アフガニスタン 3 of 5

アフガニスタンの概況については、国土面積は64.8万km2(日本の約1.7倍)、人口は
3,106万人、内陸国であり国土の大半は山岳(最大標高7,485m、ノシャック山)と土漠で
あり耕地は12%で、灌漑農地は2万7,200 km2である。
もともとの国土はパキスタン北部まで広がっていたが、平野部はイギリスにより引きちぎ
られ、現在は山岳地帯が大部分を占めている。最も標高の高い地点は、海抜7,485メートル
である。
国土の大半は乾燥しており、真水の入手できる場所は限られている。
アフガニスタンの農業は、伝統的に小麦や果物などを主要な作目とし、とくに乾燥果実の輸出
は重要な外貨獲得源であった。
かつては労働可能人口の67 %、GDPの64 %が農業部門に依存していた。
しかし、長年の紛争により灌漑農地や施設は放置され、農村は疲弊した状況にあり、加えて
同国の南部と南西部では、2000年から3年間にわたる干ばつにより農業生産が深刻な打撃
を受けた。
作付面積の減少が農業生産の低下を招き、自給できなくなった住民が国内避難民と
なるケースも発生した。
また、灌漑面積の拡大に必要な用水量を確保するため、適正な維持管理や改修事業の実施に
よる漏水の防止、適正な水管理を可能とする施設の改良による無駄な放流の減少、さらには
末端レベルにおける節水灌漑技術の開発、普及が必要とされている状況にある。
こうした状況下で、ケシは安く簡単に栽培でき、アフガニスタンの農産物全体の半分を占め
ている。
 
アフガニスタンに訪れた際、公然とケシが栽培されているのには驚くはずだ。
灌漑設備がないため農民は水が少なくても育つアヘンの栽培に従事している。
アヘン(阿片、opium)は、ケシ(芥子、opium poppy)の実から採取される果汁を乾燥さ
せたものである。なお、ヘロインは、アヘンから抽出したモルヒネを精製して作られる。
 
アフガニスタンは「黄金の三日月地帯」に属し、旱魃地域ではアヘンなどの原料となるケシ
の裁培が盛んで、ヘロインの全世界流通量の85%以上をアフガン産が占めるなど世界一の麻薬
密造国である。
2018年時点でもアフガン南部のターリバーン支配地を中心に推定約26万ヘクタールの面積で
ケシの栽培が行われている。
 
ケシの実に傷をつけるとにじみ出てくる乳液が凝固した生アヘンは、1キロおよそ163ドル
(約118000 円)で農家から買い取られる。
1キログラムのアヘンから100グラムのヘロインが抽出できる。
ヘロインになると価格は爆発的に高騰する。
ニューヨークのヘロインの末端価格は、1キログラム当たり10万ドルである(純度75%)。
ただし、ニューヨークのヘロインはアフガニスタン産よりコロンビア産の方が多い。
それでも、英国で消費されるヘロインの90%はアフガニスタン産であり、世界のヘロインの
70%はアフガニスタン産である。
 
 
アフガニスタンの主要作物であり、主食の小麦の生産量が毎年減少している。
アフガン農業省は長引く干ばつが原因としていているが、専門家と一般市民は、利益の多い
ケシ栽培に転換している農民が増えていることも重大な要因と訴えている。背景には、周辺
諸国からの安い輸入小麦粉がある。
農民は、政府の問題への対応が遅く、未解決の問題が食料不足の原因だと主張する。
 
地球温暖化の中、水不足、干ばつ、自然災害が問題の根源にはあるが、農地の3分の2が灌漑
用水に頼っているアフガニスタンにとって、ダムの建設や配水システムの整備が緊急課題であ
る。
安い輸入小麦を規制する法律の制定や手続きの導入など、政府による農民に対する保護策も求
められる。国内外の農産物の価格や市場に関する情報、金融融資や原材料の供与、改良種・肥
料・農薬の提供なども不十分なままなのである。
 
