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平安時代、日の丸がヤマト王権に渡ったのは、神仏の加護のおかげ?!~京都の清水寺縁起絵巻~

・日の丸の旗は縄文由来?

日本の国旗である日の丸。日の丸の「赤」は博愛と活力、「白」は神聖と純潔を意味する、めでたいものとされています。。
もともと日の丸の旗は、縄文に伝わるものでした。実際、平安初期までは、東北地方のエミシが保持していたようです。詳しくはこちらのブログに書かれています。エミシとはアイヌ民族であり、縄文直系です。

https://hangeshow.exblog.jp/9621631/

・平安初期、エミシが乗っていたのは日の丸を掲げた船

しかし平安初期、エミシは田村麻呂将軍に敗れ、その後、日の丸の旗はヤマト王権の手に移ったそうです。それが描かれているのが、京都の清水寺に伝わる清水寺縁起絵巻(きよみずでらえんぎえまき)。
エミシたちが「日の丸」の旗をかかげた舟に乗って戦っている様子が描かれています。

この絵巻は、室町時代後期から戦国時代初期にかけて活躍した土佐 光信(とさ みつのぶ)という絵師によって描かれたもの。
室町時代初期から戦国時代初期に書かれた絵巻ということは、絵巻が描かれた当時、この絵巻の信ぴょう性が高かったという風にとらえることができます。

この絵巻によると、当時のエミシは海外とも交易を行う、文明的な国。そしてエミシたちは最先端の舟に乗り、ヤマト王権と戦います。そのため田村麻呂将軍は苦戦したと伝えられています。
興味深いことに、この絵巻の中でエミシたちは、日の丸を掲げた船に乗っていますが、ヤマト王権と戦う「鬼」として描かれています

現在この清水寺縁起は、東京国立博物館に寄贈され、国立博物館のアーカイブにあります。その絵巻は下記のものになりますが、上記のブログにのっている絵と同じで、じゃっかん、色彩があせています。

https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0061804

上記は小さい絵なので、下記のリンクを開いていただいた方が大きな絵巻が出て、見やすいかもしれません。こちらも東京国立博物館のアーカイブにある、清水寺絵巻で、エミシと田村麻呂将軍との戦いが描かれています。

https://image.tnm.jp/image/1024/C0061804.jpg


・京都の清水寺は、攻略の勝利のために建てられた?

京都の清水寺というえば、「清水の舞台から飛び降りる」ということわざで有名です。清水寺の創設は今から約1200年の平安時代。世界遺産にも認定され、 三重塔などの国宝、重要文化財が立ち並ぶ由緒正しい寺院です。
このお寺を創設に深くかかわったのが、さきほどの坂上田村麻呂将軍。

清水寺は平安初期、行叡、開延鎮というお坊さんが建てましたが、このお寺が建てられた目的は、エミシ攻勢でした。
田村麻呂将軍の攻略についてはこちらで書いています。もしお時間がありましたら読んで見てくださいね。

つまり清水寺は、田村麻呂将軍のエミシ(=縄文系民族)への攻勢の勝利を願って建てられたお寺です。


また下記のサイトも、清水寺創設のいわれについて書かれています。

https://rekishiru.site/archives/15290


・縄文からヤマト王権に移った日の丸の旗

私はこの清水寺縁起の絵巻を見た時、ちょっとショックでした。
もちろん、この絵巻が本当とは限りません。
ただそのいわれを知ると、無視できない気はします。
まとめると、平安初期に東北地方に住んでいたエミシ(=縄文系)に対して、田村麻呂将軍が勝利し、その後、エミシが持っていた日の丸は、田村麻呂将軍の手に渡って、ヤマト王権の旗になっていったという可能性が高いです。


・田村麻呂将軍が勝ったのは、神仏の加護のおかげもあった?!

そして当初、田村麻呂将軍は、エミシを相手に苦戦します。ですが戦いの際、雷が鳴り、雷雨が降り、風が吹き、エミシの不利が続き、田村麻呂将軍側が勝った。
つまり田村麻呂将軍には、神仏の加護が相当あった、ということが絵巻に描かれています。
そのため京都の清水寺は田村麻呂将軍が、この神仏の加護への感謝をこめて、建立したとか?!

そこで不思議に思うことが一つ。エミシは縄文直系のアイヌ民族。つまり日本の先住民族です。その攻勢は、朝廷によって征夷大将軍に任じられた、坂上田村麻呂によって行われました。

つまり先住民である、縄文直系のエミシ(アイヌ)を攻勢する将軍。
その将軍を加護する神仏とはどんな存在なのか?
そして攻略する人々を加護する神仏とは、どんな神仏? 

その神仏とは、日本で古くから信仰されていた存在?
だとしたら、どうして攻勢する側の味方をするの?
これはNGかもしれないけど、それって本当に神仏??

実は私は最近、神社やお寺にいってもお参りできません。神社仏閣は相変わらず好き。でも縄文を調べていくと、神仏という存在がわからなってきて、逆に神仏の持つ力をこわく感じるようになりました。

この世界って、自分にとって100%都合よい存在はいない。それはわかっている。そしてそれは人間だけでなく、神仏もそうじゃないか?と。
神仏という、超越した存在。その神仏のすべては、必ずしも人間のために存在していないような気がします。

今回の清水寺縁起絵巻に描かれた、日の丸を持ったエミシの姿は、本当かどうかはわかりません。
そして攻勢した田村麻呂将軍に、神仏の加護がたくさんあったとしても、それは神仏なりの考えがあるのかもしれない。

人間の寿命は多くて100年。神仏は肉体を持たないので、数千年、数万年のスパンで存在します。だから神仏は人間とは違う高い次元で、物事をとらえ、決断をしているのかもしれない。
だとしたら、神仏っていったい何だろう?どんな存在なのだろう?
なぜ田村麻呂将軍を加護したの?
先住民族である縄文系を援護しなかったのはなぜ?
そう問わずにはいられません。

私は縄文をはじめ歴史が好きですが、歴史を調べていると、今回のように、歴史を動かしているような不思議な力を感じることがあります。
人間の人智を超えた何かが、日本の歴史に関与しているような・・。
考えすぎかもしれませんが。。

でも例え人智を超えた何かが、縄文の滅亡の関わっていたとしても、それが歴史であり、日本民族がたどってきた道のり。
そして争いを好まず、先住民でありながら、日本でマイナーになっていった縄文人。私はやっぱり縄文が好きです。

















本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン