タジキスタン 4of 5

ここで、タジキスタンの主要観光地を調べてみよう。
まず、世界遺産から紹介しておこう。
文化遺産と自然遺産がそれぞれ一つずつある。
 
●     2010年に指定された文化遺産のサラズムの原始都市遺跡があり、紀元前4000~3000年に人々が生活していた集落跡などを見ることができる。
サラズムの位置は、ソグド州とウズベキスタンとの国境付近、ザラフシャン渓谷内に位置する街ドゥルマン英語版)の付近に位置する。
約5000年前、サラズムは中央アジアにおける金属製品生産の中心地となり、周辺地域に輸出を行なっていた[2]インド・イラン語派の民族が侵入した紀元前2000年頃に都市としての役割を終えたと考えられている。
その後、サラズムは付近にあるトルコ石の産出地から集積を行う鉱山地域として復活したと考えられている。
サラズムは1976年、地元の農家アシュラリ・タイロノフが考古遺跡の付近から突き出ている銅の短剣を見つけたことで発見された。アブドゥロ・イサコフ (Abdullo Isakov) により発掘調査が行われ、フランスの考古学者による調査隊が1977年に調査を行った。
首都ドゥシャンベには、観光名所は少なく国立古代博物館ぐらいしかないが、ここには世界遺産の「サラズム遺跡」から出土した、2m近い身長のサラズムの王妃と呼ばれる女性の墓が展示されている。
不思議なことに彼女は胎児のような姿勢で葬られていたという。
興味深いのは彼女の身長が2m近い長身で手足が異常に長いこと。殉死者と思われる他の人物も身長は高いそうで、手足の長さは彼女が際立っているという。
王妃の周囲は多くのビーズが発見されており、これは当時彼女の衣服や髪を飾っていたもので
あり、特に素晴らしいのが髪を飾っていた黄金製品で、全部で49個発見されている。彼女の傍には青銅製の鏡も置かれていたという。
 
●     自然遺産のタジキスタン国立公園 は、 パミールの山々である。タジキスタン国立公園はタジキスタンの面積の約20%を占めており、国内最大の自然保護区である。
2013年6月UNESCO自然遺産に登録された
タジキスタン国立公園は1992年7月20日にタジキスタン政府により国立公園に指定された。
当初、タジキスタン国立公園はパミール自然保護区と呼ばれていたが、独立後に起こったタジキスタン内戦とその後の国内派閥争いにより公園の名称が変更になった。そして、UNESCO自然遺産候補登録の際には、パミール高原という正しい地理名称を元にした「タジキスタン国立公園 - パミールの山々」(Tajikistan National Park - Mountains of the Pamirs)という名称で登録されることとなった。
タジキスタン国立公園は今日、タジキスタンの観光の大きな目玉の一つになっており、観光客は様々な希少性のある動物や鳥類などを見るためにタジキスタン国立公園を訪れる。
また、国立公園内の山間部には高山植物をはじめとする自然景観の良いスポットが数多く存在する。
パミール高原内部にある標高7,000m以上の急峻な山々が数多く存在しており、登山家が多く訪れる。また、バダフシャン自治州内にはガルムチャシュマロシア語)と呼ばれる鉱泉温泉)があり、多くの観光客が訪れる。
中世初期、タジキスタン国立公園のあった一帯はシルクロードの経由地としてキャラバンの隊商による交易で栄えた場所(バザール・ダラ、Bazar-Dara)であり、当時を忍ばせるモニュメントが複数存在する。
 
 
●     他の有名な観光地は、ウズベキスタン国境に近いペンジケント( Panjakent)遺跡がある。
4~8世紀にシルクロードの交易を独占していたソグド人の文化を伝える都市遺跡である。
城壁で囲まれた城郭都市である。
ソグド人はペルシャ(イラン)系の民族で、中国では胡と呼ばれていた。
ペンジケントはタジキスタンの西端、ウズベキスタン国境近くに位置する。
トルキスタン山脈とザラフシャン山脈に挟まれ、その間をザラフシャン川が流れる肥沃な土地だ。
このザラフシャン川流域は、かってシルクロードの交易で活躍したソグド人達が多くの都市を築いたソグディアナの中心地であった。
そして、ソグディアナの中核である都市がウズベキスタンのマラカンダ(現サマルカンド)である。
ペンジケントとサマルカンドは国境で隔てられているが、実は50キロ位しか離れていない。
このペンジケント遺跡からは多くの素晴らしい壁画が発見されている。
多くの壁画はエルミタージュ美術館に運ばれてしまったが、それでも幾つもの優品が博物館で展示されており、最も素晴らしい壁画は首都ドゥシャンベの国立古代博物館に展示されている。
 
