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「理解」と「受容」〜ダイバーシティを考える〜

“ダイバーシティ”

ここ数年で耳にする機会が増えたのでは無いでしょうか?

ダイバーシティとは、多様性という意味の英単語(diversity)で、組織マネジメントや人事の分野では、国籍、性別、年齢などにこだわらず様々な人材を登用し、多様な働き方を受容していこうという考え方のことです。また、多様な人材がその実力を最大限発揮することができ、正当な評価を受けることができる企業風土の構築を目指すものでもあります。

引用:ELITE Network

私の会社は外資系企業ということもあり、早くから耳にしていた気がします。

先日、私の上司達もZOOMミーティングにて、本部の担当者からダイバーシティについての説明を受けていました。

話しの内容を聞いていると、

“多様性を受け入れ、それぞれが最大限活躍できる場を”

ザックリ説明すると、先程説明した通りの内容でした。
その為に、みんながどういうマインドを持っているのか、実際にスタッフ達との意見交換をセッションとして予定している様でした。
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ここでタイトルを振り返ります。

「理解」と「受容」

辞書で調べてみると以下の通りでした。

【理解】 《名・ス他》
物事のすじみちをさとること。
わけを知ること。物事がわかること。
 「文意を―する」
人の気持や立場がよくわかること。
 「―のある両親」


【受容】
《名・ス他》受け入れて取り込むこと。
 「―器官」(外界からの刺激を受け取る働きをする器官。目・耳など)

私は次の様に感じました。

“世間が世に広めたい”ダイバーシティは
「受容」

“本当に目指す”ダイバーシティは
「理解」

みなさんはどう感じますか?

私自身、多様性を理解しようと努めている段階だと感じています。

ただ、理解しても受け入れるかどうかまでをもまるで、指示されている様な感覚にも時折陥ります。
理解だけじゃ足りない!受け入れないと!と、この様に。


更には、

“理解しなくても良い、とにかく受け入れないといけないんだ”

こんな風潮も。(独断と偏見です)

屁理屈かもしれませんが、本来のダイバーシティを目指すのであれば、多様な考え方をも受容していくのでは?と思うのですが、実際は受け入れる事を”強要”している様な大局の流れを感じます。

ここからは完全なる持論ですが、本来のダイバーシティとは、”受容する”という様な判断までをも指し示すのではなく、”こういった考え方/価値観/人種その他様々な側面が存在している”それを理解し合う事で良いのでは無いかと感じています。

そうする事で、理解を深めた人たちの中から”受容”を始める人が出てきたり、理解できても受け入れられない人も出てくるでしょう。
でも、それこそが多様性。

多様性でよく語られるのは
「性別」「性的志向」「身体/精神障害」「国籍」これらが多いかと思うのですが、「考え方/価値観」を理解する事も同様に大切ではないでしょうか?

どうしても見えやすい物にフォーカスしがちですが、「私には受け入れる事まで出来ない」そう言った人をも理解していく事こそ、

本来の”ダイバーシティ”

そうなのではないかと感じます。

みんな違ってみんないい


「理解をする」→仮に受け入れる事が難しくても→「理解を示す」

これが

私なりの”ダイバーシティ”


Hajime

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