オオカミ信仰と、キツネ信仰は、縄文からやってきた?~新潟県阿賀町・狐の嫁入り屋敷訪問記(縄文探訪)~
・新潟県阿賀町の狐の嫁入り屋敷 ~麒麟(きりん)山の狐火は世界一?~
ちょっと前に新潟県の阿賀方面に旅行にいきました。新潟県阿賀町には、狐の嫁入り屋敷というテーマ施設があります。狐の嫁入り屋敷は、阿賀町の麒麟(きりん)山のふもとにあり、この麒麟山で見られる狐火の数は世界一とか?!
伝承によると、はるか昔、麒麟山には狐がいて、毎晩のように狐の声が聞こえ、狐火が見られたなど、麒麟山にまつわる狐火の話しは数多くあります。
たまたま旅行中、こちらを通りがったのですが、これまで、狐を祀る信仰は怖いイメージがして、あまり興味を持っていませんでした。でもふと、気が向いて訪れることにしました。
・キツネ信仰と、オオカミ信仰は、縄文からやってきた?
そもそも、日本の狐の信仰は、古代の稲作にさかのぼると言います。
稲作が始まったころ、狐は穀物を食べる野ネズミを襲うので、狐が稲の守り神になったとか?!
もともと日本人は、オオカミ信仰でした。自然とともに生きていた縄文時代、当時の人々は「オオカミ」を「大神」と崇め、大切にしていました。そのためオオカミ信仰は、キツネ信仰より古いそうで、いわばオオカミ信仰は、縄文の自然崇拝(アミニズム)に近いかもしれません。
実際に埼玉県秩父の三峯(みつみね)神社では、オオカミは神のお使い(御眷属-ごけんぞく)とされています。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が関東地方を東征した際も、オオカミが道案内したとの言い伝えも残っており、オオカミは、魔除けや、害獣除けとして、崇拝されていました。
ちなみに、狐を崇める信仰が本格的になったのは奈良時代で、稲作を司る農耕神の使いが「狐」とされたようです。
狐の嫁入りには、怪異話もあるようですが、怖い話は苦手なので、こちらでは、はしょります。
・「オオカミ=大神」とあがめた縄文の人々
オオカミを大神とあがめた古代の人たち。それは何をあらわしているのでしょうか?
日本では、野生のオオカミは1905年1月23日は絶滅します。その理由は、人間が飼う家畜に害をなしたため、人間が徹底的に狩ってしまったから。またオオカミの住居である山が開発され、餌となる動物や住処が激減したことも、原因の一つでした。
日本でのオオカミの絶滅は、ヨーロッパなど西洋の人たちが、オオカミを「害獣」ととらえたことと似ています。「森の民」である西洋人は、狩猟を生業としており、狼は人間と同じ獲物を取り合う敵。
なので「赤ずきんちゃん」や「3匹の子豚」などの童話でも、西洋における狼は悪役として、ずるがしこく描かれることが多いです。
しかし、もともと日本人は農耕民族でした。なので狼を恐れ畏怖しながらも、尊敬の気持を持ち、あがめることを大切にしていました。
また野獣に対しても、怖くて邪魔だから、狩ろう、という考えではなかったようです。それはちゃんと相手を知り、対策を立て、「山の神」と言われたオオカミとの共存を選んだ、縄文人の世界観であったのかもしれません。
まとめると、西洋の人たちは自然を征服することで、文明を発達させていきます。そこで狩猟で「敵」となるオオカミは、害獣。
しかし縄文人は、奪い合うことなく、ともに生きることを望む人たちでした。それゆえ、縄文時代の人たちは家畜を持っていなかったと言います。
家畜とは、家庭や農園で飼われる鳥獣。牛・馬・犬・鶏など。
日本人が馬に乗るようになったのも、4世紀からだそうです。
それ以前の縄文人は、馬に乗ることもあまりなかったとか?!
