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【本要約】ラグジュアリー戦略


2022/1/19

ラグジュアリー戦略

ラグジュアリー戦略は、ヨーロッパで生まれ、主にフランスやイタリアの会社によって世界規模で発達した。

フェラーリ、ルイ・ヴィトン、カルティエ、シャネル、ブルガリ、グッチ、プラダ、フェラガモといった小さい家業を、半世紀足らずで世界的なブランドに成長するために考案された、独創的な方法は、ほとんどの文化圏における事業に応用できる。

ラグジュアリー文化

ラグジュアリーは文化である。マーケティングは、プレミアムには効いても、ラグジュアリーには効かない。ラグジュアリーの魅力は、人間性に深く根ざしている。

ラグジュアリーの起源

人間と動物の差異は、死ぬ運命を理解しているか否かである。死者を埋葬し始めたときから、人類は始まった。人類の墓からは、遺骨以外に、副葬品 〜 貴重な宝石・武器・馬・船といった権力の象徴 〜 が埋葬されている。

人類の夜明け以降、人々は社会を形成し、支配勢力が生まれ、その支配勢力に特有の物品や象徴・生活様式ができた。支配勢力と、固有の象徴や物品の出現こそが、ラグジュアリーの起源である。そして、このラグジュアリーが徐々に、低い地位の死者や、少数の神聖な動物にまで広がっていった。ラグジュアリーの拡散は、時間と資源のある限り、すべての社会に起こりうることだ。

・苦しい生活の農民に対して、ラグジュアリーを無駄な浪費と見なした人々がいた。
・一方で、ラグジュアリーの中に、徐々に社会全体に広がり、ゆくゆくは、みんなの有益になる芸術的・技術的発見への強力な推進力を見出した人々がいた。

ピラミッドは、労働を科せられた奴隷ではなく、豊富な技術者と熟練した労働力によって建設された。ファラオのラグジュアリーは、奴隷制の上に成り立っていたのではなく、有能な人々の高度な専門技術の上に成り立っていた。

ラグジュアリーの社会学問題

ラグジュアリーの歴史

社会階層化
・実用性と浪費の観念
・富の配分に関する意思決定

ラグジュアリーの概念は、社会的に中立不偏のものではない。
「 ラグジュアリーが何であるか 」について定義するのは、社会である。

■ラグジュアリーの変遷

① 不平等主義社会における社会階層化の所産であるラグジュアリーは、自由平等化社会の生みの親になった。

② 自由平等化の過程で「支配階級は消滅し、ラグジュアリーも終焉をもたらすか」に見えた。

③ しかし、実際には、社会階層が消滅しても、ラグジュアリーは消失することはなかった。

④ それどころか、ラグジュアリーは新たな階層を創り出す推進力となった。

■ラグジュアリーの4つの推進力

① 自由平等化
あらゆる人々が平等に様々なモノを楽しめるようになってきたこと

② 消費力の増大
自分のために使う時間やお金が増えたということ

③ グローバル化
世界中のモノが手に入るようになったこと

④ コミュニケーション
情報化で世界中の情報が手に入るようになったこと

依存症的効果
人は、どのような製品分野であっても一度ラグジュアリーを味わってしまうと、そこから価値観が変化する。ラグジュアリーのない現世に戻ることは、非常に難しい。
ラチェット効果
景気変動の過程で所得が減少しても、消費者が過去の所得水準の切り下げに抵抗することにより、景気の下降をある程度くい止める。
ラグジュアリーの役割

元々、ラグジュアリーは、社会階層の象徴であった。

社会階層
世襲的な社会階層
 ・諸国の王
 ・聖職者
 ・貴族
 ・上流階級
形而上学の原理
 ・創造主
 ・教会
 ・儒教
 ・カースト制度
 ・カルマ法

ラグジュアリーは、社会階層化を作り直す基本的な機能を持っている。

① 旧時代は、社会階層は広く知られ、尊重された。
② 男女平等とグローバル化によって、社会階層に触れることもなくなった。
③ 大量消費時代に入ると「 階層構造的な記号 」は、一切なくなった。
④ 社会が " 自由への渇望 " から、新しい記号を求めた。
※自由への渇望 :階層の縛りを抜けて「 上流階級に属したい 」という欲求
⑤ 新しい記号の象徴として、ラグジュアリーブランドが誕生した。