政府が小麦危機への迅速な対応策を見出せないでいると、アフガニスタンの農民は確実にケシ
栽培への転向を図る。
薬物に手を出す理由は様々であり、貧富の格差、失業率の高さ、家庭環境、ヘロインが気軽に
手に入るハードルの低さ、マフィアの存在、そして隣国アフガニスタンがアヘンの世界最大の
生産国であること等々である。
世界でもっとも貧しいアフガニスタンの農民がアヘンの最初の段階を担い、先進国の暴力団が
販売の末端を担当し、途中の流通ルートと資金洗浄を世界のエリートが支配している構図が描
けるのである。
 
CIAがアフガニスタンに本格的に介入するようになったのは、1979年からであった。
そのわずか2年後、パキスタンとアフガニスタンの国境におけるヘロイン生産高は世界一に
激増し、米国内のヘロイン消費の60%を供給するようになった。パキスタンに避難していた
ムジャヒディン・ゲリラがアフガニスタンに回帰してからは、彼らは農民に芥子栽培を命令
した。
反テロ戦争が、皮肉にも、テロの拡散を生み出してた。
CIAは、反米政権に対抗して、反政府ゲリラを育成してきた。しかし、反政府勢力の資金
源は、麻薬取引なのである。
反政府ゲリラを支援することは、それが秘密裏に行う作戦であるために、CIAは公的な資金を
使用できない。当然、CIAは闇の資金に依存してしまう。
闇資金は麻薬取引から生まれるので、結果的に麻薬取引業者とCIA工作員は癒着し、
“汚れた資金”を洗浄するための金融の裏取引に手を染める。
こうした汚い資金で強化されたゲリラ組織がより多くの麻薬利権を求めて、最終的には米国
と離反する。建前的に麻薬取引を撲滅することを原則とする米国政府が今度は邪魔になるから
である。こうして、局地的に育成したゲリラ組織が世界各地に拡散するのである。
 
なお、私事に及ぶが、私はベトナム戦争の最中にサイゴンに駐在(IBM South-Vietnam Ltd.)
していた。
南部の6ヶ所の米軍基地を将校待遇でヘリで飛び回っていたので、米軍将校、CIA(マフィア)、
軍事顧問たちとの付き合いも多かった。
常時、小型拳銃(M1911)を携帯し、必要時には防弾チョッキも着用していた。
ご存知の様に、タイ、ラオス、ミャンマー国境にまたがる山岳地帯 “黄金の三角地帯”
(Golden Triangle)は、ケシ栽培で“黄金の三日月地帯”と共に世界的に有名である。
南ベトナム政府のグエン・カ・オキ副大統領とも親密な仲であり、戦争中の麻薬の密造、密売が
横行していたので、麻薬ビジネスのヤミ世界の裏面史を当然ながら悉知している。
なお、当時のサイゴン市内の街路ではいわゆるドラッグは公然と売買されていたし、吸引されていた。
脱出時は脚に銃弾を受けながら、米大使館屋上からヘリで第7艦隊の艦上へ逃げている。
軍事訓練を受けたことのない日本人は、どうしても自己防衛本能が弱くなる。敵はその弱みの虚を衝いてくるものだ。
国外での一匹狼には銃を扱えることは最低の自己防衛である。
日本人は精神的にもインポになっている。
世界最古の日本国憲法9条を唱える前に殺されよう。
社名は防弾服に代わるものではない。
而して、だんまり助平だ。
日本人は世界最弱である。
こうして、日本の男の質は世界最低レベルにランク付けされているのだ。

私はヘリで逃げた、しかし、現地IBM同僚たち十数名は米軍基地で銃殺された。
私が、今サイゴンに定住しているのは彼ら、彼女たちの弔いである。
未だに、夢に魘されている。
 
