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【洋楽雑考#16】君は完璧か...?〜Culture Club

皆元気? 洋楽聴いてる?

前回のコラムでチラッと触れたQueenの伝記映画「Bohemian Rhapsody」が異例のヒット。"プリキュア"などでお父さんお母さんにはおなじみ、"応援上映回"と銘打った観客参加型の上映回(歌っても、音を出してもOK)もあり、あの当時を覚えているファンはもちろん、Queenと初めて接する若い世代もいっしょになって、「ずんずんぱっ」と「We Will Rock You」のイントロのストンピングをキメているというのだから微笑ましい。


1970年代、日本での洋楽御三家というと、彼らQueen、KISS、そしてAerosmithということになるのだが、当時から映像に執拗なまでのこだわりを見せていたKISSは、NHKのアーカイヴからさえも紛失していた"ヤング・ミュージック・ショー"の映像(初来日の武道館公演:後日NHKは一般人が奇跡的に保持していた3/4インチのビデオテープをオンエアした)を当たり前のように自分たちのDVDに入れているし、こうしてQueenも映画にまでなった。

で、Aerosmith...なぜ、こんなに映像がないのか。70年代のライヴなんて、Texxas JamのDVD くらいしか見当たらない。しかも、これ正規商品なのか分かんないし。頼む、関係者各位、探してください!!


で、今回は初期MTV世代の代表格、先日オリジナル・メンバーによる19年ぶりのニュー・アルバム「Life」をリリースしたCulture Club(新作のクレジットはBoy George & Culture Club)をご紹介。

 ボーイ・ジョージ の中低域に特徴のある、あの声も少し当時とは変わった気もするが、様々な音楽の要素を取り入れたサウンドは健在...しかし、このジャケット、スゴいな。当時のボーイ・ジョージって、圧倒的に"白"のイメージなんだけど、本作は真っ黒。Judas Priest みたいに見えないこともない。

グループ誕生は1981年。コヴェント・ガーデンのクラブに出入りし、Bow Wow Wowのライヴに客演もしていたボーイ・ジョージ がマイキー・クレイグ(B)、ジョン・モス(Dr)、ロイ・ヘイ(G)の3人と結成。

さらっと見逃してしまいそうなCulture Clubというネーミングなのだが、実はボーイ・ジョージはアイルランド人(本姓はO'Dowd)で、他のメンバーもベーシストは黒人、金髪のイングランド人がギター、そしてドラマーはユダヤ人というバラバラな出自を持っており、それを意識して付いたようだ。そんな深い意味があったなんて、当時全く知らなかったよ。


デモ・テープの制作に協力し、資金面で援助をしたのはEMIだったのだが、最終的にグループはVirginと契約を交わす(アメリカでのリリースはEpic)。


1982年に2枚のシングル「White Boy」、「I'm Afraid of Me」でイギリスでのデビューを果たすが、チャートには入らず。しかし、ここでも日本人の嗅覚の鋭さは発揮され、8月には「Mystery Boy」が独自盤として発表されている(サントリー・ウィスキーのCMソングに抜擢)。


そして9月。あの「Do You Really Want to Hurt Me」をリリース。折からのMTVムーヴメントの盛り上がりも手伝って、あれよあれよという間にCulture Club の名前は世界中を駆け巡ることに。


この曲が成功しなければアルバム・ディールはない、というギリギリの状態だったようだが、それが却って功を奏したのか。歌詞についてだが、当時のボーイ・ジョージのボーイフレンドだったジョンに関する内容だと言われているが、実際には"当時デートしたすべての男性"について歌われているようだ。

あの時代というと、ジェンダー(こんな単語も使われてない)についての議論は今ほど盛んではなくて、ある意味大らかな時代だったという見方もできるが、ゲイであることを公言するということについては、現代よりも勇気のある行為だったように思う。

それを全面的に押し出したグループ(というか、ボーイ・ジョージというキャラクター)の出現はかなりのインパクトだった。あのヴィジュアルについては、スティーヴ・ストレンジ(Visage)やスージー・スー(Siouxsie & The Banshees)などが手本になっているようだが、どこかサイボーグ的な仕上がりはやっぱりイギリスならではのものか。

アメリカであれをやると、最終的にTwisted Sisterみたいになるし。 同楽曲を収録したデビュー・アルバム「Kissing To Be Clever」からは、他にも「Time (Clock of the Heart)」、「I'll Tumble 4 Ya」というヒット・シングルがリリースされ、何と"The Beatles以来、デビュー作から3曲の全米Top10 を生み出した初のグループ"(順に2位、2位、9位)にまで一気に登りつめる。

翌1983年には、イケイケの状態をキープしながらセカンド「Colour by Numbers」が登場。


80年代の洋楽を代表する1曲と言っても決して言い過ぎではない「Karma Chameleon 」は本作収録。こういうアーティストの場合、多くはバックにいわゆる商業作家がいるのだが、彼らは自分たちでしっかり楽曲を書いており(「Karma」にはフィル・ピケットが参加)、そこがいちばんの強みだと言えよう。

ブルー・アイド・ソウルとレゲエをミックスしたような不可思議なスタイルの楽曲は彼らならではのモノだし、彼ら以降のいわゆるUKポップスにも大きな影響を与えている。

それどころか、ボーイ・ジョージ、ロイ・ヘイのデュオは、The Beach Boys の1985年のセルフ・タイトル・アルバムに「Passing Friend」という楽曲を提供するまでになっている(具体的な資料は見当たらないが、両グループのプロデュースに携わっているのが、スティーヴ・レヴィンなので、そのあたりから人脈ができたのか)。


しかし、この勢いもサード「Waking Up with the House on Fire」リリースあたりから、早くも衰えを見せる。「The War Song」というヒットは出たものの、ボーイ・ジョージはジョン・モスとの関係悪化から、ドラッグにどっぷりとはまり込む。


1986年リリースの「From Luxury to Heartache」のレコーディングには膨大な時間がかかり(1曲のヴォーカル録音に数日かかる状態だった)、途中でプロデューサーが降板、チャート・アクションも振るわず。アメリカン・ツアーもキャンセルになり、挙句ボーイ・ジョージがヘロイン所持で逮捕され、バンドは最初の解散へと追い込まれるのだった。


散発的な再結成、分裂を繰り返しながらグループは存続しているが、今回のオリジナル・メンバーでの復活は大きい。ここで一発CM起用、1984年以来となる日本公演実現を願いたい。

では、また次回に。


New Album「Life」

2018/10/26 発売

※本コラムは、2018年12月10日の記事を転載しております。


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