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In memoriam PANTAE(II)

高校に入ってからはどうだっただろう。高一(1978年)は、田中とバンドを作って、チャーやら四人囃子、森園勝敏らのフュージョンよりのロックをカヴァ-しつつ、ピストルズやクラッシュなども聴くという無茶苦茶な時期で、多分、PANTAはあまりきいていないと思う。その後、確か高二のときに、ひょんなきっかけで大学生の方々のやっているバンドに誘われ、ライブハウスに出るようになってから、出たばかりの『マラッカ』がライブハウスやロック喫茶でかかっていたりして、改めてPANTAに惹かれて行ったのだったか。『1980X』は翌年(1980年)、このあたりになると、HALはもちろんソロもアルバムを手に入れて聴いていたはずだ。音楽の才能がないことは前年の夏前にはしっかりと認識していたから、その夏からは、漠然と大学に行くことを考えて受験勉強を始めるが、その年上の方々とのバンド、そして途中からは田中との(XTC×突然段ボールのような、いや、パンクもニュー・ウェイヴも、ホモソーシャルかリブ系のどちらかが多く、男女混合・ツインボーカルのバンドは少なかったから、トーキング・ヘッズ気取りか?いや、ヴェルヴェッツ気取り?口に出すのもおぞましいバービー・ボーイズとだけは何の関係もない)ニュー・ウェイヴバンドを掛け持ちして、合わせると月に一度位はライブをしていたか。(テープは残っている。)前者では、オリジナルの他、YMOの「東風」やムーンライダーズ数曲、そしてニール・ヤングなどのカヴァーの他、恐れ多くも「ルイーズ」もやっている。同級生だった岩井俊二はこの時期、オレが「ギターがうまい」とあるところで書いてくれたが、今から思えば話しにならなかった。

パンタを初めて見たのは、1980年8月16日の新宿厚生年金会館。「とめられるか俺たちを/狂い咲きロックショー」と題されたイベントで、石井聰亙監督『狂い咲きサンダーロード』上映後のライブ。カルメン・マキ&OZに続いてがPANTA&HALだったか。ヘルメット(あ、バイクのね)を被って出てきたPANTAが「上等じゃねえか、馬鹿やろう」といったような言葉を叫びながらステージに出て来て、そのかっこよさに痺れた。オレは京大受験を考えていてー-京大の方が反権力的だと勘違いしていたのだ--、駿台の京大模試を受けるといって、親を騙くらかしてPANTA&HALを見に来たのだった。(もちろん、模試も受けたが、特に数学はまったく歯が立たなかった。)

高二か高三のとき、別の高校のバンドが「世界夫人」をカヴァーしてるというのを聞いて、すごく羨ましいというか悔しかったのをよく覚えているから、ZKも既によく聴いていたはず。但し、再発前だから、誰かにコピーしてもらったのだろう。

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