Jin Nihei(仁平 宏)

世界中を半世紀遊歴。VN戦争生還者。慶大からIBM-HQに30年勤務、後、㈱大和コンピ…

Jin Nihei(仁平 宏)

世界中を半世紀遊歴。VN戦争生還者。慶大からIBM-HQに30年勤務、後、㈱大和コンピュータへ。SW QCの世界標準CMMの 日本第一人者。'98年からMETI官僚、大臣等とVNのICT業界育成。現、サイゴンに定住10年。NPO法人”キルギス農業”理事長。

最近の記事

アルバニア共和国 1 of 5

日本人はバルカン半島は殆ど不知だ。関心もない。 お隣りのマケドニアからはのマザー・テレサが生まれている。 バルカン半島のアルバニア (Albania)と黒海の南部のアルメニア(Armenia)とは名前が似ているため、日本人には混同しがちだ。 アルバニアといえば、かつては“ヨーロッパの最貧国“、“ヨーロッパの北朝鮮"と揶揄され、鎖国・無神論・ネズミ講のコトバで諷された国である。 「日本人の99%は生涯訪れない国」とも言えよう。 しかし、メンタリティの面ではどこにも属さ

    • 《 アフガニスタン 5 of 5》

      ◉ アフガニスタンで発見された仏教遺跡「メス・アイナク(ささやかな銅の源)」。 仏教と産業の関係を物語る貴重な遺産が、銅鉱山の開発によって消滅の危機にさらされている。 アフガニスタンのカブールから南東に40 km離れた場所で、ロガール州の不毛の地域にある。 メスアイナック(Mes Aynak)には、アフガニスタン最大の銅鉱床のほか、400を超える仏像、 仏塔、40ヘクタールの修道院群がある古代集落の遺跡がある。 仏教遺跡「メス・アイナク」の周囲には100カ所以上の検問所が

      • アフガニスタン 4of5

        内戦が続くアフガンにも観光資源は豊富である。 それでは、観光スポットを覗いてみよう。 アフガニスタンの世界遺産は、文化遺産として、ジャームのミナレットと考古遺跡群 (2002年)とバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群 (2003年)の2つが指定されている。 まず、この2つの世界遺産から入ろう。 日本人には、アフガニスタンの史跡名所といえばまずバーミヤン渓谷にある破壊された2つの石仏が呼び起こされるであろう。 ●バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群は世界文化遺産(20

        • アフガニスタン 3 of 5

          アフガニスタンの概況については、国土面積は64.8万km2(日本の約1.7倍)、人口は 3,106万人、内陸国であり国土の大半は山岳(最大標高7,485m、ノシャック山)と土漠で あり耕地は12%で、灌漑農地は2万7,200 km2である。 もともとの国土はパキスタン北部まで広がっていたが、平野部はイギリスにより引きちぎ られ、現在は山岳地帯が大部分を占めている。最も標高の高い地点は、海抜7,485メートル である。 国土の大半は乾燥しており、真水の入手できる場所は限られてい

        アルバニア共和国 1 of 5

          アフガニスタン 2 of 5

          テロー色のイメージが強い近代のアフガンという国の昔年を知ろうとする人は少ない。 そのため、まずアフガニスタンの略史を追ってみたい。 BC 10万年、旧石器の文化が存在した。 BC 7000年、新石器の文化が存在した。 BC 3000年~BC 2000年、四大文明が起こり、都市文化が生まれつつあった。その背景には農耕文化の発展があった。アフガニスタンは、先史時代からイラン高原やメソポタミアの諸文化と早くからつながりがあり、また、インダス文明とも交流があった。 BC 2000

          アフガニスタン 2 of 5

          アフガニスタン1of 5

          アフガニスタン・イスラム共和国、通称アフガニスタンは、南アジアまたは中央アジアに位置する共和制国家。首都はカーブル。 目下、紛糾中で世界の関心を集めているアフガニスタン、北に中央アジアのタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンが位置し、紐帯関係にあるので、この国は看過できない。 アフガニスタンは多民族国家である。 シルクロードの時代、「民族の十字路」といわれるほどいろいろな民族が通過し定住した。 谷が深く、谷ごとに違う民族が住んでいるといってよく、「アフリカ人以外な

          アフガニスタン1of 5

          カザフスタン 4 of 5

          では、この国の歴史を遡ってみよう。 カザフスタンは、地形的にウズベキスタンの北~東側に広がる国なので、一部は、歴史を共有している。けれどもカザフスタンの方がウズベキスタンより、さらにロシアや中国に近いためロシアや中国の影響を強く受けた。 一方のウズベキスタンは、イランなどのペルシアの影響を受けたが、両国ともトルコやモンゴル民族の支配を受けた。 BC20C、ステップでの遊牧生活が始まる。 BC3C~1C頃、カザフスタン周辺に最初の氏族制の共同体が出現する。 6Cから8C、テ

          カザフスタン 4 of 5

          カザフスタン 3 of 5

          さて、カザフスタンは、中国に1,783キロ、キルギスに1,242キロ、トルクメニスタンに426キロ、ウズベキスタンに2,351キロ、ロシアに7,591キロの長さにわたって国境を接している。 西のウラル川に接する低地から、東のアルタイ山脈に連なる山岳地帯まで、3,000キロの広がりがあり(二つの時間帯をカバーする距離)、北部の西シベリア低地帯から南部のキジルクム砂漠と天山山脈の山岳地帯まで、2,000キロほどの距離がある。 カザフスタンの最北端は北緯55.26度。東ヨーロッパ平

