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ルフィ名言特別編(Vol.69)「戦士でなくなれば おれはおれでなくなるのだ(ドリー)」

物語と名言

麦わらの一味からもらって飲んだ酒が爆発したことで、ドリーはルフィを疑い怒りに燃える。話が通じないのと察したルフィは、説得ではなく力ずくで相手をする。

ルフィが強いとはいえ、相手は世に名を馳せた巨人。簡単に倒すことはできないが、ブロギーと戦った後、爆破もあって、ドリーは血を吐いて倒れてしまう。非道な仕打ちに、ルフィは

「おれは怒った!!!!」

と怒りを表し、誰かがいるとビビに告げる。

酒に爆弾を仕込んでいた”誰か”は、ウイスキーピークで一蹴したバロックワークスの”ボムボムの実”能力者Mr.5の仕業だった。さらには、Mr.3も追手として現れる。その目的は、2億の懸賞金をかけられた、ドリーとブロギーだった。二人は『巨兵海賊団』を率いた”青鬼のドリー””赤鬼のブロギー”と呼ばれた有名な海賊だった。普通には敵わない為、Mr.3の差し金で、お酒に爆弾を仕込んでいたのだ。

ドリーが倒れたその直後、血統の合図である”真ん中山”が噴火する。戦いで疲れたブロギーは「情け容赦ない殺し合いに、言い訳などしては名が腐るわ!!!!」と笑うが、ドリーも、血を吐きながら、「エルバフの名に恥じぬ戦いを・・・!!」と立ち上がる。

戦いに向かうブロギーの姿を見て、ウソップは

「たとえいつの日か何もかも失って、無人島で一人死の瞬間を迎えたとしても
 ・・・おれはおれの人生を誇り、こう言って死ぬのだ!!」
「おれは”勇敢なる海の戦士”ウソップだ!!!」
                  出典 ONE PIECE/尾田栄一郎 集英社

一方ドリーサイドはというと、ドリーが家にしていた巨大な怪獣の骨をルフィに乗せ、身動きを封じてしまう。止めようとするルフィにドリーは、

「止まれねェのさ」

と剣を向ける。100年も前だが戦いを始めてしまった。その戦いから逃げることは、”戦士”という名からも逃げることだと。そこで今回のドリーの名セリフ。

「戦士でなくなれば、おれはおれでなくなるのだ」                  出典 ONE PIECE/尾田栄一郎 集英社

ドリーは、ルフィを疑ったことを謝り

「これは戦いの神エルバフの下した審判だ・・・。おれには加護がなかった・・・それだけのこと・・・!!」

と現状を受け入れていた。しかしルフィは、神とか加護遠いう言葉は関係なく、邪魔されたことをわかっていた。「邪魔が入った決闘なんて、血統じゃねェぞ!!!」と叫ぶが、何を言われても、エルバフの”高き言葉”に従い、ドリーは決闘に向かう。

名言の本質

ドリーは戦士として生き、戦士として戦ってきました。”戦士”であることは、ドリーにとって”アイデンティティ”なのです。戦いから逃げ、戦士でなくなればそれはもう自分ではない。それはドリーにとっての美学です。

自分は何者なのか?

それは、一生を賭けるほどのテーマかもしれません。「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉が通用しない生き方は、不器用なものかもしれませんが、それはそれで格好良くもあり、強く、美しさも感じます。酒が爆発したことも、仮にルフィの仕業であったとしても、それがエルバフの意思であり、自分に加護がなかったと、現状を受け入れられることも、ドリーの強さを感じます。だた、”エルバフ”という観念に縛られている様は、ルフィが感じたように、「そんなの関係ねぇ!」ってなもんです。ドリーにとっては、”誇り高き死”こそが名誉ある生き方なので、ゾロの背中の傷は剣士の恥だというように、戦いに背を向けることは恥じな訳です。

自分が信じ、納得していることは、同じように信念を持つルフィであっても、止めることはできません。たとえその先に死が待っていたとしても、ドリーは止まらないでしょう。少なくとも、仮にそこで死んでしまうにしても、後悔はないんだと思います。

自分の美学はどこからできたもの?

人にはそれぞれ信念や美学があります。誰に賞賛されようとも非難されようとも、自分が納得するのが一番大事です。ただ、注意すべきなのは、その美学が本当に自分自身の内から望むものなのかということです。

ドリーは巨人としてエルバフに生まれたから、”誇り高き死”を望むわけですが、巨人でなくても、別の場所で生まれていても、”誇り高き死”を望んだでしょうか?”たられば”に意味はありませんが、人間の本質とは、どこで生まれ、どう育っても変わらないものです。生まれた場所、育った環境によって人は創られます。外にあるものから学び、吸収し、成長していきますが、経験を通して自分の内を知らなければ、周りに流され、植えつけられた観念の元に生きていくことになるでしょう。

私にとっては自分を知る鍵が「感動」だと発信していますが、その「感動」も、”絶対”ではありません。ただ、少なくともその時々の自分を知る手がかりになり、人生を変えるきっかけになるのは間違いないと思います。

自分の価値を決めるのは自分です。誰になんと言われようと、自分が納得できる生き方や考え方を貫いて生きていくことで、それが良かろうと悪かろうと、誰かを感動させる生き方になるのではないでしょうか。

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