・ラグジュアリーは目印であり、それは、ブランドに必要なモノである。
・ラグジュアリーは、普通の人にとっては非凡な製品である。
・ラグジュアリーのDNAとは「 上流階級に属したい 」という欲望の象徴である。
・私たちは「 自分がこうなりたい 」という願望に応じて、ラグジュアリーを選ぼうとする。

ラグジュアリーブランドというのは、文化と社会的成功との合流地点に位置するものであるから、ラグジュアリーの記号は、文化的なのである。

歴史的に、肌の色は「外で働く必要がなく自由に使える時間を持っている」というラグジュアリーをひけらかすためのサインだった。

ラグジュアリー
・定量的なモノではなく定性的なモノである。
・機能性よりも快楽性・感覚が優先される。

フェラーリは、乗り心地も良くないし、運転はしにくいし、エンジン音はうるさい。

ラグジュアリー製品は、今の社会で「現代的である」と同時に「歴史を背負っている」という両方に見える必要がある。

ラグジュアリーは、その性質として、社会的なモノであり、社会は人間によって成り立っているから、すべてのラグジュアリー製品は、人間の面影を有しなければならない。

一般の消費者向け製品
・機械で大量生産された製品で、コンビニやデパートやインターネット上で売られている。
・広告によって、初めから最後まで作られる欲望か、少なくとも操作される欲望の対象物である。
ラグジュアリー製品
・人によって手作りされ、人から人に対面販売される。
・個人的で自発的な欲望に対応されるモノである。

ラグジュアリーとなりうる基本要素
・極めて、抽象的な概念、美や喜びであり、具体的ではない。
・定量的に測ることは困難であるから、お金の概念と結びつけるのは、本来、無理がある。

ラグジュアリーとお金

お金が、貧富を形成しているのではなく、お金は、貧富を平等化している。
お金 = 貧富の尺度ではなく、貧富の尺度のひとつがお金である。

お金は、それ自体が目的となる。
とても多くの人が「お金のため」と割り切って、コトを進める。

・お金は、ラグジュアリーが生むリッチ感を生み出すことにつながらない。
・お金自体が「それを欲しい」という気持ちを生むのではない。
 欲望を生むのは、お金自体ではなく、貨幣で手に入れたいモノである。
 貨幣には、何らラグジュアリー的要素はない。
・ラグジュアリーかどうかを決めるのは価格ではない。
 価格が何かをラグジュアリーにすることはない。

お金は、社会における言語であり、ラグジュアリーは、その文法である。

① お金は、ラグジュアリーというエンジンに燃料を供給するが、エンジンそのものではない。
② そのエンジンは、階級制度や、社会階層の再創造である。
 高価なラグジュアリーを持てば、庶民の私でも上流階級の仲間入りである。
③ ラグジュアリーは、未加工の素材であるお金を、文化的に洗練された製品 = 社会階層に転換する。

ラグジュアリーは、使用価値と交換価値を超える新しい価値観念をもたらした。
それは、象徴価値である。

・製品の使用価値は金銭上ではない価値である。
・製品の交換価値は価格である。
・製品のラグジュアリー価値は、社会階層化から出てくる象徴価値である。
 製品のラグジュアリー価値は、個人や社会背景に左右される。
・ラグジュアリー:夢
・プレミアム:現実主義
・ファッション:魅惑

ラグジュアリーは、芸術家の生計の手段である。

ラグジュアリーと持続可能な発展

私たちの経済モデルは、すべて「成長」および「原材料と労働力の無期限な利用可能性」に基づいている。私たちの行動様式も全く同様である。

ラグジュアリーブランドは、既存戦略が推進不可能であったから、希少性戦略を取らざるを得なかった。

イノベーションは、人々の行動様式に変化をもたらす。

① イノベーションの起源
 ・イノベーションを先導する資本家
 ・イノベーションが起こす変化を受け入れる資本家
② その資本家が、ラグジュアリー製品の標的である。
③ その資本家によって、市場が形成され、人々の行動様式が変容していく。

