている。

俗世の法をおかしても、警察は追ってこず、家族もマスコミも手を出せないでいる。秘密を知っているのは少数だが、〈特別な力〉に守られているように見える麻倉は、その少数のなかでカリスマ性をさらに高めた。そして秘密の共有が、少数者の結束をさらに強めた。

少数者の忠誠と鉄の結束が、鉄の鎧となって、自分とヨーガ神気教を外の世界から守っていると麻倉は感じる。

彼らが信じる〈特別な力〉が、本当に自分にある気がしてきている。

「あの注射は、もうできているのか」

麻倉は、通称〈ドクトル〉という出家信者に、すばやく人を殺せる薬剤を用意するよう命じていた。

〈ドクトル〉は、医師免許を持っているわけではないが、国立大の理系の大学院を出ていて、麻倉の科学顧問のような立場だ。山梨の本部道場では、具合の悪くなった信者に対し医療の真似事もするので、いつしか〈ドクトル〉と呼ばれるようになった。

「はい、塩化カリウムというものがいいようで、すでに調達済みです。その溶剤を注射すれば、絶命します。ただ……」

「ただ、なんだ」

「どうしても針の跡が残ってしまいます。自然死のように偽装できない、とドクトルは言っています」

麻倉は、すれ違いざまに人を殺し、なんの犯行の痕跡も残らない、そんな手段を見つけたかった。注射が駄目なら、毒ガスのようなものがいいのだろうか……。

「それでも役には立つだろう。ドクトルに持たせて連れていけ」

ドクトルも連れていけ、と言われて、男は少し顔をしかめたが、麻倉には見えない。男は確認のため聞いた。

「釜本をやるんですね」

麻倉がうなずいた。

「やり方は、巻上の計画と同じでいいですか」

「そうだな」

1人でいるところを、殴るなりなんなりして、車に連れ込む。そして、本部施設まで連れていき、2月の脱会信者と同様、そのなかで片付ける。それが「計画」である。

その計画に、自分は不可欠だ、と男は知っている。男は、大学時代に合気道の全国大会に出た格闘家だ。半分切れた眉毛が、その格闘家としての戦歴を表している。巻上や釜本のような壮年の男を、黙らせて車に連れ込むには、自分のような技量がないと難しい。

今回はドクトルの注射もあるから、ことは前より簡単に運ぶだろう。

しかし、1つ、確認しておかねばならないと思った。

「釜本が出て来たところをさらえればいいですが、自宅の前です。家族に見られたらどうしますか」

「もしそうなったら、みんなまとめて俗世から救ってやれ」

と麻倉は言った。






第3章 1989年11月 悪霊にさわる



1. 虐殺のホリデイ


踊れないから嫌だ、と言ったのに、ヤナにどうしてもと誘われ、玖美は断れなかった。

麻布十番のディスコには、ドレスコードというものがあり、入店時に服装をチェックされると聞いていたから、嫌だったのだ。

「どうせ行くなら、最先端に行こうよ。服装のチェックは形式的で、ジーパンとかでなければ大丈夫だそうだよ」

ヤナは軽く考えているが、つくづく女のことがわかってないなあ、と思う。

それにしても、お店が客の服装をチェックするなんて、遊びもしづらくなったものだ。


11月の初めだ。祝日なので、客は開店前から入り口に列をつくっていた。ヤナに言われて、早めに出かけたのは正解だった。日が落ちるまで、まだ時間がある。

入り口で、黒い制服を着た男の前を無事にとおり、ほっとした。大理石を使った入り口といい、店員たちの黒服といい、ディスコというより高級ホテルみたいな雰囲気だ。

入り口から進んで行くと、通路の途中で真っ暗になり、まるでお化け屋敷に入ったような感じになる。玖美は精一杯のおしゃれをしてきたつもりだが、こんなに暗いなら、だれも見ないし、だれも気にしないわ、と思う。

ヤナはご自慢のゴルチエだ。いつも着ている黒いスーツだ。毎週末にクリーニングに出しているというが、そのせいでもう生地がテカテカになっている。さぞ会社の女のコたちに笑われていることだろう。

でも、それを指摘するのはかわいそうだから、気づかいふりをしている。それに、ヤナが何を着ていようが、私は気にならない。


通路を抜けると、光が点滅するフロアに出た。そのフロアが想像以上に広いので、ヤナと一瞬、立ちすくんでしまった。

大勢の男女が、点滅する照明のなかで踊っているのが見える。何より体に感じるのは「音」だ。会場を震わせるような大音量で、音楽が流されている。

ダンスフロアの周囲にはラウンジがあり、その後ろにはガラス張りの空間がある。あとで聞くと、「VIPルーム」というものらしい。

とりあえず、台に乗せてあるグラスから、ヤナはウィスキーの水割りらしきもの、玖美は赤ワインらしきものを取った。グラスを持ってダンスフロアの周りを回り、ラウンジの空席を見つけて2人は座った。


短大時代に新宿のディスコには行った。当時は、合コンなんかのあと、いちばんおカネをかけずに長時間遊べるのがディスコだった。

田舎から出てきたばかりだったから、そんなディスコでも都会の華やかさを感じたものだが、ここは、そことは段違いに贅沢な内装で、料金も高いらしい。ヤナはそうとう奮発したな、と思う。

短大を卒業するころ、玖美も行ったことがある新宿のディスコで、家出して来ていた女子中学生が、ナンパされたあと殺された事件があった。発見された死体は、首と、両足のアキレス腱が切られていて、犯行の残忍さも話題になった。たしか、あの犯人は、まだつかまっていない。

それ以来、警察の監視が厳しくなって、ディスコは一時、下火になっていた。いまは第2次ブームと言われている。


ヤナも気圧されたように座ったまま、ずっとグラスを舐めている。

ようやく口を開くと、

「ディスコも変わったね。俺たちのときは……」

と話しはじめたが、音楽がうるさくてよく聞こえない。

「え? 何?」

と玖美が何度も聞き返すものだから、「もう、いい」と言って黙った。

やがて、玖美の耳元で「食べものを持ってくる」と言うと、席を立ってラウンジの端にあるビュッフェに向かった。

玖美は仕方なく、ワインを飲みながらダンスフロアを眺めている。


ここに来ている女のコたち、男のコたちは、ほとんど私たちより若い。眩しいほど、若い。わずかな年の差のはずなのに、私も、ヤナも、ここに来るにはもう年をとりすぎている。

さすがドレスコードがある店なので、みんなおしゃれな格好をしているようだ。暗くてよくは見えないが、似合っているコもいれば、似合っていないコもいるだろう。

少し前に「見栄講座」とか「マル金、マルび(貧)」という本が流行った。見栄をはり、せいぜい金持ちの子息や子女に見えるように、無理をしておしゃれをしてきたカップルも多いだろう。そんなところも含めて、眩しい若さだと玖美には思える。

もう私はそんなに若くない。そろそろ、先のことを考えなければならない。

ヤナは、自分が就職まで時間がかかったから、私にもまだ時間があるように思っている。でも、ヤナと私は違う——。

玖美は、2年目に入った池袋の文章講座を、やめたいと思っている。

4年制の大学生とまじって受講していると、自分の能力のなさを自覚させられるばかりだ。

3年前に男女雇用均等法が成立してからは、イメージのいいマスコミに就職したがる女子学生がふえた。講座にくるのも、いわゆる一流大学の、偏差値の高いコがほとんどである。

玖美は、べつにマスコミの有名企業に入りたいわけではない。そういうところは、作文以外に筆記試験がある。筆記試験で、偏差値の高い人たちに敵うはずはないから、最初からあきらめている。

雑誌に旅行のルポを書いているような、そんなライターやエッセイストになれないかと漠然と思っていたのだが、とうてい無理だと最近は悟った。

雇用均等法ができても、マスコミで女の雇用がふえたわけではないらしい。「あれは努力目標だから」とだれかが言っていた。偏差値が高い女のコたちの志望は満たされず、結局彼女たちは、業界の下流へと向かっていき、自分のような者が入る余地を奪っている、と玖美は感じている。

しかし、それも仕方ないのだ。そういう女のコたちと、講座のあとに喋ったり、お茶したりすると、自分とは仕事の意欲が違うことがわかる。

アメリカで政治の取材をしたいとか、ファッション雑誌の編集長になりたいとか、夢も大きく具体的だ。成功した大学の女の先輩の話をして、自分もそうなりたいという。そんな成功例はごく少数だと思うが、彼女たちは、それまでの人生経験で、男たちに負けたことがないようだ。

玖美は、そんな大きな夢があるわけではない。男たちに伍してエラくなりたいと思ってるわけではない。その時点で、自分は彼女たちに負けている。

だから、文章講座はやめたい。週1回とはいえ、講座料も負担になっている。


だけど、それをヤナに言い出せないでいる。受講を勧めてくれたのはヤナだし、会うたびに「どう? 書いてる?」と聞いてくる。

文章講座が、ヤナがいる世界に、自分をつなぎとめてくれている、と感じてきた。

「ものを書く仕事」をあきらめたと知ったら、ヤナがどう反応するか怖い。

「ふーん、じゃあ、これからどうするの」と聞かれたとき、自分はうまく答えられるだろうか。


新聞に、最近の男女の平均初婚年齢が載っていた。男が28歳、女が25・5歳くらいだ。終戦直後は25歳と23歳くらいだったから、戦後45年で、それぞれ約3歳ずつ上がった、と解説されていた。

自分はもう26歳。ヤナは来年30歳になるはずだ。

電話で母も最近、「どうするの」と言ってくる。自分を理解してくれている、優しい母だが、いったん実家に戻ってくれば、と思っているのだろう。

実家に、池袋のナイトクラブで働いていることは、言っていない。とくにいかがわしい仕事ではないのだが、言えばきっと、父が自分を連れ戻しにくると思う。

ヤナを家族に紹介できる日は来るのだろうか。


今年、正月に帰省したときには、父から「すぐに30歳になるぞ」と言われた。そのときは、まだ時間があると思っていたけれど、こういうところにくると、時の流れの速さを感じてしまうのだ。

付き合い始めて4年がたつのに、ヤナはいまだに自分を恋人のように呼んでくれない。いつまでも「玖美さん」だ。

ヤナは、人を好きになることはあるのだろうか。


私はヤナが好きだ。

高校生のときから、何人かの男と付き合ったが、本が好きな自分のことを、初めて理解してくれたと思った。本のことには、何でも答えてくれる。尊敬できる人だと思っている。

ヤナの文章が好きなのも本当だ。玖美は、もの書きとしてのヤナのファンでもある。

なぜあの才能に周囲は気づかないのだろう、と思っている。世界でたぶん、たった1人のファンがここにいるのに、ヤナは気づいているだろうか。

ヤナは会えば自分の体を求めてくる。それが目的なのはわかっている。でも、ベッドのあともずっと話をしてくれる。そんな男を、玖美はそれまで知らなかった。ヤナとの深夜のおしゃべりが楽しい。それが生きがいと言っていいほどだ。

ヤナには、自分以外に女はいないと思う。それは勘でわかる。童貞ではなかったにせよ、長く付き合う女は、自分が初めてなのではないか、と感じている。

自分以外に、気になる女がいるのだろうか。そんな気も最近はしている。ヤナは、これからのことをどう考えているのだろう。


食べ物の乗ったプレートを何枚か胸にかかえるようにして、ヤナは席に戻ってきた。

「すごいよ、種類が多くて、けっこう高級だ」

と、玖美の耳元で言うと、プレートをテーブルに並べはじめた。

手巻き寿司や、ビーフシチューのようなものが入った深皿もある。たしかに、昔行ったディスコよりは豪華だ。その分、料金も高そうだから、当たり前ではあるが。

ヤナはひとしきり食べ物を口にほうり込んでいた。それが済んだら、玖美の横に近づいて座り、

「さっきかかっていたのが、デッド・オア・アライブの新曲だな。いま流れているのは、リック・アストリーの『トゥゲザー・フォーエバー』。いまだに、いたるところで聞くな、この曲」

と、玖美の耳元で、知っている曲を解説しはじめた。

いま流れてる甘いメロディの曲は、玖美も覚えていた。

それと、さっき流れた「ネバー・エンディング・ストーリー」はかろうじて知っていたが、最近のディスコで流れるような音楽はほとんど知らない。

お腹がふくれたのか、ヤナはまた飲み物を取ってきた。ひとりでウィスキーの水割りを2杯持ってきて、1杯目をすぐに飲み干すと、2杯目を黙々とあおりながら、あい変わらずダンスフロアを眺めている。

踊らないなら、そろそろこの無駄な時間の空しさに気づいてほしいと思っていたが、ヤナは言わずとも同感だったのだろう。

立ち上がって、「じゃあ、踊りに行くか」と玖美を誘う。

「私は、もう少し食べてる」と大声張り上げると、うなずいて、ひとりでダンスフロアのほうに歩いていった。

すでにダンスフロアは大混雑だ。ヤナの姿は人混みのなかで見えなくなった。


大音量の音楽にも慣れてきた。音量はともかく、こうしたリズム感の強い音楽は、エアロビクス教室でいつも聞いている。

とくにテクノと呼ばれなくても、機械で作り出したような正確なリズムが、いまの音楽の特徴らしい。

ダンスフロアを目で探していると、ヤナの姿を発見した。かなり中央まで行って踊っている。

エアロビクスの先生が言っていた。こういうリズムに乗れる人と乗れない人が、最近はっきり分かれてきている。

正確なリズムを脳の中でさらに正確に分割でき、体をそれに合わせて踊れる子供が、最近は日本でも出てきている、と言っていた。

いっぽう、大人は、30歳くらいでも、もうリズムに乗れない人が多いという。

ヤナの踊りは、さまになっていない。

ヤナも、先生が言っていた「サザンオールスターズには乗れるけど、TMネットワークには乗れない」おじさんになっているのだと思う。

でも、ヤナは楽しそうだ。

ときどき、こちらに向かって手を振ってみせる。ウィスキーの飲み過ぎか、照明のせいか、顔は真っ赤に見える。音楽と、交錯する光に包まれて、うっとりしているように思える。

いつも眉間にシワを寄せて難しい顔をしているヤナ。

2人だけで会っているときも、あまりリラックスしない、神経質なヤナが、屈託のない表情を見せてくれて、玖美は嬉しかった。

喧騒の中で、笑顔のヤナが、玖美に何か叫んでいるのが見える。

たぶん「こっちに来い」と言っているのだろう。

それ以外にも何か言っているようだが、聞こえるわけがない。

できれば踊らずに済ませたい。玖美は首を振っていったん拒絶した。

少したつと、手をラッパのように口に添えて、ヤナがまた盛んに叫んでいる。

仕方ない。玖美はダンスフロアの人混みに分け入って、ヤナのほうに向かった。

途中、方向感覚を失い、ヤナの姿も見失ってしまった。

だが、とにかく中央へ、と動き続けると、ミラーボールが放射する光の泉の中で、玖美はヤナに抱きとめられた。

そして、耳元で「人生は一度きりだ」と聞こえ、熱い唇が玖美のそれに重ねられた。




ほぼ同じ時刻。〈格闘家〉をリーダーとする出家信者の集団は、釜本弁護士の自宅近くの駐車場にいた。

白のバンと、シルバーのブルーバードに分乗して、先に駐車場に着いたのは4人。そのうち1人は、いま通信機をもって大船駅に偵察に出ている。

いつもの5人のうち、最も若い信者は、東京都内のアジトからドクトルを連れてくる役割なので、今日はまだ姿を見せていない。

駐車場は、釜本弁護士の大船駅からの帰り道に面している。弁護士が、横浜の法律事務所で仕事を終え、横須賀線で約15分の大船駅に着き、改札から出たところを偵察係が察知して、白いバンで待機する〈格闘家〉に通信機で伝える。

そして、弁護士が駐車場の前を通りかかったところで、バンのなかに引きずり込む。計画はそれだけだ。


出家信者は腕時計を持たないが、時間は車内のアナログ時計で確認している。偵察係から15分おきに連絡がくる。弁護士はまだ姿を見せていない。

先ほど、〈格闘家〉は、弁護士のアパート近くまで行き、家の様子をうかがった。窓越しにぼんやり灯る光が見えるだけで、とくに変化はない。念のため、家の前にも偵察を置きたいのだが、だれかに不審がられるとまずい。

もっとも、自宅前にも、駅からの道の途中にも、人はあまりいない。

住宅街とはいえ、この時間なら、学校から帰る子供や、買い物に行った主婦の姿などが、もっとあっていい。寂しいところだな、しかし、それは好都合だ、と〈格闘家〉は考えている。


〈ドクトル〉が遅れている。

彼が来ること自体に、〈格闘家〉は不快を感じている。

〈ドクトル〉と〈格闘家〉は、ほぼ同時に出家し、どちらも「修行の鬼」と呼ばれるほど、全身全霊で麻倉の教えに帰依した。

いつしか2人はライバルと目され、ともに麻倉の側近となったあとも、麻倉の信頼と寵愛を争いつづけている。

〈被害者の会〉が立ち上がり、日々マンデーのキャンペーンが始まってからは、幹部信者のなかで、2人は率先して、強硬策をとるよう麻倉に提案してきた。より大胆で、無謀で、無慈悲な献策を競うようになっている。

今日の仕事を任されたことを〈格闘家〉は喜んだ。しかし、〈ドクトル〉を連れていけと麻倉に言われて、その喜びが翳った。

最近、〈ドクトル〉を、麻倉の最愛の弟子、ヨーガ神気教のナンバー2のように言う者が出てきたのを、〈格闘家〉は知っている。

麻倉の秘密指令を忠実に実行し、裏の仕事のほとんどを仕切ってきたのは自分だ。多くの信者はそれを知らないため、そんな勘違いをする。

〈ドクトル〉の数倍「修行」を積んでいるはずの自分が、彼の「下」になることはありえない。そんなはずはないし、そうであってはならない。それを、自分は尊師に対して証明したい。


午後6時近く、〈ドクトル〉が若い信者と駐車場に現れたとき、〈格闘家〉は絶句した。

〈ドクトル〉は大きなアフロヘアのかつらをつけ、若い信者はぶかぶかのスーツで、長すぎるズボンの裾を雑に巻き上げて安全ピンで留めている。

若い信者を〈ドクトル〉に付けたのは、荷物持ちをさせるのと、〈ドクトル〉の変装を手伝わせるためだったのだが、こんな変装では逆効果だ。

「それでは逆に目立っちゃいますよ。かつらは取ってください」

「そうですか。それじゃあ」

と屈託なく言って、〈ドクトル〉はかつらを取り、窓から車の座席にほうり投げた。

少年のような顔をした若い信者に〈格闘家〉は言った。

「お前のそのスーツはどうするかな……」

そう言う〈格闘家〉のスーツ姿も、板についているわけではない。今日はみな「普通の格好」に変装して集まるはずだったが、出家信者たちは、何が普通かもわからなくなっている。

まあ、もうすぐ暗くなるから大丈夫か、と〈格闘家〉は考える。

「いいんじゃないですか。どうせすぐ捨てるんだから」

と、貼りついたような笑顔で、〈ドクトル〉は見当はずれなことを言った。この男のヘラヘラした顔も好きではない。

出家信者には、こういう笑顔の者が多い。世間から隔絶された修行三昧の生活をするうちに、感覚が鈍麻し、複雑な思考ができなくなり、多幸感にひたりながら生きるようになるからだ。

そんなことでは、悪魔との戦いに勝てず、厳しい修行に耐えていけなくなる。その厳しい修行に耐えてこそ、高い次元に転生することができるのだ。自分の周りには、本物の修行者だけを集めたいと〈格闘家〉はつねづね思っている。

