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【本要約】なぜ今、世界のリーダーは東洋思想を学ぶのか

2021/9/30

概要

現代は、経済成長が停滞し、モノが余る時代だ。今はモノが売れない時代であり、人が何を欲しているか、わからない時代である。企業だけでなく、ユーザー自身も自分が何を求めているのか、わからない時代が到来した。そんな時代には、イノベーション=新しい価値の創造である。

今、価値観の転換期を迎えている。

・高度成長期の、いい学校・いい会・、安定した生活・マイホームといった共通の豊かさは、破綻し始めている。
・現代は、経済成長は停滞し、いい会社に就職しても一生安泰ではなくなり、モノ余りの時代で豊かさの定義が不明瞭になった。

共通モデルでの豊かさを描ききれなくなり、自分なりの豊かさを一人一人が自分で定義する時代が到来した。

私たちは、今どんな変化が起きているのかという正体を知ることが第一歩である。

①『機械的数字論』から『人間的生命論』へ
②『結果主義』から『プロセス主義』へ
③『技術・能力偏重』から『人間性重視』へ
④『見える世界、データ主義』から『見えない世界、直感主義』へ
⑤『外側志向』から『内側志向』へ
⑥『細分化・専門化型アプローチ』から『包括的アプローチ』へ
⑦『自他分離・主客分離』から『自他非分離・主客非分離』へ

これまで私たちが生きてきた近代西洋思想ベースの世界から脱却し、西洋と東洋の知の融合が始まっている。

行き過ぎた資本主義が、格差社会を増長し続け飽和している。

物質的充足より、心の充足を求める人が増え、マインドフルネスが世界中で流行している。

所有よりもシェアという意識が広がり、シェアビジネスの台頭は、東洋思想的アプローチの一側面と捉えられる。

今、起こっている変化の正体である。

【東洋思想】
・儒教
・仏教
・道教
・禅仏教
・神道

東洋思想は、日本に8世紀以上存在し、社会に根付くことで、私たち日本人の文化の源泉となっている。

・西洋
外側にある対象に向かう。
誰でも理解できること、普遍性を重視し、論理的に処理できる。
・東洋
内側にある対象に向かう。
自分の心の中に関心が向けられる。自己の内なる神や仏に気付くことを重視し、精神に依る。

世界のビジネスリーダーは、単なる教養ではなく、時代を読み解く切り口として、新しいビジネス発想の思考の源泉として、東洋思想を学んでいる。

序章:前提

【世の中の2サイクル】
・経済のサイクル
・文明のサイクル

経済のサイクル

【経済のサイクル】
成長 → 安定 → 転換

3つのフェーズを繰り返している。

現代は転換のフェーズである。

この時代に必要なスキル
・変化に対応すること
・乗り遅れないこと

具体的には、
使える知識や経験と、陳腐化して使えない知見を取捨選択する。

最重要なスキルは、変化に対応することではなく、変化を生み出すことである。

文明のサイクル

近代西洋思想では、「客観的なデータは正しい」という概念がある。
中世では、客観的な事実より、神の思し召しの方が高い価値があり、社会の価値基準であった。

例えば、採用面接のときの面接官の採用基準
・現代の社会では、頭が良く仕事ができる優秀な人材である。
・中世の社会では、神に祝福されている人材である。

「客観的な事実より、神の教えが正しい」という理解不能な思考の源泉が、文明の価値観である。

文明の転換によって、「客観的なデータが正しい」という概念が、社会に浸透していき、私たちの思考の源泉となっている。

私たちは「今の時代の価値観が絶対だ」と信じているが、それは時代の問題であって、文明の転換によって、根底から覆ることもあるのだ。

思考の源泉となる文明が、今、転換期を迎えている。

日本の歴史では、文明の転換は、明治維新である。

【文明転換の要素】
・法体系
・政治制度
・経済システム

お金・通貨の概念は根本から覆ってしまうかもしれない。

『機械的数字論』から『人間的生命論』へ

時代は、常に、前時代の弊害を乗り越える形で変わっていく。

現代のパラダイムは、中世の世の中の弊害を乗り越えて形成された。

中世ヨーロッパ社会における弊害とは何か?

