見出し画像

PANTA

オレは、PANTAのことを自分のアイドルと呼んで来た。これは、フランスの哲学者・哲学史家・神学者ジャン=リュック・マリオンの概念対に倣ったもので、アイドル=偶像は自らの欲望を投影する対象、対するイコン(=聖像画)は神の子キリストが描かれた聖像画のように、その対象に対して視線を無限に彷徨わせ、ある時彼方から神そのものの視線と出会うというもの。そう、AKBでもなんでもいいのだが、人はアイドルに対しては自らの欲望を投げかけるもので、「世界革命戦争宣言」や「銃を取れ!」を歌い、赤軍派と同調する過激派ロッカーを求めたり、フランス・ギャルを始めとするフレンチ・ポップスの大好きだったPANTAがポップスアルバムを発表すると、ファンの間で不買運動が生じたりしたわけだ。そして、そのようにして、アイドル=偶像として自らの欲望を投影したその姿だけは全面肯定することが出来た。オレ自身、そのアイドル=偶像の像を守るために、さまざまなルートを駆使したり機会を利用すればもう少しお目にかかることは出来たと思うし、打ち上げなど誘われたこともあったが、それは敢えて避けた。たとえば、制服向上委員会をプロデュースするPANTAなどとても肯定出来なかったからに他ならない。お目にかかったのは、『ユリシーズ』のインタビューのときと、ライラ・ハリド来日時の京大西部講堂におけるライブ前に、会場前で握手をしてもらったときの二回だけ。

しかし、本当に単なる偶像だったのだろうか。長い音楽活動を通して、オレは心地よい驚きに何度も出会って来た。残された音源や映像、そしてZKの最後の新作を聴くことは、その作品を通してPANTAの声に射竦められることだから、もはやアイドルとは異なるイコンへと移行させる時期なのかも知れない。(ジャケットでこちらを見ているPANTAは半々くらいか。いつもの通り、鋤田さん撮影のPANTAは素敵だ。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?