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「人の役に立ちたい」は病気

人の役に立ってこそ人生

先日、とある依存症家族会に参加した。その参加者の一人がこのように発言していた。アルコール依存症の20代の息子がいる、おそらくは50代の女性。人生と自分に疲弊し、肌の潤いがなく皺だらけの、70代の老婆のような女性。どう見ても余裕のない、息苦しそうな人だった。家族が依存症真っ最中の人は、このような人が多い。
依存症家族会では、まず自分の今の気持ちを吐露する時間が設けられる。そこで、この50代と思われる女性は以下のような発言をしていた。

・息子が小さい頃からもう、夫婦仲は最悪だった。夫の親も同居していたが、そことも仲が悪かった。
・よく喧嘩していた。その様子を、息子には散々見せてきてしまった。自分が子供の頃、両親の言い争いを見せられて育って、すごく嫌だったことはわかっていたはずなのに。本当に息子には申し訳ないと思っている。
・息子のために私ができることはないか、というのを考えて実践してきたつもりなのに。息子は、もう家族とは会いたくない、親の顔なんて見たくないと言って出ていってしまった。もうこの半年間、一度も連絡をよこさなかった。
・でも、先週いきなり息子が実家に帰ってきた。お金がないから8時間ぐらい歩いて帰ってきた、と言っていた息子は、ホームレスみたいな、ボロ雑巾のような風貌でした。私はカウンセラーさんから「絶対に息子に関わるな。家に入れてはいけない。愛を持って手放しなさい」と言われてましたけど、私にはそれはできませんでした。
・だって、息子が依存症になったのは私のせいなんですから。せめて家に入れてあげて、寝床を与えることぐらいしなきゃ可哀想じゃないですか。もうろくに何も食べてなくて痩せ細っている子供に、ご飯を作ってあげることの何がいけないんでしょうか。私は、私のせいで子供を苦しめたんだから。せめてできることはしてあげたいと思っています。
・このことは、カウンセラーさんには言っていません。言ったら絶対に反対されるからです。カウンセラーさんは、「まずは子供と距離を置きなさい。あなたは人のことを考えるのではなく、人の役に立とうと躍起になるのではなく。まずは自分のことだけを考えて、自分を大事にしなさい」と言いますが。おっしゃることもわかりますが……
・でも、なんていうんでしょう。私、自分のことだけを考えて、とかすごく違和感があるんですよね。だって、結局は人の世の中じゃないですか。助け合ってこそ、というか。人間、自分のことだけを考えて生きるなんて、なんか違うというか……やっぱり人間って、人の役に立ってこその人生だと思うんですよね……
・だから、本当に息子との関わり方に悩んでいます。息子に迷惑をかけたし、息子のために何かしてあげたいって思うのは、親として当然じゃないですか。でも息子のためにもそれをするなと言われるので……もう、どうしたらいいのかわからないんです……

そう言って、その女性は泣き崩れてしまった。本当に苦しいだろう。私も立場は違うが。親が依存症であった、という逆の立場ではあるが。この女性の気持ちは分かる気がする。自分が築き上げてきた価値観、「それがあったから今まで頑張ってこれた」価値観を根底から否定されること。脳の常識に反することを言われ、「自分が大事に思っている」と錯覚している人間と関われないこと。これは自分の存在意義を揺るがす大事件であるから、この女性は本当に息をするのも苦しく、辛いだろう。

このような依存症家族は、100%共依存だ。支配するものと、支配されるものの関係。家族側は支配者となり、依存症本人を追い込む。この無害で優しさに満ち溢れた、くたびれきった風貌の50代女性もまた、息子の生き血を吸い取っていく恐ろしい支配者なのだ。当然、彼女はこの事実に気づく様子はない。死ぬまで気づかないかもしれない。

この女性を見ていると、私は母親を思い出した。私の母親はこの50代女性のように、「人の役に立ってこそ人生」なんて崇高な理念を掲げることすらできないバカな女なのだが。
だが私も、この50代女性も、そしてバカな私の母親も。皆が、「人の役に立ちたい」「人の役に立たなければ」というズレた病を根底に抱えた愚か者であったこと思い出した。