キリスト教教会派が、すべての価値を決定し、支配していたこと。その問題点は、客観性のなさである。次の時代では、客観性=科学・数値が、価値基準となる時代の到来である。この価値観が、機械的数字論である。

機械的数字論では、すべてを機械的に数字で判断する、数字がすべての論理である。効率性を重視して評価する価値観に基づくので、過労死・ブラック企業・ワーキングプアといった弊害が、起こっている。機械的数字論というパラダイムが揺らいでいる。

「もっと人間的に」「もっと楽しくという」という思想を人々が求めはじめる。命を喜ばす価値観である。

様々な問題に直面したときこそ、人間の根本に立ち返ることが大切だ
老子

機械的数字論から人間的生命論へのパラダイムシフトである。

モチベーションを高める手段が、給与や昇進といった機械的・数字的では通用しなくなってきている。個人の楽しさ・やりがい・意欲といったワクワクするような、より人間的な部分へのアプローチである。価値観の変容が起こり始めている。

今、世の中では、客観性に溢れた近代西洋思想偏重から、西洋と東洋の知の融合へのパラダイムシフトである。

世間の価値観に囚われることやく、世間的な成功に執着することなく、自分の好きなことだけを追求しなさい。そうすれば、意欲が枯渇することなく楽しく生きていける。
老子
自分らしく地道な暮らしをしていたら、自分の好きな分野で知らないうちに世の中の役に立っているものだ。
老子

イノベーションのアイデアはどこから生まれるのか?

・楽しんでいる人
・遊び半分の人
・無駄なことをしている人

ビジネス現場では、マネジメントから、インテグレーションへと変容してきている。
人を管理して、規律正しく働かせた時代は終わり、自由な発想を吸い上げて、統合して、ビジネスを生み出していく。

目先の利益で有用・無用を決めつけてはいけない。今は無用に思えても、先々で必要になる。何の役に立っていないようでも、見えないところで大事な役割を果たしているものがある。「無用の用」を考えなければならない。
老子

『結果主義』から『プロセス主義』へ

「がんばれば結果が出る」「結果良ければすべてよし」という思考から、結果至上主義 = 結果主義は成り立っている。

仕事は辛い → 報酬のために我慢する
結果 = 報酬を得るためには、プロセスの犠牲はやむを得ない。

しかし、経済成長が鈍化した今、結果主義が通用しなくなってきた。現代社会では「がんばれば結果が出る」という信頼性が損なわれはじめている。どんなに働けど、自分の生活は豊かにならず、違和感が募り、不満足に感じている。

結果主義から、「今を大事にする」という発想へ転換してきている。

・「今、楽しのか?」という、結果よりも「プロセスそのもの」に焦点が当てられている。
・「いかに儲けるか」という結果以上に「今、自分たちがワクワクできるか?」というプロセスを大事にしている。

結果主義から、プロセス主義 = ワクワク主義へのパラダイムシフトである。

マインドフルネスは、仏教の唯識論の考え方が基本になっている。

【仏教の八識】

①眼識(げんしき)
目で観て楽しむ、目の心

②耳識(にしき)
耳で聞いて楽しむ、耳の心

③鼻識(びしき)
鼻で香りを楽しむ、鼻の心

④舌識(ぜっしき)
舌で味を楽しむ、舌の心

⑤身識(しんしき)
体験を楽しむ、身の心

①〜⑤前五識
前五識は、色々と感じることができるが、記憶したり、思考することはできない。

⑥意識(いしき)
前五識を統制して、記憶したり、判断したり、思考したり、命令したりする心
※肉体がある間だけのモノ、人は必ず死ぬ

⑦末那識(まなしき)
自己・自我に執着する心
※「死にたくない」という、この世に対する執着

⑧阿頼耶識 ( あらやしき )
いろんなモノゴトを体験し、記憶し、身に付ける心

「今、ここ」「今、ここにいる自分」を味わい、見つめるというのが、仏教の本質である。
どんなことをするにしても、知識がなければならない。
知識がある人でも好きでしている人には勝てない。
好きでしている人でも楽しんでやっている人には勝てない。
孔子

『技術・能力偏重』から『人間性重視』へ

ビジネスにおいて徳が重要視されている。

「人間性に問題があって、圧倒的な結果を叩き出す人よりも、人間性に魅力がある人、一緒に楽しさを共有できる人と働きたい」という風に変化している。

組織として「どのような価値観・理念を持ち、どのように対応するのか」が問われる時代である。

学びの道とは、自分の最善を他者に尽くしきること、そんな徳を身につけること、そして、人々と信頼関係を築くこと、そうすれば、自分の正しさを貫くことができる。
儒教の書、『大学』の冒頭