          カザフスタン 3 of 5

          カザフスタン 2of 5

          世界に知られるバイコヌール宇宙基地(Baikonur Cosmodrome)はアラル海東方にあり、ロシア宇宙庁が租借する。 「バイコヌール」とはカザフ語でカザフ語で「草本植物豊かな砂地」を意味する。アラル海から東方に広がる砂漠の名称だ。 この地域に暮らす遊牧民の間には、何世紀にも亘り、“黒い牧夫”という伝説が存在していた。 黒い牧夫は子牛の皮から巨大な投石具を造り、地平線に敵が現れると、これを使って燃えさかる石を空中に放ったという。 石が落下した場所には何も生えず、動物も死に

          カザフスタン 2of 5

          カザフスタン 1of 5

          カザフスタンの国名は、カザフ人の自称民族名、カザク(Qazaq)と、ペルシア語で「~の国、~の多いところ」を意味する スタン(-stān/-estān)との合成語である。 ソ連邦崩壊後の1991年12月16日、「カザフスタン共和国」として独立し、1991年12月21日に独立国家共同体(CIS)に加盟した。 ユーラシア大陸の中心に位置しており、世界第9位の広大な国土面積 (旧ソ連ではロシアに次ぎ、アジアでは、中国、インドに次いで第3位)を有し、同時に世界最大の内陸国でもある

          カザフスタン 1of 5

          タジキスタン 5of 5

          1995年制定された国旗の意味は、赤は国家統合、白はタジキスタンで産出される綿と国民統合、緑は国土の自然を表している。 1993年に制定された国章は、円形で、中央にある王冠はタジキスタンの国旗に使われているものと同じものも国民を表している。下に太陽、上には7つの星があり、これは天国にあるという7つの果樹園を表している。底部には開いた本があり、その上にははパミール高原の山々が描かれている。エンブレムの周囲は、左には綿の実、右には小麦が、赤、白、緑という国の色のリボンで巻かれてい

          タジキスタン 5of 5

          タジキスタン 4of 5

          ここで、タジキスタンの主要観光地を調べてみよう。 まず、世界遺産から紹介しておこう。 文化遺産と自然遺産がそれぞれ一つずつある。 ● 2010年に指定された文化遺産のサラズムの原始都市遺跡があり、紀元前4000~3000年に人々が生活していた集落跡などを見ることができる。 サラズムの位置は、ソグド州とウズベキスタンとの国境付近、ザラフシャン渓谷内に位置する街ドゥルマン(英語版)の付近に位置する。 約5000年前、サラズムは中央アジアにおける金属製品生産の中心地とな

          タジキスタン 4of 5

          タジキスタン 3of 5

          さて、漠々として不可知なタジキスタンという国を数行で鳥瞰してみると、 国土の9割が山脈地帯で、灌漑)地は7%。人口は800万人で、人口の3分の2が農業に従事する。出稼ぎ労働者は100万人、出稼ぎ先は主にロシア。出稼ぎ労働者が国内総生産(GDP)の半分を占める。 首都はドゥシャンベで、標高700mに位置し、緯度的には日本の仙台あたり当たる。 タジキスタン共和国、通称タジキスタンは、中央アジアに位置する共和制国家である。タジク(ペルシア語ではタージークtājīk)の語

          タジキスタン 3of 5

          タジキスタン 2of 5

          次に、タジキスタン女性のユニークな美意識を語ってみよう。 タジキスタンの町を歩くと、普通に眉毛が一本に繋がっている女性を見かける。 これはタジク女性の昔からの化粧法の一つである。 タジキスタンのパミール地方(「パミール」は、タジク語で「世界の屋根」を意味するといわれタジキスタン、アフガニスタン、中国などにまたがる平均標高5,000mに達する)には、16~17歳の成人になると、男女とも眉毛にまゆ墨を書く習慣があった。それは成人になったことの衆知のシンボルであった。 この伝統

          タジキスタン 2of 5

          タジキスタン 1of 5

          タジキスタンは中央アジア5ヵ国の中で最貧国である。 中央アジア諸国の中で唯一内戦を経験している国でもあり、失業率は高く、国民一人当たりのGDPが877$('19)と中央アジア5ヶ国の中では最も低い。 タジキスタンにおいて,大規模な国際移民が生じていることは広く知られる。 受入外国送金の規模は対GDP比で50%近くに達し,その比率は世界で最も高いものとなっている。 こうした中でのジェンダーの多様化を考察すると,イスラム圏の規範が強く見られると想定される。しかし家計内に

          タジキスタン 1of 5

          キルギス 7of 8

          最後になるが、雌飛した女性たちを挙げてみよう。 ● 杢尾(もくお)雪絵UNICEFキルギス共和国事務所代表 私は、このブログの中で、国際結婚して国連で働く日本女性たちに焦点を合わせてその飛翔(雌飛)ぶりを描いている。 私が中央アジアの名を耳にすると、必ずと言っていい程に、中央アジアのタジク人と結婚し、この地で奮闘する杢尾雪絵女史が彷彿されるのである。 もう一度、杢尾女史の略歴を述べてみよう。 1960年  東京都生まれ。日本女子大学家政学部住居学科卒業