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『形而上学的思想』


年寄りの思い出話しほど鬱陶しいものはないが、翻訳刊行に際して、他には記さないこと幾つか。今回私が訳した『形而上学的思想』の畠中尚志訳を初めて手に取ったのは1984年の本郷総合図書館だったと思う。万年筆による書き込みがあった。少しだけ読んで珍紛漢紛。(翻訳の問題ではない。近世スコラ哲学に関するものを中心に訳注は情報量不足だが、訳文自体は他の畠中訳同様立派なものだ。)こんなもの誰が読むんだ?と思って棚に戻した。近世スコラ哲学やデカルト哲学に対する少し踏み込んだ知識がないと理解出来ないし、その意義もわからないのだから当然だ。それが、ほぼ40年の年月を経て訳書を公刊することになるのだから不思議なものだ。オレのこの40年はこの訳書のためにあったと言えなくもない。オレが担当した部分ではないが、本体の『デカルトの哲学原理』第一部を一対一で所先生に講読して頂いたのは1988年頃か。翻訳を引き受ける前の20年ほど前にこの著述に対する論文を一本書き、その後、訳文を作成し、訳注をつけ、その論文を改稿する仕方で解説を執筆する中で、この難物に対する理解はかなり深まった。すべてが透明になったとは言えず、まだわからない点は残るものの、隅々まで理解は及んだと思う。だから、この翻訳は、40年前の自分と自分のような者に向けられたものなのだ。

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