「釜本はまだ戻りませんか」

と〈ドクトル〉が聞くので、

「ええ、まだのようです」

と〈格闘家〉が答えると、

「あのー」

と、ぶかぶかスーツの若い信者が、何か言いたそうにしている。修行中、後輩信者は、先輩信者の許可なしにものが言えない決まりだ。

「なんだ、言ってもいいぞ」

「今日は、祝日じゃないですか。だから、家にいるんじゃないでしょうか」

「あ」と、思わず〈格闘家〉は声をあげた。

出家して2年以上、カレンダーのない生活を続けるうちに、祝日というものを忘れていた。出家して比較的日が浅い、この若い信者だけが覚えていたのだ。

(弁護士はずっと家にいたのか)と〈格闘家〉は不覚を悟った。

「お前はかしこい」と、〈ドクトル〉がニコニコして若い信者の頭を撫でている。

その〈ドクトル〉の手を見て、〈格闘家〉は言った。

「手袋はお持ちですか」

「あ、忘れた」

と、これまた屈託なく〈ドクトル〉が答えるので、〈格闘家〉は心中で舌打ちする。

このなかで、〈ドクトル〉だけが指紋を潰していない。だから、医療用の手袋を持ってくるように言っておいたのだ。

「それでは、家のなかに入る場合は、何にも触らないでください」

「うん、わかった」

と言って、両手をスーツのポケットに入れてみせたが、

「でも、これでは何もできませんね。注射はどうしますか」

と〈ドクトル〉は言う。

肝心なことを忘れていた。若い信者が手にしている〈ドクトル〉の黒いかばんの中には、塩化カリウムを仕込んだ注射器が入っているはずだ。

〈格闘家〉は若い信者を指さして、

「では、彼に注射器を持たせて、打たせてはどうでしょう。打ち方を教えておいてください」

「うん、そうしようか」

と〈ドクトル〉は応えた。

「釜本は家にいるかもしれない。もう少し暗くなったら、家のもっと近くまで行ってみよう」

と〈格闘家〉は男たちに言い、いったんみんなを車のなかへ入れた。



暗くなり、〈格闘家〉はあたりをうかがいながら、釜本の自宅玄関前まで行ってみた。

「釜本司、菊子」という手書きのネームプレートがドアの横に貼ってある。

周囲に人がいないのを確認して、ドアのノブを回すと、なんと鍵がかかっていない。

そのまま駐車場まで戻って、バンの中の男たちと打ち合わせた。

「鍵がかかっていない。たぶん弁護士は中にいる。今夜、決行しよう」

男たちがうなずく。

「近所が寝静まってからだ。夜中の3時にしよう。それまで交代で仮眠だ。食糧は車にあるのを勝手に食ってくれ。トイレは駅のを使え。なるべく目立たないようにな」

男たちは無言でうなずき、仮眠の順番を決めはじめた。

打ち合わせと言っても、それだけだ。

〈格闘家〉は、もう1台の車にいる〈ドクトル〉と若い信者にも同じことを伝えた。

「決行のこと、尊師にはだれが伝えますか」

と〈ドクトル〉が聞くので、

「私が伝えます」

と〈格闘家〉が答えると、「わかりました」と〈ドクトル〉は言った。

これは私が尊師から命じられた修行だ、私が報告するのは当たり前ではないか、と〈格闘家〉は思う。

「車の時計をお前が見ていて、お前が午前3時にみんなを起こしてくれ」

と、いちばん若い信者に命じた。


〈格闘家〉は駅まで行き、公衆電話から、本部の麻倉の直通電話にかけた。夜の9時を過ぎていたが、麻倉はすぐに出た。

「今夜、釜本の家で決行します。釜本がいるのかわかりませんし、家の中は家族だけか、それとも、親戚や友人が来ているのか、わかりませんが、とにかく中に入って判断します」

「わかった。結果は明日、報告してくれ」

とだけ麻倉は言って、電話は切れた。

計画はいつも大雑把だが、麻倉の法力に守られているので、駅から駐車場に戻る〈格闘家〉に不安はない。

どうせみんな、こまかく言ってもすぐ忘れる。出家信者はサラリーマンではない。合理的に動かない。だが、修行だから、その都度、命じられたことは黙々とやる。

麻倉が「血が出るのはよくない」というので、絞殺か毒殺と決まっている。そのことは、みんな知っている。だから、毒物以外の武器もいらない。

あとは、音を立てないことだ。

家に入ったら、まず自分が弁護士に襲いかかり、喉を潰して声を出せないようにする。それだけを決めている。

駐車場に戻り、様子を見にアパートに近づくと、釜本の家の窓から光が消えていた。就寝したのだろう。

〈格闘家〉も車の座席に身を沈めると、早くも眠気が襲ってきた。

弁護士を殺って、それで終わりではない。尊師はまだ日々マンデーの巻上をいちばん気にしている。選挙であいつが邪魔になるとお考えだ。これからも監視を続けるよう言われている。

巻上を殺るにはどうすればいいか——それを考えはじめたところで〈格闘家〉は眠りに落ちた。


「時間です」

若い信者の声で〈格闘家〉は目が覚めた。

他の男たちも、ももぞもぞと起き上がった。

6人の男たちは暗闇の中、弁護士のアパートに向かった。

「いいな、音を立てるな」

それだけを〈格闘家〉は声をひそめて皆に言った。

玄関のドアノブを回すと、やはり鍵がかかっていない。

ドアを開け、家のなかに入ると、狭い台所とダイニングテーブルがあり、その向こうに戸が閉まっている。

〈格闘家〉が戸を開くと、6畳くらいの和室に、黄色い豆電球だけに照らされ、家族3人が布団で寝ているのが見えた。

手前に寝ている弁護士が、気配に気づいて目を開いたと見えたので、〈格闘家〉は素早く弁護士の上体に馬乗りになり、その喉に鋭い手刀を放った。

それを合図に、全員が弁護士の家族に襲いかかった。

横に寝ている弁護士の妻、菊子にも2人の男が飛びかかり、1人が首に手をかけ、1人が足を押さえている。

弁護士の足を1人の男が押さえようとしたが、抵抗が激しく、男は弁護士に蹴られて戸のほうまで飛んで行った。

そこに立っていた〈ドクトル〉に、弁護士の足を押さえるよう、〈格闘家〉は目で促した。それくらいなら指紋は残るまい。

そして〈格闘家〉は、弁護士の首を肘で圧迫し、一気に息の根を止めようとする。

弁護士の足を押さえた〈ドクトル〉の横では、若い信者が、塩化カリウムの入った注射器を弁護士の足に刺そうとしていた。

〈格闘家〉が気になるのは、妻の菊子と、その横でまだ目を覚ましていない子供だ。

菊子の首を締めている男の手際が悪い。首の締め方が甘い。

「何? 助けて。命だけは」

と菊子は錯乱した声をあげはじめた。

菊子の首を締めている男に、〈格闘家〉は、こうするんだ、というふうに、弁護士の首を圧迫している自らの技を見せつける。

菊子が声を出しはじめたので、それを止めようと、もう1人の男が菊子の腹を力いっぱい蹴りはじめた。

そのとき、子供が目を覚まして泣き出した。1歳くらいの男の子のようだ。

菊子の足を押さえていた男は、急いでタオルケットで子供の顔をふさぎ、そのまま垂直に力を加えはじめる。

〈格闘家〉のほうでは、首を圧迫され続けた弁護士が、鼻から血を吹き出しはじめた。

(ああ、血が出ちゃったな。布団ごと処分するしかないな)

と〈格闘家〉は思う。

もうほとんど息がない弁護士の足や腹に、若い信者がデタラメに注射器の針を突き立てている。

〈ドクトル〉が低い声で「静脈! 静脈!」と言うのだが、錯乱した信者にはもう聞こえていない。

タオルケットで顔を塞がれた子供が、激しい痙攣をはじめた。

女からは、声がほとんど出なくなり、動きがとまったようだ。

やれやれ、もうすぐ終わりだ、と〈格闘家〉は思う。あとは、新聞配達が来る前に、家の中をきれいに片付けるだけだ。


菊子は、だれが、何の目的でこんなことをするのか、最後までわからない。

夫の命がすでにないことは横で感じた。

苦悶のなか、

「子供だけは、お願い」

と、なんとか声を絞り出したが、押さえつけられた彼女の視界のなかで、息子がすでに動かなくなっているのを、見ないわけにはいかなかった。

一筋の涙がほおを伝つたったあと、彼女の目は永遠の暗黒に閉ざされた。



2. 新聞社の階層



11月9日、ついにベルリンの壁が崩壊した。

テレビは、半ば瓦礫と化した「壁」の前で、防寒具を着た東西のベルリン市民が、そこかしこで抱き合う姿を映していた。

ヤナは、日々マンデーの編集部員たちとそれを見ている。

現地から中継するレポーターが、興奮した声で伝えている。

「前日に東ドイツ——ドイツ民主共和国政府が、西ベルリンへの出国規制緩和を発表したところ、10万人規模と言われる東ドイツ市民が、国境検問所に殺到しました。事態を収拾できなくなった当局者は、夜遅くに国境を解放し、現在、市民が入り乱れて両ベルリンを行き来しています。少し前から、市民たちがつるはしなどで国境の壁を壊しはじめました」

「フライハイト(自由)! フライハイト!」

現地時間は深夜のはずだが、ヤナが知っている数少ないドイツ語を、だれかが叫び続けているのが聞こえる。

「壁が、あちこちで壊されています。東西冷戦の象徴であるベルリンの壁が、崩壊しました!」

と、レポーターは絶叫口調になっている。

そこにいる編集部員たちが、テレビの前で、一種厳粛な思いに包まれているのを感じる。いつもの皮肉や軽口が出ない。

(世界が——歴史が動いている)

ヤナも、しばらく、この世紀の瞬間を静かに見ていたかった。

やがて、

「冷戦の終わりか」

「戦後の終わりだな」

「このまま、平和であってくれればいいが」

と、部員たちが、思い思いに感慨を口にしはじめた。

資本主義と社会主義の対立が、20世紀の世界を大きく規定してきた。これは、その終わりだろうか。それとも、別の形で何かが始まるのか——。

ヤナがそんなことを考えていると、吾妻が近づいて来て、

「会議室に来てくれ。取材班に話がある」

とヤナの耳元でささやいた。

思わず、高島奈々の姿を目で探すと、

「社員だけだ」

と吾妻はつけ加えた。


会議室には、巻上、大口、廣井がいて、ヤナのあと、山形が吾妻から連れてこられた。ドアが締まったところで、巻上が口を開いた。

「報道協定が出る可能性がある。これから話すことは、一切他言無用だから、心得てくれ」

その言葉で、ヤナの緊張は一気に高まった。

報道協定とは、警察の求めで、マスコミが一斉に報道を控えることである。

「釜本弁護士一家が消えた。失踪だ。親子3人ともだ。5日前から連絡がつかない。いなくなったのはもっと前の可能性が高い」

ヤナと同様、山形も初耳だったようで、煙草を取り出す手が少し震えたように見えた。

この時代、サラ金苦で一家が失踪する話は珍しくないが、東大出の弁護士一家がそんな理由で消えるとは思えない。

巻上が続けた。

「横浜支局と一緒に、神奈川県警を廣井くんに取材してもらった。弁護士会には吾妻くんに行ってもらった。だいたいの報告は電話で聞いているが、改めてみんなの前で報告してくれるか。まず廣井くん、経緯から説明してくれ」

メモ帳を取り出して、廣井が話しはじめた。

「失踪したのは、釜本司さん33歳、奥さんで専業主婦の菊子さん30歳、長男の竹彦くん1歳3カ月です。自宅は、大船駅から約1キロの2階建てアパート1階」

「最初に異変に気づいたのは、弁護士の母親のきよ子さんです。息子に何度電話しても連絡がつかない。弁護士の自宅電話はファックス兼用で、スイッチ1つで電源が切れる。子供のいたずらで以前に通信不能になったことがあったから、またそれかと思いましたが、念のため弁護士の法律事務所に問い合わせた。それが5日前です」

「同じころ、事務所の弁護士仲間も、釜本弁護士が打ち合わせに来ないのを不審に思っていた。しかし、前の週に、釜本弁護士が風邪気味で、つらそうだったのを覚えている事務員がいた。それで『たぶん風邪で休んでいる』と母親に答え、事務所内でもその噂が一人歩きして、だれもそれ以上確かめようとしませんでした」

「しかし翌日、きよ子さんは胸騒ぎがして、夫の正雄さんに、会社帰りに息子の自宅に寄ってもらうことにする。正雄さんは釜本弁護士の自宅に行き、預かっていた合鍵をドアに差した。あとから思うと、最初から開いていたかもしれない、はっきりしない、ということです」

「なかに入ると、もぬけの殻だった。郵便受けにすでに3日分の新聞が溜まっていたが、室内には異状が見当たらない。電話も通じている。祝日があったので、その日あたりから旅行に行ったのかと思った。正雄さんは弁護士の家に普通に泊まって、翌日はそこから仕事に出かけた。それが3日前の朝です」

「同じ日、今度は釜本弁護士の妹から、法律事務所に電話があった。『兄と連絡がとれないが、行方を知らないか』と。さすがにおかしいと感じた事務所の弁護士が、合鍵をもつきよ子さんに連絡を取り、きよ子さんと、同僚数人で、弁護士宅を訪れた。それが3日前の夜」

「室内に大きな異状はないが、孫の竹彦くんの小さなコートが壁にかかったままになっている。それに気づいたきよ子さんが『この季節にコートを着せないで竹彦を外に出すはずはない』と言い出して、全員が事態の深刻さを悟ります。きよ子さんを促して、神奈川県警の所轄の警察署に届けました」

「2日前の午後、うちと〈毎朝〉が、弁護士の失踪に気づいて、周辺に取材をはじめました。しかし、弁護士会からの強い働きかけで、警察はわれわれに、報道を抑えるよう求めている。誘拐された可能性があり、もし報道されたら、口封じに一家が始末されかねない。それを弁護士会はいちばん恐れているようです」

そこまで廣井が説明したところで、巻上が口を開いた。

「うちと〈毎朝〉以外も、すでに取材に動き出している。弁護士会は、報道協定をマスコミと結ぶよう警察に要求しているが、警察はいまのところ渋っている。誘拐と断定できず、公開捜査のほうが解決が早いという考えのようだ」

続けて大口が発言した。

「私の経験では、報道協定までいかないのではないでしょうか。廣井くんの話だと、警察も弁護士宅を調べていますが、誘拐のはっきりした証拠はなさそうです。いまは各社、自主的に抑えていますが、抜け駆けされないか疑心暗鬼でしょう」

山形が、煙草をふかしながら言った。

「新聞はまだ抑えがきくけど、どっかの週刊誌に抜かれたらおしまいですよ。みんなそう思っているんじゃないですか」

巻上がそれを受けて言う。

「そう、警察も、このままでは、マスコミを抑えきれないのは知っている。しかし、報道協定を結ぶだけの強い根拠はない。そして、公開捜査に踏み切るためには家族の同意がいるが、家族は弁護士会の意向を汲んでそれを拒んでいる。いわば、警察、マスコミ、家族の『3すくみ』だな」

そして、次は吾妻に報告を促した。

「釜本弁護士の法律事務所と、弁護士会に取材してきました。焦点はヨーガ神気教の関与ですが」

と、吾妻がメモ帳を繰って話しはじめる。

「2日前に、ヨーガ神気教の仲山弁護士からも、釜本弁護士と連絡がつかないと法律事務所に連絡があったそうです。『風邪か何かとは思いますが、連絡をしてほしい』という——ヨーガ神気教も心配しています、というジェスチャーです」

「うーん」と廣井が唸った。

「弁護士会も苦慮しています。もちろん、ヨーガ神気教があやしいと思っている。詳しく追及したいところですが、もしやつらがホンボシなら、こちらの必死さが伝わり、警察が動いていると知ると、〈口封じ〉される恐れがある。だから、それを隠して、なんとかごまかしている」

「君たちのことだから、記者が予断で動くのは危険だと知っているだろうが」

と巻上が、廣井と吾妻に言う。

「あえて聞きたい。どうだ、君たちの心証は。ヨーガ神気教がホンボシだと思うか」

廣井と吾妻は、ゆっくりとうなずいた。

横で、会議で出番のない山形も、しきりに首を縦に振っている。

「監禁から戻ってくる可能性はある。しかし、最悪の事態も考えたほうがいいでしょう」

と吾妻が言うと、廣井が巻上に向かって言った。

「編集長、しばらく身を隠してください。家族の方にも、警戒するよう言ってください。もう何が起こるかわからない」

「……そうだな」

巻上と大口は顔を見合わせた。大口も真剣な表情でうなずいている。

「それでは、家族を守る手立てをして、会社に来るのもなるべく避ける。ぼくの所在は大口くんだけに伝えることにする。降版には責任をもつが、それ以外の編集作業はとりあえず大口くんに任せます。何かあったら、すべて大口くんを通じて知らせてほしい。あ、このことは坂野くんにも教えておいてくれ」

「わかりました」と大口が答えた。

巻上は、

「話は、編集局から役員室にも上がっている。たぶん、出版局長は編集局長とも協議しているだろう。キャンペーンをどうするか、結論は少し待ってほしい」

と言って、ヤナを含めた全員の顔を見渡し、

「わかっているな。くれぐれも、いまの話を漏らさないように。以上だ」

と結んだ。

ヤナたちが会議室から出るところで振り返ると、巻上と大口が残り、深刻な顔を付き合わせて相談しているのが見えた。


翌日から、巻上編集長の姿が編集部から消えた。「ちょっと具合が悪くて、休んでいる」と部員には伝えられた。朝のテレビ出演などもしばらく休むという。

翌週のアタマに、釜本弁護士の家族が警察に同意し、失踪事件は公開捜査に切り替えられた。行方がわからなくなって、すでに10日以上たっていた。

ちょうど日々マンデー編集会議の日、その失踪はマスコミで一斉に報じられた。新聞の見出しはこんな具合だ。

「弁護士一家、ナゾの失踪/事件? 公開捜査始まる」

「弁護士一家行方不明/ら致か? 県警捜査本部設置」

「神奈川の一家、3人不明/安否気づかう弁護士会」

だが、ヨーガ神気教の名は、ほとんどの記事にない。その名を出したメデイアも、釜本弁護士の最近の活動として、ヨーガ神気教とのかかわりに少し触れる程度だ。

その日の編集長不在の編集会議で、ヨーガ神気教キャンペーンの終了と取材班の解散が、大口から正式に伝えられた。

「1カ月以上、やってきたから、キャンペーンとしては十分だろう。いろいろ障害もあったが、それに屈せず続けることができ、営業成果をあげられた。取材班も、協力してくれた人たちも、ご苦労さまでした」

廣井は瞑目して腕組みし、吾妻と山形は下を向いて煙草をふかしている。部員のだれからも反応がないが、それには構わず、大口は続けた。

「今朝の新聞に出ていたが、釜本弁護士一家の行方がわからなくなっている。それについて何かわかれば、もちろんその都度、記事にしていくつもりだ。そして坂野デスクから話がある。お願いします」

と促されて、坂野が話しはじめた。沈んだ場の空気を持ち上げようとするように、ひときわ声を張り上げる。

「さあて、みなさん! 今年も、東大合格者号を準備する季節がやってきましたあ! これから来年3月まで、長丁場ですが、よっろしくお願いします……」


2日後、ヨーガ神気教が横浜で、弁護士失踪事件に関する記者会見を開いた。大口の許可を取り、廣井と吾妻が参加予約した。

吾妻は、山形とヤナに向かって、

「録画、録音、いっさいダメ。記事にするときはヨーガ神気教の名前は出すな、だとさ。どんな記者会見だ」

と、ぶりぶりむくれて出かけて行った。

夕方、編集部に戻った吾妻は、山形とヤナを「おい、飲みに行こう。打ち上げだ」と誘った。吾妻に飲みに誘われるのは初めてだ。

吾妻のなじみの神田小川町の小料理屋で、吾妻は会見での鬱憤をぶちまけはじめた。

「また、あの城之内というのが出てきて、喋る、喋る。一方的に、言いたいほうだいだ。ヨーガ神気教に敵対する勢力の謀略とやらを匂わせたり、芳華会や共産党が背後にいるとほのめかしたり。そういう団体名を出すと、マスコミがひるむとでも思っているのか。ばかにしやがって」

「例のバッジの件はどうだ。ヨーガ神気教の会員バッジが、弁護士の家に落ちていたという話があったろう」

と山形が聞くと、

「〈被害者の会〉のだれかから、弁護士がもらったんじゃないですか——それで終わりだ」

と吾妻は吐き捨てるように言って、ピールをあおる。

「それでも、菱川京子さんは頑張って、城之内に食い下がってたけどな。麻倉はなぜ出てこない、とか。そうだ、麻倉からのコメントが読み上げられたんだ」

と、メモ帳を取り出しかけたが、やめた。

「録音禁止だから、こっちは必死でメモを取っていたが、途中でばかばかしくなる中身だったよ。『私もかつては左翼で、毛沢東を尊敬していた。人々の幸せだけを考えてきた』とか」

