頑張るから不幸になる
頑張れば幸せになれるよ。
これが今の世の中である。我々は、この世界最大の嘘を物心ついた頃から刷り込まれている。頑張って勉強すれば、いい大学に入れる。頑張って就活をすれば、いい会社に入れる。頑張って仕事をすれば、年収が上がる。頑張って年収を上げれば自分の市場価値が上がり、いい人と結婚できる。頑張って夫婦関係を維持すれば、幸せになれる。大体このあたりだろう。我々人間というのは、頑張っていくつもの壁を乗り越えなければ幸せになれないのだから、本当に不幸な動物だ。しかも皮肉なことに、これを体現したところで幸せになどなれないのだから、本当に悲しい生き物だ。こうやって世の中から騙されたまま、あれ、何でだろうなと頭を抱えながら皺くちゃの醜い姿に変えられ、そのまま死んでいくのだ。本当に、この世の中は終わっている。不幸な人間がさらに不幸な人間を産み出し、頑張るという宗教が蔓延して人間を終わらせていく。
私も危うく騙されて死ぬところだった。危ない。
1993年、平成5年。まだ昭和を引きずったバブル崩壊後、そして私が生まれた群馬県太田市は特に民度が低いエリアであったから、平成初期であっても昭和初期のような村だった。そんな村で育った父親であるから、当然上記のような大嘘を俺に吐いて聞かせた。父親は田舎の世間知らずの大馬鹿だったから、この上記の呪いを信じ切っていた。
もう第一段階でつまづいてしまった父親だから、本当に悔しかったのだろう。第一段階でつまづいてしまったから、その先のことは当然分からない。当然分からないから、「その先」が幸せなものだと信じて疑っていなかった。だから、俺がその先を手に入れられるようにあらゆる努力をした。そんな勇んで努力をする父親は、日に日にやつれていくようだった。自分から好き好んで不幸になっていった。でもバカで無能だからしょうがない。
問題は母親だ。母親は一時期海外で暮らしたり、東京に出てバブル期を謳歌したりなど、そこそこ世間を知っている女だ。つまり「頑張って勉強していい大学を出ていい会社に入っていい人と結婚して、うんたらかんたら」を実現したところで幸せになどなれない、を知っているはずの女だ。だから本当に、本当にタチの悪い性悪なのだ。性根の腐っている女は、それがこの世界の大嘘だと腹の底では気づいていながら、俺に勇んで呪いをかけ続けたのだ。そうして成人してからも、母親は、「早く結婚しなさいよ」と俺に言い続けた。自分は結婚に3回も失敗しているくせに。そして50代に突入して、かつての美しさは影も形もなくなっているくせに。幸薄で、順当に老けて、生気がない見るからに不幸な人間と化しているくせに。「散々失敗例を見せつけてきたくせに、どの口が俺に結婚しろとかほざくんだ?」と聞き返したら、母親は回答せずにただ怒っていた。今思えば、無意識に「自分と同じ苦しみを味わえ」という邪悪さが腹の底にあったからだろう。自分と同じ苦しみを、もっとも近い人間が味わえばそれが鎮痛剤になるから。同じ苦しみを共有できる、その存在が欲しかったのだろう。母親は臆病な女だから、そんな自分の邪悪さに気づく勇気など、死ぬまで無いだろうが。だから、一人目の子供である娘、二人目の子供である俺に絶縁されてしまったのだ。なぜ絶縁されたのか、俺は丁寧に聞かせてやったのに理解しようとする勇気をあの女は奮い起こさなかった。それほど臆病な女なのだ。人と向き合い、子供と向き合う気概のない臆病には孤独死がお似合いだ。30年後、警察から死体発見の電話が来ても俺は応じない。
駿くんはやればできるはずなんだから、もっと頑張りなさい。母親も父親も、俺に愛情を持って寄り添うことなど微塵もなく、ただこの大嘘だけを吐き続けた。そして俺の不幸は、「駿くんは素直で良い子」を体現してしまったことだ。毎日戦争のような争いを繰り返す親共に、ただ愛されたくて、親の理想を体現することだけに囚われていた。そして更なる不幸は、中途半端にそれらをこなせてしまったことだ。
俺は薄々気づいていた。「頑張って良い大学に入って良い会社に入って、」というのが、もはや破綻していることを。ただ俺が大馬鹿だったのは、「良い会社に入るとか、そんな次元じゃなくて。そもそもいい会社を俺が作れば、俺が成功者になれば。その辺で普通の暮らしをしている、不幸面を提げた親たちのような人間とは次元の違う世界で暮らせば、親共とは違って幸せになれるのでは」と勘違いしてしまったこと。世の中で発刊されている書籍や、垂れ流されているドラマ、映画。そんなものにまんまと騙されて、更に努力をしてしまったこと。そして、俺の身体はこの資本市場に適しておらず、一部の強者のような鈍感さと強靭さを持ち合わせていなかったこと。そんな愚かさを抱えていたことが、俺の最大の不幸だった。結果、人間として壊れた。
