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Megu
2023年12月10日 13:42
子供の頃からあまり丈夫ではなかったが、大きな怪我をすることもなく育った私は、いい大人になって初めて整形外科という所へ行くことになった。病院はたくさんの患者さんで混み合っていた。初診で予約がないので、後から来た患者さんに次から次へと順番を抜かされていく。その間、今までに感じたことのないこの痛みを何て表現すれば良いのか、先生にどう伝えようか、頭の中で繰り返し考えていた。そして2時間後、やっと順
2023年12月12日 20:20
整形外科を訪れてからひと月が過ぎた。相変わらずその痛みは続き、このまま放置する勇気もなく、ふたたび病院を訪れることにした。病院ではその日もレントゲンを撮ったが、異常は見当たらなかった。すると先生から、MRIでもう少し詳しく調べてみましょうと提案があった。MRI?今まで病院にお世話になることのなかった私は、もちろんMRIなんて聞いたことがあるような、ないような…。何やらレントゲンでは撮れ
2023年12月15日 12:44
後日MRIの撮影に訪れた。そこは国立とは名ばかりの古びた病院だった。院内も陰気くさい感じが漂っていて、こんな病院には入院したくないな、と失礼なことを考えながら待合室で待っていた。そして5分も待たないうちに名前が呼ばれた。こんな暗い感じだから患者さんも少ないのかな、とまたまた失礼なことを考えながらMRIの部屋へ入って行った。まず貴金属等がないかチェック。次に具合が悪くなったときのための呼び
2023年12月16日 20:35
ドラえもんのお陰でなんとか検査を乗り越え、MRIの結果をもらい改めて初診の病院を訪れた。名前が呼ばれ診察室に入ると、先生の前に置かれたPCに私の脊髄が映し出されていた。真っ直ぐであるはずの脊髄が一部膨らんでいるのだ。「炎症が起きて腫れているかもしれないし…」と口を濁す先生。大きな病院で詳しく調べる必要があるので、大学病院を紹介しますということになった。大学病院を紹介するという時点
2023年12月18日 15:08
大学病院の整形外科を紹介された。ナビを頼りに高速を飛ばして病院へ向かった。さすが大学病院‼︎ 駐車場からして広い。受付には朝一の予約なのに患者さんでいっぱいだった。受付を済ませて整形外科の待合室で待つこと2時間。予約はなんだったの?と小言をブツブツ。そして待ちくたびれた頃にやっと順番がやってきた。診察室へ通されるとPCに映された私の脊髄を見るなり、「これは整形外科だけでは診断できません
2024年1月7日 14:33
転院先は脊髄の病気を専門にしている宇都宮の病院を選んだ。とにかく希少な病気ということもあって、有名な大学病院ですら年間数人程しか手術がない。そうであれば少しでも手術経験の多い先生にお願いしたいと考えた。入院して翌日には手術の予定になっていた。その夜、術後に歩けなくなるかもしれないなぁ〜とぼんやり考えていた。でもこのときは術後のリハビリで回復できるものだと信じていた。杖は使っても全く歩けないなん
2024年1月9日 15:14
術後ということもあって、介護用タクシーで栃木から福島の病院へ向かった。そこは先進医療でも珍しい陽子線の治療が受けられる病院だった。陽子線治療は放射線治療のように陽子線を照射する治療だ。病院へ到着するとまず、私の体の型をとった。治療台に乗っているときに、体が動かないように固定するためのものらしい。患部にピンポイントで照射するので動いては元も子もないからだ。ここでもし動いたら変な型になって…違
2024年1月12日 10:04
入り口の自動ドアが開くと、陽子線治療室内ではクラシック音楽が流れ、その後ろから機械音が聞こえてくる。それが何とも宇宙船を想像させる。「うわっ!何!このカッコいいの!」それに加えて技師の方達が抜群にいい!先進医療だからなのか海外帰りの若者がゾロっといた。すらっとした容姿に英語がペラペラ。これがまたカッコいい!英語が話せるというだけでクラッときてしまう世代なので、病人なのに気分が一気に上がった
2024年1月13日 13:59
無事に治療も終わり陽子線の効果は今後数ヶ月を掛けて診ていくことになる。しかし、この治療とともに私の体は胸から下の機能を完全に失った。これからはこの身体で生きていくすべを身に付けなければならない。リハビリ病院はたくさんあるが、できれば脊髄損傷に詳しい病院をと〝国立障害者リハビリテーションセンター病院〟通称 国リハを夫が探してきてくれた。国リハと言えば、脊損、頸損の人の中ではそれなりに知られた
2024年1月18日 13:34
私の体は胸から下が全く動かないし、暑い、寒い、痛い、くすぐったい…などなど感覚というものは全てない。そんな中、リハビリはベッドから車椅子への乗り移りから始まった。車椅子での移動とは言え、自由に動けるのは嬉しいもの。しかし、理学療法士さんからOKがでるまでは、夕方4時になるとベッドへ強制連行‼ ︎と決まっていた。それが嫌で時間が近づくと、見つからないようにささやかな抵抗を試みていた。面倒くさ
2024年1月21日 20:54
メンタルは悲鳴を上げていたがリハビリはまだまだ中盤。その日もいつも通り看護師さんから指導を受けていた。睡眠中の褥瘡予防のためのクッションの入れ方と、毎日お尻の皮膚に異常がないかを鏡で確認する説明を受けた。その話を聞いていた時だった。私の中の何かがいっぱいになり限界を迎えた。涙が流れて止まらない。泣きじゃくるというより、コップの水が溢れるようにただただ涙が流れ落ちた。メンタルが崩壊した
2024年1月22日 21:38
毎日メンタルの不調と戦いながらもリハビリは続いた。そんな中でもちょっと癒しの時間があった。晩ご飯が終わり薄暗くなった7時頃、車椅子に乗った4,5人の集団がゾロゾロと移動を始める。夜の病院は静まり返り、明かりも常夜灯のように落とされ、昼間の騒々しい病院とは全く別の場所のようだ。そーっと病院を抜け出し向かう所は病院前にある駐車場。玄関の警備員さんはいつもの集団だといった感じで「お疲れ様ー」と敬
2024年1月25日 20:40
入院患者も色々な人がいる。私が入院していた頃は地下アイドル、YouTuber(当時は違うけど)、俳優さん、歌手(昔に)など多種多様な方が勢揃いしていた。ある日、入院したばかりの20代半ばと思える男の子が話しかけてきた。首にはなんだかイケていないネックレスを掛けていた。おしゃれにしては大きめなサイズで、何だか野暮ったい。入院患者がファッションで毎日つけているにしては…と気になった。彼は若者
2024年1月28日 13:37
リハビリも終盤を迎えていた。その頃、自宅を車椅子での生活に合わせて、バリアフリーに改修をしていた。改修が終われば退院になる。車椅子の移乗から始まり、トイレ、お風呂、着替え、食事の支度などなど、生活の一通りを教わった。まだまだ荒削りだが、これから先は自宅に戻って実践を繰り返していく。それから忘れてはならないのが車椅子。自分の足代わりになるので、こだわって作る人もいる。最近の車椅子はカラフル