●     ヌレークダム(Nurek Dam)は、タジキスタンのヴァクシュ川に築かれた世界二番目に高い304mの堤防を持つダムとして知られており、放水の様子は迫力満点である。
ソ連時代の1961年に着工、1980年に完工したアースダムである。水力発電を行っている。
ヌレークダムはソ連統治下にあった1961年から1980年の間に建設された。安全性を確保する為に堤体内中心部に土質遮水壁(コア)を設けている。
ダムには合計9個のタービンが設置されている。 タービン1個あたり335メガワットの発電容量があり、合計で2.7ギガワットとなる。国の電力需要4.0ギガワットのうち、約98%を賄っていた。
ヌレークダムの貯水容量はタジキスタンで最大であり、10.5立方キロメートルの容量を持つ。
長さは70キロメートル、表面積は98平方キロメートルである。貯水の利用形態は発電のみならず、14kmのダンガラ用水路を通して700平方キロメートルの農地の灌漑にも使われていた。
 
●     ところが驚く勿れ、2018年11月、同じタジキスタンで335mと世界一高いログン(Rogun)ダムが正式に稼働させたのである。稼働日はタービン6基が発電を開始した。
発電所稼働の式典でラフモン大統領は『歴史的な出来事だ。電力が国の隅々に届けられるだろう』と挨拶した。
ログンダムは、タジキスタンを流れるバフシュ(Vakhsh)川南部に位置する。
総工費は39億ドルで、国内の電力不足の解消だけでなく、余剰電力を近隣のアフガニスタンやパキスタンへの輸出も視野に入れたものだ。
7,000m級の山々に囲まれた同国は、ダム設置に適しているものの、建設には極めて困難な場所。1970年代から工事が始まるも、旧ソ連の崩壊により建設中断もあり、工事は難航した。
2万人超の労働者と3,600台の車両が投入されたとも言われている。
 
●     タジキスタンの領土には約1,450の湖がある。皆さんはご存知ないかも知れないが、現存する世界最大の天然ダムはタジキスタンのサレス湖(Sarez Lake)である。
タジキスタンで最も美しく神秘的な湖である。
1911年の冬にタジキスタン南東部のパミール山脈で起こったM7.4の地震(サレ地震)に伴う地すべりは、アムダリヤ川上流域であるバルタン川の谷を完全に塞いでしまった。
当時のウソイの村は大規模な落石が発生し、巨大な石の塊の下に埋められてしまった。
  地震の結果として形成された湖(ダム)は、長さは60km伸びており、その深さは約500mもある。万一決壊すると、下流の国々で大洪水になるので、注意深い観測が続けられている。
サレス湖の青緑色の湖水はかなり寒いが、夏には湖畔で泳ぐ人たちが多い。
 
●     他に、500万年前の隕石衝突により形成されたという湖がカラクル湖(Kara-Kul Lake)である。 
チュルク語から「黒い湖」として翻訳される。波は強風で上がり、水の色は黒い色合いになります。 それが湖の名の由来である。
ゴルナ・バダフシャン自治州の領土で、海抜3,914mの高さのザアライ山脈の南に位置する。 
南岸から伸びる半島と、によって東西に分かれ、東側の湖は13mから19mの水深で浅く、西側の湖は水深221mから230mである。湖から流れ出るはない。
 氷河期の間に湖は出現し、その底は永久凍土で覆われていると考えられている。 ある理論によると、湖水は古代の氷河作用の影響で大きく変化する構造的な起源に因るという。
近年の湖の地質調査と宇宙画像の研究によって、カラクル湖は隕石が約2500万年前に降ったために出現したと結論を付けた。 隕石の衝突の結果として形成されたクレーターの直径は45 kmである。 
湖の興味深い特徴の1つは、湖のほとりがかなりの距離で氷に覆われていることで、湖の底にも氷があるという。
 科学者の間で氷の起源についての単一の意見はないが、いまだに 湖自体はゆっくりとその大きさを変えている。
 