ここで、前記の銃殺された中村哲医師の実相を惹起してみよう。
用水路の建設現場へ向かう途中に小麦やオレンジの畑が車窓から見える。
「ケシ畑がなくなりましたね、この辺りだけが」と中村医師が呟く。
用水路で潤った地域ではケシ畑が姿を消したのだという。
だが、アフガンは今も世界最大のケシ栽培国だ。
ヘロインやアヘンの原料となるケシは乾燥に強い。水不足で小麦が作れない住民は
ケシを売って小麦を買い、腹を満たす。
収益の一部はターリバーンなどの武装勢力に流れるとされる。
貧しさがテロを生み、支える構図。
これが、この国の現実だ。
ケシに頼らざるを得ない農村の窮状。
そして、麻薬によって蝕まれる都市部の惨状が現実である。
 
ターリバーンがアフガニスタンを支配していた期間は、アヘン取引市場は機能していなかった。
こうした市場が機能するためには、強力な闇組織が権力の黙認下で 取引に介在することが
必要である。ターリバーンはこうした組織を抑圧していた。
 
タリバンへの参加の背景には貧困や飢えもある。ターリバーンは金払いがよく,初任給で200
ドルもくれるのだ。それだけあれば家族を十分養える。警察の初任給が80~90ドル、軍隊で
120~130ドルというのと比べると,リスクはあるが,一番いい就職先となる。
地方は全く干上がっているのだ。パレスチナのハマスも同様だろう。
住民にはタリバンが救世主に見えてくるのだ。だから戦士となる。
 
しかし、2001年10月のアフガニスタン侵攻によって、こうした闇組織が復活し、アヘン取引
も回復した。米国に支持されるカルザイ(Hamid Karzai)が大統領になった2002年には3400
トンにまで激増したのである。
麻薬の汚染地帯でなかった“黄金の三日月地域”でアヘン生産が増加したのは、ソ連に対抗すべく、
CIAが反ソ・ゲリラ組織のムジャヒディン(Mujahideen)に梃入れしたことによる。
「地対空携帯ミサイル」(stinger missile)をはじめとした武器を彼らに買わせるべく、
CIAは、アヘン生産に彼らが手を染めることを黙認し、アヘン販売で得た資金を合法化
するための「資金洗浄」(money laundering)に各種金融機関を利用した。
そして、パキスタン情報機関の保護下で、アフガニスタンで生産されたアヘンをヘロインに
加工する工場が数百個もパキスタン側の国境線に沿う地域で設立された。
麻薬の販売ルートを支配することは、石油パイプラインを支配することと同じ重要性をもつ。
CIAがその最大のオーガナイザーであるとの疑惑は否定しきれないのだ。
 
 
前述した銃殺された中村哲医師の余波を次に語ろう。
 
アフガニスタンは農業国で、全人口の90%が農耕と牧畜に従事している。
牧畜には定住して小麦やトウモロコシなどの農耕とともに飼育する定住型牧畜と、
高地を利用して多数のヒツジやウシ、ヤギを引き連れ季節的移動を行なう遊牧とがある。
遊牧民は全人口の15~20%を占め、ほとんどがアフガン人(パシュトゥーン人)である。
北東部のシワ湖付近、中央山地のハザーラジャートなどが主な夏営地で、パキスタンから
国境を越えて往来する遊牧民も多い。
農耕はヒンズークシの北部と南部および南西部の肥沃な黄土地帯が中心で、乾燥地帯で
あるため、河川から引く水路網によって人工灌漑が行なわれている。
 
農地の60%が自作農であるが、小麦栽培は、周辺諸国からの安い輸入小麦粉がある。
したがって、苦役の自作農より利益の多いケシ栽培に転換している農民が増えていること
が現実である。
 
地方のパシュトゥーン(アフガン)族は、国家よりも部族の慣習法を重んじ、仲間同士では
パシュトゥー語を使う。
地方の住民は分裂していて、部族間・家族間の反目や闘争は頻繁に起こる。
加えて、山岳国で道路整備が困難なため、運輸・通信が未発達で、中央と地方の関係は
疎遠となっている。
地方相互の関係も薄い。地方は政府から恩恵も圧迫も受けにくい。
地方の人々は自分の生活に必要な生産物、流通手段、情報を自らの手で確保している。
このため戦乱においても、地方の人々の生活は平和時と変わらず、地方の分立的傾向は
そのままであり、国家的統合とは遠い状態にある。
 
