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人を嫌う論理

「 脳に悪い7つの習慣 」からの思考

2022/5/20

・「 脳 」の機能
 意見が違う → 自分の一貫性と異なる → 人を嫌う
・「 理性 」の意識
 意見が違う → 自分には理解できない → 自分にとって新しい価値の発見
『 脳に悪い七つの習慣 』より

一貫性がある
= 自ら作り出したルールが前提としてある
= 事前に何らかの知識がある

意見が違う場合「 脳 」と「 理性 」のどちらが優先されるのか?

  • 海外で、外国人と意見が異なった場合は「 理性 」

  • 日本で、知らない人と意見が異なった場合は「 理性 」
    日本で、知っている人と意見が異なった場合は?

  • とても仲の良い友人と意見が異なった場合は「 脳 」
    「 思考が共有できているから仲が良い 」という思い込み

  • 職場の同僚と意見が異なった場合は「 脳 」
    「 iT業界の人々は論理的である 」という前提

事前に何らかの情報があって、その情報を元に私が価値判断をしている。その「 価値判断という前提 」と 「 現実の事象 」が異なった時に、心の中で「 話が違うじゃないか 」となって嫌いになってしまう。

前提条件がない状態では、人を嫌いになれない。

  • おじさんは不潔だから、嫌い

  • 老人は臭いから、嫌い

  • 太ってる人は汗臭いから、嫌い

  • 生理的に嫌い
    → これまでの自分の経験から直感的に苦手な何かがあるけど、何かがわからない。

前提条件がなくても、自分にとって不快な気持ちを抱かせるのであれば、人を嫌う。

  • 子ども・赤ちゃん
    → 「 不潔でなく、臭くなく、無知 」という前提があり、価値判断しても仕方がないので、嫌うことはない。

  • 異文化・海外・異国語・外国人・地元 ( 方言 )・異業種の人々
    → 価値判断の元となる情報がないので、嫌うことはない。
    半裸の男の人がいきなり握手を求めてきても、マサイ族なら、嫌うことはない。

  • 宇宙人に対しての知識がなので、判断しようがないので、嫌いになれない。

不快ではない状態で、人を嫌うためには、
その人に対しての前提となる知識が必要である。
前提と現実が異なって初めて、その人を嫌いになる。

わかりやすくするために、「 嫌い 」という感情を別のネガティブな感情と代替えして説明する。
「 嫌い 」を「 怒り 」に変換する。

【 トイレットペーパーと環境 】
日本でトイレットペーパーがなかったら、ブチ切れだが、タイの島でトイレットペーパーがなかったら、コレは、文化の問題なのか、タイの国柄なのか、島のルールなのか、この宿のしきたりなのか、従業員がサボっているだけなのかは、わからない。前提となる知識がないから、怒るというよりも、不思議な、新しい価値観に、戸惑う。
→ 「 怒る 」という感情も、また「 嫌い 」と同じように、前提知識を必要とする。

私たちは、自分のモノサシを持っている。そのモノサシで、世界を見ている。モノサシは、一人一人で独自のモノだから、世界は一人一人で違った見え方をする。すべてが共通の世界は存在しない。

だから、私には好きな人でも、他の人にとっては嫌いな人になる。私には嫌いない人が、他の人にとっては好きな人になる。不潔なおじさんでも、妻がいる。臭い老人にも、汗臭い人にも、友人がいる。

私たちが、まだ、何の知識もなかったとき、生まれたばかりのときは、誰も「 嫌い 」になることはできなかった。いろんな経験をして、いろんな知識をつけることで「 嫌い 」という感情を形作った。私が何の知識もなかったら、誰も嫌わずに、みんなに笑顔でいられるんだろう。

悟りとは、赤ちゃんのような無垢な心で、みんなを愛すること。悟りのためには、自分の執着を捨てること、物質うんぬんではなく、世間の常識とか、自分の思い込みとか、マイルールとか、人生で得た知識を捨てて、無になること。

できるできないとかは、どうでもいい。

まずは、自分で考えること、自分なりの答えを出すこと。
悟りに近づくことで、嫌いな人がいなくなっていく。
嫌いな人がいない方が人生は豊かだ。
じゃあ、そう近づけるようにすればいい。

できるできないとか考えること自体が、ムダだ。


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