●     秘境中の秘境、「ワハーン回廊(Wakhan Corridor)」とは?
タジキスタン自体、中央アジアの国々の中ではまだ観光客も少なく、これから観光開発が期待されているところである。
そんなタジキスタンの中でも一番の秘境であり、魅力的な地域がアフガニスタンとの国境沿いからパミール高原にいたる地域がゴルノ・バダフシャン自治州(Gorno-Badakhshan Autonomous Province)である。
アフガニスタン北東部に東西へ細長く伸びた地帯で、細い部分は南北の幅15km~60km、東西200kmにわたり、北はタジキスタン、東は中国、南はヒンドゥークシュ山脈を境界としてパキスタンに接している。
秘境中の秘境とも言われ知る人ぞ知る絶景スポットである。
 
ワハーン回廊とは、アフガニスタン北東のバダフシャーン州に位置する東西に細長く伸びた回廊地帯。ワハン回廊、ワハーン渓谷(Wakhan Valley)ともいう。ワハーン渓谷を流れるパミール川(Pamir River)が国境線になり川の向かい側はアフガニスタンである。
狭いところでは川幅わずか10数mという場所もあり、これを見るだけでも感慨深いものがあります。また時折川向うのアフガンの人たちの生活を垣間見ることができ、これらも含めての絶景回廊と言える。
ワハーン回廊へのアプローチは、治安などの事情からタジキスタン側からが一般的となっている。タジキスタン南東部、アフガニスタンとの国境地帯を流れるパンジ(Pyanj)川に沿って、西の玄関イシュカシム(Ishkashim)村から東の玄関ランガール(Langar)村付近が回廊に当たる。
 
西側はワヒ族が、東側の山岳地帯はキルギス族が暮らし、アクセスの難しさと治安状況から「最後の秘境」と形容されている山岳地帯で、古くは玄奘三蔵やマルコポーロも通ったと言われている。
地政学的に極めて重要にも関わらず、厳しい気象条件、険しい地形など外部から人を寄せ付けない要素が重なり、中央の支配や軍事的な関心が及ばない地域となっている。
1970年代のソ連によるアフガニスタン侵攻ソ連撤退後の内戦状態、そして2000年代のタリバンによる国土支配とその後の内戦などとも無縁のまま、ワハン人およそ1万2000人とキルギス人遊牧民1,100人ほどの住民は、回廊内で寂々と暮らしている。
 
このタジク・アフガン国境のヤムチュンにあるのがソ連時代から温泉保養地と知られるビビ・ファティマ温泉(Bibi Fatima hot springs)である。
ガラム・チャシュマから南に下ることおよそ150km、ワハーン回廊のちょうど中間付近にあるヤムチュン(Yamchun)村に洞窟温泉ビビ・ファティマがある。
幹線道路から外れてジグザグの急坂道を7kmほど上った先にある不便な場所ながら、地元の方が多く訪れています。
現在はアガハーン財団によって整備され地元の方で賑わっています。こちらは洞窟温泉と浴場いずれも屋内に設置され、個人的にはより野趣に富み、温泉の色は無色透明で硫黄の香りが強く、温度もやや高め、からだの芯まで温まり、健康や美容効果も期待できよう。
ただし、規模が小さくからだを洗うスペースもないので、“ゆっくり湯に浸かる”ことだけ楽しむ湯といえよう。
 
そして、ワハーン回廊の2大秘湯-その2として、トルコのパムッカレの様な石灰棚のガルム・チャシマ温泉がある
パミール高原の西の玄関ホログ(Khorog)の町から南へ約43km下った村に存在する。
目印はこのモンスターのような鍾乳石。雪の塊のように見える。
この裏手に露天風呂と屋内温泉浴場が用意されている。
露天風呂のロケーションが最高なので、石灰棚に囲まれた露天風呂からは雄大な景色を眺めることができ、地元の人や観光客に人気がある。
ぬるぬるしてて、硫黄のにおいが強く、正に温泉で温度も日本のそれと同じである。
温泉の湯船の下には泥が沈んでて泥パックもできます。女の人は体全身に塗っていたり、
岩に手をこすりつけて温泉成分を顔に塗ってました。
なお、タジキスタンの女性は下の毛を剃るらしくみんなツルツルか、薄っすらえてるぐらいだと
も伝え聞く。
お湯の温度も日本のと同じくらいで、特に入浴料を取られることもなく、無料で入れる。
露天風呂は外から丸見えかもしれないが、裸で入る決まりである。
ここには露天風呂と内風呂があり、露天風呂は男女交代制で入ることになっている。
 
他にも有名な温泉に、秘湯っぽい雰囲気のエリスー温泉(第3の秘湯ともいう)があり、途中旅の疲れを癒すことができる。
 
以上
 
次は、5 of 5 に続く


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