ラグジュアリー製品は「大半の大量消費産業」もしくは「ファッションブランド業界」とは異なっていて、持続可能である。

時間は、ラグジュアリーの本質である。
ラグジュアリー製品は長持ちするように作られる。
人々は、ずっと持ち続けるためにラグジュアリー製品を買う。

場所も、ラグジュアリーブランドの鍵となる構成要素である。
ラグジュアリー製品は、その起源の国で作られ、生産や、流通チャネルも質が高い。

ラグジュアリーは、社会の階層化を表現する。
ラグジュアリーは、成功の証である。

・ラグジュアリーは「 成功の自己満足 」と「 他人による認知 」の両方をもたらす。
他人とは、貧乏人ではなく、同じ水準の仲間の認知から生じる。

・ラグジュアリーは、潜在的な社会的批判がある。
ラグジュアリーとは差異の象徴であるから、当然である。
しかし、ラグジュアリーは過剰ではないし、過剰はラグジュアリーさではない。

・ラグジュアリーとは差異の象徴であるから、当然である。
しかし、ラグジュアリーは過剰ではないし、過剰はラグジュアリーさではない。

・ラグジュアリーは「 浪費・見栄である 」と捉えられる一方で「 高品質・使い捨てではない長持ち 」といった面も備えている。ラグジュアリーは「 浪費・見栄である 」と捉えられる一方で「 高品質・使い捨てではない長持ち 」といった面も備えている。

ラグジュアリーブランドは、独自で、最上級の基準を定める。一方で、品質の水準を保つことが、容易ではなくなってきている。天然で高価な原材料を使った製品よりも、人工の安価な原材料を使った製品の方が「 長持ちする 」という弊害も内包している。

初めのうちは、電気自動車は、お金持ちのためのラグジュアリーであった。しかし、時間が経過し、初期購入者のおかげで、経済的に大量生産が実行可能になった。結果として、そのオーラを失うことなく、多くの電気自動車が提供されるようになった。通俗化を避ける一方で、自由平等化され一般化され、持続可能な発展へとつながる。ラグジュアリーの概念は、社会に適合するので、持続可能な発展と共存できる。不可欠でさえある。

ラグジュアリーブランド戦略は、人工的に創り出された消費者の欲望ではなく、顧客の夢に基づいている。

持続可能という観念は、地球の限られた資源を有効に使うためだけではない。ラグジュアリーブランドは、地球温暖化を規制するための基金を設立している。

経営者が直面している問題は、持続可能なモノには高い費用が掛かり、従来型のマーケティング戦略を用いると「消費者にその高い費用が転嫁されることが避けられない」ということだ。その追加費用は、環境によって課税という法で対処するか、会社によるマネジメントで対処するのいずれかである。

会社で対処するためには、ラグジュアリー戦略が有用である。ラグジュアリー製品は、能力のある職人によって製造される、魂のない機械や、地球の裏側で搾取されている労働者によって製造されるのではない。使い捨てではなく、長い寿命を持つラグジュアリー製品は、持続可能な発展を示している。

ラグジュアリーの本質

ラグジュアリーとプレミアム

ラグジュアリーは、絶対的な範疇ではなく、相対的な集まりであり、その時代の社会構造や、政治構造と切り離しては考えられない。

・ある人にとってのラグジュアリーは、他の人にとってのラグジュアリーではなかったりする。
・今日ラグジュアリーであるものが、明日ラグジュアリーでなかったりする。

【 ラグジュアリー車 】
・完璧に期待通りであり、また期待を超えさえしている。
・ブランドの従業員が礼儀正しく、行き届いていて、熱心で、頼もしい。
・車は、メンテナンスが良く、美しく、審美的に心地よい。
・機器などのトラブルの発生数が少なく信頼性できる。
・品質とトラブル解決の迅速さがある。

ラグジュアリーはプレミアムのもっと上の範疇ではない。
ラグジュアリーとプレミアムの商品は、同じ軌道には乗っていないのだ。
ラグジュアリーとプレミアムの規準は、同じではない。

