バルカン半島;アルバニア共和国 3 of 5


さて、アルニアはアドリア海に面し、対岸はイタリアだ。
他方、一字音違いのアルニアはここよりずっと東、黒海とカスピ海の間に位置し、
この国は世界最古のキリスト教を国教とした国(紀元301年)である。
ここで、少しだけアルニアに触れておこう。
アルメニア高地にある「アララト山」は、ノアの箱船が漂着した地とする説で古来よ
り由緒ある著名な地である。
小さい国で、人口は290万人、面積は日本の約13分の1に過ぎない。
いわゆるコーカサス3国(アゼルバイジャン、ジョージア)の1国である。
全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語文化宗教をもった民族集団が複
雑に入り組んで暮らしており、地球上でもっとも民族的に多様な地域であると言われ
る。
2020年7月には、旧ソ連南西部のアゼルバイジャンとアルメニアの間で戦闘があり、
3日間で双方合わせて15人が死亡したという。両国はソ連末期に始まった地域の民
族紛争を巡って対立を深めており、石油など天然資源が豊富なカスピ海周辺地域で紛
争が再燃するおそれがある。
 
ところで、マザー・テレサはアルメニア出身でなく、意外にもアルバニアである。
テレサの両親はマケドニア地方に住むカトリック教徒であったが、アルバニア人には
イスラム教徒が多く、マケドニア地方には正教徒が多かったことを考えると珍しい家
族であったのだ。
マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは1910年8月26日、コソボ州
ユスキュプ(今の北マケドニア共和国スコピエ)に生まれた。
アルバニア系マケドニア人にしてカトリックの修道女である。
「アルバニア系マケドニア人」とはややこしいが、アルバニア人の両親のもと、
マケドニアの首都スコピエで生まれた人である
18歳のとき、聖座の許可を得たアグネスは故郷のスコピエを離れ、アイルランドで
ロレト修道女会に入った。
ロレト修道女会は女子教育に力を入れている修道会であった。アグネスはダブリン
基礎教育を受けると修練女として1931年にインドのダージリンに赴いたのである。
 
 
さて、アルバニア共和国、通称アルバニアは、東ヨーロッパバルカン半島南西部に
位置する共和制国家である。首都ティラナ
このアルバニアは、“50年近く共産主義政権下で鎖国状態にあった”という形容句が付く。

面積は、四国の約1.5倍、人口は約286万人(2019年)と小さな国である。
アルバニアの国土は最大で南北が約340km、東西が150kmである。
海岸部の平野以外は起伏があって山がちな地形が多く、国土の約7割が海抜高度
300m以上である。
モンテネグロセルビア北マケドニア共和国との国境地帯にはディナラ・アルプス
山系の2,000m級の山々が列を成しており、一番高い山はディバル地区にあるコラビ山
で、2,753メートルに達する。
西はアドリア海に面し、対岸はイタリアである。北はモンテネグロ、北東はコソボ
(コソボを独立国と認めない立場からすればセルビア)、東は北マケドニア、南は
ギリシャ国境を接する。

アルバニア語公用語であるが、北部のゲグ方言と南部のトスク方言に別れ、標準語
はトスク方言に基づいている。
歴史的な理由によりイタリア語を話せる高齢者が多い。(社会主義時代にイタリアか
らのラジオを聴くためなど)義務教育課程での英語教育が導入されており若年層の
ほとんどは英語を話す。
南部のサランダを中心とした地域に住むギリシャ系住民の間では、なまりの強い
ギリシャ語を話す人々もいる。

宗教の信者数はオスマン帝国支配等の歴史的経緯から、イスラム教徒である国民が
大半を占めるが、信仰形態は非常に世俗的であるという。
イスラム教においてハラール食のタブー)とされる飲酒をしたり、豚肉を食べたり
する者も珍しくない。
また、キリスト教正教会カトリックの信者も少なくない。
なお、欧州で唯一のイスラム協力機構正規加盟国である。
イスラム57%,ローマカトリック10%,正教7%

海岸付近の低地は典型的な地中海性気候で降雪は珍しいが、内陸部の高地は大陸性気候
で冬には大量の降雪がある。
年間降水量は1,000mmを超える。の最高気温は30℃以上となるが、の最低気温
は海岸部で0℃、内陸部で-10℃以下となる。
また、国土の北西はモンテネグロにまたがりバルカン半島最大の湖であるシュコダル湖
(約360平方キロ)に面しており、南東部にはオフリド湖プレスパ湖がある。
オフリド湖が源のドリン川が約280kmにわたって国内を流れ、シュコドラ州で数本の
水流に別れてアドリア海に注いでいる。
国土の約40%が森林で、ブナなどが多い。

古代にはイリュリアと呼ばれた。紀元前1000年頃から、インド・ヨーロッパ語族
属する言語、イリュリア語を話すイリュリア人が住むようになった。
イリュリア人は南方の古代ギリシア文化の影響を受け、またいくつかのギリシャ植民地
が建設された。
前2世紀にはローマ帝国の支配下となり、東西ローマの分裂においては東ローマ帝国
帰属した。

ビザンティン帝国時代にはアルバニアは重要な地方だった。コンスタンティノポリス
とローマは、街道で結ばれていた。
コンスタンティノポリスから西へ延びる街道をエグナティア街道と呼ぶ。
アギア・ソフィア大聖堂のすぐ前に、街道の起点となるミリオンという碑があった。
エグナティア街道は、北ギリシアのテサロニキを通って、アルバニアのドゥラスで
アドリア海に突き当たる。
そこからは船で、海が一番狭くなったところをイタリアのブリンディシに渡る。
道路はアッピア街道と名を変え、ローマに通じていた。

以上(4 of 5に続く)


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