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自分は自己中でふてぶてしい、イヤな野郎だと思う人に読んでほしい

最近、強くなれたな、と思う。
自分のこれまでの歩みに自信がもてたし、
働くことにも、前向きになれた。

その結果、ライターという仕事に一歩踏み出せたし、文章を書いて人に評価されることも、評価されないことも怖くなくなった。

実は、そのきっかけには、明確な心当たりがある。

最近よく、「HSC」とか「HSP」という言葉を聞くようになった。

「Highly Sensitive Children」
「Highly Sensitive Person」

いわゆる、「繊細な人たち」「敏感な人たち」というやつだ。

知人との会話の中で、この概念について知った。

これは、私の人生を変えた出会いだ。

その説明を聞きながら、自分の顔が引きつるのが分かった。思わず「それ、多分、私のことです」という言葉が出た。

本屋さんではよく見かけていた。「繊細すぎる子どもたち」とか「敏感すぎて生きづらい人へ」とか。

繊細で敏感で生きづらい人がたくさんいるのは、知っている。でも、私はそうじゃない。
だって、世の中のほとんどの人が、本当に繊細で敏感で、生きづらいよね、と私は思っている。

むしろ、自分のやりたいことしかやれない、自分の意志と正義感が強くて優等生気質、だから世間に文句がいっぱいあって、いつも怒りがたまっている。
そういう私は、むしろ「鈍感で、強くて、ふてぶてしい」というのが、私のこれまでの自己認識だったのだ。

だから、自分が「繊細」とか「敏感」とか、そういうことを言うのはおこがましい。鈍感で太々しい私は、そういう人たちを、守る側の人間なんだ、と。

だから、そういう本は手にとったことがなくて、「HSC」や「HSP」という概念には、自力ではたどり着けなかった。(自分に必要な情報への到達力には自信があるのに、こんな盲点があるとは)

一方で、私には、いつもいつも「生きづらさ」があった。

学校の無意味なルールに、いちいち引っかかる。
世の中の不誠実な態度や思惑が、透けて見える。
だから学校には行くだけでどっと疲れる。
(家では、寝るか喋って怒りを発散するかしかできない)
人が多い場所にも行けない。
通勤も通学も、本当に苦痛だった。
全部の準備が整っているのに、一歩が踏み出せないことが、何度あっただろう。

でも、好きなことには取り組める。
心理学の勉強は大好きだったので、本当に通学に苦労したけど(つまり出席がギリギリだった)、大学にはなんとか通い続けて卒業できた。

だからやっぱり、出来ないのはただの甘えなんだと、何度も自分に言い聞かせてきた。

同年代の人たちのように、グループで楽しむということができないし、旅行も好きじゃないし、趣味や興味が合わないから、友達もできない。(同じようなタイプの友達はできる)

みんな、楽しそうでいいなー。
人間は、どうして生きてるのかとか、そいうこと気にならないのかなー。
どうして生きてるだけで、こんなに苦しいのか、気にならないのかなー。
みんな、通学も通勤も普通にこなしててすごい。疲れないのかなー。
自分は、みんなみたいに生きられない。
みんなにはできることが、私にはできない。

いつもいつも、そんなことを考えていた。
(そういうことに目が向くのも「HSC/HSP」の特性らしい)

「HSC/HSP」について知るまでは、自分の「妄想力」から目の前にいる人の感情が、なんとなく分かると思い込んでいるんだと思っていた。(一方的に思い込んで、やっぱり自分は図々しい人間だと思っていた)

でも、そういう能力が高い人がいるということを知って、ただの妄想じゃなく「実際そうなんだ」と言っていいんだと分かった。

不機嫌な人や乱暴な人が近くにいるだけで、私は、実際に攻撃される。悲しんでいる人がいると、私は、実際に悲しい。悲しい人がいて悲しいのではない。その人の悲しみになるのだ。

散らかった部屋を見るだけで、私は、実際に乱雑に扱われる。(部屋が散らかると、私の心は実際に痛む)

だから、本当に、生きてるだけで、大変だ。

でもそれは、「体力がないから」「甘やかされて育ったから」「要領が悪いから」「根がわがままだから(だからやっぱり太々しい)」という言葉で、いつも自分を責めてきた。

「HSC/HSP」という概念を知ってはじめて、自分を責めなくて良いと分かった。

「働く」ということも、自分には無理だと思っていた。

不機嫌そうな人とすれ違い続けなければいけない都会の移動は、本当に1秒1秒、私がすり減っていく。

働いてた時、あんなにボロボロだったじゃん!通勤が苦痛なんて甘えたこと言ってる時点で、働く資格なんてないよ。

でも、「HSC/HSP」という人がいると知って、私は「通勤ができない」と堂々と言って良いんだ。通勤が少ない在宅での仕事なら、やれるんじゃないか。自分が苦手なことはやらないというのは、甘えじゃないんじゃないか。

そう思えるようになった。

そしてそう思っていた折、知人から在宅での仕事が舞い込んだ。そして今、自分では思ってもみなかった、ライターという肩書で、楽しく働いている。

「繊細で敏感な自分」に出会えたことが、私の人生を変えた。

味覚や触覚の過敏さは、親が気付きやすい。でも、それ以外の敏感さもある。「親が気付きやすい敏感さ」が際立っていない限り、敏感で繊細は人というのは、自分のことを「敏感で繊細だ」とは思っていないのではないか。

と、自分の経験から気付いたので、誰かそういう人に、この文章を読んでもらいたい。

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