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そのとき、与謝野晶子は「きみ死にたまふことなかれ」と詠んだ

休園16日めにして「幼稚園に行っていない」と気付いた我が家の4歳児。


その気付きは「じゃあいつ始まるのか?」という疑問に繋がったようだ。カレンダーを見ながら「ここから始まるの?」と日付を指差して聞いてきた。


1日ずつ指差して


「ここは?」

「ない」

「ここは?」

「ない」

「ここは?」

「ない」

「ここは?」

「ない」


19日分繰り返す。


20日めからは


「ここは?」

「始まるかもしれないし、始まらないかもしれない。多分、始まらない」

「ここは?」

「ここも始まるかもしれないし、始まらないかもしれない。多分、始まらない」

「ここは?」

「ここも分からない。多分、始まらない」

「ここは?」


   *  *  *  *  *


延々と繰り返す。

繰り返しながら「ああ、ほんとに今は非常事態なのだ」と実感してしまった。


比較するのは飛躍しすぎかもしれないが、戦時中の母親はどんな気持ちだったろうと思う。こどもに「明日はどうなる?」と聞かれて、どんな思いで、どんな返事をしたのだろうか。


「きっと未来は良くなる」と、どうやって自分を奮い立たせたのだろう。


与謝野晶子は「きみしにたまふことなかれ」と詠んだ。もし、今我が子や家族が医療従事者だったら。私はなんと詠むだろう。


その銃弾が、いつ我が子の肺を蝕み、心臓をとめるか分からないのに。そんな目には見えない銃弾が飛び交う場所に、行かなければいけない人が今日もいる。その人を見送る家族がいる。


延々と繰り返しながら、そんなことを考えてしまった。


そして政治家は、どんな時も安全な場所にいるんだなあ。

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