ずっと聞き役だったヤナも、それにはちょっと耳を惹かれた。

「麻倉がかつては左翼だった? 何ですか、それ」

「そう言ってたよ。中国の人民大会堂で花束を捧げた、とか。どうせデタラメだ」

「麻倉を引きずり出す方法はないのか? 警察は事情聴取しないの?」

と、山形が吾妻に聞くと、

「城之内は、警察には全面的に協力するとは言っているが、どうだか。まだ警察は、ヨーガ神気教に捜査協力を要請していないが、いずれするだろうな」

と吾妻は答えて、考え込む。

「なんとか麻倉を直接つかまえて話を聞きたいところだが……。廣井さんも、もちろんそれを狙っている」

城之内だの、仲山弁護士だの、麻倉の周りをいくえにも取り巻く障壁がある。それらを突破して、麻倉から直接、弁護士失踪の真相を聞き出すことこそ、いま記者がいちばんやりたいことに違いない、とヤナは思う。

吾妻と山形がまた話を始める。

「会見のあとに、菱川京子と話をしたが、彼女も猛烈に怒ってたね」

「そうだろうな」

「彼女がいちばん怒っていたのは、神奈川県警に対してだ。どうも県警の幹部は、弁護士が左翼の内ゲバに巻き込まれたと見ているらしい」

「へえ、そうなのか」

「弁護士は、学生時代に左翼活動をしていたというんだ。菱川さんはそれを否定している。内ゲバとなれば、世間の関心が離れる。それを狙って、だれかが流しているデマだ、と彼女は言うんだけど」

弁護士が学生時代に左翼活動? 再びヤナの耳がそばだった。

どこかで聞いた話だ、と酔いが回りはじめた頭で考える。たしか甲斐がそんな話をしていなかったか。あれはどういう話だったかな……。

「マンデーさんがキャンペーンをやめても、私は追及を続ける、と菱川さんは言ってたよ」

と吾妻が言い、横浜支局にいたことがある山形と、神奈川県警の悪口を言い合っている。

そのあとは、前編集長の飛石がキャスターを務めるテレビ番組の視聴率の話に移り、2人の毒舌が冴えはじめたのを感じたが、ヤナはうわの空で聞いていた。


翌週の編集会議には、巻上編集長が顔を出した。

しかし、表情は冴えず、

「もうしばらく大口くんに現場を任せる。連絡はすぐつくようになっているから、何かあったら大口くんを通じて知らせてくれ」

と言った以外は、口数が少なかった。

だが、具合はよくなったので、テレビ出演は再開すると言った。

その日の会議で、坂野から、「東大合格者号」編集のための、「大学班」専用の部屋が来週から用意されることが発表された。3階の編集局の片隅の部屋が借りられたのだという。

「去年に続いて、ヤナちゃんに資料のまとめ役をやってもらう。あと、今年は高島ちゃんにも手伝ってもらいます」

ヤナが来週から「大学班」部屋に詰めることはあらかじめ聞いていたが、高島奈々が手伝うことはその場で初めて聞いた。向かいに座る高島と笑顔を交わした。

そのあと、来年からまたまた入試制度が変わり、東大の二次試験は前期と後期に分かれる、という坂野の説明を、みんな退屈そうに聞いている。

会議のあと、すぐ巻上の姿は見えなくなった。


翌日、水曜午後の日々マンデー編集部の空気は弛緩していた。

その名のとおり月曜発売の「マンデー」の締切は金曜日。今日は、比較的のんびりした中面の原稿を入れればいいだけだ。

ヤナは、担当分は入稿済みで、あとはゲラに少し手を入れるだけで、暇だ。

ヤナはゲラを待ちながら、先週末に玖美から届いた手紙のことを、考えている。

手紙を手渡されたことはあったが、郵送されてきたのは初めてなので、何事かと思った。

手紙には、麻布十番のディスコと、そのあとイタリア料理店に連れていってもらったことへのお礼が、まず書いてあった。

そして、池袋のナイトクラブのバイトは自分に合わないからやめる、ということが書いてあった。

そのあとに、お互い家賃で苦しんでいるのだから、一緒に住めばどうかしら、と書いてあった。


同棲、とか、そういうふうに、重く考えることはないと思うの。

ごめんね。こんなこと言ったら、悩んじゃうよね。

でも、ヤナさんの本当の気持ちが知りたいの。

いつまでも、待ってるから、ゆっくり考えてね!


そして、例のわら人形のような女の子が手を振っている絵が添えられていた。

次の日の夜に玖美に電話して、手紙を読んだ、と伝えた。

「少し、考えさせてくれないか」

「うん、わかった」

その電話での短い会話の後、ヤナはまだ玖美に返事ができていない。

隣の席の山形は、床にタバコの灰を落としながら、せっせと原稿を書いている。

今年も「世界一の富豪」になったホテルチェーンの社長が、売り出し中の美人女優を愛人にしているという噂がある。それを、女優の正体をぼかしつつ記事に仕立てているはずだ。

その男は、不動産王であり、鉄道会社の社長であり、人気球団のオーナーでもあった。

その男が美人女優を抱けるのも、結局のところはカネではないか、とヤナは思う。そのカネは土地から来る。日本のいい場所に、たくさん土地を持っていれば、今はそれだけで世界一の金持ちになれる。

「世界一の富豪」の別腹の兄は、流通チェーンの社長で、これも著名人だった。

弟がスポーツ好きの体育系なら、こちらは文化系だ。文化人として、文芸雑誌に作品を寄稿したりしている。大学時代に学生運動にかかわったらしく、左翼の理論誌に彼の百貨店が広告を出しているのを、ヤナは知っていた。

その彼のほうの最近の話題といえば、流通チェーンで、新たに「ノーブランド」商品を開発するという話だ。

ブランド名のない商品、素のままの商品を提供するという。

資本主義社会が爛熟し、商品そのものより、商品の「ブランド」名が神通力をもつようになった。その倒錯した現状への、アンチテーゼだそうだ。

つまりは「ノーブランド」というブランドをつくるわけだが、「ノーブランド」商品を紹介する記事では、

「これは流通における『革命』である」

と書かれていた。

カネさえあれば、「革命」もできる……。

ヤナは、そんなことを、とりとめもなく考えている。


夕方近くになって、高島奈々が、坂野の席に呼び出され、原稿について叱責を受けているのを目撃した。

「人から話を聞いたら、必ず年齢を聞けと、いつも言っているだろう。聞きにくかった、は通らないんだ。このあいだも……」

叱られたあと、高島奈々はうなだれて席に座っている。その背中を、ヤナは眺めていた。

6時を過ぎて、記者が夕食をとりに席を立ち始めたころ、ヤナは高島奈々に声をかけた。

「ちょっと下で、メシを食いながら、軽く一杯やらない? 来週から『大学班』で一緒だし、その軽い打ち合わせを兼ねて」

1階に、最近できた居酒屋がある。そこに行こうと話がまとまった。芳華会系の居酒屋チェーンだと噂されていたが、ヤナは気にしないことにしている。



居酒屋のテーブルで向かい合い、ヤナがビールを頼むと、高島奈々は焼酎の水割りを頼んだ。「焼酎派」なのだという。

焼酎は、ほんの10年前まで、南九州のきつい酒というイメージで、九州人のヤナでさえ敬遠していた。それが、いまは東京の若い女も飲むほどメジャーになっている。

揚げ出し豆腐など何品かのつまみを頼んだあと、ヤナは本題に入った。

「前に言ったけど、坂野デスクはいろいろストレスが溜まってる。最近、ちょっと言葉が荒っぽくなるけど、気にすることはないよ。怒られているのは高島さんだけじゃない、ぼくとか山形さんもいつもガミガミ言われてる。恨んじゃダメだよ」

「やっぱり、そのことだったんですね。飲みに誘ってくれた理由は」

と、高島奈々は言った。

「私、坂野さんを恨んでませんよ。感謝してます」

「感謝?」

「大学の先生に言われました。会社に入って、あなたを叱る男の上司がいたら、その人は味方だよ、って。あなたを育てようと思っているから叱るんです。普通の男の上司は、女はどうせ『腰掛け』だと思っているし、女に泣かれでもしたら面倒だから、叱るなんてことはしませんよ、って」

「ふーん、なるほど」

「きつく言われると、動揺することはありますけど、私は大丈夫です。心配しないでください」

と言って、水割りをあおった。豪快な飲みっぷりだ。

ヤナは、副編集長の大口が、何かのときに高島奈々を指して言った言葉を思い出していた。

「彼女は『思い出づくり』だから」

「思い出づくり」は、80年代の初めにヒットしたテレビドラマである。

「簗川さんも、焼酎どうですか」と、高島が言う。

グラスのビールはまだ半分残っているが、

「じゃあ、いただこうか。2人で飲むから、瓶で頼もう」

と、ヤナは焼酎と水のピッチャーを注文した。

それが届くと、高島はうれしそうにヤナの水割りをつくりはじめた。

そして、

「焼酎にもいろいろあるのはご存じですか。鹿児島の芋や麦の焼酎が有名ですけど、宮崎には栗の焼酎もあって……」

と、九州人に焼酎の講釈を始めた。

テーブルに、注文した料理が並びはじめた。

ヤナは思う。金持ちの家の娘に、そんなに働く必要があるのだろうか。高島から焼酎の水割りを受け取りながら、いじわるな質問をしてみたくなった。

「高島さんは、なんでここで働いてるの? もちろん、才能を生かすためというのはわかるけどさ。おじさん雑誌だと、肌が合わないこともあるんじゃないの」

「マンデーで働かせてもらっているのは、たまたまですけどね。でも……」

カツンと、自分のグラスとヤナのグラスを合わせ、乾杯のポーズをしてから言った。

「いい職場だと思っています。私、最初に、あれに感動しちゃって。締め切りが近づくと、デスクなんかを含めて、みんなで『読み合わせ』するじゃないですか。ああいうところは、ドラマとかでも見たことがなかったから」

「なるほどね」

手書きの世界では、資料から原稿に固有名詞を転記するとき、誤りが生じやすい。時間がない編集では、最初の段階で誤って筆写されると、その後に原資料にさかのぼる余裕がなく、校閲者の目も逃れ、最後まで気づかれない可能性が高い。

だから、役所などの資料から、氏名や肩書などを大量に原稿に転記するとき、自分で確認するだけでなく、別の人の「目」を使ってダブルチェックするのが鉄則とされた。1人が資料を読み上げ、1人が原稿でそのとおりであるか確認する「読み合わせ」は、そのための手っ取り早い方法だ。

編集部で、だれかに「読み合わせをお願いします」と言われれば、たまたま通りかかった記者だろうと、役職者だろうと、断れないというのが新聞社のルールだ。だからヤナも、大口や坂野に読み合わせを頼むことがある。

「新聞社は、『事実が命』だからね。世の中の情報のモトになる記事を出すから、間違えられない。週刊誌の編集部でも、そのあたりは徹底してるね。まあ、間違いもたまにあるけど」

ヤナはまだ訂正記事を出したことはないが、吾妻や山形のような、たくさん記事を書かされる中堅記者は、年に一、二度、固有名詞の誤りで訂正を出している。

「最後は、身分の上下とか関係なく、チームプレーじゃないですか。そういうところが好きで」

「それはわかるな、ぼくも……」

初めて見た締め切り日の光景は、ドラマのようにかっこいいと思った。

記者とデスクの、顔を突き合わせ写真を選ぶときの厳しい眼差し。見出しをめぐっての喧々囂々の議論。原稿やゲラを持って走り回るデザイン部員や校閲者、広告や印刷の担当者たち。あちこちで飛び交う怒号。

編集部全体に緊張と高揚感がみなぎり、プロとしての責任感と倫理観で結ばれ、精神的に一体になるかのようだ。

そのうちに夜は更け、ついに記者たちは疲れと眠気で頭を机に伏し、編集長とデスクがゲラに最後の直しを入れる、カリカリという音だけが響く夜明けを迎える——。

上の階の新聞編集局では、それが毎日繰り返されているだろう。

「いつもはおちゃらけてる山形さんも、締め切り前になると背筋が伸びて、顔つきまで変わって見えるからね。いまではもう見慣れちゃったけど、プロの現場は違うな、と思ったよ」

自分が書いたものが活字になる喜びは、大学時代の「季刊90年代キッズ」でも味わった。しかし、しょせん数千部の世界だ。

あのころは、マスコミはのことを、商業主義だ、ブルジョア新聞だ、売り上げの半分が広告料では真実が書かれているはずはない、などと、甲斐と馬鹿にしていた。

それはそうなのだが、数十万、数百万の部数を背負う緊張感、責任感は、甲斐が知らない世界だ。

そして、多数の読者の反響を浴び、世の中を少しだけ動かしたという充実感と満足感——ヤナはマスコミの一員として感動の一部を味わっている。

「東大合格者号の仕事はどうなんですか。最後はけっこう大掛かりになると聞きましたが」

「うん、あれもなかなかすごいよ」

新聞社系の週刊誌は、出版社系より編集センスがよいとは言えないかもしれない。だが、出版社系に真似できないこともある。「全調査もの」といわれる、新聞社の訓練された記者集団と全国ネットワークを使って、しらみつぶしに、愚直に調べるたぐいの作業がそれだ。

たとえば飛行機事故が起こると、被害者すべての素性と、ガンクビといわれる顔写真を一晩でそろえる、というような芸当は、新聞社にしかできない。新聞社の組織力と、日ごろのノウハウが生かせるのは、そういう場合だ。

東大合格者調査でも、その新聞社の本領を発揮できる。たぶん合格者であろうという何千人かのリストを作ったあと、本当にそれが合格者か、本人または家族に直接確認しなければならない。最後は人海戦術になる。電話で確認できなければ、自宅に行かなかければならない。そういうことは、全国に支局がある新聞社でないと難しい。

「99パーセントは確認できても、あと1人がどうしても確認できない、とかね。締め切りが近づくと緊迫してくる。最後は『100パーセント判明しました!』と声が上がり、わーっとみんなが拍手する。あれが感動的なんだ」

速報の勝負であるとともに、判明率の勝負でもあるのだ。だいたい100パーセント判明する年が多いが、たまに「日々マンデー」は100パーセントだけど、「週刊毎朝」は99パーセントとか、またはその逆とかがある。

「面白そうですね」

と、上気してきた顔で高島が言う。

「だいぶ飲むね。高島さんはお酒、強いの?」

「まあ、弱いと思ったことはあんまりないですね」

「大学班の仕事はけっこう込み入っているから、素面のときにまた説明するよ。高島さんに付き合って飲んでると、こっちが先に倒れそうだ」

「私も、そういうマスコミの一員になりたいんですけどね。なかなか、ね……」

「新聞社は厳しいよね。本社にも支局にも、男用の風呂や宿泊施設はあるけど、女用のはないし。そもそも女の参入を想定していない。それで嫌気がさして女がやめると、やっぱり女は、となる。一種の悪循環だな」

「まあ、それが現実ですよね」

「新聞社は、とくにひどいよ。出版界のほうがましだ。女の編集長とか役員とか珍しくないからね」

日本経済を世界一に押し上げたのは、朝は全員でラジオ体操、そのあとは全員で肩を組み、ねじり鉢巻で「今月の目標」を叫び、休日はといえば、社員だけのマラソン大会や野球大会で時間をつぶして平気なような、「男たちの集団主義」だというのが通説だ。「女の貢献」を指摘する声はない。

日本企業の強みは、男たちの「同性愛的結合」だ、と言った心理学者がいた。その「同性愛的結合」が、新聞社ではとくに強いとヤナは感じる。

「まあ、そういう話は置いといて。もう少し食べものを頼んでいいですか」

「あ、お腹空いてた? どんどん頼んでください」

ふと見ると、瓶で頼んだ焼酎もかなり減っている。

メニューを見ながら、高島はポテトやサラダを注文した。かなり目が座ってきている感じだ。

「簗川さんは結婚してるんですか」

話がいきなり飛んだ。水割りのグラスを口につけたまま、上目遣いで高島は聞いている。

「ヤナさんでいいよ。みんなそう呼んでるから」

「結婚してるんですか?」

「してない」

「恋人とかは?」

「いない。モテなくてね」

「またまたー」

酔ったときの癖なのか、エレガントウェーブがかかった髪をしきりにかきあげる。耳朶まで赤く染まり始めたようだ。

自分もだいぶ酔ってきた気がする。

「それで、どうなんですか。日々マンデーの編集長とかを目指してるんですか」

「ぼくが?」

「そう。簗川さんは、何をやりたいんですか」

「ぼくは……」

ヤナが言い淀んでいると、

「あ、すみません、私、お手洗いに」

と言って、高島は立ち上がった。


高島奈々がトイレに立ったあいだ、ヤナは我慢していた煙草を1本点つけ、彼女に「平民先生」のことを話すべきか考えていた。

ヤナが「平民先生」と呼ぶのは、出版製作部で紙の調達を担当している40くらいの男である。元印刷工で、徹底した自虐的世界観をもっていた。

彼と知り合ったのは、ヤナが出版局で働きはじめた最初の年、出版局納会の酒の席だった。

べろんべろんに酔った彼に、「俺たちは平民だからよう」と話しかけられたのが最初だ。

彼によれば、日々新聞はわかりやすい階層社会で、身分は職場の階数で決まる。いちばん上の4階が社長室と役員室で、3階が新聞記者のいる編集局、2階に出版局、広告局、営業局があり、地下に印刷職場がある。

彼の世界観の用語では、3階以上が「お公家さん」で、2階以下は「平民」なのである。

彼の考えでは、出版局はアウトポストというより、端的に新聞記者の植民地であり、出版局員は、「上」から降りてくる新聞記者に仕える原住民なのだ。

経営と編集の分離は、日本ではタテマエにすぎない。新聞記者が役員になり、社長になり、労組の委員長にもなる。いずれ新聞記者が自分の「上司」になるのがわかっているから、広告局員も営業局員も最初から新聞記者に逆らえない。新聞記者が「殿さま」「お公家さま」の封建社会である。

「それでも俺は、地下から地上に上がってきただけエライ」

と彼は言った。

出版局は、新聞記者が「天下り」してきて、見よう見まねで出版業をやっているだけだから、うまくいくはずがない。ここに来た新聞記者の中には、口先で「出版に骨を埋める」と言うやつがいるが、ホンネはみんな「早く新聞記者に戻りたい」だ。

そんなことだから、業績は下がる一方だ。だが、役人と同様、天下り先は絶対減らさないから、いくら業績が悪くてもつぶさない、という。

「つぶれないから安心だけどよう。でも、平民が新聞社で出世できると思っちゃいけないよ、ねえ君」

と、最後にヤナの肩を抱いて言った。

ヤナは彼に心服してしまった。彼こそが真実を語るプロレタリアートだと思って、心の中で「先生」と呼んでいる。

「平民先生」の生きがいは、自社主催の高校野球大会を使った「トトカルチョ」の開帳である。


「平民が出世できると思っちゃいけないよ」という彼の言葉は、いつもどこかヤナの頭の中にある。

いまは仕事が面白いが、先のことを考えると憂鬱になる。

日常、差別的に扱われているとは思わないが、最終的には、新聞記者にとっての「残念賞」ポストすら自分はもらえないだろう、と何となくわかっている。

それはわかっているのだが、ふだんは意識の下に押し隠している。

そんなことを考えて飲んでいると、高島奈々がトイレから戻ったときには、さらに酔いが回っていた。

「ぼくはね、どんな雑誌がやりたいかというと……」

ヤナの頭の中では、大学時代、「季刊90年代キッズ」のときに描いていた、さまざまな編集企画がよみがえっていた。

「表紙には小泉今日子さんに登場してもらいたい。キョンキョンに脱いでもらって……」

「やっぱり、それですか。男はいやですねえ」

と高島奈々が、また水割りをつくりながら囃す。

「いや、一肌脱いでもらうという意味で……それで、喜納昌吉とマイケル・ジャクソンの対談で、音楽と差別みたいな話をしてもらって、あと、吉本隆明とジャン・ポール・ゴルチエに、現代のファッションについて対談してもらって……」