ある歴史研究家は、日本では、4世紀ごろに騎馬民族が大陸から日本にやってきて、先住民である縄文を追いやり、新たな王朝をつくったと言います。
これが「騎馬民族征服説」。
大陸から日本にやってきた騎馬民族は、中華系の民族とか、ヒッタイト系民族とも言われていますが、はっきりとわかっていません。
ただ騎馬民族がやってきた4世紀以降、古墳の形は大幅に変わり、仁徳天皇陵(大仙陵古墳)のような、前方後円墳がつくられるようになったそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E5%86%86%E5%A2%B3
そしてこの前方後円墳は日本だけでなく、朝鮮半島にもあるんですね。
韓国にもありますが、北朝鮮には日本の前方後円墳より、約200年古い前方後円墳もあるとか?!日本だけでなかった前方後円墳。これは何を意味するのでしょうか?
https://www.sankei.com/article/20150108-UTB6XD4E3RMXPIMXQMJL3UMZ2E/
・薄れていくオオカミ信仰。かわりに盛んになるキツネ信仰
話は変わりましたが、オオカミ信仰は、まだ日本人が自然とともに歩いていた時代でした。人間は家畜を持っておらず、そのためオオカミによる被害も少なく、山に住むオオカミと、里に暮らす人々は共存していました。これはいわば縄文の名残といっていいかもしれません。
しかし渡来系民族によって、「家畜」という安定した食生活がもたらされ、日本人の栄養状態は格段に良くなっていきます。
家畜がもたらされたのは、弥生時代。人々は、鳥やイノシシなどの動物を飼育するようになり、その結果、良質なたんぱく源を定期的に取れるようになり、人間の寿命は延びていきます。
しかしそれは、動物を食べるオオカミが、人間が飼っている家畜を襲う結果にも、つながっていきました。この時代、オオカミは人間にとって、崇拝すべき存在から、害獣という見方にかわっていったのかもしれません。
かわりに、人間はあらたに「キツネ」という新たなパートナーを見出します。キツネは、稲作でとれた収穫物を食べるネズミを駆除する、ありがたい生物。同時に、キツネは家畜を襲うことはなく、より人間との共存がしやすい動物でもありました。
つまり日本列島が、縄文系の先住民族から「渡来系民族」が主役になりつつあった、弥生時代。この弥生期に、「オオカミ」信仰がうすれ、変わりに「キツネ」信仰が盛んになっていったのではないか、と。
そういえば以前、「日本の神道は2回再設定された」、と神道に詳しい方から聞いたことがあります。日本の神道は平安時代に一度再設定され、さらに明治時代に再び設定が直されました。
平安時代と明治時代、どちらも時代が大きく動いた転換期でした。
平安初期は、日本各地に細々とあった縄文王国が、征夷大将軍、田村麻呂将軍の東征により徹底的に消滅・・。
いわば縄文の消滅により、縄文観の神道は衰退し、新たな宗教がはじまりを見せます。また明治時代も、260年続いた江戸幕府が倒れ、西洋化が進んだ新たな時代でした。こちらは長くなるので、機会があったら書けたらいいなと思います。
・縄文の消滅とオオカミ信仰のつながり
何を言いたいかというと、「オオカミ」信仰が「キツネ」信仰に変わった時、それは人間が自然をパートナーとして歩く時代から、「自然は征服すべきもの」として考える、時代になったということ。
オオカミ信仰は、アミニズム(自然崇拝)の縄文的な考えです。オオカミも人間もみな尊く、素晴らしい。それがアミニズムの考えであり、人間とオオカミの共存を願うものでした。
対して「キツネ」信仰は、人間が生物の頂点として「君臨」するものという考え方。動物や自然より、人間が優れている、ということになります。
もしかしたら「人間が頂点として君臨する」という考えは、常時、争いを繰り広げていた渡来系民族が持っていたものかもしれません。
またキツネ信仰は、自分に都合良いもののみ、受け入れたいという人間の欲望のあらわれのような気もします。
人間に益のみ与えてくれる、キツネという存在を受け入れ、オオカミ信仰を忘れた時、縄文から続いた、「自然との共存」という、アミニズム(自然崇拝)は少しずつ後退していきます。
そしてそれは平安時代に続き、古代から続いた神道。その神道の再設定ということにつながっていったのかも??
そんなことに思いをはせながら、キツネの嫁入り屋敷のすぐそばの阿賀川を眺めました。川ぞいは雪が積もっていて、寒かったです・・。
ちなみにキツネの嫁入り行列で有名な麒麟山は、縄文の遺跡もあります。
新潟の阿賀周辺は縄文由来の土地も多く、興味深い場所でした。今回は雪深く、霊山である御神楽岳も行くことができなかったのですが、また機会があったら行ってみたいです。
〈参考サイト&過去のブログ〉
本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン