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車椅子ユーザーへの道

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ある日突然始まった車椅子ユーザーへの道。 セカンドライフの始まりです。平凡な人生を送ると思っていた私に、こんなドラマが待っていました。
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記事一覧

1.はじまり 〜車椅子ユーザーへの道〜

1.はじまり 〜車椅子ユーザーへの道〜

その日は何となく始まった。

私は更年期を目前に控えたお年頃。体の不調も多少感じ始めている。疲れは一晩寝ても取れないし、肩こり、目の疲れはマンネリ化していた。しかし、それもお年頃のせいと流す毎日。

その日もゴミを車に積み込み、日課のゴミ出しをしながら会社へ向かった。自宅と会社は400m。もちろん歩って行ける距離だがそこは田舎。ほぼ車移動で一歩たりとも歩かない。ほんの5分の通勤で会社へ到着。さあ

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2.初めての整形外科

2.初めての整形外科

子供の頃からあまり丈夫ではなかったが、大きな怪我をすることもなく育った私は、いい大人になって初めて整形外科という所へ行くことになった。

病院はたくさんの患者さんで混み合っていた。初診で予約がないので、後から来た患者さんに次から次へと順番を抜かされていく。その間、今までに感じたことのないこの痛みを何て表現すれば良いのか、先生にどう伝えようか頭の中で繰り返し考えていた。

そして2時間後、やっと順番

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3.ふたたび 〜MRI評論家へ第一歩〜

3.ふたたび 〜MRI評論家へ第一歩〜

整形外科を訪れてからひと月が過ぎた。相変わらずその痛みは続き、このまま放置する勇気もなく、ふたたび病院を訪れることにした。

病院ではその日もレントゲンを撮ったが、異常は見当たらなかった。すると先生から、MRIでもう少し詳しく調べてみましょうと提案があった。

MRI?

今まで病院にお世話になることのなかった私は、もちろんMRIなんて聞いたことがあるような、ないような…。何やらレントゲンでは撮れ

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4.閉所恐怖症 〜攻略法はドラえもん〜

4.閉所恐怖症 〜攻略法はドラえもん〜

後日MRIの撮影に訪れた。
そこは国立とは名ばかりの古びた病院だった。院内も陰気くさい感じが漂っていて、こんな病院には入院したくないな、と失礼なことを考えながら待合室で待っていた。

そして5分も待たないうちに名前が呼ばれた。こんな暗い感じだから患者さんも少ないのかな、とまたまた失礼なことを考えながらMRIの部屋へ入って行った。

まず貴金属等がないかチェック。次に具合が悪くなったときのための呼び

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5.ポカ癖あり

5.ポカ癖あり

ドラえもんのお陰でなんとか検査を乗り越え、MRIの結果をもらい改めて初診の病院を訪れた。

名前が呼ばれ診察室に入ると、先生の前に置かれたPCに私の脊髄が映し出されていた。

真っ直ぐであるはずの脊髄が一部膨らんでいるのだ。

「炎症が起きて腫れているかもしれないし…」

と口を濁す先生。
大きな病院で詳しく調べる必要があるので、大学病院を紹介しますということになった。大学病院を紹介するという時点

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6.ライブどころじゃ

6.ライブどころじゃ

大学病院の整形外科を紹介された。ナビを頼りに高速を飛ばして病院へ向かった。さすが大学病院‼︎ 駐車場からして広い。受付には朝一の予約なのに患者さんでいっぱいだった。

