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50.障害受容を通して自分を見つめ直した

脊髄に腫瘍ができこの病と闘い7年ちょいが過ぎた。車椅子ユーザーになっては6年になる。この7年間いろいろな思いと闘った。

自分の事ながら良く乗り越えてきたなと思っている。今までの人生でこれと言って精神込めてやり遂げたことも、努力し切ったこともない。人生で一番向き合い頑張ったのがこの病だと思う。それも何だか悲しいがこれこそ命を賭けての闘いだった。

そんな中でも一度も死を選びたいと思ったことはなかった。ただ、始めの数年はこの身体で後何年生きなければならないのかと考えていた。女性の平均寿命は80代。私は後何年で80になるのか…。ある意味これが死にたいということだったのかもしれない。

リハビリ病院に入院していた頃、入院患者で泣き言を言っている人はいなかった。みんなもう乗り越えているのか?はたまたポジティブを装っているのか?こんなふうに悩んでいるのは私だけなのか?と辛さを分かち合うことはなかった。

数年が経ち障害受容について考えるようになった。中途障害の人がどれくらいの月日で障害を受け入れられたのか気になっていた。SNSで発信している人の多くは辛さはあまり発信しない。かえって障害があってもいろいろと挑戦して意欲的に暮らしていますといった発信の方が多い。私はそれを観て違和感を覚えていた。

果たしてそれは本当なのか…。
それとも受け入れられない私がダメなのか…。

障害受容の過程は一般的に、次のような段階を経るとされている。

①否認:障害を受け入れたくないという感情

②怒り:なぜ自分がこのようになったのかという怒り

③取引:何かを代償にしても障害から解放されたいと願う

④抑うつ:障害をもつ現実に直面して落ち込む

⑤受容:障害を自分の一部として認識し、その状態で最善を尽くすことを決意する段階。

といったことを順番に経験したり、行きつ戻りつする場合もあるようだ。

私自身はというと健常者のときの感覚が薄れ、今の身体が私の身体として受け入れ始めている。これが「障害受容」しつつあるということかもしれない。やっと「受容」の段階まできたように最近感じることがある。もちろん気持ちが前後することはあるし、車椅子ユーザーの活躍に励まされるのだから「受容」とまではいっていないのだろう。

今現在、闘っている方もたくさんいらっしゃると思う。「受容」まで辿り着けるかは人それぞれなので、ここにこだわる必要はないと感じている。こだわれば自分を苦しめることになる。時が必要なのだ。

病を患ってから自分に言い聞かせていることがある。

「人生は短い悩んでいる暇はない。生きたいように生きる!」

自分本位に聞こえるだろうが、これくらい自分がこの人生の主役なのだと思って生きる。日本人は空気を読めることが美徳とされがちだが、他人様に迷惑を掛けなければ、こう考えることで「障害受容」は断然早く進み、幸せな人生になるのではとこの病を通して学んだ。




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