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#クリエイターフェス
「毎日更新やめます」へ向ける2種類の寂しさ
僕は特に宣言しているわけではなく、厳密に守っているわけでもないが、毎日更新に近いかなりの頻度でnoteを更新している。
こうみると月20〜30記事といったところか。毎日更新は言いすぎだが、毎営業日更新くらいだ。要するに僕は人々が「毎日働いている」と感じている程度には「毎日更新している」と感じている。
そして、僕がフォローしている人の中には似たような人がいる。文字通り毎日更新している人もいれば、
学歴詐称はコスパ最強
大学の卒業証明書は10万かそこらで偽造できるらしい。なんともコスパが良い。普通に大学に通えば、400万か500万かそこらの大金だけではなく4年間の時間が必要になる。
偽造すれば10万円だけで済み、レポートや出席名簿の代筆を頼み込むなど右往左往しながら4年間を過ごす必要はない。
それでも、得られる結果はほとんど同じだ。
大学の主たる機能は肩書きの付与だと、ピエール・プルデューが言っていた。その
左折車が待っているときに、「急いでますよ感」を出すのはなぜか?
横断歩道は歩行者優先。だから、本来なら堂々と歩けばいい。
左折車のドライバーとは二度と会うことはない。つまり、ドライバーに良い顔をする必要はない。
それに、大概は短い横断歩道だ。ダッシュするモーションに入ってから速度が上がりきった頃にはほとんど横断歩道を渡り切っていて、ダッシュの意味は、ドライバーに対してダッシュするモーションを見せつける以外にない。
それでも僕たちはダッシュするモーションを
Z世代を担ぎ上げる大人たち
この前の記事にも書いたけれど、Z世代の大学生にふるさと納税の返礼品を考えさせている自治体があるらしい。大人では持ち得ない、若い感性を活かしたアイデアを取り入れたいとのこと。
「そんなアイデアはない」というのが僕が今回言いたいことだ。なぜなら、大人に担がれたZ世代は「大人が思い描くZ世代が生み出すアイデア」しか生み出すことができないからだ。
Z世代は、SNSを駆使し、SDGsに敏感で、新しい創造
話し合わないコミュニケーション
1人ではできないことは多いが、1人でしかできないことも多い。要はバランスだ。このバランスがなんとも難しい。
この前、柳田國男の『都市と農村』を読んだ。組合やユイといった人と人との協力関係がどれだけ大事かを痛感させられた。その一方で、ムラ社会的なルールに人がどれだけ支配されてきたかも学べた。
僕はどちらかと言えば個人主義的だ。人と意見を合わせるくらいなら、1人でやっちゃった方が早いと思ってしまう
父親になんて、なりたくない
最も好きな映画を挙げるのは難しいけれど、最も嫌いな映画なら即答できる。
『ガール・イン・ザ・ベースメント』という映画だ。
後味悪いというか、胸糞悪いというか、とにかく観終わった後は最悪の気分になった。
だからこの記事も閲覧注意ということにしておこう。ここから先は自己責任ということで。
この映画はフリッツル事件と呼ばれる実話をベースに作られたらしい。知らない人は調べて欲しいのだが、実の娘を地
ふるさと納税とかいうデスゲームを許すな
神戸市はふるさと納税のせいで赤字が出ていると、ニュースでやっていた。それは当然のことだと僕は思った。自分の住む自治体にふるさと納税できない(それはただの納税)以上、都市圏はあれよあれよといううちに身包みを剥がされる運命を避けられない。必然的に都市圏が不利なシステムなのだ。
赤字を埋めるためには、神戸市も魅力的な返礼品を用意して、他府県から税収を奪わなければならない(もちろんここでいう他府県とは、
『ディスコ・エリジウム』は左翼思想のコスチューム化に一役買っているか?
共産主義革命が失敗した後の世界。この設定だけで負け犬左翼によるノスタルジーの印象が強いが、実際そんなゲームだった。
ソ連の失敗を知っている負け犬左翼は、資本主義を批判しながらも、プロレタリア独裁に対して冷ややかな目線を向けるシニカルな態度を維持する。そうすべきでだと、教科書に書いてあるからだ。
その態度は、それはそれでカッコ良く見える。シニカルだからだ。シニカルな態度は例外なくカッコ良く見える
子どもによる「なんで?」攻撃に対する哲学的考察
あなたならどのように答えるだろうか?
2歳yearも後半に差し掛かってきた我が息子は、絶賛「なんで?なんで?」期の真っ最中。3歳を少し過ぎたばかりの甥っ子も同様だ。
彼らの「なんで?」の使い方は実に多彩で、クリエイティビティに富んでいる。誰に教えてもらったわけでもないのに、彼らは「なんで?」を「質問」「詰問」「要求」「感嘆」など、さまざまな場面で使い分ける。
「なんでお菓子をくれないの?」は
大変さマウント合戦を終わらせにきた
子育てはナメられがちな仕事だ。
僕はいま、ちょっとだけ仕事を休んで家にいるわけだが、「家にいたら暇ちゃう? 何するん?」と言われることが多い。
まるで、1人暮らしの若い男が、皿洗いを効率化するかのように、テキパキやれば1時間くらいで終わるような仕事だと思われがちである。
今の僕は、家事をほぼ全て僕が担当していて、子どもの面倒も見ているわけだが、家族3人分の掃除・炊事・洗濯・買い物よりも、子ど
簡単に必読書とか言わないで
これを全部読んでる10代がこの世界に1人でもいるだろうか。いや、いない。
必読書とか、必須教養とか、その手の類の言説は、人に完璧さを求めすぎる傾向にある。利用規約みたいにね。
「10代でやっておくべき20のこと」みたいなやつもそうだ。うるせぇ。
そもそも、何をもって必要なのか? その言説を発信する人にとっては必要だったかもしれないが、他の人生にとって必要かどうかなんて分かりっこない。
必読
田舎暮らし、喫茶店経営、バー経営を夢見るサラリーマンたち
「カフェ、経営してみたいねん」
「バーやってみたいねん」
「田舎で古民家買って、家庭菜園したいねん」
人生設計の話をすると、子どもの学費の話、保険の話、NISAの話、あれこれ現実的な話をした後に「でも、将来はな‥」と切り出して、こういう話が出て来る。
誰しもサラリーマン生活はあくまで人生の準備期間であるかのような扱いをする。本当にやりたいことを叶えるのは、65歳を過ぎてから、というわけだ。