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田舎暮らし、喫茶店経営、バー経営を夢見るサラリーマンたち

「カフェ、経営してみたいねん」

「バーやってみたいねん」

「田舎で古民家買って、家庭菜園したいねん」

人生設計の話をすると、子どもの学費の話、保険の話、NISAの話、あれこれ現実的な話をした後に「でも、将来はな‥」と切り出して、こういう話が出て来る。

誰しもサラリーマン生活はあくまで人生の準備期間であるかのような扱いをする。本当にやりたいことを叶えるのは、65歳を過ぎてから、というわけだ。

まるで65歳まではチュートリアルであるかのようだ。

これが家庭用ゲームなら、発売早々ブックオフに流れて500円くらいで叩き売りされるだろう。チュートリアルを終えた頃には、もう体力もないし、体はボロボロ。

そして、たいてい夢のリタイア生活を送ることなく、早々にボケて老人ホームに入り、後悔の中で一生を終える。

「好きなことして、生きていく」とは、たいていの人にとっては非現実的に感じられる。

金を稼ぐことは、一種の縛りプレイだ。金を稼ぐ方法はある程度限られていて、人の役に立ったからと言って金がもらえるとは限らないし、好きなことをして金がもらえることなんて稀だ。だから、大抵みんな嫌いなことをして、嫌いなことを好きになろうとする。

でもどうして、みんながみんな田舎暮らしや、バーやカフェの経営をやりたいのだろうか。

少なくともそこには、「のんびり暮らしたい」という欲求がある。朝から晩まで灰色のオフィスに通うことを運命付けられるよりは、好きな時に目覚めて、好きな時に散歩して、好きな時に昼寝したい‥というわけだ。

バーやカフェ経営は、人にあれこれ指図されたくないという想いが具現化した夢だろうか。

のんびりしたいとは言っても人は退屈には耐えられないし、指図されたくないと言っても人は誰かの役には立ちたいと思うわけだ。

しかし、まるでそうではないかのように、僕たちはあれこれ雁字搦めにされている。人は放っておいたらダラダラとYouTubeを見て過ごすだろう、だから指図されなければならないし、お金を与えては甘やかすだけ‥というわけだ。

この発想がベーシックインカムの実現を妨げるわけだが、誰しもが田舎暮らしとカフェ・バー経営を夢見るのを見れば、この発想が間違っていることは明らかなように見えるのだけれどね。

「人は怠惰でどうしようもない」という現実主義を気取る中二病がカッコいいと、みんながそう思っている。僕はそう考えるのはダサいと思っている。

中二病はダサい。その風潮が広まれば社会はもう少し良くなるかもしれない。そして、夢の田舎暮らしやカフェ・バー経営も実現するかもしれないね。

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