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視線が怖い? レッツ「愛してる」チャレンジ!!

公園を歩く。
”人“とすれ違う。

何だか怖いなって感じてしまう。
その視線が僕を評価しているように感じる。
肩に力がはいる。

ただの通りすがり。
まったく知り合いでも何でもない。
ぜったいに僕に無関心なその“人”。
今後、関係性があるわけでもなく、
二度と思い出せないと思う。

けれど、
そんな“人”に不安を覚える。
なぜだか批判されているような感覚に襲われる。



社交不安障害的なものだろうか?
ただの人見知りの強化バージョンなのだろうか?

できれば人と会いたくない。
すれ違いたくすらない。

何よりも、
その不安感があまりにも苦しい。
つらい、、、
そんな不安と苦しさのコラボレーションに対抗すべく、
全身が力む。
交感神経の嵐が僕の体力と精神力を奪っていく。

僕はそんな風に生きてきた。
身をすくめながら生きてきた。

これは性格だからしかたない?

けれど、
これは生きるうえで、
かなりのデメリットだ。

何とかしなければこの先へは進めない。




ある時、
“愛”とは何かを考えていた。

エーリッヒ・フロムの「愛すること」を読んだからだろうか?
人生になぜ“愛”が必要なのか?
そんなことを考えていた。

僕が考えた“愛”の定義は、
“受け入れる”だ。
無条件に、
良いところも、
悪いところも、
全てをひっくるめて、
損とか、
得とか関係なく、
受け身ではなく、
能動的に、
“受け入れること”

ありのままに受け入れることが“愛”




僕は公園を歩く。
“人”とすれ違いながら。
不安と闘いながら。

ふと僕は
不安を浴びせかけてくる“人”を受け入れようと思った。
敵じゃないんだから心で闘う必要はない。
本当は愛すべき“人”。

そして僕は、
人とすれ違うたびに
「愛している」
と言った。

もちろん心の中で。
声を出して言う勇気なんて僕にないし、
声に出して言うべきでもない。
さすがにそんな変なやつではない。

心の中で、
すれ違うたびに、
「愛している」




「愛している」
繰り返すたびに
僕の中に変化が起こった。

“人”がそれほど怖くない。
“人”に不安をあまり感じない。

その“人”の目を見ることさえできる。
あれほど、
目をそらすのが得意技だった僕が、
目を見て“人”と接することができるなんて。




「愛している」

僕にとっての魔法の言葉。
“人”への不安から解放してくれる言葉。
人生を大きく前へ進めてくれる言葉。

その時以来、
思い出したかのように、
僕は“人”すれ違うたびに
「愛している」
と心の中でつぶやくチャレンジをしていた。

そして今、
僕は“人”への不安と恐怖をかなり克服できた。



さて、
今度は何にこの魔法の言葉をかけようか?

僕は、
時間が過ぎてしまうことにとても不安を覚える。
「時間を無駄にしてしまったのでは?」
やらなきゃいけないのに“過ぎ去る時間”に不安を感じる。

だから、
こんな状況も“愛して”みようかと思う。

ほかにも不安に襲われることは多々ある。
不安に襲われるのは僕の得意技だ。

そんな不安たちに
「愛している」の魔法をかけてみよう。
うまくいくかは分からない。
でもやってみる価値はあるかな?


と言うわけで、
レッツ「愛している」チャレンジ!!


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