「ファッションなら、いま『かわいい』っていうのが注目なんですよ。知ってますか」

「え? かわいいファッションなんて、昔からあるんじゃないの」

「いや、そうじゃなくて、あえてかわいい、というか、わざとかわいい、というか」

「……よくわかんないな。具体的には?」

「猫の耳がついた帽子とか、ウサギの耳がついたスリッパとか……少女漫画の主人公みたいな格好をするとか……」

「なに、それ……ロリコンの話?」

「いや、そうじゃなくて。でも、そうなのかも。んー」

高島奈々の話は要領を得ないが、楽しそうに言葉を探している。

それを聞きながら、こういう「編集会議」のほうが、日々マンデーよりはるかに面白い雑誌ができそうだとヤナは思う。

だいたい、50歳近くならないと編集長になれないのがおかしい。30歳でなってもいいじゃないか。年功序列で日本経済がうまくいっているというが、本当なのか。

……「たかしま出版」なんてのをつくってくれないかな。

高島奈々はファッション雑誌の編集長で、俺はそれを統括する総編集長で。

カネさえあれば、それができる。

津田玖美には、少女漫画の編集長をやらせよう。男も読める少女漫画雑誌をつくりたいと、いつか言っていたから。

カネさえあれば。

こんな落ち目の新聞社に、しがみつくことはないのだ。

カネさえあれば、俺だって「ルサンチマンよ、さようなら」だ。

カネさえあれば……。

焼酎の瓶もカラになり、ヤナがトイレに立とうとしてふらついたのを潮に、高島奈々が「そろそろ」と、帰り支度を始めた。

トイレから戻って、ヤナが勘定を払うと、高島はもう店の外に出て待っていた。

「ごちそうさまでした」

と言う高島奈々の顔に、ヤナは自分の顔を近づけた。

高島の息を頰に感じるところまで近づいたとき、高島は手の平でヤナの胸を突き、ヤナを押し戻した。

「やめて」

と、高島奈々はヤナをにらんで言った。

「私、いるんです。好きな人が」




3. アミーゴ




ああ自分は恥ずかしいことをした、とヤナは本当に思ったので、翌朝、編集部で高島奈々の顔を見ると、人のいない窓際まで移動してもらい、「昨日はすまなかった。無礼なことをしてしまって」と謝った。

高島は「わかりました」と言って笑顔を見せてくれたので、ヤナはひとまずホッとした。

やれやれ、と自席に戻ると、いまは席を外している隣りの山形の机の上に、赤い表紙の本が置かれているのが目に入った。

「狂った編集長! 日々マンデー・巻上士朗」というタイトルで、テレビ画像を写したらしい、巻上の顔写真が表紙にある。

それが、ヨーガ神気教が作った意趣返しの出版物なのはすぐわかった。

手にとってみると、本とパンフレットの中間のようで、ページ数は少なそうだ。

読み始めて、ヤナの頭に血がのぼった。

目次に並ぶ見出しを見ただけで、内容は透けて見える。

〈巻上編集長の歪んだ愛社精神〉

〈戦中と同じ、統制好きのマスコミ〉

〈背後に芳華会の影 会長がマンデーに連載〉

「競馬とプロ野球だけが生きがいという俗人、巻上士朗は、前任の飛石龍一郎の栄達にあおられ、愛社精神という名の出世欲にとりつかれ、ヨーガ神気教の崇高な理念を理解できず、ただ話題性のみのセンセーショナリズムを追い求めて、戦前戦中を思わせる宗教弾圧に血道を上げている。」

「公益を追求すべき新聞社がなぜ巻上の蛮行を許すかというと、マスコミの本性は、戦前戦中と変わっておらず、情報を統制して、国民の自由と権利を保障する憲法を蹂躙し、わけても国民から信仰の自由という最重要の権利を取り上げて、生きる喜びを人間から奪うファシズムだからである。」

「われわれの調べによると、日々新聞社の背後には、政治権力を持つ巨大宗教団体、芳華会がある。芳華会は、ヨーガ神気教の神聖な使命に嫉妬し、その躍進を警戒し、巻上を尖兵として今回のキャンペーンの糸を引いている。日々マンデーは、かつて芳華会会長のエッセイを連載した、芳華会の機関誌同然の媒体であり……」

そんな檄文が書き連ねられている。

ヤナから得たと思われる情報が、ちょこちょこ挟まれている

ほかのだれにわからなくても、ヤナにだけはわかる。それは紛れもなく、甲斐正則の筆致だった。

後半では、本部取材に行ったときのものだろう、「取材中の日々マンデー」というキャプションとともに、廣井や吾妻の写真も載っている。2人の名刺も撮影されて載っていた。

そればかりか、巻上が住む新百合ヶ丘のマンションと、マンション1階の郵便受けの家族の名前まで写真に撮られて載っていた。

奥付を見ると、編著者・マスコミ被害者の会とあり、しんき出版の名と、ヤナの知らない発行・編集人の名前があるだけで、甲斐の名前はない。

記事の中に自分の名前が出ているのか、ヤナがさらによく見ようとしたところで、山形が席に戻って来た。

「過激派のアジビラみたいだが、なかなかうまいね」

と山形は言い、自分はもう読んだから、ゆっくり読め、とそれを貸してくれた。

「俺とヤナちゃんのことは出てない。巻上編集長と、本部に行った廣井さん、吾妻だけだ。廣井さんと吾妻は気の毒だな。名前と顔まで出されて。彼らもこれから警戒しなければならなくなる」

と山形は言った。



週末、甲斐からヤナの自宅に話があった。

「やあ、最近どうだ。元気か」

と明るい声だ。

数秒沈黙して、ヤナは答えた。

「もう連絡してこないでくれ。切るぞ」

「赤い表紙の本を見たのか」

と明朗な甲斐の声が続く。

「どうだ、お前は少しは共感したんじゃないか。巻上のやり方は、傲慢で強引だ。功名とカネもうけに走った、ブルジョア・マスコミの悪いところが出ている。お前もそう思っていたんじゃないか」

「俺をスパイしていたな。結局、俺にウソをついていたじゃないか」

「お前も秋葉原で俺をスパイしていただろう。お互いさまだ」

「もういい。切るぞ」

「待ってくれ。これが俺からの最後の電話だ。俺はもうすぐ日本を出る。南米に行くんだ。日本とは一切連絡を断つつもりだ」

南米に行く、と聞いて、甲斐が何をしたいのかはすぐわかった。

「そうか、元気でやれ」

と言ったあと、もしこれが本当に最後なら、やはり聞いておきたい、とヤナは思った。

「お前はヨーガ神気教にどれだけかかわっている。弁護士の件も知っているのか」

「誓っていうが、俺は事件について何も知らん」

「じゃあ、なんで俺をスパイして、あんなものを書いているんだ」

「俺から見れば、日々マンデーのようなブルジョア・マスコミも、ヨーガ神気教も、どっちもどっちでね。同じ資本主義社会の異常性を反映しているにすぎん。それに……」

声からは、甲斐の高揚感が伝わってくる。

「原稿料が高額だった。言っただろう、南米に行くんだ。活動資金が必要なんだよ。南米は遠いぞ」

ヤナが何も言えないでいると、少し冷静になった声で甲斐は言う。

「すまなかった。だから、お前のことは一切書かなかった。それでも許せないというなら、それはそれでいい」

落ち着いた声が続いた。

「ただ、お詫びのしるしと言っちゃあナンだが、思いついたことがあるんだ。それで電話した。麻倉が弁護士事件にかかわっているか、気になるだろう。俺がお前に、麻倉の独占インタビューのチャンスをやるよ」

「どういうことだ」

「麻倉は、理科とか算数とかが得意で、自分を理系の人間だと思っている。理系の人間が好きで、実際、ヨーガ神気教には理系のやつらがたくさん集まっている。だからあそこは、殺伐としているというか、全体として文系的教養やセンスに欠けるんだよな。それが宗教としてイマイチというか」

「なんの話をしてるんだ」

「それでな、俺みたいな文系の人間が雇われているわけだ。うぬぼれるわけじゃないが、麻倉は俺の文章の大ファンでね、今度の本も大喜びしている」

「お前は信者じゃないんだろ?」

「あいつは、そういうところはメリトクラシーというか、能力主義だ。理系的な割り切りかな。信者に適任者がいなければ、信心より能力を優先する。それにどうも、あいつは左翼にちょっとシンパシーがある」

「それで?」

「だから、俺がやめると聞いて、麻倉はちょっとしたパニックだ。お前もやつらが選挙に出るつもりなのは知ってるだろ。それに向けて、しんき出版を大きくして、マスコミに対抗できる自分たちのメディアをもちたいと思っていた。それに、俺を使おうと考えていたみたいだ」

「話が見えない。インタビューの話はどうなった」

「それで、俺の後任として、お前を推薦したい。俺と同じくらい能力があるやつに心当たりがある、と言ったら、面接したいと言っている。麻倉と1対1で会える。そこで、弁護士のことを聞けばいいだろう」

「……俺に、麻倉のお筆先、祐筆みたいな仕事をしろと言うのか」

電話の向こうで高らかな笑い声がひびいた。

「ハッハッ。祐筆とは古いな。何もお前にヨーガ神気教への就職を勧めているわけじゃないよ。ハッハッ」

笑い終わって、甲斐は話を続けた。

「面接だけやって、逃げてくればいい。麻倉に会って、話を聞くだけが目的だ」

「そんなことができるわけないだろう。だいたい、俺が日々マンデーの記者だと知って、麻倉が会うわけないし、会っても、本当のことを言うわけがない」

「そこだ、俺がひらめいたのは。『90年代キッズ』をやってたとき、出版社側の担当だったやつがいるだろう」

それは、左翼出版社の若い社員で、出版社側と甲斐たちとをつないでいた男だ。活動家上がりで、甲斐やヤナたちと話が合った。年は2つほど上だったろうか。いまもその左翼出版社に勤めている。

甲斐のひらめきとは、ヤナが、その男になりすまして、面接を受ければどうかということだ。

「でも、彼に迷惑はかからないのか。その場かぎりならいいけど、もし、まかりまちがって『合格』して、すぐに来てくれとなると、彼のところに話が行ってしまうだろう」

「それは大丈夫だ。俺を信じろ」

「信じろ、って何だよ。他人に迷惑はかけられないし、彼に連絡が行ったら、結局俺のこともバレるんじゃないか」

少しの沈黙のあと、甲斐が答えた。

「それが大丈夫なんだ。なぜなら、やつも俺と一緒に南米に行く」

甲斐の話を聞いてみると、たしかによく考えられたアイデアに思えてきた。ヤナは、左翼出版社の彼のことをよく知っており、比較的最近の彼の仕事もなんとなく見ている。なりすましやすい。一時期、一緒に活動をしていたから、甲斐との関係を聞かれても、矛盾なく説明できるように思う。

「それでも、写真とかで確認されたら終わりだろう。あっ……」

「そう、麻倉は目が見えない。まあ、履歴書を出せなんて話じゃないし、それはたぶん大丈夫だ」

ヤナも、その男も、活動家の習性で、表に顔をさらすようなことは基本的に避けて生きてきている。公安には顔を知られているだろうが、世間に写真は出回っていないはずだ。それに、出版社の男も小柄で、偶然だが遠目には姿形は似ている。

それにしても、その男と一緒に南米に行くということは——。

「甲斐はいま、どこにいるんだ」

「大阪だ。本当はお前と直接会って話をしたかったが、南米に渡る準備で忙しい。こっちで、いろいろ打ち合わせや相談があってね」

関西を拠点とする、過激な活動で知られる国際派の左翼組織がある。出版社の男はそこの出身だと聞いたことがある。大阪に行き、甲斐もそこと関係しているんじゃないかと感じていたが、やはりそうか、と思った。

「少し考えさせてくれ。そうなったら、編集長にも相談しなければならないし」

「悪いが、考える時間はない。それに、編集長に言うのだけはやめておけ」

あ、そうか、とヤナも思った。

「編集長に、俺との関係を説明できるか? お前がなんと言おうと、編集部の情報をヨーガ神気教にお前が流していた疑惑をかけられるぞ。取材先に情報を流していたとなると、記者としては終わりだろう。懲戒処分か、クビになるんじゃないか。それだけなら、まだしも、だ。警察から、弁護士の事件に関係している嫌疑がかけられるかもしれん」

「じゃあ、俺にどうしろと言うんだ」

「ひとりで弁護士事件の真相を解くんだ。もし麻倉の口を割らせ、弁護士事件を解決に導いたら、ほかのすべては正当化され、帳消しになる。俺との関係も含めて、すべてそのための工作でしたと言えるからな。ルール違反だとしても、人命にかかわる貢献だったら、会社も何も言えんだろう。もしかしたら、マスコミ業界の賞をもらえるぞ」

「うーん……」

「それに、もし麻倉から特ダネがとれたら、日々マンデーなんかで載せることはない。そうじゃないか」

「どういうことだ」

「このところ、ずっと日々マンデーを読んできたけどな。ヤナがトップ記事を書いたのを見たことがない。こう言っちゃ悪いが、埋め草みたいな記事ばかりじゃないか。編集部では若手でも、もう30歳だぞ。そのままでいいのか」

「それは……」

「そんな経営不振の新聞社にいることはない。中途半端なまま会社のなかで腐っていくお前を見たくないんだ。お前は資本主義のなかで成功しろ。飛石みたいに一発当てろ。特ダネを取れば、フリーのジャーナリストでやっていけるし、飛石みたいにテレビのキャスターになれるかもしれん。スターになれるぞ」

ヤナの心に、飛石の顔が浮かび、次に巻上や廣井、吾妻の顔、最後に高島奈々の顔が浮かんだ。スターになる、か。

「そんなにうまくいくかな……それに……」

幹部に近づくときは気をつけろ、という吾妻の言葉が耳によみがえる。

「もちろん、うまくいくとは限らん。麻倉が関係しているとも限らんからな。しかし、チャンスはチャンスだ。いまマスコミのやつらが麻倉を必死につかまえようとしているのは知ってるだろう。お前の心配もわかる。お前の安全は、俺ができる限り守る。それは俺を信用してもらうしかない。でも、100パーセント安全とは言わん。虎穴に入らずんば、というやつだ」

「さっき言ってた、時間がないというのは、どういう意味だ」

「これも詳しくは言えんが、麻倉はもうすぐ、姿を消す。話を聞くなら、このタイミングしかない。話を聞けるのは月曜までだ。それをマスコミのほかのやつらは知らん。知ってるのは、いまマスコミでお前だけだ」

明日からの2日間、日、月曜は、ヤナは休みではある。しかし……。

「それに、俺ももうすぐ日本から消える。不完全ながら、俺がお前の安全を守れるのも、今回が最後だ。たった1度で、最後のチャンスだ。そして、これが、俺のお前へのお詫びのしるしで、お前に贈ることができる、俺の最後のプレゼントだ」

ヤナが黙っていると、電話の向こうから忍び笑いが聞こえてきた。

「フフフ。お前はいつも決断が遅い。それがお前だし、お前の人生だから仕方ないけどな」

「……録音は、できるかな。身体検査とかされるかな」

「録音機を持ち込めるかどうかか。ヨーガ神気教は、あれでもいちおう宗教団体だ。入信者はいつでも受け入れるタテマエだ。マスコミや警察が来たら別だろうが、左翼のセクトみたいにアジトを固めているという話は聞いていない。対応するのも信者だから、身体検査とかはしないと思う。しかし、保証はできない。そのあたりはヤナのほうで考えてくれ」

「うーん……」

「さあ、どうする。もう電話を切るぞ。俺も疲れてきた」

「……わかった。やってみよう」

「よし。じゃあ、月曜でいいか。時間はお任せでいいな。すぐに、それを向こうに伝える。また電話する」

と、いったん電話が切れた。

そのあと、1時間ほどして甲斐から電話があり、待ち合わせ時間や場所、合言葉などを知らせてきた。日曜の10時に富士宮駅。そこに待つ車の運転手に合言葉を言い、ヨーガ神気教の本部に向かう手はずだ。

甲斐は、麻倉から話を引き出すコツをアドバイスしてくれた。

「まずは麻倉に、信者ではないが、ヨーガ神気教のことを学習し、大いに共感している姿勢を示すこと。お前は教義について調べているから、だいたいのことは知っているはずだ」

「麻倉は案外、ポロっと本当のことを言うから、城之内とか仲山がいつもハラハラしてガードしている。やつは、インテリに褒められるのが大好きで、褒められると警戒心が薄れ、普段は言わないことまで言う傾向がある」

「だから、とにかく褒めることだ。日々マンデーや巻上の悪口を言うと、なおいいかもしれん」

そう言って、また愉快そうに笑っていた。

ヤナは、大学時代、右翼サークルと「抗争」していたときの、甲斐との作戦会議を思い出していた。右翼の集会に侵入してビラを撒いたり、右翼サークルの部室に忍び込んだりする計画を練っていたときも、甲斐はこんなふうに楽しそうだった。

「もし、お前が麻倉にめちゃくちゃ気に入られ、側近としてインナーサークルに入れたら、ヨーガ神気教の秘密のすべてがわかるだろう。潜入取材だ。もしかしたら、選挙の候補者にさせられるぞ。まあ、そこまではいかないだろうし、そうなる前に逃げたほうがいいがな」

と最後に甲斐は言った。


翌日の日曜、ヤナは、大学以来使っていなかったマイクロカセットレコーダーを押入れから探し出し、作動を確認していた。

それは、通常のカセットの4分の1ほどの大きさだ。収録時間が通常のカセットより短く、音質も音量もいまひとつなのであまり普及していないが、盗聴に便利だ。ヤナも、右翼サークルの集会や、部室での会議を盗聴する目的で、大学時代に奮発して買ったのだ。

それを、いつも持ち歩いているポーチ型の携帯灰皿に入れ、その携帯灰皿を、ヤナが持っているバックルのないゴムベルトに、ガムテープをぐるぐる巻きにして固定した。

そして、裸の腰にそのベルトを巻き、下着とズボンの下に隠し、持ち込む作戦だ。

カセットレコーダーでできる膨らみを、前に持ってくるか、後ろに持ってくるか、少し悩んだ。前に持ってくると目立つし、小便のとき邪魔だ。後ろの尻のところに回しておき、場合によって前にも移動させられるように、ベルトの締まりを調整した。

そして、手探りでレコーダーのスタートボタンが押せるよう、何度も練習した。

テープをひっくり返すことはできないから、収録時間は最大45分だ。45分あれば、なんとかなるだろう。

もし万一、見つかってとがめられたら、尊敬する尊師の声を残したくて、とかなんとか言い訳しよう。それで許されるかどうかわからないが、もうやるしかない。


「安全はできる限り守る」という甲斐の言葉はどこまで信じられるのか。廣井や吾妻たちの言葉を信じるなら、ヨーガ神気教は危険極まりない集団だ。

だが、ヨーガ神気教が本当にそこまでの犯罪集団か、ヤナはまだ半信半疑でいる。

弁護士一家失踪からは、まだ1カ月たっていない。

失踪に関しては、左翼の内ゲバ説とともに、弁護士がサラ金問題にかかわっていたことから、ヤクザがらみという説がある。廣井らが、事件記者の勘で、ヨーガ神気教の犯行と決めつけるのは、早計かもしれないのだ。誘拐なら、水面下で交渉がおこなわれている可能性がある。

ヨーガ神気教の犯行でないとすると、麻倉の「自供」の可能性、つまり特ダネの可能性もなくなるが、それはそれで、仕方がない。

甲斐のいうとおり、チャンスはチャンスだ。無駄骨になっても、たしかな根拠がない恐怖心のためにチャンスを潰すのは愚だ。

ヤナはそう思うことにした。


すぐに月曜が来て、悩む時間がないのは、ヤナには幸いだった。

未明のうちに田無のアパートを出て、始発の西武線に乗った。ショルダーバッグにノートや筆記具、そして山梨は寒いかもしれないのでウィンドブレーカーを丸めて入れている。

大学時代に遊びでつくった、「90年代キッズ」と左翼出版社の名前が入った名刺も、念のために持っていく。

JRに乗り継ぎ、3時間半かけて富士宮駅に着くと、出口に甲斐から聞いていた白いバンが止まっていた。

道着を着た、少年のように若い男だけが乗っている。たぶん出家信者だろう。合言葉を言うと、うしろにどうぞ、とドアを開けた。それ以上の確認はされなかったから、名刺などはやはり無用だった。

ヨーガ神気教本部までの道行きは50分ほど。運転手の若い信者は、うっすらと笑顔を浮かべているだけで、車中ではまったく喋らない。それはヤナには助かった。これからのことに集中したい。

やがて、本部ビルの正面に車はついた。灰色の2階建てビルだ。

中に入ると、雰囲気は病院のなかを思わせる。それも、昔の病院、というより、いっそ廃病院に近い。

神社や寺をはじめ、ヤナが知る宗教施設は、それぞれに独特の美意識があり、特別に清潔であったり、造形に凝った建物や彫像があったりする。

ヨーガ神気教の施設にそうしたものがないのは、だれかのルポで知っていた。甲斐のいう、文系的な教養やセンスの欠如かもしれない。構内に美術品のたぐいはなく、床や壁には汚れや染みがあり、清潔でもない。

