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#11 音楽史⑥ 17世紀 - バロック

ポピュラーまで見据えて西洋音楽史を描きなおすシリーズの続きです。このシリーズはこちらにまとめてありますので是非フォローしてください。巷で教えられる従来の西洋音楽史では今までのところが「序章」として省略され、今回取り扱うバロックからがメインとして扱われがちです。しかし、音楽史全体の流れをとらえるには、もう少し手前のイタリア・ルネサンスなども含めて考えたほうが良いと僕は考えておりますので、是非今までの記事もご覧いただければと思います。


復習

中世では、シルクロードによって中国までつながっていたアラビアが文化の中心であり、辺境の地ヨーロッパへと楽器が流入することもときにはありましたが、基本的にキリスト教世界では無伴奏のグレゴリオ聖歌が中心の時代でした(ポリフォニー)。キリスト教(カトリック)の腐敗とペスト流行や戦争による社会混乱が続いていました。

ルネサンスでは楽器の発展により、器楽と、中世以来続いていたアカペラの聖歌が合体しました。特にヴェネチアでは祝祭的な雰囲気で音楽が発達し、ポリフォニーが衰退していき、そこでフロットラマドリガーレなどの世俗歌曲が多くつくられます。また、活版印刷術の発展により、五線譜も統一されつつありました。

そして17世紀を迎えます。日本では1600年、関ケ原の戦いを経て江戸時代に突入するころですね。



ドイツ三十年戦争の惨劇

世界史的に重要な出来事として、ドイツで1618~1648、三十年戦争と呼ばれる宗教戦争が勃発します。ドイツの人口の20%を含む800万人以上の死者を出し、野蛮で残忍な行為が横行し、人類史上最も破壊的な紛争の一つとなりました。こうして荒れ果てた神聖ローマ帝国は形骸化し、諸侯分立状態に。神聖ローマの皇位継承権のあるオーストリア・ハプスブルク家も衰え気味になります。

そんな混乱状態にあったドイツはそもそもイタリアやフランスに比べて文化を発信することがない「音楽後進国」とされていました。当時ドイツではドイツ語しか話せないのは教養のない者のことになり、エリートたちはみな、先進国のイタリア語かフランス語で喋ったといいます。

そんなドイツでひっそりと活動したのがバッハ。今や音楽史上でバロック時代を学ぶと、必ず代表的な巨匠として挙げられますが、バッハは当時の主流の音楽性から異なっています。バッハを「バロックの典型」としてしまうと、バロックのイメージが歪曲してしまい、捉えづらくなってしまいます

バッハは生涯ドイツ国内にとどまって中世由来のポリフォニーの書法に基いた綿密な作品を残した音楽家で、19世紀に「発見」され「復活」させられるまではマニアックな存在でした。バッハの生没年は1685~1750であり、18世紀前半が活動時期です。バッハの死をもってバロック時代の区切りとされていますが、そもそもバッハの時代までをバロックに入れてしまうと、美術史や建築史としてのバロックの時代とも少しずれてしまいます。バッハのことは一度置いておいて、まずは17世紀のバロックという時代を見てみましょう。



バロックとは

バロックとは「いびつな真珠」という意味で、ルネサンス後のダイナミックな芸術運動として音楽に限らず美術・彫刻・建築などで広がった運動です。
宗教改革などで権威の落ちたローマカトリック教会の威信の回復のために、豪華絢爛なバロック建築が活用されました。フランスでは17世紀、ブルボン王朝のルイ13世~14世の時代、絶対王政が確立します。王の力を誇示するため「ヴェルサイユ宮殿」をはじめとするきらびやかな建物や様式がつくりあげられました。王や貴族が贅沢の限りを尽くし、音楽もそんな贅沢の一部でした。作曲家を大金で雇い、ことあるごとに作曲させられます。

バロックとは「きらびやかな王侯貴族の文化」ととらえてください。はっきりとした強弱や、カッチリとした縦のハーモニーが音楽的な特徴と言えます。



オペラの誕生

音楽史的にバロック期の最大のトピックは、オペラの誕生です。オペラの存在は音楽史的に現在まで最重要になってくるので、しっかり注目していきます。

ルネサンス期、イタリア・フィレンツェでは銀行家のメディチ家が権力を掌握したことにより、都市国家として政治的にも安定し、ギリシャの古典・諸学問の研究、音楽や劇の振興を奨励され、各地にアカデミーが設立されていました。そうして16世紀末、フィレンツェにて貴族中心の文化人グループ・アカデミー「カメラータ」が誕生します。

まずカメラータは、これまでのポリフォニック書法・多声音楽を「言葉の美しさを犠牲にしている」と批判します。それを是正するため、新たな表現方法を開拓。詩を朗唱風(話し言葉と歌の中間)で歌い、支える伴奏を楽器で行うというものです。言葉の区切りやアクセントに合わせて、通奏低音による即興伴奏を付けるというスタイルで、モノディ様式と呼ばれ、バロック音楽への足掛かりになります。

