さいとうほにゃらら

お家で、文章を書く仕事。生きているとわいてくる、日々の「あれこれ」をことばに。息子2人…

さいとうほにゃらら

お家で、文章を書く仕事。生きているとわいてくる、日々の「あれこれ」をことばに。息子2人と夫と4人暮らし。子育て/教育/福祉/社会

最近の記事

ブラックボックス

少し前まで 何をどうすればどう喜ぶか 何をすればどう怒るか 手に取るように分かったのに。 今はもう、君が何にどう反応するかさっぱり分からない。 アイスを食べれば「美味しいね」と笑っていた君 今年はアイスを食べながら 「どうして僕たちは毎日生きてるんだろう?」なんて言っている。 それはまるでブラックボックス。 君の人格というブラックボックスが完成して、その仕組みを私はうかがい知ることもできない。 その箱は、君が生まれてから、君と私で一緒に作ってきたもの。 私がど

    • 卒園に寄せて

      早く一人で食べて欲しいと 早く一人で歩いて欲しいと 早く一人で着替えて欲しいと あんなに強く願っていたのに いま流れてるのは なんの、涙 一緒に食べて 一緒に笑って 怒って喧嘩して 一緒に眠る いつもと同じ一日なのに 今日は、あなたのようちえんせい最後の日 ママは、寂しくて泣いています あなたがどんなに甘えん坊でも すっかり小さくなった制服からはみ出るように伸びた手足が 「ぼくにはここはもう狭いよ」と言い 力強い歌声が 真っすぐ前を見据える瞳が 「ぼくはママから

      • 悲しみを悲しむ

        息子が2歳になった頃、そろそろ次の子どもが欲しいと思った。それから息子は3歳になり4歳になった。次の1月で5歳になるが、彼はひとりっ子のまま。周りの友達にはだいたいどこかのタイミングで弟か妹が生まれて、気が付けば自分にだけ誰もいない。 優しい息子は、年下の子どもが大好きでよく世話をやく。寂しがりやでもあるので、自分をてとてとと追ってくるその存在が嬉しいようだ。頭が良い子なので、自分にだけどうしていないのだろうと感じている様子もある。なんでも「なぜなぜ」と問うてくる子なのに、

        • 幼稚園休園16日めの4歳児

          あまりにも平和に、生活が家の中で完結していくので、記録をとった方がいいかなぁと思い立つ。無人島で、精神を正常に保つために日記つける的な。今日が何日か分かるように、木に彫るあの棒線的な。 外出自粛要請がでることになって、3月26日から幼稚園がお休みになり今日で16日目。4歳児は今日も元気だ。 せっかくなのでミニトマトの苗を庭に植える。この騒動が終わる頃、どこまで成長してるのかなぁと想像するとちょっと楽しい。4歳児も一緒に草取りしたり、苗を植えたり、水やりしたり。とんだりはね

        ブラックボックス

          一億総ひとり旅の時代がはじまる

          「息苦しい」という言葉を聞くたびに、どきりとする。 息子は、2歳の時に2度肺炎になった。朝起きたときには「なんか動きがゆっくりだな…」という程度で普通にしゃべったり食べたりしてたのが、ものの2時間足らずで「これ、死ぬんじゃないか」という感じになって、本当に恐怖だった。今でもその息子の様子は焼き付いていて、いつでもその恐怖に囚われる。息子の気管が少しでもぜえぜえすると、背中がひやっとする。 素人からみると「死ぬんじゃないか」という状態でも、お医者さんにみてもらったら酸素は取

          一億総ひとり旅の時代がはじまる

          そのとき、与謝野晶子は「きみ死にたまふことなかれ」と詠んだ

          休園16日めにして「幼稚園に行っていない」と気付いた我が家の4歳児。 その気付きは「じゃあいつ始まるのか?」という疑問に繋がったようだ。カレンダーを見ながら「ここから始まるの?」と日付を指差して聞いてきた。 1日ずつ指差して 「ここは?」 「ない」 「ここは?」 「ない」 「ここは?」 「ない」 「ここは?」 「ない」 19日分繰り返す。 20日めからは 「ここは?」 「始まるかもしれないし、始まらないかもしれない。多分、始まらない」 「ここは?

          そのとき、与謝野晶子は「きみ死にたまふことなかれ」と詠んだ

          タブレットの前に

          グローバルだ、AIだ、新しい時代だ 子どもたちにタブレットを与えなければって言ってるうちに なんだか自分もマシーンやなんかに近づいて 新しい何かになれるような気がして そんな私の耳元で 馬鹿をおっしゃい あなた方は私たちの仲間でしょと ウィルスがささやき 目の前の光景に 立ち尽くす どんなに手のひらにある道具がかっこよくなったって この身体と心と魂は 絶対に土や森や海や星から 離れちゃいけないんだって 気付く 子どもにはタブレットよりも 大地で育まれた 穀物を肉を

          タブレットの前に

          君が赤ちゃんじゃなくなった、という夏。

          今年の夏休みは、色々な所にでかけた。 どこに行っても君は楽しそうで、私も楽しかった。 プールからあがりたがらなくて、永遠に水から出られないんじゃないかと思った。 「美味しいね」と一緒に笑いあえるのが嬉しくて、ことあるごとに、アイスクリームを食べた。 「暑いね~」と手で顔を仰ぐ仕草が可愛くて、外で一緒に汗をかくことさえ、楽しかった。 風が吹くと、「涼しいね~」と一緒に笑った。 「風のおかげだね」と君は言った。 そうこうしているうちに8月は終わって、君はまた大きくなっ