ヨーガ神気教の信者は、俗世の悪に染まらない「きれいな心」だけを見つめている。だから、建物の装飾や、ゴミや汚れといった外界の物質は気にしない。「きれい」の概念が普通人とちがう、とそのルポには書かれていた。

このビルは、入り口で感じた以上に、奥行きがあるようだ。たぶん建て増しを繰り返して、複数の建物が通路で連結されているのだろう。


若い信者のあとについて、無機的な通路を右に左に曲がりながら、考えているのは、麻倉との対決の戦略だ。

麻倉は、人の心が読めると言われている。

麻倉は目が見えないが、相手が何を考えているか、その人と正対するだけでわかるという。

信者はそう信じている。

もしそれが本当なら、ヤナがなにを企もうが、すべて無駄ということになる。


ヤナは当然、「空中浮遊」と同様、そんなことは信じない。

しかし、宗教家として、それなりの数の人を心服させるには、麻倉に何か生来の能力なり、技術なりがあるのだろうと思う。

「尊師は、自分のことを、自分以上にわかってくれている。だから、尊師についていくことにしました」

という意味の信者の言葉を、ヤナは取材の過程で何度も見ていた。

人の心を読める、その能力で人を心服させる、ということは、麻倉は人の心の急所を突くのがうまいのかもしれない。

ヤナが恐れているのは、そのような心理技術で麻倉に圧倒され、本来の目的を達せられないばかりか、ヨーガ神気教の世界に取り込まれて、自分の素性や甲斐との関係など一切合切を白状させられるような事態である。そうなると、自分だけのことでなくなり、甲斐や、日々マンデーにも迷惑がおよぶ。

大学時代の学生寮の仲間で、キャンパスで勧誘している宗教団体に「洗脳」され、ものの数日で人格が一変した男がいた。

左翼のオルグで、ある程度の時間をかけて人格が変わることはあっても、そんなに急に変わる例を知らない。宗教はオソロシイと思ったものだ。


1階分、階段を上らされて、ヤナはがらんとした12畳くらいの和室に入れられた。ここが控え室だろう。

「少しお待ちください。荷物はここに置いていってください」

と若い信者に言われた。

やはり、テープレコーダーは身につけておいて正解だったと思う。

隣接する、あまり清潔とはいえないトイレで小便をし、引率の信者の目がないのを確認して、腰のテープレコーダーの位置を確認した。

腕時計を没収されないのは助かる。出家信者は腕時計を身につけないと聞いていたからだ。「インタビュー」が始まれば、これを見ながら、時間との勝負になる。


靴を脱いで「控え室」であぐらをかき、ヤナは自分の「心の弱点」について考える。

麻倉への戦略を考えるうちに、自分が良心に弱点を抱えていることを、ヤナは発見していた。

このところの自分の行動を振り返ると、われながら褒められたものではない。

4年間付き合った玖美に、きちんと返事をできない。

会社で知り合ったばかりの高島奈々に、言い寄るような真似をしている。

お前は玖美と、ただ体の関係のためだけに付き合ったのではないか。

高島奈々が金持ちの令嬢だから、お前はそのカネ目当てで近づいたのではないか。

そうではない、それだけではない、と言いたいが、そうかもしれないと思う自分がいる。

いまの俺の心の弱点は、そこだな、と思う。

麻倉にこんなふうに言われると、いちばん堪えるだろう。

「お前の問題はエゴイズムだ。お前はずっと社会運動をして、いまも同僚より正義がわかっているつもりで、倫理的優越を感じつづけているかもしれないが、女たちへの態度を見ろ。最低のエゴイストでしかないではないか」

それで自尊心がガラガラと崩れて、「おそれ入りやした」と麻倉の足下にひれ伏すようなことにだけは、ならないようにしたい。

エゴイストでなぜ悪い。

玖美とは体だけの付き合いだった。それでなぜ悪いのか。

高島奈々は金持ちだから言い寄ろうとした。それでなぜ悪いのか。

そう開き直れるほど、心を強くもっておこうと思う。

だいたい、いつも女は弱者、被害者のように振る舞うが、それに騙されて、女に負い目をもつ必要はない。

このバブル時代、女たちがどれだけ、その分け前に与あずかろうとしていたか。どれだけ目をギラつかせ、カネを求め、享楽を求め、特権を求めていたか。男たちの陰に隠れているだけ、男よりずるいと言える。男も女もエゴイストだ。世の中全員、エゴイストでなぜ悪い。

と考えているうちに、若い信者がヤナを呼びに来た。


信者について階段を降り、また少し1階の通路を歩くと、1つの扉の前に導かれた。

信者が扉を開けると、そこは戸外で、中庭のようになっている。

「あちらです」

と信者が指差す先を見ると、中庭の向こうに、一軒のプレハブ小屋が見える。

全体が鮮やかな青色で塗られている以外は、何の変哲もないプレハブ小屋だ。

「あそこに行ってください」

「あそこが……面接の会場ですね」

信者は何も言わず、笑顔でうなずいている。引率はここまでで、ヤナはここから1人で歩いていかなければならないようだ。

中庭に一歩踏み出すと、冷たい外気が吹き付け、ヤナは身震いした。こんなことなら、バッグの中のウィンドブレーカーを羽織っておくべきだった。

プレハブ小屋までは30メートルほどだが、寒さで身を縮めながら歩いていると、遠い距離に思われる。背後に信者の目を感じるので、腰の後ろにあるテープレコーダーのスタートボタンを押すタイミングがわからない。

わざと大きく振り返り、ヤナは若い信者に笑顔を見せた。その隙に、信者から見えなくなった背中側を手で探り、テープレコーダーのボタンを押した。

そして、プレハブ小屋に向き直り、腕時計で時間を確認して、また歩き出した。


小屋の扉を開けると、急に温気を浴び、温度差に少し頭がクラっとした。

カーペットが敷かれた中は、住宅の一室のようであり、手前に応接セットが置かれ、正面に、ソファに座った白い道着姿の麻倉がいる。

その膝には、小さな道着を身につけた7、8歳くらいの少女がまとわりついていた。

ヤナが、なりすました出版社の男の名前をいうと、

「おお、来たか。早く扉を締めて、私の向かいに座ってください」

と、麻倉が陽気な声をあげた。

応接セットの奥にある大きな衝立から、女が出て来て、少女を抱いた。

「すみませんね、騒がしくて」

そう言う女は、麻倉の妻だ。麻倉が日々新聞に抗議に来たとき、一緒にいたのをヤナは見ている。濃い眉が特徴的だ。向こうはヤナを見ていないだろうが、少し緊張する。女は、ひっつめ髪で化粧気はない。あのときの固い表情とはまったく違い、主婦の笑顔をヤナに向けている。

騒がしくて、と言うが、麻倉の娘らしい少女は、ヤナをちらと見ただけで、何も喋らず静かである。女たちが衝立の後ろに消え、ヤナは麻倉の正面の、4人掛けくらいの大きなソファに座った。

「知っていると思うが、私はここで唯一の在家信者でね。ここは、私の自宅だ」

麻倉も、あの出版局で見た麻倉とは違い、くつろいだ印象だ。ここが応接スペースで、衝立の向こうが家族の居間なのだろう。

麻倉の妻が衝立から出てきて、ヤナの前のセンターテーブルに、茶のようなものを置いた。

(これは飲まないほうがいいだろう)

と思いながら、チラと腕時計を見る。時間を無駄にできない。

麻倉の妻が再び衝立の向こうに去ると、ヤナは口を開いた。

「今日はありがとうございます。尊師には以前からお会いしたいと思っていました」

「お前の噂は聞いてる。すごい才能だそうじゃないか。まず、私らの教団をどう思っているか聞かせてもらえるか」

「はい、3年前に尊師のことを雑誌で読んで……」

まず、褒める。甲斐から聞いた作戦どおりだ。そのあと、弁護士の話にできるだけ自然に移行させるつもりだ。

正面で、麻倉は気持ちよさそうに聞いている。

教義について、ヤナが知っていることを話したあと、次の話題に進む。

「日々マンデーの報道を見て、頭に来て、いつかお手伝いできないか、と……」

日々マンデー批判も甲斐から聞いたとおりの流れで、ここは半分、本当に思っていることだから、言葉が流れ出る。

ただ、自然に早口になる。あまりこのあたりで時間を無駄にできない。

話しながら、腕時計を見ると、もう15分近く経過している。そろそろ、「でも、ひとつ、引っかかることがあって」と切りださなければならない。

だが、その必要はなかった。

「お前は、私に疑いをもっているようだ」

と、麻倉は困ったような顔になって言った。

「弁護士の件であろう」

「はい、やはり報道を見ていますと、何か関係があるのか、と」

「ヨーガ神気教は、愛という教えを中心に活動している。私どもは、人を救いに導く宗教団体だ。人に危害をくわえるなど、とんでもない」

ヤナが何も言えないでいると、

「ただ……」

と麻倉は言葉を続けた。

「ただ、うちも、信者さんは、5000人くらいにふえた。その全員のことを、私も把握しているわけではない」

(お、いいぞ)とヤナは思う。

「それでは、信者のだれかが、尊師の知らないあいだに、何かしでかした可能性はある、と」

「そうだな、うむ。もし、そうだと、困ったことだが」

(組織として関与している可能性を認めるのか。いいぞ、いいぞ)と思わずヤナは背中のテープレコーダーを手で触った。作動中の振動をかすかに感じる。

「その可能性はある、とお認めになるのですね」

「うむ。可能性は、な。困ったことだが」

「だれか、そんなことをしそうな信者に、心当たりはありますか」

「うむ、そうだな、それは……」

と言いかけて、

「ところで、お前の問題は何か、お前は知っておるか」

と麻倉は言った。

「私の問題ですか。私の心の問題ということでしょうか」

(来たな)とヤナは思う。せっかく、いいところまで来ている。「心の問題」は早く済ませてしまいたい。

「お聞かせください、尊師。私の問題とは」

「お前の問題は」

と言って、麻倉はニヤリと笑った。

「センズリのかきすぎだ」

「え?」

「センズリだ、センズリ。オナニー。マスターベーション」

麻倉が大声をあげるので、ヤナは思わず女たちが気になって衝立のほうを見た。

「……どういうことでしょうか」

「お前は、毎日、漏らしておるな」

「漏らす……?」

「ときには、日に2回も、3回も」

「…………」

「会社でも欲情しておるな、お前は」

「それは、どういう……」

「あとは、愛のない交合をしておるな」

ヤナが何も言えないでいると、は、ハハハっと哄笑した。

「恥ずかしがることはない。男なら自然なことだ。私も性欲に悩んだ時期がある。だから早くに結婚して子供もおる。いまは完全にコントロールできておるがな」

「……性欲が、私の問題だ、と」

「お前は私の本をちゃんと読んでいないな。〈精〉を漏らすと、それだけ生体エネルギーが減る。生体エネルギーが減ると、精神が集中できなくなる。だから、修行中は禁欲しろと書いている。読んどらんのか」

「すみません、見逃していました……」

「お前は、漏らしすぎで、エネルギーがいつも不足している。だから、集中力や決断力が出ない。お前はいつも、あれかこれか、迷うばかりで、きちんと判断して前に進む人生を送れておらんだろう。どうだ?」

「おそれ入りました、たしかに……」

「エネルギーは、な」

と、そこで麻倉が急に立ち上がって、センターテーブルを回り込んで近づいて来たので驚いた。

「エネルギーは、腰に溜まるんだ。お前は漏らしっぱなしだから、そこのエネルギーがいつもカラだ。どれ、うつ伏せになってみろ」

ヤナが戸惑っていると、麻倉は言う。

「とって食うわけじゃない。私がエネルギーを注入してやる。ソファに、うつ伏せで寝てみなさい」

いかん、とヤナは慌てて、カセットレコーダーを背中側から前に回そうとした。麻倉は見えないとはいっても、なるべくその視界から隠すようにベルトを回した。

ヤナがソファにうつ伏せになると、麻倉の手が腰のあたりをまさぐりはじめた。

そして、腰の1点に強い圧力を感じた瞬間、強烈な快感が腰から脳天に向けて突き抜けた。

(そうだ、この人はマッサージ師だった)と思ったあと、ヤナの意識は遠のいた。


意識が戻ると、すぐに腕時計を見た。ものの1分もたっていない。手を腹の下に入れると、テープレコーダーの膨らみに触れたのでホッとした。

「もう、起きていいぞ」

と麻倉の声が聞こえた。すでに正面の席に戻っている。

「お前は疲れすぎているようだ。私が腰にエネルギーを入れておいたから、すぐに元気になるだろう」

「ありがとうございました」

たしかに、疲れが取れて、体が軽くなった気がする。

「まあ、1カ月は漏らさずに、エネルギーが溜まった状態で精進しなさい。もう帰っていいぞ」

「あ、もう終わりですか」

「ああ。あとで連絡するかもしれん」

そう言って、麻倉は、しっし、とヤナを手で追い払うような仕草をした。

(俺は落選だな)

と思って立ち上がって、小屋の外に出たが、落胆はしていない。

とにかく終わってホッとしたし、事件の犯人が「信者の可能性はある」の部分の録音は、使えるかもしれない、と思う。

(それにしても気持ちよかったな)

山梨まで、いいマッサージを受けに来たみたいだ。



小屋を出た先に、またあの若い信者が待っていた。

控え室に戻って、カバンを持ち、トイレに行っても、今度は信者がついてくるので、テープレコーダーを取り出す機会がない。

引率係の若い信者は、相変わらす薄笑いを浮かべて話もしないが、さっきより警戒しているような気がする。バンで駅まで送られるあいだも、運転席から終始、ヤナのほうをうかがっている気配を感じる。

富士宮駅で信者と別れ、駅のトイレの個室で、やっと腰のテープレコーダーを確認することができた。

テープレコーダーは無事だったが、テープは抜かれていた。



翌日の昼、編集部に電話がかかってきた。

「甲斐だ」

ヤナは思わず、周囲を見回した。編集部に電話してくるとは思わなかった。

「録音がバレたな。大丈夫だ。すべて背負って俺たちは南米に飛ぶ。お前は心配ない。ただ、もうヨーガ神気教には近づくな」

「どこにいるんだ」

背後に、人混みのような騒音が聞こえる。

「トランジットの空港だ。いいな、ヨーガ神気教のことは忘れろ」

そして、少しの間の後、

「アディオス、アミーゴ」

と聞こえて、電話は切れた。






第4章 1989年12月 最も長い日



1. ヤナの長い日



11月末に、弁護士事件への協力を警察から要請されたヨーガ神気教は、それを承諾していたにもかかわらず、12月に入って麻倉はじめ幹部信者は国外に渡った。

「国外逃亡か」とマスコミは色めき立ったが、日本に残ったヨーガ神気教の仲山弁護士は、

「前から予定されていた、海外支部開設のための視察です。帰国してから捜査には協力します」

とマスコミをなだめた。

甲斐が言っていた「麻倉が姿を消す」とは、このことだったのかとヤナは思う。

弁護士の言葉を鵜呑みにはできない、と何人かのジャーナリストが、麻倉が向かったというドイツに飛んだ。日々マンデーの廣井も、支部開設の予定があるというボンに旅立った。

そこまでは山形から聞いていたが、ヤナはもう弁護士事件にかかわりたくなかった。

ヨーガ神気教に近づくな、というのが甲斐の忠告だ。


12月に入り、この「大学班」の部屋で作業するようになったのは、好都合だったと感じている。もうヨーガ神気教の取材を命じられることはない。

だが、ヨーガ神気教を頭から追い出そうとしても、麻倉から言われた「漏らしている」という言葉は、ヤナの頭にずっと残っている。

麻倉は、なぜ俺が、毎日「漏らしている」ことを知っているのだろう。

「漏らしている」ことが、俺の顔を見ればわかるのか。

いや、麻倉は目が見えないが、見なくてもわかるということか。

(この性欲の強さ、俺が結婚適齢期ということなんだろうな)

とヤナは思う。

当分、漏らさないようにしよう。

禁欲だ。生体エネルギーとやらを溜めよう。

そのためにも、この「大学班」の部屋の、刺激のない部屋で、ひとり作業ができるのは好都合だと感じる。

ときどき高島奈々が、受験情報の資料やゲラを持って上がってくるが、「ありがとう」とだけ言って、なるべく顔も見ない。「漏れる」といけないから。

そのうち、高島も黙ってゲラだけ置いていくようになった。



東大合格者号の準備を続けていると、

(麻倉聖劫もこの『名簿』に載ることを切望していた)

という思いがよぎる。

麻倉はとくに、東大法学部入学に固執していた。

その気持ちがわからない日本人がいるだろうか。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の次にアメリカで流行している「日本異質論」では、

「日本は民主主義国ではない、なぜなら、重要なことは、選挙で選ばれた政治家が国会で決めるのではなく、政財官マスコミの『東大法学部卒業生同盟』がゴルフ場で決めている」

と言われていた。

それは、当らずとも遠からず、と日本人自身も思っている。

東大の合格者発表、わけても法学部のそれは、いわば日本という国で最も重要な「人事」の貼り出しだ。この名簿のなかにいる人たちが、やがて各界のトップに上り、日本と日本人を支配するようになる。

そこに自分の名を載せたいという麻倉の気持ちがわからないはずはない。小さいころから人の上に立ちたがった麻倉にとって、それ以外の選択肢がないほどの切望の対象だっただろう。

しかし、それまで全盲の東大合格者はおらず、そもそも点字での受験ができなかった。東大が点字での受験に門戸を開いたのは、ちょうど麻倉が高校生になったころだ。だから麻倉は、東大に合格する初の視覚障害者になろうとしていたと思われる。

もっとも、少なくとも高校時代までの麻倉は、盲学校生ではあったが完全な失明はしておらず、点字ではなく墨字の教科書を使っていた。

麻倉の浪人3年目にあたる年、点字で受験した初の全盲の東大生が誕生している。だが、その年に麻倉は受験をあきらめ、予備校で知り合った女と結婚した。麻倉は22歳だった。


ところで、東大の合格者発表では、合格者に直接通知されるほか、大学の構内に全氏名が貼り出され、名簿は各メデイアに配られる。

司法試験合格者や医師免許合格者と同じで、普通に氏名が公開されている。基本的にはタダで手に入る情報だ。

では、日々マンデー東大合格者号の商品価値が、どこで生まれるかというと、合格者を出身高校別に分類し、出身高校を合格者数でランク付けするところにある。

ヤナは、自分が田舎の高校生のときまで、なぜ「出身高校」に人々がこだわるのか、わからなかった。だが、東京に来てみると、出身高校が、ときには大学以上に重視される文化があることを知る。

入社後の懇親会で会った日々新聞の役員で、聞きもしないのに「自分はヒビヤ高校だから」と言う人がいた。東大出身者だらけの役員のなかで、それが彼の優越材料らしい。

そのような理由で、出身高校別にランキングされた合格者の名簿が、爆発的に売れるのである。

日ごろ、学歴社会を批判し、受験戦争を嘆き、もっとゆとりをもった育はぐくみを、とかいっている日々新聞が、「東大合格者名簿」を売るのは矛盾している、と言われることがある。

巻上は、多少その批判を気にして、「東大受験は、受験界の甲子園だ」とか言い出し、イメージをよくしようとしている。

しかし、日々新聞社の歴代社長も、東大卒の男である。採用時の「学歴不問、性別不問」という建前を信じている者はいない。


12月の2週目に入り、麻倉とヨーガ新気教の幹部たちが日本に戻り、記者会見を開いていた。予想どおり、弁護士失踪の件への関与を一切否定する内容のようだ。

ヨーガ神気教の情報と接するのはやめようと思っていたが、たまたま若者向け週刊誌で、麻倉と、若手宗教学者との対談が目に入った。その和気藹々とした対談の中で、弁護士事件に関して宗教学者が、

「麻倉さんの監督不行き届きじゃないですか」

と、「カッコ笑い」付きで質問したのに対して、麻倉は、

「信者さんは5000人くらいいますから。もしそういうのがいると、困るなあ」

と、ヤナが山梨で聞いたのと同じ発言をしていた。

この対談は麻倉の渡欧直前、つまりヤナが聞いたのと同じころの収録だ。

(結局、テープが残っていても、スクープ価値はなかったな)

