B016_反省しない人が台頭しはじめた
メンタルヘルス研修で話題にする「物事の捉え方」
メンタルヘルスをテーマにした研修をよくしています。
メンタルヘルスというのはとても広い概念です。
物事の捉え方やストレス、その感情が意味することなどメンタルヘルスに関する知識・情報を習得する回もあれば、
自己理解や他者理解のようなコミュニケーションの基礎を学び、体験することを通じて、メンタルヘルスの安定性、強靭さ(レジリエンス)を養おうとする回もあったりと、様々です。
その中で特に「物事の捉え方」をテーマにするものはとても人気があります。わりと目からうろこの内容だからだと思います。
そんな「物事の捉え方」の一つに「原因の所在」という切り口があります。
「その出来事、原因は私にあるの?それとも私以外にあるの?」というものなのですが、「私にある」なら『自責』、「私以外にある」なら『他責ほか』という具合です。
適度で妥当な自責は、本人の成長を促します。反省をし、この失敗を将来に活かす姿勢です。
過度な自責は、現実を過大評価し、自らを過小評価しています。これはバランスが悪く、「本当にそうなの?」と自問自答することで自分を取り戻す必要があります。
そんな中、今日話題にしたいのは、「他責」です。
(他責に付く『ほか』についてはまた別の機会に…)
反省しない「他責」の人
「他責」とは、その出来事を自分以外のせいにすることです。
ここでは特に「ひとのせいにする」という意味で用いたいと思います。
「良い出来事は私ががんばったから。私のおかげ」
「悪い出来事はあの人が邪魔したから。あのひとのせい」
こんな具合です。
皆さんの周りにこんな人いませんか。
協調性に欠け、既存のルールを軽視する方です。
このような方と一緒にいなければならない「まじめな人」は特に嫌な思いをするでしょう。
「まじめ」とは「ルールを守る」「約束を守る」という意味です。
つまり、ルールを守って誠実・熱心に努力する人がストレスを感じ続け、
「私だけまじめにやってバカみたい」と自嘲し、やがてチームは崩壊していく。
チームの崩壊は人間関係の崩壊でもあり、結果として職場であれば離職に繋がっていきます。
反省せず、人のせいにする人は1人いるだけでも、チームを壊す力を持っています。
信賞必罰の重要性
ルール・約束を守らないのは、個性ではありません。
多様性でもありません。
一人がルールを破れば、ルールを守っているその他大勢が不満に思うのは当然です。
なぜなら、だれしも自分の思うまま、好き勝手に振る舞いたいという欲求を大なり小なり持っているからです。
しかし、全員が好き勝手に振る舞っては秩序が壊れてしまうことを知っているから「まじめに」ルールを守っているのです。
にもかかわらず、そのミスを(ルール違反を・失敗を)反省せず、あまつさえ、ひとのせいにするというのは多くの方が持っている常識に反する行為です。
では、どうするか。
罰が必要です。
鞭で打てということでは決してありません。
注意しなければなりません。注意を繰り返さなければなりません。
具体的になんと注意すれば良いか。
「あの出来事が起きた原因は何だったか、ご自分の思うように説明してください。私はその説明が聴きたいと思います。」
と注意してください。
これが注意なのか?とお思いになられることでしょう。
本来の意味で言えば、注意とは…
「あなたの行いがあの出来事を招いたのだから、しっかりと反省しなさい。二度とこのようなことがないように再発防止のために何をすべきか言ってみなさい。」
というものでしょう。ただ、私が思うに、これは最善手ではないように思います。相手は、「反省しない人」なのです。「反省しない人」に反省を促しても、それは意味がないかもしれない、そう考えるのです。
そこで、前述の通り「・・・あなたの説明を聴かせてください。」です。
その出来事が起きるには、「行為」があって「結果」があって「因果関係」があります。本人はこれらをどう解釈しているかを知る必要があります。
本人の世界において、これらをどう捉えているか。
いうなれば、その捉え方のどこかに大きな欠落があるはずです。
それを指摘しましょう。それが注意です。
その指摘を素直に受け入れるか、反発し言い訳をするか。
それらを含めて、その方と今後も協力していけるかどうか。
注意の先に控える話にまで及ばなければならないか、
見極めることが重要です。
パワハラだと言われないためにも、ぜひ。
最後までお読み頂きありがとうございました。