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東京で子育てする私が瞑想して思うこと

主婦のMさんはパートナーと小学生のお子さんとともに東京に暮らしています。10年ほど勤めた会社を今年退職、そのタイミングで超越瞑想(TM)を学ばれました。瞑想をはじめるまでのこと、そして瞑想をして思うことをうかがいました。

「魔女」にあこがれた少女の頃


子どもの頃は「魔女になりたい」と思っていました。スタジオジブリのアニメ『魔女の宅急便』(89年作)を観て、主人公のキキのように空を飛んだり、猫と会話ができたらいいな、とあこがれていたんです。小学2~3年生くらいの頃ですね。誕生日プレゼントに箒を買ってもらって、飛ぶ練習をしたり、部屋の中で一人で空想にふけったりしていました。人が普段使っている能力以上のことをやってみたいという気持ちがあって、目に見えない力に惹かれるところがあったんだと思います。でもそれは一人遊びの中のことで、友達に話したりすることはあまりなかったです。「自分だけの秘密の庭」みたいに思っていたし、「みんなもこういう感覚あるでしょ?」と思っていたから。大人になってからも時折もどってくる「秘密の庭」の幸せな時間や匂い、感覚が培われたのはこの頃でした。やがて高学年になるにつれて、習い事が忙しくなり、このような感覚は薄れていきました。

Nothing’s gonna change my world


高校生になると勉強をしながらよくラジオを聴くようになりました。ある時、フィオナ・アップルの曲が流れてきてすごく好きになったんです。それで2ndアルバム『When The Pawn Hits…』(邦題:『真実』99年作)を買ったんですけど、日本盤CDにビートルズの『アクロス・ザ・ユニヴァース』のカヴァーが入っていたんです。当時はそれが瞑想の体験から生まれた曲だとは知りませんでした。歌詞を見ても内容はよく理解できませんでした。なぜかというと、自分はすごく退屈な高校時代を過ごしていて、刺激や変化が欲しいと思っていたから、「Nothing’s gonna change my world」というのがよくわからないな、と。それから英語じゃない言葉(「Jai guru deva」註1)が入っていることにも気がつきました。当時は呪文のように聴こえましたね。ポール・トーマス・アンダーソンが監督したMVも大好きになりました。世界観がおもしろくて、不思議な微笑みを浮かべながら歌っているフィオナの後ろで破壊行為が繰り広げられているんです。MVも意味はよくわからなかったけどすごく印象的で。きっと感覚的に自分の中にあった何かにひっかかったのだと思います。

(註1:サンスクリット語で先生に感謝を表す言葉。「偉大な先生に栄光あれ」)

ゆれないこころ


2011年の東日本大震災は、「世の中って本当にままならないんだ」ということを見せつけられたような体験でした。世界の見え方がぐるりと変わって、自分を含めて何もかも変わってしまった。そして、そんな心許ない心境のまま、震災のしばらく後にリリースされた原田郁子&ウィスット・ポンニミットの『ゆれないこころ』という曲を聴いた時、その曲が心に優しく響いて、安心する気持ちになれたのです。

ゆれないこころができると
ゆれることがなくなる
ゆれないこころができると
ゆれるものがなくなる

『ゆれないこころ』より

この間ひさしぶりに聴いてみたら「これはつまり瞑想のことを歌っているのでは..」と気付きました。『ゆれないこころ』を聴いていた同じ頃に、デイヴィッド・リンチの『大きな魚をつかまえよう』を読んで、リンチ監督が瞑想しながら創作をしていることを知りました。それで自分も何かでやり方を知った瞑想法を試してみたりしたんですけど、ほどなく入社した会社で仕事がすごく忙しくなって、自分の内面と向き合う時間はなくなってしまいました。

どうやって生きることを教えればいいんだろう


結婚して子どもが生まれてからは、それまで自分の持っていたものは捨て去っていかないと毎日が回らないという感じでした。子どもってすごくかわいいけど、起きる問題も数ヶ月単位で変化するし、それにどんどん対応しなくちゃいけないから自分のことを考えている余裕は全然なかったですね。疲れのせいなのか、突発性難聴や偏頭痛の症状が出るようになりました。そんな頃、テレビで直下型地震をシミュレートした番組を観て衝撃を受けました。「ここに住んでいたらいつ死ぬかわからない」「もし仕事に行っている時間に大きな地震が起きたら子どもを守れない」という恐怖感でいっぱいになってしまって。災害や悪化していく環境問題に不安を募らせる中、パンデミックが起こりました。「この子にどうやって生きるということを教えればいいんだろう。」と心が揺れました。そうした世界的なレベルでの問題のほかに、普段の生活では「明日は子どもを何時に起こして何を着せて何を食べさせて」とか「仕事が長引きそうだから、保育園に延長の連絡をしておかないと」など、今じゃなくて常に先のことばかり考える日々が長らく続きました。やがて、夜もよく眠れない日が多くなり、いよいよ一歩も先に進めないような気持ちになっていた頃、子どもにも不調のサインが出てきました。それで、これは「一旦休みなさい」ということかな、とやっと思ったんです。会社を退職して、前からやってみたかったTMを学び、休息を取ろうと思いました。

心の安全があるから幸せを感じられる


退職してすぐにTMを学ぶ4日間のコースを受講したんですけど、コースの間はもう眠くて眠くて。本当に疲れていたんだな、精神を休めるっていうことを何年もしていなかったな、とそれまでの自分の状態に気づくことができました。働いている時は平日は分単位で動いていたので、「朝夕20分の瞑想なんてできるかな」と思っていたけど、実際に学んでみたら「やろうと思えばできる」と感じます。朝夕の瞑想の前に「やらなくては!」という気持ちがないといえば嘘になりますけど、瞑想をはじめたら気持ちの良い時間があるので続けることができています。災害などに対する不安感は早い段階で和らいでいき、「地震が起こってもなんとかなる」と思えるくらいになりました。問題は起こった時に対処すればいい、でもその時に後悔しないように、今できることはしておこうという気持ちです。

高校生の頃にわからなかった『アクロス・ザ・ユニヴァース』の歌詞の意味は今ではわかるような気がします。瞑想によって心の中の絶対の安全な場所、自分の秘密基地に行くことができる。人は心の安全があるから幸せを感じることができるのだと思います。



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