とヤナは思った。

そして、テープの残りの部分は、自分の恥ずかしい話しかないから、テープがこの世から抹消されていることを、ヤナは祈るだけだった。


弁護士失踪の話題も次第に忘れられ、いまは株価の高騰に人々は沸いている。

日経平均は、東西冷戦終了ムードを好感して、11月半ばから急勾配で上昇し、12月半ば、3万8000円台を突破した。年の初めが3万円ちょうどくらいだったから、ここまでで8000円くらい上がったわけだ。

どこまで上がるのか、サラリーマンも熱い視線で注目しているので、日々マンデーの推奨銘柄ページはこのところ反響が大きい。

年末には、どの週刊誌も「2週分」にあたる合併号を出して、正月に1週間休みをとる。日々マンデーの合併号では、銘柄特集を増ページで載せる。

その手伝いとして、ヤナは、証券取引所の記者クラブである、兜クラブの経済記者の原稿取りを大口から命じられた。

ついでに、兜クラブと連携して、大納会の取材もやれということだ。大納会とは、証券取引所の年末最終の取引日だ。今年は29日で、1989年最後の株価が注目されている。記事が載るのは年明けの第1号だから、1990年の銘柄情報も、その記事に混ぜろという。

ヤナは、〈エネルギー〉が溜まりまくっているからか、いくらでも仕事ができると感じている。12月に入って、ほぼ休日返上で働き続けている。

忘年会の真っ盛りとなり、玖美からも少し前に、居酒屋バイト仲間の忘年会の誘いがあった。

でも、断った。手紙への返事は、もう少し〈エネルギー〉を溜めて、決断力がついてからにしたい。いま玖美と会えば、その前に「漏らして」しまうかもしれないから、困る。


それから10日後。

1989年12月29日の午後、ヤナは、写真部員と、地下鉄の兜町駅から地上に出た。東京証券取引所は、歩いてすぐだ。




2. 巻上の長い日



ヤナが東京証券所の大納会の取材に向かった、その数時間後。

巻上は、地下鉄日比谷駅から地上に出ると、あたりを見回して、帝都ホテルの方向に足を進めた。

今日はどこも仕事納めで、帰宅を急ぐビジネスマンの姿が多い。子供連れもちらほらいて、この辺りにもすでに休日気分が漂っている。

10月から、移動のときは身辺を警戒する癖がついている。会社のみんなには言わなかったが、自宅前で貼り紙された直後に、買い物に出た妻がヨーガ神気教の信者に囲まれたことがあった。幸い、妻はすぐに自宅に逃げ帰れたが、家族もそれ以来、おびえている。

編集部の部下たちに、弱気を見せるわけにはいかなかった。社内でも、同業他社からも、注目されている。いっそうキャンペーンに力を入れて、ヨーガ神気教の狂気を社会に認知させるしかないと思った。

しかし、釜本弁護士の失踪で、根本的に状況が変わった。

弁護士失踪の件は、編集局からすぐに役員室にあがった。それまで出版局長はキャンペーンを支持してくれていたが、すぐ役員室に呼ばれて「何かあったら、会社として補償できない」と言われた。ヨーガ神気教キャンペーンをやめろと、引導を渡されたのだ。

少なくとも、弁護士失踪事件に解決のめどが立つまでは、表立ったキャンペーンはできない。

1カ月以上はがんばって続けた。いったん撤収だ、と取材班に言ったとき、廣井や吾妻から反対された。彼らから、「キャンペーンが終わっても、弁護士のヤマだけは追わせてください」と言われれば、拒めなかった。しかし、くれぐれも気をつけるように念を押した。

海外に「逃亡」した麻倉らの所在が、西ドイツのボンであることが確認されたとき、廣井は、巻上が許可を出す前に航空券を取っていた。

廣井は、ほかのマスコミに先がけて麻倉の滞在ホテルを割り出し、その部屋に突撃した。

廣井の顔を知っている側近たちが追い払おうとしたが、

「弁護士失踪は、あなたたちの仕業ではないか」

と、廣井は部屋の中の麻倉に向かってストレートに聞いた。

すると、麻倉は、

「わたしがやるなら、弁護士ではなく、おたくの巻上をやりますよ」

と言い、ニヤリと笑ったという。

そのことを、廣井から国際電話で聞いて、巻上は心底ゾッとした。

麻倉たちが海外に行ったので、身辺の警戒を解こうと思っていたが、解けなくなった。

あの赤い表紙の糾弾本も不気味だ。あんな出版物の影響力はたかが知れているが、妙に自分のことを知っているし、攻撃の勘どころを押さえている。自分について書かれているのは、いろいろな取材で答えてきたことではある。丹念に調べればわかるだろうが、気味は悪い。

大口に「なんかスパイでもいるみたいですね」と言われたことがある。部下を疑いたくはないし、さすがにそれは被害妄想だろうと思う。ただ、麻倉たちの背後に、まだ表に現れていない智慧者がいるような気がする。


麻倉らは帰国して、記者会見を開き、弁護士事件についてマスコミの質問に答えていた。

そこで麻倉は、こう言った。

「釜本弁護士は、何も特別な弁護士ではありません。釜本弁護士がいなくなっても、私どもを問題にしようという、また別の弁護士が出てきて不思議はない。弁護士はいくらでもいるのです。それなのに、なぜ私どもが釜本弁護士を消そうとするでしょうか。しかも一家全員消す必要があるでしょうか。無駄だし、危険すぎる」

そのとおりなのだ。そのとおりだから、マスコミも警察も、つい麻倉を信じてしまう。

その警察を、麻倉は記者会見で、「中立的な立場で慎重に動かれていて、たいへん結構」と持ち上げる余裕さえ見せていた。

しかし、それならば、私が執拗に狙われる理由もないはずなのだ。ヤクザがフリーのジャーナリストを狙う話はときどき聞く。だが、新聞社の記者が標的になることはほとんどない。なぜなら、新聞記者は組織で動いているから、1人消しても、また別の者が出てくることを知っているからだ。

論理がわからない。取材班が途中で気づいた不気味さの根源はそれだ。

危険だけれど、あえてやる——いや、危険だから、やる。不合理だから、やる。

弁護士を、しかも一家まとめて、消す理由などはない。だから、消す。そんな「超論理」が働いている気がする。それが宗教というものなのか。あるいは、麻倉の組織があまりに異常なのか。

自分個人が、麻倉の恨みを買ったのかもしれない。

発売初日から抗議され、その後、嫌がらせを続けられたが、それはいっそう自分の心を焚きつけたと思う。

あんな、いきなり編集部に来ての抗議など、会わずに済ますこともできた。しかし、面白い、ネタになる、と思い、受けて立った。

麻倉をはじめ、仲山にせよ、城之内にせよ、ヨーガ神気教の幹部は、みんな自分より10歳以上、年下だ。あんな連中に負けるはずがない、負けるわけにいかない、と思っていた。あのときの自分に、慢心があったのか。

あるいは、そもそも企画に問題があったのか。〈宇波スキャンダル〉スクープの余勢で、飛石の後継の自分は、メディアの注目を集め、社内で期待されていた。次のスクープを早く生みたい、という焦りがあったのか。

その結果、報道は、彼らの行動を改めさせる目的だったのに、逆の効果を生んでしまったとしたら。

自分たちの報道が彼らの狂気を増幅させ、手負いの獣を野に放ってしまったのだとしたら。

自分たちの報道により、もし弁護士一家が殺されたのだとしたら。

自分はどう責任がとれるのだろう。

ヨーガ神気教からの襲撃に対する恐怖とともに、内心のさまざまな疑惑と葛藤が巻上を苦しめている。



しかし幸い、週刊誌の編集長には、ほかに考えることがたくさんある。目の前に、片付けなければならない仕事が、山と積まれている。

新聞記者は接待されることが多いが、この立場になると、接待する側の仕事がふえる。

編集作業のないとき、広告局員や販売局員と一緒に、有力スポンサーや有力販売店を挨拶回りしている。広告や営業の連中の苦労が初めてわかった気がする。自分は慣れないが、「武家の商法」と笑われないよう、懸命に頭を下げて務めているつもりだ。

とくに今年は、企業がらみの忘年会が多い。これまで記憶にないほどの数、誘い、誘われた。巻上は、誘うほうを優先し、誘われるほうはほとんど断らざるを得なかった。

忘年会でのつき合いも、商売の一環だ。企業からどうやってカネを引き出すか、いまは各社各誌が競争のように策をめぐらせている。負けるわけにいかない。目の前に札束を吊り下げられているようなものだ。

日々マンデーも、ここで手を変え品を変えて企画を提案し、稼げるだけ稼いでおかなければならない。今日も、広告局担当者と一緒に名古屋に行き、有名ホテルの社長と記事広告の打ち合わせがあった。編集長が顔を出したら商談がまとまる、と広告のやつに言われたら、行かないわけにいかない。

これから向かうのも、いつも広告を出してくれている企業の納会だ。しかも大スポンサーであり、そのビール会社の社長は、個人的にも自分を気に入ってくれていると思う。

来年早々、日々マンデーで、外部のビジネスライターが書く、そのビール会社の「躍進の秘密」の連載が始まる。それは日々新聞から本になり、ビール会社に買ってもらえるだろう。その連載のことを、納会で大々的に発表してほしいと社長から頼まれていた。


帝都ホテルのロビーは、今日そこで開かれる、似たような大企業の納会に来た人々でごった返している。

約束の時間に少し遅れている。急ぎ足でロビーの人混みを縫い、目的の階に上がろうとエレベーターに乗ると、以前どこかで見かけた男が一緒に乗ってきた。この仕事をしていると、無数の人間と名刺を交換するので、名前をすぐに思い出せないことは多い。

スーツ姿だが、どこか板についていない。それに、その眉毛が途中で切れた男の顔と、かもし出す雰囲気は、ビジネスで出会う人間とは異質だ。その男は、顔をしかめ、巻上の視線を避けるように、空間の一点を凝視している。

エレベーターから降り、会場に向かう廊下を歩きながら、その男が背後からついてくる気配を感じて、巻上は悪寒がした。尾行だとしても、追っ手をまく時間はもうない。

会場に入ると、すでに納会は始まっていて、賓客の一人がスピーチをしている最中だった。場内は社員や関係者などでいっぱいで、人いきれで息苦しく感じるほどだ。

ビールのグラスを受け取り、乾杯の音頭で1杯飲み干したあと、社長のところに挨拶に行くと、すぐにスピーチをしてほしいという。

社長に押し出されるように、センターマイクの前に立った。そこで、ふと会場の入り口のところに、先ほどの男が立っているのが見えた。

巻上は、マイクに向かって話そうとするのだが、なぜか言葉が出てこない。横の社長が怪訝な顔をしているのを見たのが、その会場での最後の記憶だ。

次の瞬間、巻上は、マイクスタンドを倒し、床に崩れ落ちていた。



3. 玖美の長い日



同じころ。

玖美がいつも行く神田の書店は、年末だからか、混んでいた。

玖美は、お目当ての本があるはずの6階に、エレベーターで上がった。

いつもは人気のない専門書フロアにも、今日はけっこう人がいる。

ヤナから連絡がないのは、あの手紙への返事で悩んでいるからだろうか。

あるいは、もう結論が出ているからだろうか。

1年以上、月に2回くらいは一緒に寝ていた。いつもヤナから電話があり、ヤナが求めていることがわかった。でも、ディスコの夜以来、もう2カ月くらい、私に会おうとしない。

あのあと、一度だけ電話した。かつての居酒屋バイト仲間が集まる忘年会があったからだ。

手紙のことには触れず、明るく誘ったつもりだったが、「忙してくてね、悪いけど」と暗い声で断りの返事をされた。

それでも、「年末年始は休みがとれるから、また連絡するよ」と言ってくれた。今日まで、その連絡は来ていない。

昨夜、実家に電話して、「正月は仕事で帰省できなくなった」と伝えていた。正月までは、ヤナからの連絡を待ってみようと思う。

私はヤナに捨てられるのか。

そうだとしても、あと1回は会って、話をしたい。

もし連絡がなければ——それ以上のことをいま考えることはない、新しい年になってから考えよう、と玖美は決めていた。


ヤナが読みたいと言っていた「ロールズ 正義論」という本は、哲学書コーナーの棚にあった。

見回すと、付近に人はいない。

思ったより分厚い本で、バッグに入るかわからず、少しためらったが、次の瞬間、バッグのなかに思いきり押し込んで、エレベーターのほうに向かった。

エレベーターのボタンに手を伸ばすと、その手首をつかまれた。

「すみませんが、事務所に来てもらえませんか」

と、書店の名札をつけた若い男に言われた。

連れていかれた事務所は、小さな事務机と、長テーブルにパイプ椅子が数個あるだけの狭いスペースだ。

玖美はそのテーブルに、バッグから「正義論」を出して置いた。

バッグの中には他に数冊の文庫本やコミックが入っているが、それは買ったものであり、その証拠に店のカバーがかけられている。

書店の男は、玖美と同じくらいの年だろうか。玖美の向かいに座り、玖美が思うには、玖美より困惑した表情をしている。

どちらかというと、背後に残した、客がたてこんでいる売り場のほうが気になっている様子だ。事務所のドアは開いたままなので、玖美の位置から、カウンターでバイト風の女の子が、中年客に何やら必死に対応しているのが見える。

売り場から「主任」と呼ぶ声がして、

「少し待っていてもらえますか。いま上の者を呼びますので」

と言い残し、男はドアを閉めて出ていった。

玖美は事務所に入るとき、横に「非常口」の表示を見ていた。


「正義論」や他の本を再びバッグに押し込み、そっとドアを開けて覗くと、「主任」がむこうを向いて接客している。

玖美はバッグを肩に下げて事務所を出た。近くの客も立ち読みに夢中でこちらを見ていない。

非常口のドアを開けると、そこは屋外であり、もう外はすっかり暗くなっていることに気づいた。

むき出しの鉄パイプの非常階段の、下階に降りる方向には、段ボールが積み上がって、行く手を塞いでいる。

背後で、非常口のドアにものが当たる音がした。

玖美が慌てて段ボールを乗り越えようとしたとき、重いバッグが横に振れて、バランスを崩した。

「あっ」

次の瞬間、玖美は、たくさんの本と一緒に空を飛んでいる気がした。



3万8957円。

史上最高値で、大盛り上がりの中、今年の株式市場は幕を閉じていた。

「すごいね。最後まで買いが衰えなかった」

と、兜クラブの先輩記者も興奮気味だった。

取引所社長の音頭で手締めが行われ、お開きとなったあとも、人々は会場を立ち去りがたい熱気だった。ヤナは、一緒に来た写真部員が撮影を終えたのを確認し、早めに取引所内の兜クラブに引き揚げて、日々新聞の机を借りて原稿を書いた。

兜クラブの経済記者に聞くと、今年の忘年会の誘いは案の定「記録的」で、あまたの銀行、証券会社、金融系研究機関などの宴会を数日にわたってこなすために、ほとんど30分ごとにタクシーに乗って移動したという。

長銀や第一勧銀など、大銀行が集まる内幸町あたりの道路は、接待客を乗せたタクシーで埋まって動けなくなったそうだ。

今日も、納会のあとの打ち上げがめじろ押しだという。原稿を書き終わって、編集部にファックスで送ったあと、ヤナも経済部の記者に誘われたが、断った。

原稿を書いているうちに、体に重い疲れを感じていた。風邪かもしれない。協力してくれた先輩記者の誘いを断るのはよくないと思ったが、先輩記者も忙しすぎて気にしていないようだ。

証券取引所ビルを出ると、客待ちのタクシーが連なっているが、ヤナはそれを避けながら通りを渡った。

振り返ると、証券取引所の周りのオフィスビルは、この時間になってもほとんどの窓から光を放ち、終わらない納会を楽しんでいるようだ。

行き交う多くの車の光とともに、たくさんの色の光が闇に舞う様子は、子供のころに見た祭りの夜の光景を思い出させる。

ようやく1989年——日本式にいえば平成元年が終わろうとしている。

天気予報によれば、大みそかにかけて都内で積雪の可能性があるらしい。

たしかに、暗い夜空から、いまにも雪が舞いはじめそうな外気の冷たさだ。

玖美の肌の温もりが恋しかった。

ヤナは、コートの襟を立てて、地下鉄の駅のほうへ歩き出した。






終章 3つの結末



1. 第1の結末


冬晴れが続いた1990年の正月を、ヤナは田無のアパートで過ごした。

忙しいことを理由に、もう3年は帰省していない。神仏を信じないから、初詣でのたぐいも縁がない。

忙しいのは事実で、「大学班」の仕事が、やってもやっても終わらない。大納会の取材が臨時で入ったこともあり、年末にかなり仕事を残していた。

巻上は、国立大の「合格者全氏名」にくわえ、早稲田大学政経学部のような私立有力学部のそれもやりたいと考えている。本格的には来年度からだが、今年度はトライアルで、データの割り出し方を研究するように言われていた。

正月休みを返上して、会社で仕事を進めようかとも思った。しかし、年末から続く疲れに加え、喉も痛いので、少なくとも三が日は休むことにした。

車椅子の天才物理学者が書いたという、評判の宇宙論入門を読みながら、久しぶりにテレビを眺めて過ごす。

1月2日の「イカ天」の特別番組は、ヤナも前から楽しみにしていた。

ヤナは「たま」というバンドが好きだった。このバブルの時代に全身で逆らうような無垢な音楽性に、感動を覚えた。「ビギン」という沖縄のバンドが歌うバラードにも、最近のポップスにない潤いを感じて聞き入った。

いまはテクノっぽい音楽が多いけど、俺はやっぱり、こういう人肌の温もりがある音楽が好きだ——とヤナは思う。

最近、〈癒し〉という言葉がよく使われるのは、みんながこの時代に疲れているからかもしれない。


「たま」の話を玖美としたい、とふと思った。12月に玖美から忘年会の電話があったあと、ヤナも休みに入って2回、玖美のアパートに電話した。しかし、いないようだ。帰省しているのだろう。

このまま連絡がつかなくても、それはそれで仕方がないとヤナは思いはじめている。いまの俺には手に負えない、別れたほうが玖美のためか、と考えていた。

あのあと甲斐から連絡はない。ヤナは、麻倉と会ったことは忘れようと努力している。高島奈々のこととともに。年末年始のマスコミは、もうヨーガ神気教に触れることはない。

正月の分厚い新聞を読むと、世の中にはほかに、考えるべきことはいっぱいあるのがわかる。

2月に予定されている衆議院選挙では、リクルート事件による政治不信と、消費税の導入の影響が焦点だと政治部記者が解説している。

国際面では、12月のマルタ会談で冷戦終結が宣言されたことを受け、ゴルバチョフ・ソ連書記長の改革路線が共産圏をどう変えるか、期待とともにさまざまな可能性が論じられていた。

経済では、株価がいつ4万円を超えるかが焦点だ。金利の上昇を不安視するアナリストはいるが、経済人の予測はほぼ強気一色である。

(やっぱり、俺も株を始めようか)とヤナは考える。


正月も3日目になり、喉の痛みが消えると、仕事のことが気になりはじめた。

合併号が年末に出ており、今週いっぱいは休みだ。

だが、明日から会社に行こうかと思っていたところに、坂野から電話が来た。

「休みのところ悪いね。ヤナちゃんは帰省しなかったのか」

「ええ、こっちでのんびりしていました。何かあったんですか」

「巻上編集長が年末に倒れた。脳出血だ」

「えっ」

とヤナが絶句すると、

「やっぱり、知らなかったか。新聞記者はもうみんな知ってるようだが」

と坂野は言った。

「命に別状ない。しかし、意識はまだ朦朧としているらしい」

巻上が倒れた状況を簡単に説明したあと、

「明日の午後3時に、出版局会議室で、編集と営業の関係者に状況を説明する。大口さんがいま病院に詰めているから、最新の病状を伝えられるだろう。休み中だから、無理に出ることはないが、ヤナちゃんにもいちおう知らせた」

