アルバニア共和国 1 of 5


   日本人はバルカン半島は殆ど不知だ。関心もない。
お隣りのマケドニアからはのマザー・テレサが生まれている。

バルカン半島のアルバニア (Albania)と黒海の南部のアルメニア(Armenia)とは名前が似ているため、日本人には混同しがちだ。
アルバニアといえば、かつては“ヨーロッパの最貧国“、ヨーロッパの北朝鮮"と揶揄され、鎖国・無神論・ネズミ講のコトバで諷された国である。
「日本人の99%は生涯訪れない国」とも言えよう。

しかし、メンタリティの面ではどこにも属さない(属せない)孤高の存在として、
「ヨーロッパ最後の秘境」と称されている。
世界の文化が徐々に均一化する中で、恰も日本の様に、「よくわからない」ものがある国はある意味では得難いものであろう。
 
アルバニアの山奥に人知れず暮らす男装の女性たちがいる。
彼/彼女たちは「ブルネシャBurrnesha)」と呼ばれ、アルバニア国内でも殆ど伝説の存在と化している。
ブルネシャの起源は不確かだが、500年ほどの歴史を有するとされる。
アルバニアに古来から伝わる「Kanun」(カノン/教令)によって定められた誓いをすることで、女性が男性へと変わることが許されるのだという。
こうした取り決めがなされたのは、主に男性の相続人を失った家系が財産や土地を、家族内の女性に継がせるための「抜け穴」としてだったと考えられている。
代わりに、性転換した女性は、一生処女として生きることが定められるという。
ブルネシャになる、ということは男になること、男として人生を生きることを意味す
るのではない。それはむしろ自分を浄化することだ。
自分を解放し解体し、性差を超えた新しい身体を獲得するところにある、というのだ。
ブルネシャたちは酪農からトラックの修理まで、男性の仕事のすべてをこなす。
それはハードな人生だ。そして常に孤独とともにある。
ひとりの老いたブルネシャは「雪が怖い」と孤絶した暮らしの淋しさを漏らす。
それでも、その孤独に耐え忍ぶ価値はある。
家も庭も井戸から湧く美しい水も、そこに暮らす牛も全部彼のものだ。
「彼女」であったなら、それは手に入れることができなかったものなのだ。

因みに、ベトナムにも一部族(エデ族)には、性転換しなくとも女権主義が残る。
代々の相続権はオンナが継ぐ。子はオンナの名を継ぐ女権社会である。
“夜這い”はオンナがオトコの寝所に忍び寄る込むものとなる。
 
 
在留邦人数は、2020年3月時点で27名である(在日アルバニア人は89名)。
どの国に於いてもこう表現しなくてはならない。
「街には中国人と韓国人が多く、日本人はまず中国人と思われる」
日本人はせいぜいバックパッカーしかいない。
現今の日本人は精神的鎖国(内国)主義なのである。
パスポートで世界中に行ける最も自由な国でありながら勿体無いことである。
不自由になって初めて自由というイミが判るものなのだが・・。
 
 
日本人には未知の国アルバニアに住んでいる日本人女性を紹介しよう。

ドゥラク美香さん(47歳)で、美香さんは、アルバニア人で子煩悩な
アルベンさんと可愛い育ち盛りの3人の子どもたちと共に首都ティラナ
に暮らしている。
美香さんがこの国に暮らしはじめたのは、今から20年も前のことである。
 22年前にボランティア活動でアルバニア入りしてからご主人と出会い、
結婚したという。以来、ずっとアルバニアで生活している。
総じて、アルバニア人は優しいという。だから生活し易いのである。
 イタリア語普及率が高く、英語はほぼ通じないが・・・、人の良さは
言語を超えて伝わるものだと美香さんはいう。
 アルバニア人は牛乳が大好きで、毎朝搾りたての牛乳を飲むため庭先で
牛を飼っていることが多いという。
美香さんは搾りたての牛乳を近所のおじいさんにお願いして持ってきて
貰っており、牛乳でパンをすりつぶした「ポセッシュ・メ・リューモン
シュト」と呼ばれる料理を朝ごはんとして味わっているという。
 
