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車椅子ユーザーへの道

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ある日突然始まった車椅子ユーザーへの道。 セカンドライフの始まりです。平凡な人生を送ると思っていた私に、こんなドラマが待っていました。
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2024年1月の記事一覧

14.超ー!ベリーショート!

14.超ー!ベリーショート!

化学療法を止めると体調は回復してきた。食欲も出てきて体重も今まで通りに戻っていった。しかし、足の痺れや感覚の鈍さは悪くなる一方。化学療法の効果は無く、腫瘍の増殖を止めることはできなかった。

そして、体力も回復してきて、そろそろ次の治療を考えなければならない頃、運転免許の更新時期がやってきた。

田舎の交通手段と言えば車。車に乗らなければ自由に出掛けることもできない。杖を使って歩いてはいたが、更新

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15.ふたたび新婚旅行⁉︎へ

15.ふたたび新婚旅行⁉︎へ

いよいよ体も次の治療の段階へときていた。頭では大変なことになっていると理解はしているが、頭が回らない。悲しいとか怖いとかいう感情が麻痺して、なんだか他人事のようで、真剣に考えられない。私の脳が私の意に反して現実逃避をしているのだろうか。

それでも現実が変わることはない。残される治療はあと2つ。

1.腫瘍の摘出手術
2.放射線治療

私の腫瘍は脊髄と絡み合っていたので、放射線を当てると脊髄も一緒

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16.最後の晩餐は餃子で

16.最後の晩餐は餃子で

転院先は脊髄の病気を専門にしている宇都宮の病院を選んだ。とにかく希少な病気ということもあって、有名な大学病院ですら年間数人程しか手術がない。そうであれば少しでも手術経験の多い先生にお願いしたいと考えた。

入院して翌日には手術の予定になっていた。その夜、術後に歩けなくなるかもしれないなぁ〜とぼんやり考えていた。でもこのときは術後のリハビリで回復できるものだと信じていた。杖は使っても全く歩けないなん

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17.運命共同体は最強パワー‼︎

17.運命共同体は最強パワー‼︎

術後ということもあって、介護用タクシーで栃木から福島の病院へ向かった。そこは先進医療でも珍しい陽子線の治療が受けられる病院だった。陽子線治療は放射線治療のように陽子線を照射する治療だ。

病院へ到着するとまず、私の体の型をとった。治療台に乗っているときに、体が動かないように固定するためのものらしい。患部にピンポイントで照射するので動いては元も子もないからだ。

ここでもし動いたら変な型になって…違

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18.コード•ブルー‼︎コード•ブルー‼︎

18.コード•ブルー‼︎コード•ブルー‼︎

入り口の自動ドアが開くと、陽子線治療室内ではクラシック音楽が流れ、その後ろから機械音が聞こえてくる。それが何とも宇宙船を想像させる。

「うわっ!何!このカッコいいの!」

それに加えて技師の方達が抜群にいい!先進医療だからなのか海外帰りの若者がゾロっといた。すらっとした容姿に英語がペラペラ。これがまたカッコいい!英語が話せるというだけでクラッときてしまう世代なので、病人なのに気分が一気に上がった

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19.別れの日はやってくる

19.別れの日はやってくる

無事に治療も終わり陽子線の効果は今後数ヶ月を掛けて診ていくことになる。しかし、この治療とともに私の体は胸から下の機能を完全に失った。

これからはこの身体で生きていくすべを身に付けなければならない。リハビリ病院はたくさんあるが、できれば脊髄損傷に詳しい病院をと〝国立障害者リハビリテーションセンター病院〟通称 国リハを夫が探してきてくれた。

国リハと言えば、脊損、頸損の人の中ではそれなりに知られた

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20.もしかして私って…。 人に言われないと気づかないことってあるよね!

20.もしかして私って…。 人に言われないと気づかないことってあるよね!