と言った。

「行きます」と、ヤナが応えたあと、坂野は、電話を切る前につけ加えた。

「あ、謹賀新年。ヤナちゃん、今年もよろしくな」



翌日の「説明会」には、編集部の半分ほどが出ていた。あとは営業部の副部長が出てきている。

大口副編集長は、まだ病院に詰めているという。坂野が、電話で大口から聞いた病状を報告した。

「ビール会社が素早く対処してくれて、すぐ近くの総合病院の集中治療室に入れたのは幸いだった。意識は回復した。しかし、出血の範囲が広い」

「重い障害が残りそうだ」という坂野の言葉に、みなはうなだれ、言葉が出なかった。

「お見舞いは、ぼくと大口さんが代表してやるから、みなさんは気を使わなくていい。病状は随時ご報告します。外からの問い合わせは、ぼくに回すように」

と言ったあと、

「仕事のことは、来週の最初の編集会議で話す。それまでは休んでいてください」

と言って、解散となった。

ヤナも会議室を出ようとすると、坂野から呼び止められた。

「知っているか、今日の大発会で、株が下がっているぞ」

「え? 知りません。本当ですか」

「もしかして、銘柄原稿の差し替えが必要かもしれん。兜クラブに連絡をとっておいてくれ」

編集部の席に戻って、兜クラブの経済記者に連絡をとろうとするが、なかなかつかまらない。

ようやくつかまったときは、午後5時を過ぎていた。

「年末に、大蔵省でなんらかの機関決定がなされた。バブルが手に負えなくなったと判断されたらしい。そんな噂が流れている。詳しくはまた連絡する」

それだけ言って、すぐに切れた。兜クラブも恐慌状態のようだ。

年明け早々、日本経済に変調の兆しが現れた。来週以降の原稿の書き換えのため、ヤナは結局、残りの休みをすべて潰すことになった。


翌週、新年最初の編集会議の日。

開始ぎりぎりに現れた大口副編集長の頭部に、みんなは目をみはった。

中途半端な長髪だったのが、バッサリ切られ、大口はツルツルテンの坊主頭になっていた。

しかし、そのことをだれも口に出せず、目配せで知らせ合っている。

編集会議で大口は、巻上の病状と、当面の編集スケジュールについて、淡々と説明した。病状は、前に坂野から聞いたのと変わらない。大口が編集長を代行し、次号以降の編集作業を粛々と進める、ということだ。

編集会議が終わって、みなが編集部に戻ったあと、テレビは、来月の衆院選にヨーガ神気教の信者たちが出馬するというニュースをやっていた。

記者会見で、麻倉以下、立候補する幹部が、ずらりと壇上に並んでいる映像が流れている。

廣井や吾妻を含め、記者たちはその画面に目をやっていたが、だれももうそれを話題にしようとしなかった。


夕方、ヤナは山形に、

「あんまりめでたくないが、新年会をやろう」

と、1階の居酒屋に誘われた。

居酒屋のカウンターに2人座り、ビールを注文した。

「左半身マヒだそうだ。かわいそうに」

山形がそう言って、煙草を取り出してくわえた。

あんなにエネルギッシュで、スポーツ好きで、健康そのものに見えていたのに。

届いたビールを2つのグラスに注ぎながら、ヤナは運命の無常、人のはかなさを感じ、しんみりする。

とりあえずグラスをぶつけ合って、

「本年もよろしく」

「よろしくお願いします」

と新年の挨拶を交わし、乾杯した。

「糖尿の気があって、血圧はもともと高かったらしい。それで、朝はテレビに出て、昼は編集長業で、夜はつき合いで飲んで。倒れた日も、出張帰りだったらしい。そのうえ、ヨーガ神気教でストレスもあっただろう」

ヤナは、甲斐の「赤い表紙の本」を思い出し、ストレスの一部は自分の責任であるかのように心が痛む。

「ぽっくり死ねれば、まだしも、かもな。脳出血は、障害が残るから怖いね。俺も、もう中年だから、血圧には気をつけるようになった。カミさんがうるさいから、塩分を少し控えたりな。ヤナちゃんはまだ若いから、気にしていないだろうけど」

と、チェリーをふかしながら言う。

実はヤナの血圧も高めだ。親戚は、がんで死ぬ人は聞かないが、卒中で死ぬ人が多い。父親も血圧が高いので、ヤナは遺伝性の高血圧だろうと医者に言われたことがある。これまで気にしたことはなかったが、巻上の話で、少し気になり始めている。

「大口さんの頭、びっくりしましたね」

「ボウズ頭な。編集長を支えきれなかった、という反省と悔恨を表しているんだろうな。あと、『わかっているから、俺を責めるな』の意味もあるんだろう。君主が死んだら臣下が切腹する、昔の『追腹』の代わりみたいなものか」

毒舌家の山形も、大口のボウズ頭を笑うことはできないようだ。

「それなりの覚悟で編集長に仕えていた、ということだな。ちょっと見直したよ」

「編集長は、どうなるんでしょうね」

「次の編集長、ということか? あの感じだと、大口さんはないな。マンデーの編集長交代となれば、ほかもいろいろ動かさないといけなくなる。今の時期だと、春の定期異動が近いから、そこで、ほかと一緒に決めるんじゃないか」

「大口さんも、坂野さんも、ない?」

「多分、ね。編集局から降りてくるだろう。もう何人か、噂では候補者がいる」

「いきなり編集長で降りてくるんですか」

「異例だけど、前例がないわけじゃない。暫定政権という位置づけだよ。なにしろ急だからな」

と山形は言って、

「短かい政権だったけど……巻上編集長に乾杯!」

と、もう一度ヤナのグラスにグラスをぶつけた。



翌日から、ヤナはまた「大学班」で作業を始めた。

今年に入って、高島奈々を見ていないのが気になっていた。正月で、長めの海外旅行にでも行ったのか、と漠然と思っていた。

夕方、「大学班」の部屋に顔を出した坂野が、資料を持って出て行こうとして立ち止まり、

「あ、そうだ。バタバタしてて言い忘れたが、高島奈々ちゃんは辞めた」

とヤナに言った。

「えっ」

「結婚するんだよ。ぼーやの杉尾と」

ヤナは絶句した。

「もう、お腹に赤ちゃんがいるらしい。杉尾のやつ、実にけしからん」

坂野は続けて言う。

「杉尾は、日々新聞の内定をもらっていたのに、二股かけてやがった。毎朝新聞に受かったから、そっちに行きます、だとよ」

けしからん、けしからん、と繰り返しながら、呆然とするヤナを残して坂野は去って行った。


その2日後、新しい事務補助員が、杉尾と高島が送別の挨拶に編集部に来たと知らせるので、ヤナは仕方なく2階に降りていった。

編集部についたとき、紺のスーツに身を固めた杉尾と高島が、花束を抱えて、最後の挨拶をしているところだった。妊娠している高島のお腹はまだ目立っていない。

「本当にお世話になりました」

と2人が一緒に頭を下げるまでを、ヤナは顔に笑顔を貼り付かせて聞いていた。

拍手のなか、2人はヤナの前を通って編集部を出て行った。2人とも、ヤナには一瞥もなかった。


その翌週、「昭和天皇にも戦争責任があると思う」と発言した長崎市長が、右翼に狙撃された。

第一報を編集部のテレビで知り、ヤナは衝撃を受けた。自宅に戻っても市長の容態が気になって、テレビのチャンネルを回していた。

そのとき、電話が鳴った。

「あ、電話が変わってなくてよかった」

そう言って名乗ったのは、新宿の居酒屋のかつてのバイト仲間で、リーダー格だった30代の女だ。

「津田さんが亡くなったの、知ってるでしょ」

「えっ」

「それで、昔の仲間でお別れの会を開こうと思って。知らなかった?」

ヤナは絶句した。

「そうか、知らなかったんだ。親しそうだったから、知ってると思ってた。私は忘年会で会ったばかりだったから、もう驚いちゃって」

短い正月休みのあいだに、玖美に2回電話したあとは、編集部のことで頭がいっぱいで、連絡していなかった。

「どうして……なぜ……」

「本屋さんのビルの6階から転落したの。即死の状態だったのよ」

と言って、すぐに電話の相手は、

「あ、自殺ではないよ」

と、ヤナの最悪の想像を打ち消してくれた。

「警察も調べたけど、事故らしいの。直前まで、普通に本を探してたのを店員が見ているし。人が多くて、エレベーターが混んでたから、非常階段で帰ろうとしたのね」

「最初は、もう日が落ちてて暗かったから、踏み外したんだろう、って言われてたんだけど——。津田さんはうちでバイトが長かったでしょう。オーナーが、不自然だと思って、警察まで行って調べたんですって。ほら、あの人は元雑誌記者だから」

「そしたら、そこの書店は、非常階段に、返品する本を詰め込んだ段ボールを積み重ねる習慣があったらしいの。消防署に何度も注意されていたようなのよ。事故のときに段ボールがあって、それにつまずいたか、それを乗り越えようとして落ちた可能性があるんだって。もしそうなら、書店からたっぷり賠償金をふんだくれ、ってマスターは親御さんに言っているそうよ」

そのあと、お別れの会の詳細を話していたが、ヤナの耳にはもう入ってこなかった。


翌日、ヤナは、全身からエネルギーが抜け、ベッドから起き上がれなくなった自分に気づいた。

その日からヤナは、自分も巻上と同様に脳出血で倒れる、という妄想に取り付けれ、片時も心の休まらない日々を送るようになる。

いろいろなことがありすぎて、ヤナの自我は壊れ、脳が情報を処理できなくなり、不合理な〈警報〉だけが、心のなかでけたたましく鳴りつづける状態になったのだ。

「私の体中に瀰漫して居る血管の脈拍は、さながら強烈なアルコールの刺戟を受けた時の如く、一挙に脳天に向って沸騰し始め、冷汗がだくだくと肌に湧いて、手足が悪寒に襲われたように震えて来る。」

「血が、体中の総ての血が、悉く頸から上の狭い硬い圓い部分——脳髄へ充満して来て、無理に息を吹き込んだ風船玉のように、いつ何時頭蓋骨が破裂しないとも限らない。」

「誰が己を助けてくれエ! 己は今脳充血をおこして死にそうなんだ。」


これは、谷崎潤一郎の短編「恐怖」の一節だ。谷崎が20代のときの実体験をつづったものである。のちにヤナはそれを読み、一字一句正確に自分の感じた症状が写されていることに驚嘆した。

谷崎は、この神経症のために乗り物に乗れなくなったので、これを「鉄道病」と呼んでいる。1990年代半ばからは「パニック障害」と呼ばれる、実はありふれた神経症なのだが、ヤナは心の病気だと認識できていない。本当に自分は死に直面しているという恐怖を感じ続けている。

電車に乗れないのは谷崎と同じで、だから通勤はできない。食事も喉を通らず、布団をかぶってぶるぶると震えていた。50キロ代半ばだったヤナの体重は、数カ月で40キロ近くまで落ちていった。


その間、坂野と山形が交代で田無のヤナのアパートまで来て、食料などを差し入れながら、ヤナの様子をうかがった。

ヤナは「会社を辞める」と言ったが、坂野は「大丈夫だ。安心して休んでいろ」と言った。ずっと「大学班」で仕事をしていることになっているらしい。

やがて、西武線で3駅ほど先の、坂野に紹介された小さな病院に通うようになる。町医者だが、名医と評判の老人が、ヤナの体を診察し、睡眠薬を処方した。睡眠が取れるようになって、ヤナは回復に向かいはじめる。神経症で死ぬことはない。ヤナに必要なのは心身の休息だと医者は知っていた。

それまでに坂野と山形から、日々マンデーの新編集長に、元社会部長で編集委員を務めていた50歳の男が就任したことと、廣井が大阪本社の社会部に異動したことを聞いていた。


新しい編集長が最初にやったのは「綱紀粛正」だという。タクシー券は取り上げられ、経費もあまり使えなくなった、と山形はぼやいていた。

巻上は休職のまま出版局付けになっていたが、半年のリハビリを終え、杖をついて出社できるようになったそうだ。

巻上が半年ぶりに編集部に姿を現したとき、拍手が湧き起こったという。幸い、言語能力は壊れておらず、このあとは、編集委員という肩書きで新聞記者に復帰するのでは、と坂野は言っていた。

株価は下げ止まらず、1990年のうちに2万円台を切るようになった。

そして、「株価と地価は別だ」という一部のエコノミストの議論も空しく、1991年に入って地価も同じように下がり始めた。


ヤナは、それまで、調子のいいときに会社に顔を出していたが、数日と続かなかった。

なんとか毎日通えるようになったのは、その1991年の春、体重が50キロ台に戻ってからだ。ここまで約1年かかった。パニックに襲われそうになる、神経症の症状がまだ残っていたが、人には気づかれない程度に回復していた。

1年間、ヤナの病気と事実上の休職は、出版局ぐるみで隠されていた。上層部は知っていたかもしれないが、会社は知らぬふりでヤナに給料を払い続けた。そのときはそれどころでなかったが、ヤナはのちに会社の懐の深さに感謝せざるを得なかった。


その年の秋、症状は大方消えたので、ヤナは日曜日に玖美の実家に行くことにした。

玖美の田舎は、群馬県の利根川上流にある温泉郷だ。父親は調理師で、夫婦で温泉旅館に勤めている。

居酒屋に連絡を取り、「お別れの会」に行けなかったことを詫び、玖美の実家の住所と電話を教えてもらった。

およそ4時間かけて着いた温泉郷は、谷川岳のすぐ近くである。「バブル」で破壊されることがなかった自然の風景がそこにあった。

旅館の社員寮を兼ねたアパートの2階が玖美の実家だ。玖美の母親が応対してくれた。

バイトで知り合って、親しかった。忙しくて、お悔やみが遅れた。そう母親に説明して、仏壇に手を合わせた。

中学生くらいだろう、まだ少女の面影を残す玖美が、体育座りをし、髪を風になびかせて、淋しそうに彼方を眺めている写真が、スタンドに入って立てられている。およそ遺影らしくないが、玖美のお気に入りで、ずっと自分の机の上に飾っていたという。

居間でお茶と茶菓子をいただきながら、玖美の子供時代の話を聞いた。

5歳上の兄がいて、いつも一緒に遊んでいた。いま兄は同じ旅館で働いているという。お兄さんがいることは聞いていたが、両親と旅館で働いているのは知らなかった。いずれにせよ、仲のよい家族であることは、玖美の話から伝わっていた。

今日は、父親ともども旅館で忙しく、ご挨拶ができなくて申し訳ない、と母親は何度も頭を下げた。行楽シーズンの日曜だからお忙しくて当然、こちらの都合で突然来たのだから、とヤナは応えた。

ふと見ると、居間の本棚には、年季が入った川口松太郎や丹羽文雄から、比較的最近の田辺聖子や宮尾登美子まで、かなりの数の本が並んでいる。

「これは、お母さんが読まれるんですか」

と言うと、

「ええ」

と応えた母親と、宮尾の小説について少し感想を述べ合った。

そのあと母親は、

「ここに、玖美のものも少し残っています」

と本棚の片隅を指した。たしかにそこには、玖美が子供時代に大切にしていたのであろう児童書や漫画本が並んでいた。

「玖美さんは、小さいころから本が好きだったんですね」

「それはもう」

玖美の本好きは、母親譲りなんだな、と思って、それらの本を手にしてめくっていた。そこで思い出したことがあり、立ち入ったことだとは思ったが、聞いてみることにした。

「そういえば、本屋さんの賠償の件はどうなりましたか。事故には、本屋の責任があると聞きましたが」

と聞くと、

「ええ、ええ。本が好きでしたから」

と言う。話がかみ合わないのは、耳が遠いのか、あるいは何か事情があるのかと思い、それ以上は聞かなかった。

帰ろうとすると、

「これを持って帰ってあげてください」

と言う。

コピーを分厚く束ねた、玖美の遺稿集のようなものらしい。

表紙に「天使の軌跡」とあった。

ぜひ温泉でゆっくりしていって、と言われた。そう言われると思ったが、どうしてもその気分になれず、また今度ゆっくり、と言って断った。

ずっと手に持っていたヤナの名刺を見ながら、

「お忙しいんでしょうね。それでは今度ぜひ」

と母親は言い、紙袋に地元のお菓子がたくさん入ったお土産をくれた。

帰りの高崎線のなかで、「天使の軌跡」のなかの、ヤナが知らない赤ちゃんのころからの玖美の写真を眺めた。

後半は玖美の文章や、漫画の習作などが集められている。いつも描いていた、わら人形のような少女のキャラクターが、さまざまなポーズでこちらに手を振っている。

それを見て、久しぶりに玖美の温もりを感じることができ、ヤナは涙を浮かべて漫画の少女に微笑みかけた。


その年末に、ソ連が完全に崩壊した。


次の春、1992年4月の定期異動で、ヤナは書籍編集部に移った。

それを待っていたように、坂野は会社を去った。中堅予備校の事務局長への転職だった。

それから数カ月して、大口も会社をやめた。公営ギャンブルの広報誌の編集長になるという。そのころには、髪は元の半分くらいに伸ばしていた。

大口の後任の日々マンデー副編集長は、大阪本社の社会部から来た。大阪のラジオ番組に出演しているタレント性のある男で、次期編集長含みだと噂された。

多くの人がバブル終焉の象徴として記憶している、芝浦の有名ディスコの閉店は、そのころのことだ。


日本経済の衰退が明らかになった。


株価暴落の過程で起こった「損失補填」「不良債権」問題などは、80年代にあれほど頼もしく見えた日本の経済官僚、銀行家、証券マンたちの実態はデタラメで、経済運営や資産運用の能力はなく、モラルもなく、ただ「バブル」の膨らみに身を任せ、組織防衛と業界内競争に血道を上げていただけだったのを明らかにした。

同時に、選挙に惨敗して一時はおとなしかったヨーガ神気教が、またメディアに露出するようになったのは、皮肉な成り行きであった。

ヨーガ神気教の麻倉は、

「私を迫害した日本という国に罰が下った。これがカルマというものだ」

と、バブル崩壊を自らの布教に利用した。

巻上が病で倒れたことも、「ヨーガ神気教を迫害した報いだ。これもカルマだ」と機関紙で書いて利用している。

カルマの話はともかく、世紀末に向かって日本の政治と経済は混迷し、ヨーガ神気教が予言する「終末」の訪れが、説得力をもちはじめているように見えたのは事実だ。

ヨーガ神気教は信者を2倍、3倍にふやしていった。

菱川京子や、ほかのフリージャーナリスト、文化人らが、出版社系のメディアで、弁護士事件をまだ追及している。

しかし、日々マンデーがヨーガ神気教を取り上げることは、もうほとんどない。


山形と吾妻はまだいるが、ヤナは日々マンデー編集部に足を踏み入れることがなくなっていった。

ヨーガ神気教のことは、ヤナの頭の中から消えつつあった。

ただ、甲斐のことは少し気になっていた。

甲斐が言っていた「南米」が、ペルーのことなのは明らかだ。

甲斐と将来を模索していた大学4年のころ、ペルーの毛沢東派左翼組織「輝ける道(センデロ・ルミノソ)」は、破竹の勢いで農村地帯を進撃し、一時は国土の3分の1を押さえた。

その勢いはかつてのクメール・ルージュを彷彿とさせたので、ペルーは「南米のカンボジア」と言われた。革命達成目前のように思われたのだ。左翼出版社経由でその情報を聞いていた甲斐は興奮していた。フランツ・ファノンの愛読者であった甲斐は、第三世界の革命にロマンを感じていた。

南米に行きたい、いつか俺も南米で革命にくわわりたい、という甲斐の言葉を、そのころヤナは何度も聞いていた。

「輝ける道」はその後、都市部に侵入し、首都リマでテロ活動をはじめた。甲斐が「南米に行く」と言って消えたころから、それがいっそう過激化し、日本大使館などが爆弾攻撃されたのを、ヤナはニュースで見て心配していた。

ちなみにカンボジアのクメール・ルージュ、いわゆるポル・ポト派はこのころ、ソ連・中国に加勢されたベトナム系政権を追い出し、アメリカに助力された3派連合の一員として、カンボジア政権に復帰していた。

イラクがクエートに侵攻し、湾岸戦争が勃発したのもこのころだ。

冷戦が終結しても、世界は平和どころではないのである。


1990年にペルー大統領になった、日系2世のアルベルト・フジモリが、「輝ける道」の掃討を宣言した。アメリカの協力を取り付け、この過激組織の壊滅に向けて動き出している。

いまのところ甲斐の名前が出ることはないが、どうしているだろう、とヤナはときどき考えるのだ。

麻倉と「対決」したあの日のことを、ヤナはだれにも話していない。

とても遠い記憶に思え、本当にそんなことがあったのか、自分自身、疑わしくなるほどだ。

秋葉原のあの古びたビルで、しんき出版の事務所を扉ごしに覗いたとき、事務所の向こうにいた麻倉に妖術をかけられたのかもしれない、と思うことさえある。

甲斐正則と会ったのは本当だろうか。東京に出てきた甲斐正則は本当は存在せず、自分の心に植え込まれた幻影だとしたら。

その妖術が、自分の意見をヨーガ神気教寄りに変えていたとしたら。

知らぬ前に、ヨーガ神気教のスパイとして働かされていたとしたら。

喫茶店でひとりごとを言っている自分、「狂った編集長」の原稿を書いている自分、相手のいない電話にひとり応えている自分、すべて麻倉のてのひらの上で動いていた自分の姿が頭に浮かんできて、ヤナはゾッとする。

