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In Memoriam PANTAE(IV)

1982年にオレは大学に入学する。文三10組というところに入れられ、今になってみると様々な分野で活躍することになる同級生に恵まれた。一つ上の学年の先輩たちが新入生の面倒をみるというのが慣習で、そのオリエンテーション合宿(基本的に学生のみで運営させるのだから立派なものだ。今もそうなのだろうか。今から考えるとサークルや緩やかな意味での政治党派の草刈り場だったのだろう。こともあろうに、大学が始まってしばらく経ってから、夏前だとは思うが、グラウンドを一周しながら、民青にオルグされたことがある。あのクラスに党員は何人いたのだろう)の宴会では、一人一芸をしなければならなかったので、「さようなら世界夫人よ」を弾き語りで披露してしまった。オレの人生の中でたった一回限りの弾き語りではある。
ロックへの関心はかなり低くなっていて、映画を見る時間がかなり増えたが、そうは言ってもPANTA のライブには通っていたと思う。資料を見ると、五月祭の実行委員会を非民青系が牛耳っていたこともあってか、1982年から1984年までは五月祭にPANTAは来ている。1982年の五月祭のライブのタイトル(?)は「怒りの逆噴射、や、やめて下さい総長」、時代を感じる。確か、会場は農学部のグラウンドだったと思うが、現在のどこらへんかはわからない。
1989年の『P.I.S.S.』、さらにZK再結成の1990年頃までは、毎年一枚ずつのペースでアルバムが発売されていたから、それを楽しみにしていたし、発売に合わせて企画されたライブにはかなりの程度、足を運んでいた。ファン・クラブにはずっと入っているから情報を逃すことはなかったはず(手書きの会報を始めとして貴重な資料があるが、行方不明。オレの通例で、大事なものを大事にし過ぎて見つかりにくいところにしまったのだろう。早く出てこい)。とは言え、『唇にスパーク』の1982年に、今はなき西口の新宿ロフト(今となってはどこにあったのかさえ忘れてしまっている)のライブにどのくらい行ったかすら覚えていない。トヨタの車のCM曲「レーザー・ショック」がTVで流れていた。(同じ「スパーク」でも格の違うフレーズ「スパークさせて」を同い年のミュージシャンが10数年後に紡ぎ出すことをオレはまだ知らない…)
↓しかし、これでいいのか…


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