私は生まれてこの方、存在しているだけで価値がある、と認識させてもらったことがない。物心ついた時から公文式、水泳、ピアノ、エアロビ等、労働を強制された。母親なりに、子供の可能性を広げたいだのなんだの思想があったのかもしれないが、それは母親の独りよがり。私の気持ちなんて慮られたことなどない。辞めたい、と言ったらものすごく母親から嫌な顔をされたから、もう言わないようにしようとずっと我慢をしてきた。
テストで98点を取ったら、「なんで2点間違えたの?」と嫌味を言われた。100点を取っても、すごいわね、これからも頑張りなさいとだけ言われた。母親も父親も、祖父母も、「何か成果を出せたら偉い」という人間だった。俺がどんな思いで必死にやっているのか、なんてことには微塵も関心のない奴らだった。「結果を出せている、周りより優れている駿くん」だから偉いわね、でしかなかった。

「何かができるから、その存在を肯定される」というのは生き地獄だ。24時間365日、砂漠の上を歩かされるようなもの。何かが優れている、「お前は私にとって価値がある」と認識させなければ水をもらえない。毎日毎日毎日砂漠を歩き続け、水をもらい続けなければ枯れてしまう。水をもらえなくなったら……? と考えるだけで恐ろしい。その恐れの中で、親族たちに支配されながら。常に喉を枯らしながら生きてきた。

小学校に上がった頃、私は唐突にオアシスに気づいた。母親と父親の仲は険悪で、怒号が響き渡る日も増えていった。そして母親は日に日に病んでいき、夜になるとよく泣いていた。そして母親は毎日不幸面を引っ提げて、「お前の父親はどうしようもない男だ」という毒を俺に浴びせた。そして毒を一身に浴びた後、母親は束の間の満足を得た顔をする。そしてたまに、「ありがとね、駿くん」と言う。

これだ。
これが俺のオアシスだ。別に何か失敗して、たまに結果が出せなくても。「母親の毒を浴び続ける」というタスクを日々こなせば、それが十分な担保になる。これさえ守っていれば、俺は価値のある存在なのだ。母親からの愛情を受け続けることができる、水を補給し続けることができるのだ。
味を占めた私は、母親が新しい男と再婚した後も、日々熱心に、新しい男の愚痴という毒を喜んで喰らった。

・私の鞄を売っぱらって借金返済に当てられた
・娘の保育園の迎えにも行かないで。「仕事が入ってしまい、すみません」と嘘をつきパチンコ屋に入り浸り、祖父に保育園の迎えに行かせている。
・やっぱり頭の悪い男はダメ。全然稼げないもの。家にだって、月5万円ぐらいしか金入れないのよ。私が全部、この家の家計のやりくりをしているの。
・駿くんはああなっちゃダメよ。勉強しなさい。勉強しないと、ああいう男になるわよ。
・ホント、早く死んでくれればいいのに、あんな男。

母親は実に流暢に、生き生きとして俺に呪いをかけ続けた。「私のような、顔だけで中身のない、人生と向き合う度量のない碌でもない大人になるな」ではなく。「父親のような、ダメな男のせいで私はこんなにも辛いのよ」と、浅はかな論理のすり替えをもって、幼い私に呪いをかけ続けた。

誰かにとって利用価値があること
「人の役に立つ」生き方をしなければ価値がないこと
価値がなければ、女から「ダメな男」の烙印を張られ、存在を許されないこと

母親の英才教育により、もう小学校5年生ぐらいの時には俺は完璧に仕上がっていた。周りより優れ、周りにとって価値がある男でなければいけない。そして俺には、その器がある。だから、もっともっともっと。価値のある自分となり、人の役に立って賞賛され続ける男にならなければ。その想いだけを抱いて、行きたくもない男子校に行き、有名国立大学に行き、そして「世間の役に立つ」と100人中100人がそう言ってくれる社会貢献事業を立ち上げた。この30年、自分の本音が分からないロボットとして、必死に世間の称賛をかき集めてきた。人の役に立っている、社会の役に立っている。その実感を世の中から得れば得るほど、呼吸が苦しくなっていった。当然、人として壊れた。