もちろん、そんなミステリー映画みたいなことは、現実にはありえない。


日本経済は下り坂を転げはじめたが、マスコミ業界は存外に元気である。

広告は減るが、部数が減るわけではない。むしろ逆で、戦争のたびに新聞が部数を伸ばしてきたとおり、危機や動乱はマスコミの書き入れ時だ。「もうかる銘柄10選」が「あぶない企業10選」に変わり、そちらのほうが売れるのである。

人々の不安につけ込む点では、マスコミも宗教と変わらない。

ヤナは仕事が面白くなっていた。

もともと、本がない家庭に生まれ、本が好きで、本に囲まれた生活にあこがれたのが、マスコミを目指すようになった原点だ。

残業手当てがつかない分、日々マンデー編集部より給料は落ちるが、書籍編集はヤナに向いていた。

本がとにかくよく売れた時代だ。バブル期は広告が入る雑誌部門が儲かったが、それが終わると再び書籍の時代が来た。本は、景気にかかわらず売れるものだったからである。

新聞社の出版局の本は、何百万の読者をもつ自社の新聞紙上で宣伝できる利点もある。

あとから振り返るなら、このころが、出版業界も、新聞業界も、売り上げのピークだった。

もうすぐ「WINDOWS 95」が登場し、パコソンが爆発的に普及し、インターネットやスマホが席巻していくことを、世界はまだ知らない。



1995年に入った。

ヤナは、出勤の途中、地下鉄の改札へ向かう通路を歩きながら、神経症で苦しんだ人生最悪の時期を思い返し、現在の幸福を噛みしめていた。

あれ以来、恋人もおらず、私生活に何の変化もないが、仕事に全力を注ぎこめる30代半ばのいまの人生に、充実感をおぼえている。

玖美のことはときどき思い出す。あれから一度、玖美の家族が働く温泉旅館に泊まり、前に会えなかった家族にも挨拶できた。それぞれの思い出のなかで、玖美はこれからも生きつづけるだろう。

日本はどうなる、とマスコミは将来を悲観してばかりだが、ヤナは不思議と不安を感じない。いまが充実していれば、未来を楽観できるのである。

改札を通ったところで、ホームに向かう階段の隅に、壁にもたれて男が立っているのが目に入った。男は左手に紙袋を、右手に傘を持っている。

ヤナは、男の横を通り過ぎるとき、傘に目が止まって、「あれ、雨が降っているのかな」と一瞬思った。今日はずっと晴れのはずだが。

しかし、すぐに忘れて、ホームに向かった。電車はもうすぐ着くはずだ。

傘を持った男は、薄い笑いを顔に浮かべ、ヤナのあとを追うように、ゆっくりとホームのほうに歩いていく。

仲間内で〈ドクトル〉と呼ばれている、その男が左手にもつ紙袋の中には、サリンと呼ばれる猛毒ガスがつまったビニール袋が入っている。

右手に持った傘の先が、もうすぐそのビニール袋に突き立てられる。


<<第1の結末 終わり>>


2. 第2の結末



平成時代は静かに始まったという人がいれば、私は反論したい。

平成が静かに始まったとは言わせない。

私——甲斐正則の目から見れば、そこには創造と破壊の一触即発のカオス、革命の好機があった。

あの機会は去っても、私はまだここに立つ。

権力者たちが、金持ちたちが、もう敵はいないと安楽椅子に身を沈めるとき、カーテンの陰に私がいることに気づく。

お前たちに付き従う、疑うことを知らない、無力な人間の群れに、お前たちが笑顔で手を振るとき、私はその背景に溶け込み、お前たちの視界の外からお前たちを撃つ。

私は何度でも警告の弾丸を撃ちに戻ってくる。

いま、照準の向こうには、警察権力のトップが見える。

私は引き金にかけた指に力を込めた。


<<第2の結末 終わり>>



3. 第3の結末



いま振り返れば、選挙で惨敗した麻倉は、ついに選挙を通じた「民主的支配」に見切りをつけ、代わりに「軍隊」を持つことに決めたようだ。

麻倉の目はそれまで、実はうっすらと見えていたが、そのころ完全に失明したという話がある。

いずれにせよ麻倉は、1997年あたりで日本に「クーデター」が起こり、2003年までにヨーガ神気教が世界を支配する「ビジョン」を見ていた。

生物兵器の開発を始め、自動小銃の製造を命じ、崩壊しつつあった東欧圏からヘリコプターなどを購入していた。

弁護士事件のあと、地下鉄事件の前にも、何人かの信者や〈被害者の会〉グループのメンバーを手にかけ、死傷させている。

その間もヨーガ神気教は信者をふやし続け、ニューヨーク、モスクワ、ボンに支部を置き、世界の宗教者と交流し、「物質文明との戦い」を誓い合った。

国土法違反で信者に若干の逮捕者を出した以外、ヨーガ神気教は警察権力から逃れてほぼ無傷であり、「特別な力」に守られた麻倉のカリスマ性は組織内で高まりつづける。

いっぽう、菱川京子らのジャーナリストや弁護士、文化人らの追及は熄やむことはなかった。


実態は、ヨーガ神気教は勢力を拡張するほど、あまりに隠すべき秘密が増え、もともとデタラメだった組織運営はいたるところで破綻し、手に負えなくなって崖っぷちに追い詰められていた。それは、数年前のソ連・東欧圏の崩壊に似ていなくもなかった。

地下鉄の事件の動機は、警察の追及の矛先を変えるためだった。世界を戦慄させた、あの悲惨な事件はそうして引き起こされた。死者14人、負傷者6000人以上。被害者たちには全身に擦過傷が残っていた。苦しさのあまり床や地面を転げ回ったからである。

事件後、数カ月して、ようやく麻倉らは逮捕された。

そのとき逮捕された信者の供述で、釜本弁護士一家がヨーガ神気教に殺害されていたことが判明した。発生から、実に6年がたっていた。

供述にしたがい、3つの山に別々に埋められた遺体が掘り起こされた。歯型で身分が分からないよう、遺体の口内はぐちゃぐちゃに破壊されていた。


麻倉らの逮捕を受けて、日々新聞は、

「最初に警鐘を鳴らしたのは日々マンデー!」

と大々的にアピールした。

巻上は、ヨーガ神気教の狂気を最初に社会に伝えたとして、ジャーナリスト賞を受賞した。

巻上は受賞スピーチのなかで、闘病中だったころに触れ、

「病に倒れ、体が動かない今、ヨーガ神気教に襲われたらどうしよう、と病院のベッドの上でおびえつづけた」

と、恐怖の日々を振り返った。

その後の裁判で、ヨーガ神気教は最初は巻上を殺すつもりだったが、巻上がつかまらないので、代わりに釜本弁護士一家が殺された、という成り行きが明らかになった。



それからさらに時がたち、また代替わりの時期が訪れた。

平成の天皇は賢明な人だとヤナは思った。いわゆる生前譲位は、昭和の終わりのような醜い事態の再現を避けたかったからではないか。天皇は、皇太子であったときから、自粛の行き過ぎや言論統制に危惧の念を表明していた。

生前譲位が既定路線となったところで、ヤナは日々新聞社からの退職を「勧奨」された。

それとほぼ同時に、麻倉聖劫を含めたヨーガ神気教死刑囚が、ばたばたと処刑された。まるで、平成のことは平成のあいだに片をつけたい、というように。


麻倉と実行犯たちが処刑されたとき、巻上は、

「自分の身代わりで、釜本弁護士一家が殺害されたのかもしれない。それを考えると、いまも心が痛い」

というコメントだけを出した。

それを読んで、ヤナも胸が痛んだ。


日々マンデーの報道がなければ、釜本弁護士一家は殺されなかったかもしれない。

そして、それで終わりではない。

「やはり一家全員、子供を含めて殺さざるをえなかった」という報告を実行犯から受けたとき、麻倉が「これで俺たちは死刑だ」と言ったのを信者が聞いている。

東大法学部を目指しつづけた麻倉は、法律を少しかじっていた。その知識に照らすと、「子供を含めた3人以上を殺したら死刑確定」なのだった。

麻倉は、自分が最後の「引き返せない一線」を越えたのを悟った。つかまったら死刑なのだから、つかまらないために、その後はあらゆることをしなければならなくなった。

だから、日々マンデーの報道がなければ、弁護士の事件がなく、弁護士の事件がなければ、その後の、追及をかわすための破れかぶれの工作もなく、最終的には、地下鉄の事件までの一連の凶行も、なかったかもしれない。

ベストのシナリオは、ヨーガ神気教による1989年2月の信者の殺害を、日々マンデーなり警察なりが暴き、その時点でヨーガ神気教を壊滅させることだっただろう。だが、現実にはこれは起きなかった。

逆に、もし日々マンデーの報道がなければ、ヨーガ神気教で消えた信者のことは永遠の謎となったかもしれないが、それだけで終わっていた可能性がある。

もちろん巻上に法的な責任はない。そして、それ以外の責任が、かりにあるとすれば、巻上だけではなく、上は日々新聞の経営者から、下は末席にいたヤナまで、応分の責を負わなければならないだろう。


あの悲劇は避けられなかったのか、とヤナはどうしても考えてしまう。

自分に何ができたわけではない。ヤナの〈嫌な感じ〉は、将来への予感めいた意味があったかもしれないが、現実の展開は、どんな人間の想像も、はるかに超えていた。

ヤナは、被害者になる可能性が何度もあった。

地下鉄の事件は、いつもヤナが使う路線で起こった。ヤナの出社時間が少しずれていたら被害者になっていた。

ヨーガ神気教は、ヤナの会社近くの皇居周辺で、炭疽菌を噴霧する実験をしていた。

ヤナがよく使う新宿駅で、青酸カリを噴霧する計画もあった。

また、日々新聞ビルの爆破を計画していたのもわかっている。

日々新聞ビルの近くにある、財閥系重工業企業のビルが、1970年代に、左翼に爆破された事件があった。死傷者400人近い大事件だった。麻倉の頭の中には、その事件の記憶があったのではないかとヤナは思う。

新聞社のビルは、24時間、人の出入りがあり、飲食店街もある。もしその爆破計画が実現していたら、重工業企業の事件以上の被害を生んだ可能性は高い。ヤナも犠牲になったかもしれない。

山梨の本部で麻倉に会った日も、麻倉の気まぐれな指令ひとつで、ヤナが「失踪者」になっただろう。それについては、ヤナひとりの責任で、だれのせいにもできないが。

警察庁長官が狙撃され、重傷を負ったのは気の毒だった。あの事件の犯人はつかまらなかった。だから、ヨーガ神気教関連であったか、はっきりしないが。

麻倉は芳華会の会長殺害も口にしていたという。

麻倉は、中世の仏教に帰依した天皇と同じく、「法皇」と自称するようになっていた。天皇に取って代わりたいと思っていた、と言われる。

甲斐は、そうしたさまざまな計画を知っていたのだろうか。あるいは、かかわっていたのか。

いずれにせよ、マスコミの報道や裁判の記録のどこにも、甲斐の名は一度も出ていない。


最後に甲斐の情報らしきものをヤナが聞いたのは、2011年にビン・ラディンが死んだときだ。ある左翼系ジャーナリストが、9・11テロ事件をイスラム原理主義側の視点で書いたという原稿を持ち込んできた。

その原稿は本にできなかったが、そのジャーナリストから、「輝ける道(センデロ・ルミノソ)」に複数の日本人メンバーがいる噂がある、と聞いた。「輝ける道」は、2000年のフジモリ大統領失脚後、また息を吹き返し、政府軍との闘争で弱体化しつつも活動していた。

ただ、そのジャーナリストも、日本人メンバーの具体的情報を知らなかった。もしわかったら教えてほしい、とは言っておいたが、そのあとすぐ、ジャーナリストは脳出血で死に、「輝ける道」も活動を停止したので、そのままになった。

そのままでいい、とヤナは思った。

本気に探すなら、甲斐の実家や、左翼出版社の同伴者の線をたどる手はある。しかし、彼らは国際的な手配を受けているかもしれない本物の活動家だ。現在の所在につながる痕跡は周到に消しているだろう。

それに、探す熱意もない。あの世界とは、もうかかわりたくない。


改元が近づくと、どの雑誌も、平成時代を振り返る特集を載せた。

その1つで、ある保守系の言論人が、「平成時代は静かに、厳かに始まった」と書いているのを見て、ヤナは心に激しい反発をおぼえた。

(いや、平成時代が静かに始まったとは言わせない)

たしかにあの事件から時がたち、麻倉たちがこの世から消えて、ヨーガ神気教のことも過去の歴史のなかへと仕舞われつつある。

そして、それと同時に自分も会社をクビになった。

潮時だと思わないわけにはいかない。

「出世も中途半端。反抗も中途半端。そんな感じで、あっという間に60歳になるぞ」

いつか聞いた、甲斐の言葉どおりになった、とヤナは苦笑せざるを得ない。

出世はしなかったが、自分なりによく働いた。巻上編集長の病気や自分の精神障害は、今の世なら過重労働による労災あつかいになるかもしれない。しかし当時のマスコミでは、休みなしで働くのは当たり前だった。

そして、結局自分は、マスコミ人として、あのヨーガ神気教以上の事件には出会わなかったと考える。

もし機会があれば、あの〈嫌な感じ〉にまつわる自分の記憶も、歴史の欄外の、どこか小さなスペースに残しておきたい、とヤナは思うのだった。


日々新聞から離れた坂野と大口が、その後どう生きたかは知らない。

廣井は、大阪本社の社会部に異動になったあと、銀行支店長殺人事件、大阪の総合商社をめぐる詐欺事件、「天才相場師」といわれた料亭の女将がからむ詐欺事件など、バブル崩壊後の大きな事件をいくつも手がけ、局次長職まで出世して定年退職した。いまは関西に住んでいるはずだ。

吾妻は日々マンデーに残ったが、編集長目前と言われていた40代の半ばに肺がんが発見され、休職したまま47歳で死んだ。

山形は、インターネットというものが広まった1990年代後半に新設の「メディア局」に移り、ネットニュース配信部門のデスクを務めていたが、50歳で咽頭がんが見つかり、退職して闘病生活ののち、56歳で死んだ。

そういえば、2000年に東大が合格者の氏名を公表しなくなったので、日々マンデーの「東大合格者全氏名」号は出なくなった。人々は急に「個人情報」が大事と言いはじめた。

1990年代の後半に、「ジュエリーたかしま」は経営破綻した。事業拡大を急ぎすぎたという、よく聞く理由だった。外国人タレントを使ったCMや、銀座に出かけると必ず目に入った「ジュエリーたかしま」の看板や広告を、いまはもう見ることはない。

その数年後、たまたまヤナが毎朝新聞の記者と話したときに、杉尾昇太が、事情はわからないが、入社数年で毎朝新聞を退職していることを知った。そして、いまは、杉尾の実家がある北陸で、夫婦で居酒屋をしているという。

その話を聞いて、うれしそうに焼酎の水割りをつくっていた高島奈々の姿が心によみがえった。きっと夫婦で幸せに生きている——ヤナはそう確信できるのだった。


ヤナは、割増しされた退職金で、神奈川の田舎に中古マンションを買った。

狭い、痛みの目立つ物件だが、自分ひとりが生活するには十分だ。

上京以来、学生寮時代を含めれば40年間の賃貸生活に、区切りがついた。

だが、待っているのは、単身孤独な老後だ。

わずかな貯金で年金が出るまで食いつなぎ、そのあとは、わずかな年金で命をつなぐだけだ。


孤独には慣れているつもりだが、ときおり、目が冴えて寝つけない夜がある。

そんなとき、ヤナはベッドのなかで、玖美のことをよく思い出す。

新大久保の安いラブホテルの、ベッドの端に2人座り、夜中にずっと話し続けていたあのころが、たまらなく懐かしい。

「ねえ、何を書いたの」

「最近は、何を読んだの」

いま、30年の時空を超えて、玖美に横にいてほしい。

「うん、最近はね……」

そんな話をしながら、一緒に歳をとっていけたら、どんなに幸せだっただろう。

なぜ自分はそんな人生を選べなかったのか、と繰り返し、繰り返し考えてしまう。

そして、さめざめと泣く夜がある。


孤独をまぎらわせるために、ヤナはブログを書きはじめた。

使い古したラップトップパソコンは、サクサクとは動いてくれない。だが、老人がゆっくりと日記代わりに文字を打ち込むには十分だ。

新聞社に入って、日々マンデーでは記事をたくさん書かされたが、ほめられたことはほとんどなく、書き直されてばかりだった。

その後は書籍編集に移ったから、文章は基本、書かなかった。

しかし、久しぶりに文章をつづっていると、書くのが楽しかった。

新聞社では、型にはまった文章しか書けなかったが、ここでは自由に書ける。

キーボードを打つことを「書く」と言っていいのか、コンピューター界隈の用語法にまだ自信のない世代のヤナではあるが。


このnoteというプラットフォームが提供しているのは、厳密には従来の「ブログ」とは違うものらしい。自分の文章に値段をつけて販売できるなど、新しい機能が取り入れられている。

ヤナは商売にする気は毛頭ないから、そんな機能は無用だ。タダで「ブログ」が書けることと、自分の書いたとおりに表示されるインターフェイスが気に入っていた。

書いているのは、最近読んだ本、聴いた音楽、見た映画などについてだ。

このプラットフォームでは、その文章を読んで気に入った人が、ハートマークのアイコンをクリックして、「スキ」という好意や賛意を伝えることができる。

「スキ」が贈られると、「作品が読者に届いています!」という文面とともに、贈り主のハンドル名が、メールで書き手に知らされる仕組みであった。

そのハンドル名をクリックすると、さらにくわしいプロフィールや、その人の書いたブログを読むことができる。

いつも「スキ」は1つか2つ、多くても5つくらいしか届かないが、ヤナにはそれで十分だった。

「カツラー」さんとか「越後のねこじじい」さんとか、すぐに「スキ」を贈ってくれる固定ファンらしき人も最近はいる。どんな人が自分の文章に共感してくれたのかと、その人のプロフィールやブログを見たりするのも楽しい。

退職して3年目、令和という新しい元号になったと思ったら、変なウイルスが世界中で流行って、旅行にも行けなくなった。

そんな中、また11月の弁護士一家の命日がめぐってきて、あの事件に触れる報道番組を見た。それをきっかけに、ヤナはブログで事件のことを書いた。

「相変わらずマスコミは、ヨーガ神気教の異常性ばかりを浮かび上がらせるが、あの事件の社会に対する教訓を十分に汲み取れていない」

という趣旨だ。

普段はそういう社会批評のような硬い文章は書かない。

「スキ」が付かないのも仕方ないと思った。

しかし、2日後に、その記事に初めて「スキ」が贈られたことをメールで知った。

そのメールを読んで、ヤナはラップトップのふたを閉じた。

ジェニーという名の、その「スキ」の贈り主の正体を、ヤナは決して知りたいと思わない。


<平成の亡霊 完>




<主な参考文献>
朝日新聞社会部『ルポ自粛 東京の150日』(朝日新聞社、1989)、朝日新聞社編『昭和天皇報道 崩御までの110日』(朝日新聞社、1989)、江川紹子『横浜・弁護士一家拉致事件』(新日本出版社、1992)、江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』(文藝春秋、1995)、大泉実成『麻原彰晃を信じる人びと』(洋泉社、1996)、島田裕巳『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー、2001)、真理を守る被害者の会編著『「サンデー毎日」の狂気』(オウム出版、1990)、高幣真公『釜ケ崎赤軍兵士 若宮正則物語』(彩流社、2001)、竹岡俊樹『「オウム真理教事件」完全解読』(勉誠出版、1999)、天皇報道研究会編著『天皇とマスコミ報道』(三一新書、1989)、外山恒一『青いムーブメント まったく新しい80年代史』(彩流社、2008)、永野健二『バブル 日本迷走の原点』(新潮文庫、2019)、降幡賢一『オウム法廷』(朝日文庫、1998〜2004)、牧太郎『「サンデー毎日」編集長日記』(三一新書、1992)、牧太郎『新聞記者で死にたい オウム事件と闘病の日々』(中公文庫、2010)


事件の犠牲となった方々、関係者の方々に、お悔やみを申し上げ、心から哀悼の意を表します。(作者)


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