受付を済ませて整形外科の待合室で待つこと2時間。予約はなんだったの?と小言をブツブツ。

そして待ちくたびれた頃にやっと順番がやってきた。診察室へ通されるとPCに映された私の脊髄を見るなり、

「これは整形外科だけでは診断できません

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7.大当たり‼︎ 〜こんなところで運を使うとは〜

7.大当たり‼︎ 〜こんなところで運を使うとは〜

宿泊予定の忘年会を一人早く切り上げて、夫が帰って来た。私の普段とは違う不安な声に気づいたようだ。

「私、脊髄に腫瘍ができていて、良性か悪性かを手術して調べるんだって」

いつも冷静な夫だが動揺している様子だった。

それから夫婦で主治医から説明を受けた。聞けば聞くほど、何やら面倒な病気らしいということが分かったてきた。

症例が少なく、私の住む県では年に1人か2人ということだった。日本人の胃がん

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8.準備開始‼︎

8.準備開始‼︎

入院は年明けの1月5日に決まった。もちろん初めてのことで、退屈しないようにと本を買い込み、スマホには大好きな福山雅治の曲をたくさん取り込んだ。

当時はサブスクなどというものはまだまだ普及されておらず、レンタルしたCDをPCへ取り込み、それをスマホへ。と今では考えられないくらい面倒な作業をしていた。

それを考えると今はなんて便利な世の中だろう。スマホ一台あれば、音楽、読書、映画…そして極め付けは

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9.久しぶりの一人暮らし⁉︎

9.久しぶりの一人暮らし⁉︎

病室は個室だった。オレンジを基調とした部屋で、洒落たソファーに観葉植物が置かれていた。シャワーにトイレもあるので、これでベッドが違えば、女子の一人暮らしの部屋のようだ。結婚して以来一人になるのは久しぶりのことで、若い頃の一人暮らしを思い出しちょっと浮かれていた。

病室に入ると直ぐにパジャマ(病衣)が渡された。早速着替えると私の適応能力が高いのか、病衣の魔法か分からないが、一気に病人感が増した。

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10.手術

10.手術

手術前の検査も終わり手術前日、先生から手術の詳しい説明があった。

脊髄にできる腫瘍は厄介らしく、運良く脊髄の外側にできていれば摘出できるが、内側だったら取れるだけ。神経を痛めれば障害が残るかもしれない。先ずは腫瘍が良性か悪性かを調べるのが今回の目的だった。

先生が数人集まって深刻そうな面持ちで説明を受けたが、医者はリスクを話さなければならないもの、と都合の良いように解釈して、それほど深刻に受け

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11.残された時間は…

11.残された時間は…

リハビリを済ませて退院して来た。坂道や階段は手すりが必要になり、長い距離を歩くのは難しくなった。それでも何とか自分の足で歩き、不便ながらも今まで通りに生活はできた。

しかし、良性の腫瘍とは言え、増殖すれば脊髄を圧迫して体の機能を失っていく。私の脊髄には腫瘍が残されたまま。いつ爆発するか分からない爆弾を抱えていた。

それから一年が過ぎた頃…

足の痺れが強くなり、感覚も鈍くなってきていた。家の中

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12.選択

12.選択

いよいよ症状が悪くなってきていたため、MRIで脊髄の検査をすることになった。今回は閉所恐怖症を発動しないように鎮静剤を飲み準備万端。人間は学習する動物。回数を重ねると慣れるもので前よりは落ち着いていた。こんなことに慣れたくはないけど、でもドラえもんの歌にはお世話になってね。

初めての検査の時はこんな感じ↓

なんとか無事に終わり診察室に戻ると、脊髄の画像がPCに映し出されている。私の胸は不安と恐

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13.化学療法

13.化学療法

治療が始まった。
先ずは、数日に一度点滴で薬を体に入れる。その後、2週間に一度の間隔で投与を続ける予定だった。

投与を始めて数週間が過ぎた頃から体調に変化が現れた。洗髪のたびに髪が抜け始めた。覚悟はしていたものの、現実となるとやはり悲しいものだ。治療が終わればまた生えてくるのだからと思っても、こんな時に限って私の中の乙女がメキメキと顔を出してくる。髪は女の命と昔の人が言う意味が分かる。鏡に映った

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14.超ー!ベリーショート!

14.超ー!ベリーショート!

化学療法を止めると体調は回復してきた。食欲も出てきて体重も今まで通りに戻っていった。しかし、足の痺れや感覚の鈍さは悪くなる一方。化学療法の効果は無く、腫瘍の増殖を止めることはできなかった。

そして、体力も回復してきて、そろそろ次の治療を考えなければならない頃、運転免許の更新時期がやってきた。

田舎の交通手段と言えば車。車に乗らなければ自由に出掛けることもできない。杖を使って歩いてはいたが、更新

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