『見える世界、データ主義』から『見えない世界、直感主義』へ

現代社会では、見えるモノが重視される。

見えるモノとは、数字であり、データである。データを分析すること=科学的アプローチで、ビジネスを成り立たせてきた。データ分析やマーケティングは、過去の結果を分析して、未来を予測する手法である。成長期・安定期ならば、過去を分析すれば、ある程度の未来予測ができる。しかし、転換期では、過去とは全く異なる未来が訪れる。

そこで、相対的に、見えない世界、直感の重要度が増している。転換期は、先が見えない世の中である。

人は見せてもらうまで「何が欲しいのか」わからない。
スティーブ・ジョブス
・東洋思想
見えないものにこそ価値がある。
見えないもの、わからないものをそのまま感じ取ることが大事である。

・近代西洋思想
曖昧さを排除し、モノゴトを客観的かつ分析的に捉え理解することを前提に発展してきた。
見えないもの、わからないものは、徹底的に細分化し、わかるところまで掘り下げるというアプローチである。

現代は、どうしても説明可能な理屈が優先される。数字・データに代表される「見えるモノ」「客観的なモノ」を駆使して、相手にもわかりやすく、説得力を持って、説明することに、価値がある。しかし、それも、前時代的パラダイムであり、今は、見えないモノ・言葉にできないモノを感覚で掴む「直感主義」の時代である。

言葉で表現できることには限界がある。目に見えるモノが、すべてではない。

見えないものの価値とは、信用・信頼、ブランド、経験に裏付けられたノウハウである。

『外側志向』から『内側志向』へ

業績・立場・評価はすべて自分の外側にある。

これまでは、外的要素を必死で追いかける時代であった。

・いい会社に就職する。
・お金を稼ぐ。
・上司に評価される。
・贅沢な暮らしをする。

モチベーションの源泉が外側にあるから、マネジメントの手法も、評価制度・給与制度といった外的要素で設計され運用されてきた。

今、世の中の構造は変わり始めている。

若者は、「出世するより楽しく働きたい」という人が増え、相対的に「大金を稼ぎたい・贅沢な暮らしをしたい」という人が減っている。

・自分が日々楽しく生きていくことが、大事
・ある程度のお金があれば、充分

自分が「ワクワクできるか」「やりがいを持てるか」「自分を成長させられるか」という内的価値を重視する。

仏教最大の目的は、「目覚める = 悟る」ことである。
自分の内側を徹底的に見つめ、自分自身に目覚める。

瞑想する行為に価値があるのではなく、「今、ここに思いを集中させ、自らを見つめる」という状態に価値がある。

外側にある、形や行為やノウハウやメソッドに真価があるのではなく、内側にある心の在り方が重要である。

『細分化・専門化型アプローチ』から『包括的アプローチ』へ

「細分化し専門的に突き詰めることで、真実に辿り着ける」という考え方が、医学・物理・化学の分野に、めざましい進化を与えた。

病院でも、個別の専門医療ではなく、包括的な総合診療科が増え、また、漢方を使う病院も増えている。

・成長期・安定期のビジネスは、従来通りのことを「より早く、より多く、より安くやること」が大切だった。

・転換期には「新しいことをやる」「従来とは異なったことをやる」というアプローチが求められる。従来通りのやり方では、商品もサービスもビジネスモデルも陳腐化していく。どんな業界であれ、領域であれ、イノベーションが求められている。
【イノベーションの考え方】
・相反する要素を成り立たせる
・矛盾を解決する

今、世の中は変化の時代である。

・これが正しい
・このスキルや経験の価値は高い
・これが成功である

思想・感覚・評価軸も普遍でない。

イノベーションに必要なのは、教養である。

社会で生きていくために、あらゆる人に必要な知識や技術、その考えの源泉となる哲学や思想、それが教養である。

『自他分離・主客分離』から『自他非分離・主客非分離』へ

自分と他人の境界線を明らかにする自他分離から、自他非分離として、他人と協力しながら、モノゴトを進める。

モノの所有の意識が変化している。

「たくさん持っていることが豊かさである」という価値観からは、所有競争と経済格差が生まれた。

今では、所有からシェアへと移り変わってきている。モノがない時代から、モノがある時代へと変遷してきている。

・モノがない時代には「モノが欲しい、自分のモノにしたい」という願望・欲求が強くなるのは必然で、どうしても所有の世の中になる。

・モノがある時代には、自分のモノにする必要はなくなる。必要最低限のモノは既に所有しているので、その他に関しては「使いたいときに使えればいい」といった感覚になる。「レンタルやシェアでいい」という発想である。

東洋思想には、「個々の存在を分ける」という発想自体がなく、「世の中はすべてつながっていて、全体感の中で自分が存在している」という考え方である。


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