リハビリ病院 通称〝国リハ〟へやって来た。

病室は4人部屋だったが患者は私一人。広い部屋にポツンと一人は少々心細いが、音など気にする必要もないので、ある意味個室の状態でラッキー!といった感じ。

食事は食堂でみんなで和気あいあいと食べるので、段々と仲良くなっていく。

若い頃歌手デビューをしたという60代男性は、当時の芸能界の裏話から人生相談までいろいろと話してくれる。まるでワイドショーのように

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21.まさかの坂発見!〜皆さまお気をつけくださいませ〜

21.まさかの坂発見!〜皆さまお気をつけくださいませ〜

私の体は胸から下が全く動かないし、暑い、寒い、痛い、くすぐったい…などなど感覚というものは全てない。そんな中、リハビリはベッドから車椅子への乗り移りから始まった。

車椅子での移動とは言え、自由に動けるのは嬉しいもの。しかし、理学療法士さんからOKがでるまでは、夕方4時になるとベッドへ強制連行‼ ︎と決まっていた。

それが嫌で時間が近づくと、見つからないようにささやかな抵抗を試みていた。面倒くさ

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22.プツン!スーッ…〜私の電源が切れた〜

22.プツン!スーッ…〜私の電源が切れた〜

メンタルは悲鳴を上げていたがリハビリはまだまだ中盤。

その日もいつも通り看護師さんから指導を受けていた。睡眠中の褥瘡予防のためのクッションの入れ方と、毎日お尻の皮膚に異常がないかを鏡で確認する説明を受けた。

その話を聞いていた時だった。
私の中の何かがいっぱいになり限界を迎えた。涙が流れて止まらない。泣きじゃくるというより、コップの水が溢れるようにただただ涙が流れ落ちた。

メンタルが崩壊した

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23.車椅子の脱走犯〜夜に繰り広げられる密約〜

23.車椅子の脱走犯〜夜に繰り広げられる密約〜

毎日メンタルの不調と戦いながらもリハビリは続いた。そんな中でもちょっと癒しの時間があった。

晩ご飯が終わり薄暗くなった7時頃、車椅子に乗った4,5人の集団がゾロゾロと移動を始める。夜の病院は静まり返り、明かりも常夜灯のように落とされ、昼間の騒々しい病院とは全く別の場所のようだ。

そーっと病院を抜け出し向かう所は病院前にある駐車場。玄関の警備員さんはいつもの集団だといった感じで「お疲れ様ー」と敬

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24.奇想天外な病院生活 〜ネックレスの謎とは…〜

24.奇想天外な病院生活 〜ネックレスの謎とは…〜

入院患者も色々な人がいる。
私が入院していた頃は地下アイドル、YouTuber(当時は違うけど)、俳優さん、歌手(昔に)など多種多様な方が勢揃いしていた。

ある日、入院したばかりの20代半ばと思える男の子が話しかけてきた。首にはなんだかイケていないネックレスを掛けていた。おしゃれにしては大きめなサイズで、何だか野暮ったい。入院患者がファッションで毎日つけているにしては…と気になった。

彼は若者

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25.立っている者は親でも…

25.立っている者は親でも…

リハビリも終盤を迎えていた。
その頃、自宅を車椅子での生活に合わせて、バリアフリーに改修をしていた。改修が終われば退院になる。

車椅子の移乗から始まり、トイレ、お風呂、着替え、食事の支度などなど、生活の一通りを教わった。まだまだ荒削りだが、これから先は自宅に戻って実践を繰り返していく。

それから忘れてはならないのが車椅子。自分の足代わりになるので、こだわって作る人もいる。最近の車椅子はカラフル

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26.新参者は私の相棒

26.新参者は私の相棒

無事にリハビリも終わり、7ヶ月ぶりに自宅へ戻ってきた。自分好みにこだわって建てたマイホームだったが、そんな生活も3年ほど。車椅子生活のためにバリアフリーに改修が済んでいた。

小上がりの和モダンな部屋はフローリングに、お気に入りのソファーやラグはすっかり取り払われてテーブルに、奮発して購入したシモンズの心地よいベッドは介護用ベッドに代わっていた。

残念でならないが、いくら悲しんでも仕方がない。ど

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