そしてカメラータは、演劇・音楽・舞踏が一体となった総合芸術、ギリシャ悲劇の復興を試みます。当時宮廷で上演されていた仮面劇などの演劇を母体にして、「音楽劇」を作り上げます。

1597年『ダフネ』(ペーリ)が世界最初のオペラとされていますが、現存していません。1600年『エウリディーチェ』(ペーリ、カッチーニ)が現存する最初のオペラ作品です。

フィレンツェから起こった新様式の音楽はイタリア全土へと広まりましたが、特に功績が大きかったのが、ヴェネチア楽派のモンテヴェルディ(1568~1643)。1607年初演の『オルフェオ』は今日まで上演されています。

このようにして、ヴェネチアオペラが隆盛していきます。



楽器の発達と弦楽の隆盛

ストラディバリ、ガルネリ、ガスパロダサロ、マジーニなどのバイオリンの名製造者がこの時期のイタリアに登場し、弦楽が栄えるようになります。

鍵盤楽器はチェンバロが中心。

また、それまで合図用だったトランペットも、ソロ楽器としては音楽に使われるようになりますが、金管楽器は現在のような機能性にはまだ乏しかったようです。17世紀後半には、フルート(バロックフルート)が生まれ、リコーダーを中心とした古い木管楽器合奏が廃れていきます。オーボエやファゴットも使われるようになり、オペラ伴奏の補強として取り入れられることも。ここから、管弦楽(=オーケストラ)への萌芽がみられます。

ヨーロッパでは17世紀以降、軍楽隊の整備も急速に進展していきます。



フランス宮廷文化

先述したように、フランスでは絶対王政が確立します。貴族とはもともと、中世での領主・大地主でした。そこから、貿易・商業・金融業の発達により、貴族の上流社会が発達していきました。絶対王政確立後、その権力をより強固にするため、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿を築きます。ここに、王を中心とした「宮廷社会」が成立します。

貴族たちはルイ14世に服従しながら仲間の連帯意識を持たされ、数々の「儀礼」によって自分の地位を競争しながらネットワークを形成し、王に飼いならされていきました。もともと貴族は、農奴の「生活のための労働」をしないかわりに軍事的役割を担っていましたが、絶対王政になるとその役割を失っていました。有り余る時間を、狩猟・スポーツ・儀礼・文化活動などを通じた社交に費やすことで、王の威光を高めていきました。毎日のように祝祭が行われ、花火大会、馬上試合、舞踏会や晩餐会などの宮廷文化が花開きます。すべてが公的な行為であり、社交生活=社会生活になっていました。現代のわれわれのようなプライベートと労働の区別はなかったのです。時間と経済力の余裕が権力たらしめ、また芸術の保護者として高い鑑識眼が必要となり、育まれていきます。

これらの隅々を彩ったのがバロック音楽です。17世紀前半はバレエがたしなまれ、17世紀後半にかけてオペラが中心になりました。ルイ14世の宮廷音楽の実権を握っていたのがリュリ(1632~1687)でした。フランスオペラの創始者といわれます。

フランス王宮では主に3つの音楽グループが確立されていました。
●宮廷礼拝堂楽団・・・オルガニスト、聖歌隊など
●宮廷室内楽団・・・ヴァイオリン中心。夜会や会合、王の食事のBGMやバレエ・オペラなど。
●大厩舎音楽隊・・・吹奏楽に近い。野外の祝宴や式典などで演奏。



アメリカ植民のはじまり

先の大航海時代で海洋進出の主役だったスペイン・ポルトガルは衰退し、イギリス・フランス・オランダが世界へと植民地進出に乗り出します。
アメリカへは17世紀初頭、イギリス人による「ピルグリム・ファーザーズ(1620)」「ピューリタンズ(1630)」などの植民により、大量移民が始まります。ネイティブアメリカンを虐殺し滅ぼしながら、開拓・侵略していきました。

彼らはカルヴァン派が多く、華美な音楽を嫌っていたため、無伴奏・アカペラによる詩編唱が持ち込まれました。やがて、崩して歌われたり、装飾を加えて歌われるようになります。これがアメリカ民衆音楽の始点となります。

17世紀後半には、アフリカからの黒人奴隷の輸入が始まります。


まとめ

今回は17世紀のバロックを紹介しました。イタリアでのオペラの誕生と、ルイ14世によるフランス絶対王政下での宮廷文化が中心でした。音楽家で出てきた重要人物はモンテヴェルディ、リュリくらいで、バロックでよく出てくる名前がまだ出てきていないことに違和感を覚えた人もいるかもしれませんが、それらは次回、18世紀のところで紹介することになると思います。

またアメリカの歴史はポピュラー音楽史への布石として引き続き並行で見ていきたいと思います。

では。お読みいただきありがとうございました。


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