izumisz

哲学者。最近の作物に『スピノザ全集』(岩波書店)第I巻がある。

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哲学者。最近の作物に『スピノザ全集』(岩波書店)第I巻がある。

マガジン

  • PANTA

    2023年7月7日に亡くなったPANTAに関する文章を纏めました。

  • 妄想日記

    大怪我したときの妄想日記です。

最近の記事

JAGATARAと非人間的思考

どういう風の吹き回しか、大人買いしていたJAGATARAのアルバムをまとめて聞いていたが、それを通して改めて気づいたこと。「ゴーグル、それをしろ」(『ニセ預言者ども』)という曲で言われるゴーグルとは、カオスに立ち向かいつつそれから身を守る遮蔽物のシンボルに他ならない。ドゥルーズ哲学の核心に、カオスに抗して身を守る枠という考え方があって、これに関しては小倉拓也『カオスに抗する闘い:ドゥルーズ・精神分析・現象学』(人文書院、2018年)が見事に解明しているが、要するに、通常の人間

    • In Memoriam PANTAE(IV)

      1982年にオレは大学に入学する。文三10組というところに入れられ、今になってみると様々な分野で活躍することになる同級生に恵まれた。一つ上の学年の先輩たちが新入生の面倒をみるというのが慣習で、そのオリエンテーション合宿(基本的に学生のみで運営させるのだから立派なものだ。今もそうなのだろうか。今から考えるとサークルや緩やかな意味での政治党派の草刈り場だったのだろう。こともあろうに、大学が始まってしばらく経ってから、夏前だとは思うが、グラウンドを一周しながら、民青にオルグされたこ

      • In Memoriam PANTAE(III)

        PANTA&HALのフル・ライブを聴くことが出来たのは、1980年12月14日の仙台市民会館の一度だけか。ライブ・ヴァージョンしか残されていない「TKO NIGHT LIGHT」のかっこよさといったらなかった。(もちろん、当時、一万円札は「オレを嘲笑う」ことも「役立たず」でもなかった。)今、二つのライブ・アルバムを聞くと、『1980X』の有するタイトさが失われていて、フリクションらに比べるとその大仰さがオールド・スクール感を感じさせるものの、あの当時のオレは、あ〜かっちょええ

        • デカルト「エリザベト宛書簡」(21 mai 1643, ATIII 663-4)

          直接会って問い尋ねることが適わずに、手紙を書くことしか出来なかったことを詫びるエリザベトに対し、デカルトは、直接面談せずに手紙を書いてくれたことが、賞賛すべき多数のことを面と向かって賞賛することの出来ない自分の欠陥を和らげてくれたと答える。直接会っていたとしたら、画家たちが天使に与える身体に非常によく似たエリザベトの身体から発せられる人間を超えた語りに、デカルトは魅了され(ravi)てしまっただろうから(おいおいおいよく言うよ)。そして、手紙に記されたエリザベトの思索の痕跡を

        JAGATARAと非人間的思考

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        • PANTA
          6本
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        記事

          超越論的経験論再び

          午前中は某芸大で非常勤。長らく準備中の仕事のためにドゥルーズについて話していて、ここしばらくは超越論的経験論が主題。カント的な超越論性の話しから始まって、蜜蝋の分析、モリヌークス問題、共通感覚論を経て、共通感覚論批判としての超越論的経験論のとば口まで来た。 さて、超越論的経験論が、諸感覚の非協和的協働を説き、諸感覚が協和的協働の軛を離脱しておのおのの限界にまで及ぶ諸能力の超越的使用という非人間的条件を描くものであることはいいとして、この過酷な経験の具体的な例として何をあげるの

          超越論的経験論再び

          山下達郎の「大切なご報告」に関して

          オレは山下達郎のいいファンではないが(その意味は、殆どのCDは持っていて、RCA時代のものなど複数枚あるが、最新リマスターのアナログ盤までは買い求めていないファンといった程度のこと)、今回の「大切なご報告」=弁明に関しては心底落胆した。正確には一つの疑問と大いなる落胆だ。落胆は批判や非難ではない。山下達郎は必ずしも間違ってはいないから批判や非難はあたらない。転向したり変節したりしたのかはわからないが、とにかくこういったことを考えているのであり、それはそれで彼においては一貫した

          山下達郎の「大切なご報告」に関して

          ZK20191125

          2019年の11月25日の頭脳警察のライヴ、これまでの数知れない経験の中でも、指折りのものだった。京大西部講堂ライラ・ハリド来日時のそれに続くか。FZというかThe Mothers of Inventionの例の曲——大体、この曲がかかって始まるときは気合いが入っている証拠なのだ——をバックに二人が登場、革命三部作。「世界革命戦争宣言」をライブで聞くのは三度目か。この曲というかラップもしくはアジテーションについては後で触れるが、十年以上前、初台ドアーズのライブで「これが頭脳警

          『形而上学的思想』

          年寄りの思い出話しほど鬱陶しいものはないが、翻訳刊行に際して、他には記さないこと幾つか。今回私が訳した『形而上学的思想』の畠中尚志訳を初めて手に取ったのは1984年の本郷総合図書館だったと思う。万年筆による書き込みがあった。少しだけ読んで珍紛漢紛。(翻訳の問題ではない。近世スコラ哲学に関するものを中心に訳注は情報量不足だが、訳文自体は他の畠中訳同様立派なものだ。)こんなもの誰が読むんだ?と思って棚に戻した。近世スコラ哲学やデカルト哲学に対する少し踏み込んだ知識がないと理解出来