【 プレミアム車 】
・価値の多さ
・快適さ
・トランクの広さ
・操縦性など
※プレミアム車種の顧客によって定められる基準で判定される。

ラグジュアリー車においては、その規準を定めるのはメーカー側のクリエイターである。

そこには、顧客との関係性の反転がある。

ラグジュアリーの目的は、自動車であれ他のものであれ、誰かの注文に応じて作られたり、需要に合わせて作られたりするものではない。ラグジュアリーは「 クリエイターの閃きに従いメディアの注目を集める挑戦である 」と考えられ、また創られる。ラグジュアリーは、顧客もクリエイターも高め続けるモノなのだ。

プレミアムは、他と比較される対象である。
ラグジュアリーは、最高無比であり、他と比較ができない。

例えば、レクサスはプレミアム車であり、フェラーリはラグジュアリー車である。
・プレミアム車は、資産階級者のもので、一生懸命働いたことの報酬として、手に入れるものである。
・ラグジュアリー車は、貴族のもので、記号として、手に入れるものである。
・ルイ14世王朝の時代の社会は純粋な血統によって、階級、つまり社会的に優越な立場を正当化する必要があった。
・現代の社会においては、浪費、社会的な栄光や英雄的功績……労働以外のいっさいによって正当化する必要がある。

労働によって富を得た資産階級は「 自分たちとこの階級とは正反対だ 」と思っていて、お金で階級を区別することを軽蔑していた。現代の車は、技術的なものであると同時に、馬を使って移動していた頃の慣習や物体の象徴、名残りでもある。

ラグジュアリーと創造

・歴史は必ずしも長くある必要はない。
本物の新しいラグジュアリーブランドは、明日にでも誕生するかもしれない。
・歴史だけでは十分ではない。
神話・夢を誕生させるような伝説に近い物語を創造する必要がある。
それこそが、ラグジュアリーをプレミアムから区別している。

レクサスは、戦略家や技術者によって作られたのであり、創造性に富む天才によってではない。

日本的なビジネスの取組みの究極例であるレクサスは、メルセデスEクラスを水準基標にした。そして、模写はその手本を超えている。しかしながら、その結果として、レクサスらしさが不足している。既に存在するものに磨きをかけることと、今までに見たことのないものを創ることは、全く別のことである。アップルが独特のデザインで成し遂げたように、範疇を再創造する能力、新の先頭走者になる能力を示すことは、レクサスにはなかった。

レクサス ( プレミアム車 )
・ブランド神話も伝えないし、創るコトもしていない。
・機能面を超えたところにある、ブランドの持つ理想というものも構築されていない。
・創造的な創作活動からつくられたブランドでなく、メルセデスの市場占有率を奪うために作られたブランドである。
・カーレースもない代わりに、車市場での市場占有率と顧客満足度での称号がある。

ラグジュアリーでは、無形のことを明らかにするものである。
※ 無形:ブランドから連想される名声・夢の潜在力・所有者を際立出せる力

レクサスには、無形の評判が芳しくない。

現代のラグジュアリーは、創造的で技術的なものであるが、技術を機能性においてトコトン突き詰めて昇華させる。喜び・審美的な生活・芸術のための芸術を提供する。

ラグジュアリーを正しく認識するには、有形や無形の面を正しく認識する能力が必要である。

・ラグジュアリーは、それを称賛する人々の中にある製品文化を前提にしている。
・ラグジュアリーの購入者は、気分ではなく、外観から引き起こされる情動を求めている。

ラグジュアリーでは、技術というのは、他者との明らかな差異を保つためではあるが、「 夢を保ち続ける 」という条件で用いられている。

フェラーリ ( ラグジュアリー車 )
・クリエイターは、純粋な技術者ではなく、熱狂者や、創造力のある天才である。
・創造物は尊敬を集め、賞賛を呼び、純粋な審美性は、神聖である。
・一般人には手が届かないことから神話化される。
・王室御用達の栄誉
・カスタマイズによって、顧客を熱中させる。

ラグジュアリーは、完璧さを通り越した狂気がある。ラグジュアリーのセールスポイントは、夢である。そして夢は再創造され持続されなければならない。


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