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本当のP.T.バーナムのついたウソ

 十九世紀のアメリカにP・T・バーナムという男がいた。今日では〈ザ・グレイテスト・ショーマン(世界最大の興行師)』の異名で知られている。コネチカット州の田舎に生まれ、小売店を手伝う中で大人たちのほら話に鍛えられた。ニューヨークに出てペテンビジネスに騙されながら、興行の世界に入っていった。まだ現在のような娯楽産業が成立していなかったこの時期、バーナムはフェイクニュースに近いネタを元にして巧妙な宣伝を仕掛け娯楽イベントを演出して評判を得ていった。

 最初に成功した興行はジョイス・ヘス。年齢百六十一歳。ワシントン大統領の乳母だったという。次に成功した興行は『フィジーの人魚』。アジアで細工されたもので偽物なのは明らかだった。それらの興行で共通する手口は、最初に新聞の記事や権威のコメントによって見世物(公演)の対象が大変価値があって必見だとの情報をばらまく。ネタがばれてしまいそうになると、それを擁護する噂を流す一方で、インチキだとの情報を自ら流布して、市民にことの真偽を見届けたいと思わせるような操作を繰り返す。最後にはバーナム本人も騙されたのだと言い訳する始末だった。

 やがて博物館を買い取って、サイエンスの威光のもとに展示数を増やし、場末の見世物小屋での扱いだったフリークスやそれらを演じる芸人たちも集め、娯楽施設にした。ニューヨークで有名人になったバーナムは背丈の小さかった小人のチャーリーを発掘するとトム将軍と命名して欧州興行に出かけた。欧州ではジョイス・ヘスや『フィジーの人魚』でのトリッキーな仕掛けはしなかったが、それらの興行で学んだ巧妙な宣伝活動を行った。その活動は効を奏して、ヴィクトリア女王に謁見するチャンスも得る。当初はトム将軍に見向きもしなかった英国市民も王室で評判となったことを聞くと劇場にトム将軍を見ようと殺到した。帰国したバーナムは音楽や演劇などの芸術分野にも手をだすようになる。スウェーデン生まれのオペラ歌手のジェニー・リンドのアメリカ公演を企画し、ニューヨークとアメリカ地方都市の約百回の巡業を実現する。南北戦争の時期、不幸なことに博物館は何度かの火事にみまわれて終焉を余儀なくされる。興行師として成功したバーナムはさまざまなビジネスに手を出した結果、自らは自己破産するような失敗にもあっている。再起後のバーナムはサーカス団とパートナーを組んで、サーカス巡業に動物や芸人などのサイドショーを加えた新しい興行形態とそのスケールで全米の人気を得るまでになった。

 このような天賦の宣伝の才能から、今日ではバーナムは『近代広告の父』と呼ばれ、経済学では『バーナム効果』という用語もある。彼の自伝は十九世紀に聖書の次に売れたとも伝えられている。ところが、日本ではバーナムの活動を客観的に一望した書籍は見当たらない。一部の映画でフリークスショーのショーマンなどとして知られるようになったが、架空の設定が多く人物描写の正確性に欠けている。誰もバーナムの正体を明かさないのはなぜだろうか。

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