冒頭のテーマに戻る。
「人の役に立ちたい」と躍起になること。その根底には、「私の存在価値を実感させろ」という傲慢が蠢いている。相手の胸ぐらを掴み、私って価値があるでしょう? ねえ、そう言ってよ。ねえ、ねえ? という脅し。相手の魂という金品を強引に奪い取ろうとする恐喝。これが「人の役に立ってこそ人生」の本性だ。他者に依存し、無理やりコントロールして自分の存在価値を実感させる玩具に仕立て上げる。自分を他者もろとも破壊していく、人格の病。
私は母親に依存して、「ママ、僕って役に立ってるよね? 価値のある子供だよね? 僕を愛してくれるよね?」と泣き喚いている場合ではなかった。本当に気持ちが悪い。ちゃんと母親に「被害者面してんじゃねえよバーカ、死ね」と言って、家を飛び出すべきだったのだ。

脱線するが
悲しいことに、人間は生きているだけで誰かに役に立ってしまっている。私は一日中youtubeしか見ていません、誰とも関わっていません、という人も。youtubeを見ているではないか。再生回数に寄与しているではないか。チャンネル運営者を喜ばせてしまっているではないか。
いや私、youtubeすら見ないんですよね。本当に、家でゴロゴロしてるだけなんですという人も。家賃を払ってしまっているではないか。大家を喜ばせてしまっている。
いやいや私、生活保護なんですけど。家賃の支払いも税金なんですけど、という人も。生活保護を受けてしまっているではないか。社会保障とは、この国の支配階層を喜ばせる制度のこと。「奴隷市民を黙らせるため。叛逆した市民に刺し殺されないように」するための制度のことだ。だから生活保護を受けている場合、穏やかに過ごしているだけで、支配階層を喜ばせてしまっているではないか。
本当に残念なことだ。人間は生きているだけで、誰かの役に立ってしまっている。だからそもそも、「誰かの役に立たなければ」と躍起になるのは心底ズレている。人格が病んでいる。私の過去30年を振り返り、それがよく分かった。

人間、てめえの道だけ見てれば良いのだ。必死になって存在価値を集めに行こうとすればするほど、自分も他者も苦しめていくだけ。安直に人と関わろうとすればするほど、この世界には怒りが蓄積していく。だから毎日、「私の期待に応えなかった」という怒りをもって、人が人を刺し殺しているのだ。こんなバカな話はない。

他者に構うな。前だけ見てろ。対話するのは、自分の身体とだけ。ただそれだけをしていれば、勝手に自分の才を見出す。見出したのなら、残りの人生はそれだけやってろ。あとは勝手に覚醒して、人生に色が出る。
だが決して、色を出してやろうと必死になってはいけない。それは魔界への入り口だから。また元の自分に戻るだけ。今度こそ本当に死ぬぞ。
だからもう俺は、誰のためにも文章を書かない。ただ俺を喜ばすため、それだけの作品を生み出していく。こういう作品が世にウケるのでは、など糞食らえ。俺の究極の自己満足を見たあなたが、「おもろ」と思ってくれたのなら儲けものだ。

自分だけを見て生きろ。自分を喜ばすためだけに生きろ。あとは勝手にそれが波及して、共鳴する人が集まってくる。その中で、「100%の弱さ」を気づいたら共有できてしまっている人が、パートナーと呼ばれる人だ。そのパートナーと、残りの170年間を味わっていれば良い。

私はこれを今日もしっかりと、自分に言い聞かせていく。







以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、

kaigaku.nla@gmail.com

こちらまでご連絡ください。

第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。


第三弾:監獄

あらすじ:
21世紀半ば。第三次世界大戦を経て、日本は「人間の精神を数値化し、価値算定をする」大監獄社会を築き上げていた。6歳で人を殺し人間以下の烙印を押された大牙(たいが)は、獲物を狩る獲物として公安局刑事課に配属される。最愛の姉に支えられ、なんとか生きながらえていた大牙は、大監獄社会の陰謀に巻き込まれ、人として生きる場所を失っていく。
あるべき国家運営と尊厳の対立を描く、理想郷の臨界点。

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