 
“LOCOタビ”に‘アルバニアンJP’のネームで自己紹介する日本女性もいる
ので紹介しておこう。
 
「2012年夏から アルバニアの首都ティラナに在住しております。
夫とアルバニア国内旅行、首都内のレストラン、カフェを巡るのが趣味です。
大体の価格やサービス内容 交通情報 治安情報、ニーズに合った情報を提供
できると思います。
ヨーロッパと西アジアの文化が混じった独特な多様性を肌で感じて頂けるはずです。
人種も多種多様です。肌が白い人、黒め、髪はブロンド、茶、黒 と様々です。
鎖国が最近まで続いていた国なので、ビックリするようなことが多いです。
謎に満ちたこの国を安全に旅し、良き思い出を作って頂けたら幸いです」
と。
なお、彼女の夫が日本人かアルバニア人かは不明である。
 
同じく“LOCOタビ”に‘sachina_tirana’ネームで自己紹介する日本女性がいる、
「イスタンブールで2018~2019年まで交換留学で1年以上滞在しながら中東
やヨーロッパも回っていました。
最近はアルバニアで英語留学のプログラムを始めました。イスタンブールや、
ティラナに来たい日本人の方を案内したいと思います。
居住地:ティラナ/アルバニア、現地在住歴:2020年2月から」
とある。
 
 
日本人男性2人も紹介しよう。
 
中岡航太郎さんは2019年10月よりUN Women アルバニア事務所で
国連ユースボランティアとして働いている。
関西学院大学総合政策学部国際政策学科4年。大学2年生の約半年間、
文部科学省の留学支援制度「トビタテ留学ジャパン・多様性人材コース」
に採択され、カンボジアのローカルNGOにてインターンシップを経験。
帰国後、ハーバード大学の学生と共に行政・学生・民間企業・市民を巻き
込み300人規模のSDGsのイベントを大阪で開催。
国連ユースボランティアプログラムを通じてUN Women アルバニア事務所
に派遣されている。大阪府箕面市出身である。
彼はこう言う、
「そもそも開発という分野に興味を持ったのは、小学4年生の時に見た
「もし世界が百人の村だったら」というテレビがきっかけです。
自分と同世代の女の子がフィリピンのゴミ山で働いており、学校にも行けない
現状に、当時幼いながらに強烈な違和感を抱きました。
そこから大学で「開発」を専門的に学びたいと思い、現在の学部・学科を選
びました。
大学では開発に関する基礎的な学問を幅広く学びながら、カンボジアのNGO
で半年間インターンをして現地の住民と様々な活動をしました。
NGOならではの現場に近い活動に充実感をえる一方で、政策などに関わる機会
はほとんどなく、国や地方行政の掛け声一つで現場の方向性が変わる場面を多々
目にしました。
帰国後は支援という形ではなく、ビジネスという手法を通じて持続的な開発に関わりたいと考えるようになり、民間企業への就職を決めました。
その就職活動の最中にUN Volunteer (UNV)の募集を知り、せっかくなら将来の選択肢の幅を広げるためにも、社会の中でNGOやビジネスとは違う役割を担うセクターで働く経験がしたいと考え、UN Womenに応募しました」
という。
招来が楽しみな青年である。
 
次は、アルバニア在住で日本食レストランのオーナーをしている日本人男性、横山翔来(ショウキ)さんを紹介しよう。
彼は、世界一周中にアルバニアで日本料理店を開業しちゃったという。
彼は、2012年から主に海外で旅をしたり、暮らしたり、働いたり、ボランティアをしたりして生きてきましたという。
彼は、さらにこう言う、
「一般的な日本人とは少し違う生き方をしてきたと思うので、そんな僕がこれまで海外で感じてきたことや、珍しい体験談のお話、更にはアルバニアで日本料理店を開業するに至った経緯などを、みなさんの前でお話できたら嬉しく思います」と。
それで、今度は日本各地でトークライブをする、というのである。
最初が、全国を巡る2018年夏のトークライブを岡山は有鄰庵で開催している。
そして、またアルバニアに戻っている。
 
 
以上(2of 5に続く)


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