俺はどこで間違えたのか。
根本を辿れば、価値観の相容れない愚か者の元へ生まれてしまったことだが。もう少し浅いところを見ていくと、
ここだ。この時にはもう鬱病とパニック障害を発症していたのに。どうしたら俺は満たされるのか、幸せになれるのかという問いに、「もっと頑張れば」という結論に至ってしまったこと。世の中の呪いに屈してしまったこと。ここが、俺が大馬鹿だったところだ。
そんな訳がない。むしろ逆。
「頑張る」というのは、人間を滅ぼす呪文だ。「頑張る」という概念が浮かぶその人間の根底にあるもの。それは、「自分には価値が不足している」という恐れだ。何かを頑張るとはつまり、何かを自分に付与しようとすること。至らない、「こうあるべき」と勝手に世の中から設定された何かに近づこうとすること。生まれたばかりの赤ん坊だった頃、考えもしなかった、なりたいと微塵も思わなかったような化け物になろうとすること。これが「頑張る」の正体だ。
頑張ること。それは、溺れている時に海水をガブガブ飲み込むこと。頑張れば頑張るほど身体は乾いていく。それが海水だと分かっていても、それを飲まなければ死んでしまうと社会に騙されて、自らの命を枯らしていくこと。
そうじゃない。もう人間は、根本から間違っている。生まれる親を間違えた時から、もう老いと死と、「一度は死にたい、と考えるほどの苦悩」に晒される運命なのだ。そこでこの「頑張れ、と呪いをかけてくる世界」が間違っていることに気づけなければ、その人間には自殺しか待っていない。
俺には価値が不足していたのか?
そんな訳はない。俺はもう、生まれた時から価値に満ち溢れていたはずなのだ。生まれた時、糞を漏らしながら泣き叫んでも、この世界は必死に俺を生かそうとしたではないか。結果、物心つくまでは無上の愛を注いでくれていたではないか。
物心ついた後も、親以外の人間の中に、俺を正しく愛してくれていた人間はこの世界に存在していたはずなのに。俺はそれを見出す覚悟がなかった。覚悟と行動、ただこれが不足していた。
そして何よりも、
ここで書いたように、俺はただ生きているだけで社会の役に立ってしまっている。本当に悲しいことに、ただ呼吸をしているだけで愛してくれる人はいたはずなのだ。今日、親友が自殺してしまったが。本当に残念なことにそれがきっかけでその真理に改めて気付かされ、打ちのめされた。
頑張ろうとすること。それは地獄への入り口。「己には価値がない」という呪いに屈し、頑張っても頑張っても。というか頑張れば頑張るほど、「もっと上がいるじゃないか。もっと頑張らないとお前は幸せになれないぞ」という終わりのない奴隷労働に殺される日々の始まり。今日自殺した親友も、この呪いに殺されてしまった。
絶対に頑張ってはいけない。
ただ生きているだけで己には価値があるという真理に気づくこと。そのために、己に呪いをかけ続けた親と向き合い、人生と向き合い続けること。その崖から飛び降りるほど恐ろしい試練を潜り抜けた先で、「己は価値に溢れていた」と気づかせてくれるパートナーが、両手を広げて待っている。
以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、
こちらまでご連絡ください。
第一弾:親殺しは13歳までに
あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。
第二弾:男という呪い
あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。
第三弾:監獄
あらすじ:
21世紀半ば。第三次世界大戦を経て、日本は「人間の精神を数値化し、価値算定をする」大監獄社会を築き上げていた。6歳で人を殺し人間以下の烙印を押された大牙(たいが)は、獲物を狩る獲物として公安局刑事課に配属される。最愛の姉に支えられ、なんとか生きながらえていた大牙は、大監獄社会の陰謀に巻き込まれ、人として生きる場所を失っていく。
あるべき国家運営と尊厳の対立を描く、理想郷の臨界点。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?