犯行の手口をみると、中村医師の襲撃は用意周到に計画されたものだったことがわかる。
犯人らはその時刻にその場所を中村医師が通ることがわかったうえで待ち伏せし、警備員
に反撃する間も与えないほどのスピードで襲撃した。
中村医師が乗車する車の前後に5人ほど武装したボディガードが付き、日によって経路を
変え、ある地点を通過すると現地のオフィスに報告するなど、厳重に警戒していたのである。
しかし、その車両は防弾仕様でもなく、中村医師は防弾チョッキも着用していなかった。
 
ここで、“NGOはどこまで武装できるか?”という問題が提起される。
世界のNGOも様々だが、「国境なき医師団(MSF)」などは、徹底した「丸腰」であり、
それが醸し出す「中立性」を武装に代わる手段としている。
中村医師も、「丸腰のボランティア」を標榜していたはずだが、なぜ今回は武装警護を
付けていたのか?
 
実行犯は身代金目的の誘拐などではなく、初めから中村医師を殺す目的であった。
“客人”と認められれば厚く歓待されるが、しきたりを無視して土足でズカズカと
入り込むような“よそ者”は受け入れられない土地柄である。
アフガン国内で外国人が有名になるということは、そうしたテロの標的になり易い
ことを意味する。
政治テロの実行犯は、犯行のインパクトや標的のネームバリューを重視する。
 
而して、「中村医師などの灌漑事業が水の流れを変え、ケシ栽培に難儀をもたらした」、
とターリバーンやISなどの一部勢力が判断したのではないかと推考できるのである。
それがタリバンの有力な資金源でもあり、農家の重要な収入源が無くなったのだ。
 加えて、沃野になられては困る勢力(民族対立)が中村医師を銃殺したとも推察できる。
 
結論的には、アフガンは、食糧不足危険度は世界第1位なのだ。
世界食糧計画の調査では、“人口の24・7%が栄養不足”と指摘している。
日本人目線の視界では、故中村哲医師は偉業を成し遂げていた人物となる(メディア)。
おしなべて日本社会は世界の紛争地に対する関心の低さは世界最低レベルである。
 
アフガン目線とは大きな較差があった。
中村医師の事業に不満を感じる武力勢力がいたのである。
ケシ栽培を行っていた一部農家にとって収入源が枯渇したことが原因であり、
それが中村医師の灌漑事業と結びつけられ、その利権問題から中村医師の命が
狙われたのではないか、という臆断である。
中村哲医師はアフガンの人びとに、“実り”をもたらしたと日本のメディアは絶賛しているが・・。
一度金儲けのほうに走ってしまうと止まらないものだ。
麻薬とは恐いものである。
 
国内に閉塞する日本人はすべて1億総コメンテイタ―(ジェラシーが包含)が充満している。
メディア業界はその殆どが大衆(及びスポンサー)迎合路線に陥り齷齪と内国的な不完全競争
に老廃している。
死人に口なしだ。一人の活動家が死を賭して闘っている後姿をあれこれと机上論的な論法を
浴びせるべきではないはずだ。いわゆる日本人目線は余りにも蛸壺的であろう。
 
さらに、現地在の日本女性から一言、
バーミヤンのホテル運営と地域の女性たちの手工芸品を扱う会社を経営している安井浩美さん
は、治安が悪化の一途をたどっているアフガニスタンの今について、「悲しい、残念、悔しいの
3つの言葉です。この国のあらゆる問題ですが、問題の根源がわかっていながらどうしようもで
きない歯がゆい状況に常におかれていることに憤りを感じるとともに、武器をもって戦うことも
できない無力な自分が苛立たしく思ったりします」とコメントしている。

以上
次は、4 of 5に続く、

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