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障害があっても人は幸せになれる【読書感想:障害受容再考】

5年ほど前に読んだ障害受容再考。障害受容について改めて考えるいい本です。久しぶりにもう1回読みたくなったので本棚から引っ張り出してきたよ。

新人の頃は「障害受容ができないと、新しい生活に馴染むことが難しく、足踏み感が拭えない」って思っていたけれど、今は足踏み感のようにみえるのは、障害があることで思い通りに生きられないことと対峙しているのであって、受容できてない云々とは違うんじゃないのか?と思ってます。

リハビリテーションは、まるっきり元に戻るという期待とそうはいかない現実と対峙しながら、その先にいく道。

悩むし、迷うし、人に当たりたくなるし、恨みもあるし、前向きになったり、感謝をもったり、落ち込んだり、いろんな気持ちが渦巻いています。それを、外からコントロールするとか、難しいですよね。

でも、入院中に積極的にリハができないと勿体無いので、できれば気持ちの切り替えをして欲しいと病院勤めの時は思ってました。本当にあっという間に退院の時期がくるんです。障害とともに生きる代償アプローチに届かなかったこともありました。

【回復アプローチは好まれる一方で…】

この、「相手をコントロールするなんておこがましい」と「とはいえ、仕事ができないのは困る」という気持ちの間で揺れ動くのが、セラピスト側の実態なんじゃないかなーと思ってます。病院勤めから訪問リハに移ってからこの葛藤は減りましたが、なくなってるわけじゃない。

その気持ちの整理というか、言語化しながら自分は何ができるか、今の状態をどう解釈していくかを助けてくれる本でした。

んで

「障害からの自由」ではなく「障害との自由」と、あえて言葉が違うことの理由には辿り着かなかったけれど、障害で苦しい気持ちがあっても、楽にいられることはできる、という考えは私の中で一筋の希望になっています。

それは、障害があっても人は幸せになれるということですし、障害を受け入れることが必ずしも必要なわけではないということ。つまり、障害は受容しなくてもいい(と私は解釈しました)。

「障害受容をすれば幸せになる」っていう安易な障害受容のイメージを離れて、心の揺らぎをもっとそのまま持っていていいんです。安定しない心に本人も、周りの人も振り回されるかもしれないけれど、人の心ってそもそも安定するもんじゃない。だから、揺らいでいても大丈夫。

んでんで

私がいまだに、そしてこの先もこの価値観と戦っていくんだろうなぁというのが「できることはいいことだ」という考え。これ自体は間違いではないのだけれど、ここを一番の軸にしてしまうと、できない=価値がないになってしまう。そうすると、障害を抱えていろんなことができなくなった自分=価値のない人間に思えてくる。

これまでの自分の価値観が、今の自分を傷つけるちゃう。これは防御することが難しいです。だから価値を判断するものを変えたり、増やさなきゃと思ってます。


仕事としても、自分のためにも、できる・できないで評価しない。

言うのは簡単だけれど、心のどこかで「やっぱり、できた方がいいよね」という気持ちも無くならない。それでも、できる・できない以外の価値を信じられる人でありたいと思ってます。

いやー、道のりは長い。

白黒つけたがる性質なので、曖昧なままとか、揺らぎを抱えてっていうのが苦手なのではありますが、もうちょっとゆったりものを考えてみよう…と思えた本でした。

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