          『形而上学的思想』

          PANTAとのたった一枚のツー・ショット

          禁を破って。パンタさん、今まで本当にありがとう。たった一枚しかないけど、本当の宝物。2011年3月3日、『ユリシーズ』インタビュー(於初台ドアーズ)後。 何を今さら還暦を過ぎてということになるが、親も既にいなくなり、唯一のアイドルも消え去ったとなると、信仰のないオレの前にはもはや垂直的なものは何も存在しない。正念場だな。

          PANTAとのたった一枚のツー・ショット

          PANTA

          オレは、PANTAのことを自分のアイドルと呼んで来た。これは、フランスの哲学者・哲学史家・神学者ジャン=リュック・マリオンの概念対に倣ったもので、アイドル=偶像は自らの欲望を投影する対象、対するイコン(=聖像画)は神の子キリストが描かれた聖像画のように、その対象に対して視線を無限に彷徨わせ、ある時彼方から神そのものの視線と出会うというもの。そう、AKBでもなんでもいいのだが、人はアイドルに対しては自らの欲望を投げかけるもので、「世界革命戦争宣言」や「銃を取れ!」を歌い、赤軍派

          In memoriam PANTAE(II)

          高校に入ってからはどうだっただろう。高一(1978年)は、田中とバンドを作って、チャーやら四人囃子、森園勝敏らのフュージョンよりのロックをカヴァ-しつつ、ピストルズやクラッシュなども聴くという無茶苦茶な時期で、多分、PANTAはあまりきいていないと思う。その後、確か高二のときに、ひょんなきっかけで大学生の方々のやっているバンドに誘われ、ライブハウスに出るようになってから、出たばかりの『マラッカ』がライブハウスやロック喫茶でかかっていたりして、改めてPANTAに惹かれて行ったの

          In memoriam PANTAE(II)

          In memoriam PANTAE(I)

          ここ数年は、昨日への準備のような時期だったと思う。ちょうど二年前にオレが大怪我して入院していたとき、今も少し障害の残る短期記憶のリハビリのためにパンタの歌詞を覚えたのは、今から考えれば確認と別れの儀式の始まりだったか。同じ病室に小学生の男の子が寂しそうに入院していて(誰も見舞いに来なかったな、コロナのせいだろうけど)、ごくたまに看護師さんと遊んでいる姿を見たことがあったので「ステファン」、あとは、歌詞の長さで「裸にされた街」と「マーラーズ・パーラー」だった。 オレは父を肺癌

          In memoriam PANTAE(I)

          PANTA応援ライブ「P-FES 」VOL.1

          昨日は、PANTA応援ライブ「P-FES 」VOL.1、を配信で視聴。療養中のPANTAを励ますために、若いBRAINPOLICE UNIONの面々らに加え、PANTAの代理で、亜無亜危異の仲野茂をボーカルに迎えての頭脳警察Xに到る5時間弱のフェス。仲野茂は苦手なわけだが、それでも、トシも固有のボーカルも欠いて若者たちが順番にボーカルをとるZUNOmonoに、トシも加わり、仲野茂が亜無亜危異の正装で現れて「屋根の上の猫」、「ふざけるんじゃねえよ」、「赤軍兵士の詩」、「さような

          PANTA応援ライブ「P-FES 」VOL.1

          カトラ・トゥラーナ

          物心ついて以来、この人すごいなとその才能の輝きを感じた人は一人しかいない。この言い方は微妙で、もう少し精確に言うと、蓮實重彦、松永澄夫、ジャン=リュック・マリオン、Я eck等々、同世代から下まで考えると、河添剛に廣瀬純等々、この方はすごいなと思うような知己を得た人はそれなりにいるのだが、その才能が開花して世に知られる以前から輝きを感じ、やはりこの方は本物だったのだと後で気付いた方、そういう意味で才能の原石に触れてしまった方は一人しかいない。 高校二年の秋の文化祭だから19

          カトラ・トゥラーナ

          KATRA TURANA at 於吉祥寺スターパインズカフェ(220722)

          広池敦率いるKATRA TURANAの新譜発売記念ライブに行って来た(於吉祥寺スターパインズカフェ)。 とても素晴らしいライブだった!オレの音楽的知識だと精確な分析は出来ないが、チェンバーロック(ヘンリーカウやサード・イヤー・バンドなの?)を基盤にしながら、エマニュエル・パルナンからキング・クリムゾンに至る様々な音楽の宝庫が散りばめられる。声の冒険・変拍子・耽美的中世/オリエンタリズム風味等々によって特色づけられるのだろう。つまらない現世の由無し事を超えて、オリジナルにして

          KATRA TURANA at 於吉祥寺スターパインズカフェ(220722)

          妄想日記(4):アンケート調査

          タリーズかドトールと化した病室の左奥の席に私は横たわっているが、髪の長い美しい20代後半の女性がやって来て、私にアンケート調査を依頼してくる。結局、どういう調査なのかは判明としないのだが、しつこく依頼してくるので、アンケート調査には時間がかかり、それは人の時間を奪うものだから、その点を考えた上で依頼するものだと諭す。しかし、その女性はめげずに依頼を続ける。自分は性器が(性的な意味ではなく)知覚過敏なので、何らかの金属の器具を装着して生きていきたいのだが、それが可能になる、もし

          妄想日記(4):アンケート調査