Megu
ある日突然始まった車椅子ユーザーへの道。 セカンドライフの始まりです。平凡な人生を送ると思っていた私に、こんなドラマが待っていました。
その日は何となく始まった。 私は更年期を目前に控えたお年頃。体の不調も多少感じ始めている。疲れは一晩寝ても取れないし、肩こり、目の疲れはマンネリ化していた。しかし、それもお年頃のせいと流す毎日。 その日もゴミを車に積み込み、日課のゴミ出しをしながら会社へ向かった。自宅と会社は400m。もちろん歩って行ける距離だがそこは田舎。ほぼ車移動で一歩たりとも歩かない。ほんの5分の通勤で会社へ到着。さあ仕事だと車から降りようと座席から片足を下ろし、体をひねったそのときだった。 ツ
最近気になって仕方がない言葉がある。気になり始めるとやたらと耳につくから厄介だ。 それが「確かに」 だいぶ前から若者の中では使われていたのだろうが、私が気になり始めたのはこの一年くらい。 初めの頃は「そうです。あなたの意見に賛成です。」的なニュアンスで受け取っていた。 しかし、話の流れを考えて、よくよく聞いてみるとそんな訳でもない。「YESでもNO」でもない曖昧な返答をしているではないか。そうなると今までずーっと肯定されていると思っていた自分が恥ずかしくなった。 先
私は小さい頃から変わっているねと家族から言われていた。私自身は至って普通で、常識人と思っているので全く理解できなかった。夫からも言われ「どこが、どうに?……」と聞いてみるが、そりゃーそうだとはならない。 私が思う変わった人と言ったら自己中で、他人の目も気にせず、常識から外れている人…。そんなイメージ。 私は決してそんなタイプではない。たぶん。自分で言っているのだからそんなタイプでないかどうかは分からないが、逆に繊細さんだ。どちらかと言えば周りに合わせるタイプなので、他人と
脊髄に腫瘍ができこの病と闘い7年ちょいが過ぎた。車椅子ユーザーになっては6年になる。この7年間いろいろな思いと闘った。 自分の事ながら良く乗り越えてきたなと思っている。今までの人生でこれと言って精神込めてやり遂げたことも、努力し切ったこともない。人生で一番向き合い頑張ったのがこの病だと思う。それも何だか悲しいがこれこそ命を賭けての闘いだった。 そんな中でも一度も死を選びたいと思ったことはなかった。ただ、始めの数年はこの身体で後何年生きなければならないのかと考えていた。女性
サプリを飲むのは当たり前の昨今。綺麗なお肌のためから始まり、血圧、視力、ダイエット‥…。飲み始めたらあれもこれもと気がつけばこれは何のために飲んでいるのか…??? そこにこの数年、圧倒的な勢いでトップにのし上がったのが「プロテイン!!」プロテインがサプリかは疑問だがそれは置いておいて コンビニの商品を見ると「タンパク質◯◯g」なんて書かれている商品がぞろぞろ。テレビや雑誌でもたんぱく質不足の話をよく目にする。 はてはて?私は一日どれくらい摂取できているのかな?早速食品の
最近では当たり前の「脱毛」 世の中は一本の毛も許さないといった風潮で、高校生くらいからエステなどに通い始める人が多い。メンズエステまで現れ、男性の象徴の髭さえも脱毛してしまう人がいるくらいだから〝毛〟は結構な嫌われ者だ。 私が若い頃も脱毛はできたが、まだまだこっそりエステに通う感じだった。脱毛しないといけないくらいムダ毛が生えているのは恥ずかしい。今で言うプチ整形するくらいの感覚かな。 それでもミニスカートで闊歩したいし、ノースリーブでも吊り革に掴まりたい。そんな些細な
「見えなーい!!」 「何だ、この小さい文字の塊は!」 ぼやぼや〜〜 ぼけぼけ〜〜 スマホの拡大鏡を使って商品の裏に書かれている小さーい文字の塊を拡大してみる。 「こんなに小さい文字だったかな…!?」 「最近の文字、小さくなり過ぎじゃない!?」 いえいえ、とんでもない。そんなことはありません。そうです!とうとうやって参りました。お歳のせいで視力の低下が始まったのです。はっきり〝老眼〟と言えば良いのだが、それを認めたら一気に加速しそうで、ささやかな抵抗を続けて
車椅子ユーザーの心配事に「褥瘡」がある。介護の経験がない方には聞きなれない言葉だと思う。私も下肢麻痺になるまで聞いたこともなかった。簡単な言葉で言えばいわゆる「床ずれ」。 「床ずれ」って寝たきりの人がなるんじゃなかったかな…?くらいの認識だし、実際どうなるのかも知らなかった。私が子供の頃祖父が寝たきりになり、自宅で母が介護をして看取った。その時に祖父が身体が痛いと言っていたのを覚えている。今思えばあれが「褥瘡」だった。 現在だったら介護用のベッドにエアマットなど良いものが