          君が赤ちゃんじゃなくなった、という夏。

          自分は自己中でふてぶてしい、イヤな野郎だと思う人に読んでほしい

          最近、強くなれたな、と思う。 自分のこれまでの歩みに自信がもてたし、 働くことにも、前向きになれた。 その結果、ライターという仕事に一歩踏み出せたし、文章を書いて人に評価されることも、評価されないことも怖くなくなった。 実は、そのきっかけには、明確な心当たりがある。 最近よく、「HSC」とか「HSP」という言葉を聞くようになった。 「Highly Sensitive Children」 「Highly Sensitive Person」 いわゆる、「繊細な人たち」「

          自分は自己中でふてぶてしい、イヤな野郎だと思う人に読んでほしい

          「あいしている」という言葉について

          私は、ラブソングに共感できない。 「会いたくて震える」とか 「連絡なくて…」とか、 「一時も離れたくない…」とか、「???」という感じだ。 でも、子どもが生まれてから、「これは、親の子どもに対する感情を歌っていたんだ…!」と思うようになった。 相手が我が子なら、「毎日会ってたい」も「連絡が欲しい」も 「あなたがいなきゃ生きていけない」も、私は分かるのだ。 ****** 「愛情」って、やっかいな言葉だ。 実は、私は、子どもに愛情があるか?と問われても、 「うーん」と

          「あいしている」という言葉について

          子どもの「泣く」を恐れなくていい

          「子どもを泣き続けさせる」ことに抵抗がある親って、 多いんだなと、回りを見ていると思います。 子どもの泣き声は、大人にとって耳障りになるようにできているから、 泣き続ける子どもにイライラしてしまうのは、自然なことです。 だから、イライラする自分の気持ちも否定しなくて良いし、 子どもが泣くのも自然なことだから、否定しなくて良い。 子どもが転んで泣いているのなら、泣き止むまで、 「痛かったね」と慰めればいい。 喧嘩して悔しくて泣いているなら、 「悔しかったね」と、泣き止むまで

          子どもの「泣く」を恐れなくていい

          言葉だ、ことば、コトバ─言葉を信頼できる子にする─

          子どもの希望と親の希望が違うとき、よくありますよね。 「歯磨きの前に絵本を読むか、歯磨きしてから絵本か」 「今トイレに行くか、行かないか」などの細かいことから、 サッカーを習うか習わないか、というような少し大きなことまで。 最近、こういう場面で親側の希望を伝えると、 「ちょっと、待ってて。今、考えるから」と、 ひとさし指をほっぺにあてて、3秒ほど考える息子の姿があります。 そして。 「うーん、やっぱり、先に絵本読みたいかな」とか 「うーん、やっぱり、トイレは行かないかな

          言葉だ、ことば、コトバ─言葉を信頼できる子にする─

          あんまり世間が騒ぐから

          それは暴力だ、暴力だって。 暴力があふれている。 体を傷つける暴力もあふれかえっているし、 心を傷つける暴力もあふれかえっていて、 「暴力だ」と騒ぎたい人もあふれかえっている。 「自分が相手を傷つけているかもしれない」と想像できなければ、 どんなに正しくても、それって全部暴力? 生きているだけで暴力。 だって、私は今日も、蟻を踏みつぶし、蚊を叩き殺したわ。 お腹が減って今にも死んでしまいそうな子どもが 食べたがっているパンを買い、 食べきれなくて、残して捨てたわ。

          あんまり世間が騒ぐから

          流されろ

          流されろ、流されろ どこにたどり着けるか どこまでも、どこまでも 流されるのは、主体性がないからだと 人は言うけれど 自分で決めて 流れてゆくのなら それは、受け身ではないよな 流されるのは 自分一人では たどり着けない所に行くため 自分は想像もしていなかった 世界を見るため 人は 自分自身を生かすってことですら 自分一人では できないみたいだから *─*─*─*─*─*─*─*─*─ 若いころは、「確固たる意志」をもって人生を生きていくこと、決断していくことが

          3歳と向かい風

          幼稚園に向かう道中、雨も風も、どんどん強くなってきた。 息子には、水たまりさえあればへっちゃらで、座り込んで水たまりの中をのぞきこんだりしているものだから、付き合いきれずに、私は先へ急ぐ。 急に、びゅーーーーーっと強い向かい風が吹きつける。たまらず、立ち止まって身構えたあと、後ろにいる息子のことを思い出し、この強さでは怯えてしまう!抱き寄せなければ!と振りかえると、気持ち良さそうに笑いながら、向かい風を楽しんでいた。 こんなに強い風を、自分1人の身で。 あの嬉しそうな表

          世界は、曖昧で不確実なのだ

          世界とは、人生とは、人間とは、曖昧で不確実で矛盾にみちたものだ。 若い頃は、そんな世界の曖昧さや矛盾が許せなくて、 いつも「何が正しいのか」ということばかり考えていた。 だけど、どこまでいっても、最後にたどり着くのは、矛盾した現実で、 矛盾していることこそが、世界の本質なのだとも思うようになった。 止まっているけど、動いてる。 濁ってるけど、輝いてる。 不幸だけど、幸せ。 笑っているけど、泣いている。 息子が、文字に興味をもちはじめた。 ひらがなや漢字を指さしては、「こ

          世界は、曖昧で不確実なのだ