昨年から始まった息子の結婚問題。問題と言っても決して結婚そのものが問題な訳ではなく、私自身が「母」として出来上がっていない問題。それでも両家顔合わせも終わり、お嫁ちゃんを迎え入れることになった。新しく家族が増えるのは嬉しいものでワクワク、ドキドキ!!結婚式はまだ先になるが、とうとう本格的に「姑」となる。 プロポーズまでの話↓ 同居はしないのでその辺はお互い気楽なもの。そうは言っても同じ市内に住むので、盆暮だけの付き合いという訳にもいかない。 そんな中、私にとって一番の難
きゃー!! スマホがクラッシュ!! やっちまいました。 車椅子に乗っていると落としたり、お尻の下で座布団になっていることはしばしば。なので、簡単には壊れないと高をくくっていた。 外出時は基本バッグに入れているので、それほど気にもかけていない。自宅では車椅子の座席の脇の隙間に挟んでいた。 その日はちょっとの外出だったし、夫もいたので、いつものように座席の脇に挟んで、スマホだけを持って出掛けた。 それが大失敗!! いつものように車の座席に乗り移り、すっかりスマホの存在を
最近、ドラマにまで取り上げられている「多様性」。簡単に言えば、全てを尊重し、受け入れるってこんな感じかな? これって難しいね!! 各世代それぞれの環境、文化、思想…の中で育って来た。それが一気に「多様性」ひとくくりに「今はこうなんだ!」で強要されている感じが受け入れ難い。 みんなそれに適応することが、正義のように世の中が動いている。それを誰が、何を基準に言っているのぉ?本当にそうなのかなぁ?といささか疑問を感じている。 最近、車椅子ユーザーの「イオンシネマ問題」(※気
それは社会人一年生になった春の日のこと。 桜の季節になると思い出す私の大失敗!!今思い出してもあのバカさ加減には呆れてしまうし、胸がザワザワしてくる。 私が入社した会社は、3月の終わり頃から会社への出社が始まり、正式には4月1日の入社式で始まった。 会社には制服が用意されていたので、通勤は私服。はじめの数日は比較的真面目な服装で出社していた。しかし、先輩を見ると結構なラフな服装。そんな感じでいいのかと、私もだんだんラフな服に変えていった。 そして4月1日。 毎日、制
私が介護保険を使い始めたのは、約5年前のこと。 当時、陽子線の治療を最後に積極的治療は終わった。退院してきた頃は、脊髄に手術で取りきれなかった悪性腫瘍が、半分残っていた。診断はガン末期ということだったらしい。 しかし、当の本人はガンのことなんて全く気にもせず、ただ動かなくなった脚のことで頭がいっぱいだった。こんな抜けた患者なので、転院を繰り返したが、どこの病院でもはっきりと告知されることもなく、現在の病院へと引き継がれてきた。 なぜ私がガンの末期だったと気づいたかという
始まりは長男の嫁として嫁いだあの日から。 私はおそらく毒嫁。 毒嫁と言えば、夫にとって害をもたらす悪い妻のこと。しかし、夫婦仲は至って良好。だとすればどこが?ということになるが、私の毒は義理の両親に対しての毒嫁だ。 それを自覚するようになったのは最近のこと。結婚してうん十年になるが、毒嫁と言っても決して姑いびりなどをするような、悪どい鬼嫁な訳ではない。 ある意味その逆だ。 それは良い嫁を演じ続けている。※現在進行形 そうです!このうん十年猫の皮を被り続けてきた毒嫁。
昨年のクリスマスのこと。息子が一大イベント「プロポーズ」をした。そして、OKをもらった息子が、結婚の挨拶に彼女を連れて来ることになった。 とうとうこの時が、キター!! 親になればいつかは訪れるであろうことだが、いよいよその時だ。初めてのことにどう迎え入れれば良いのか悩むことになった。 私は二人姉妹の妹。いつでも二番手ということもあってか、先頭に立つのは居心地が悪い。 長男の嫁として嫁ぎ、夫の兄弟から「お姉さん」と呼ばれているが、何年たってもしっくりこない。私がお姉さん
脊髄損傷の人の多くは自律神経が上手く働かず、汗をかきづらかったり、体温調節が苦手な人が多い。私もご多分に洩れずその一人。 一度体温が上がると、汗をかけずに体温を下げるのが難しくなる。仕方なくひたすら外から冷やすしかない。更年期で起こるホットフラッシュのようなものだ。 その逆に一度冷えると筋肉量が減っているため、血流が悪く温めるのも難しい。冬にはしもやけができてしまう人もいるようだ。人間の体って上手くできているな〜と感心させられる。 昨年の夏を思い出して欲しい。私の住む街